「納得いかァ──んっ!!」
研究所内どころか枯れ葉舞う晩秋の山中に響き渡るかの如き怒号に所員たちの手が一瞬止まる…が、すぐに彼らは何事も無かったかの様に各々の仕事へと戻る。斯様な俄か騒ぎもこの研究所においては今や日常的な出来事なので、殊更大騒ぎする程の事では無いのだ。
まだまだ一日の業務が始まったばかりのA.S.U.R.A.の所長室、鋸引所長代理に吠えかかっているのは毎度おなじみの浦鳥香苗その人である。
ただし、いつもと違うのは彼女の姿…右足首に包帯を巻いており松葉杖なんかも携えている。装甲車の様な頑丈さが取り柄の彼女にしては極めて珍しい事例と言えよう。
これは先のスカイカーレースの際、乱入してきた正体不明の軍用ドローンを撃退した折に放った高々度からのドロップキックで自ら負ってしまった捻挫である。強化外骨格Ⅹによって倍増された脚力はドローンを破壊するに充分足るものであった反面、彼女の足にも相応のダメージを与えてしまっていたのである。さもありなん、Ⅹの機能は装着者の筋力を高めるものであっても、その身を防護する様には設計されていないのである…というか、そもそも荒事に用いられる事を想定して造られてはいない、当然ながら。
そうした訳でレースの後、すぐに病院に直行した香苗は診断の結果特に入院の必要も無く、土日を挟んだ週明けからは通常通り職場に出てきたのである。考えてみれば空を飛ぶ機械とは言え仮にも軍用ドローン、そこそこ頑丈な装甲材で固められていたはずである。それを蹴り壊して自身は捻挫で済むのだから十分丈夫な身体であるとは言えるのだが…。
兎にも角にも、さしものテロリスト娘と言えども片足引き摺った状態ではいつもの様な悪事を働くことは出来ないため、所員たちは当分平和を享受することが出来る事にほっと胸を撫で下ろす事となった。
もちろん騒動こそ起こさないものの彼女がこのまま終日おとなしく過ごしているはずも無く、まずは先日のレースにて優勝した賞金なり報酬なりをせしめてやろうと所長室へと乗り込み……そして先刻の怒声に至るのだった。
「納得できんぞ、所長代理!」
よほど腹に据えかねているのか、香苗はわざわざ標的を明確にした上でもう一度不満を口にする。その矛先が向けられている鋸引はと言えば、これっぽっちも動揺する素振り無く、プレジデントデスクに足など投げ出して白けた視線を彼女に向けている。まぁ、こういう展開になるであろう事はとうに予想出来ていた…といった表情だ。
「レース無効で賞金も何も無しってどーゆー事なのよっ!!」
「どーゆ―事もこーゆー事も…──」
どうやら彼女のご立腹の理由は先のレースの勝敗…正確にはそれによって得られるはずの報酬に関してらしい。尚も噛みついてくる香苗の熱量に軽く頭を振って、鋸引もようやく口を開く。
「スタート初っ端っからの玄主のバカが仕掛けた悪質な妨害に加え、外部からの乱入者によってレースがメチャメチャになったんだ、あれを正式な記録とは認められんだろ?」
…くどいようだが、スタート時の妨害工作に関しては元々香苗が仕掛けたものだ。
「けど、私が一着でゴールしたのは事実だぞ? 立派な優勝じゃないのさ!」
「ウラシマ君さぁ…、お前さんがゴールした時点で空飛んでたのはそちらのチームの…え~っと…ラブラドールだったっけ?」
「誰が大型犬の話をしとるんだ、ダブテールだ! 人の名前だけじゃなく物の名前まで憶えられんのかっ!」
「それそれ、そのたった一機だけだ。 おまけに他に唯一生き残っていた玄主のバカのマシンを墜としたのはお前さんだろ? ありゃ立派な妨害行為で、本来なら失格になってもおかしかぁなかったんだぜ?」
実際、レースは軍用ドローンが乱入した段階で崩壊状態となったため、その勝敗に関しても既に意味を成さないものとなっていた。だからこそ香苗が最後に玄主を殴り倒してダース・エンペラーを撃墜させた行為も不問となった訳である。
「だからあのレースはノーコンテストだよ。それにな…──」
投げ出した足を下ろし、のそりと体を起こした鋸引は今度はデスクに半身を乗り出して対峙する香苗に指を突き付けた。詰問然とした様相だが不思議と鋸引に怒っている気配は無い…いや、むしろ口端も歪んで愉快さが抑えられない、といった風にさえ見て取れる。
「そもそもあのレースの目的は研究者の技術交流と次世代インフラを見据えた市販車の性能実証を兼ねたコンペティションだったんだぜ? お前さんとこの採算度外視、テスラホイールなんてトンデモ装置内蔵、おまけにパイロットを選ぶようなピーキーな規格外なマシンに優勝されたんじゃあ開催の目的も無意味になっちまうだろ?」
──そーゆー意味ではゴール時点でダース・エンペラーが優勝してても結果は同じなワケやけどな。結局生き残りがあの二台って時点でレースはとっくに詰んでたっちゅーこっちゃ。
鋸引所長代理は、恐らくレース終盤の時点でそうした結果を予想していたのだろう。それでも香苗に手を貸した理由は…きっと玄主に勝たせたくなかったという個人的な都合に相違無い。いや、ひょっとしたら最初から彼女らが製造するスカイカーが優勝に相応しくない事を見越し、玄主と相討ってもらうために水面下で協力をしていた可能性だって否めない…?
「…そーゆーわけでウラシマ君、キミの優勝も報酬も無し、だ。了解?」
「……さ…っ…、」
再びシートに腰を戻した鋸引をなめた香苗の肩がわなわなとうち震える。やがてうわずる口からは彼女の魂の絶叫が迸り出た…。
「詐ァ欺ィだァあ──っっっ!!!!!!」
意気消沈した足取りは松葉杖とて支え切れるものでは無い。こういう時は何かとタイミングが悪いもので、午前中からすっかり萎えてしまった香苗は渡り廊下で高槻と出っくわした。
「…あンだァ? 何見てんだよ? やるか、コンチキショ~…」
相手の様子に少々面食らった視線を向ける高槻に恨めしさを漂わせた香苗がチンピラよろしく毒づくのだが、威勢の良い啖呵の割には口調は大分ヘコんでしまっている。
「何だ、朝飯でも食い損ねて来たのか?」
「五月蠅し! 用が無いなら私の視界に入ってくんな! 私ゃ今、すこぶる機嫌が悪いんだ」
世の中全てが鬱陶しいとばかりに松葉杖を振り回す香苗、その勢い余ってか自分で振り回され思わずたたらを踏む。
「……用が無いと言えば無い訳ではないが…、さっき古淵女史から聞いた話なのだがな…。まぁ貴様も当事者だ、ちょっと聞いていけ」
挑発に乗ってこないとこを見ると、どうやらこちらも何やら不景気そうな話だ。これまた珍しく二人は激しい罵り合いに突入する事も無く食堂前のロビーで長椅子に腰を下ろした。
「先日の軍用ドローンな…あれを回収して解析したらしいのだが、何者が飛ばして寄越したかが経路記録から判明したそうだ」
「へぇ~…」
あまり話題に興味無さそうな生返事で応じる香苗。高槻はそれにはお構いなしに話を続ける。
「こないだうちの研究所の玄関先で抗議運動していた自称自然保護団体っていただろ? アレを差し向けたのがどうやら連中だったらしいのだわ」
「…自然保護団体ぃ? 何でそんな連中が軍用ドローンなんて持ってんのさ?」
「妙だと思うだろ? 一介の市民団体がおいそれと入手できるようなシロモノじゃあない。色々疑わしいという事でレース主催側にその解析結果を伝えて、今頃は警察も動いていると思うのだが…まぁ、連中も恐らくは踊らされたクチだろうから十中八九ドローンの提供者にまで捜査は辿り着かないだろうな」
「スッキリしない話だなァ…何なの、ソレ? 何かの陰謀論!?」
落ち込んでいるところに更にややこしい話題が持ち込まれた香苗のげんなり顔に反比例して高槻の表情は次第に皮肉めいた狂気の笑みを帯び始めていた…本人は懐疑論者の現実主義を気取ってはいるが、本来こういう話が大好物な性格なのであろう。
「陰謀? とんでもない、こいつぁもっと生々しい話だ。いいか? 科学の進歩と軍事技術の向上は昔から表裏一体だった無視できない歴史の一面を持っている。そいつは現代に至っても払拭し切れぬ事実だ。今回のUAM技術だって軍事的な転用の可能性も大いにあるもので、そこには企業間の競争であったり技術の盗用であったりなんて話が後を絶たない。今回の件、俺はそうした軍事技術に関わる企業による何らかのデータ収集が裏にあるのではないかと睨んでいるのだよ」
「軍事技術…ねぇ…。なぁ~んか気に食わないなぁ、そーゆーの」
松葉杖に上半身預けて相手の推測に露骨に顔をしかめた香苗。そのうち自分の方を何やら怪訝に見つめている高槻に気付いて香苗は仏頂面をそのまま向ける。
「何よ?」
「…いや、前々から不思議に思っとったのだがな…」
高槻は一瞬だけ遮光グラスをずらして裸眼で彼女の視線を窺う。
「貴様、自分ではこの研究所の備品を兵器紛いに悪用するクセに、こと軍事絡みのトラブルが起こると本気で怒りだすのだな?」
「それ、前にも聞いたわよ?」
「いや、今回に限って言えばドローンの他にもあの玄主って男のマシンだって十分に兵器の類と言えたはずだ。それなのにゴール寸前までは貴様それを咎める気も無く、どちらかと言えば積極的に奴との小競り合いを愉しんでいたのではないか? 一体全体貴様の倫理観の線引きはどーなっておるのだ?」
「そぉ? 私、愉しんでた?」
「そりゃあこの上無く、な」
「そっかぁ…ん~……?」
指摘されて香苗は天井を見上げて考え込む…しばし空白の間。やがて彼女は独り言のようにぽつりと呟いた。
「うまく言えないんだけどさ…それって、きっとあのヒゲオヤジも趣味でやってたからじゃないかな?」
「趣味…だぁ?」
高槻の口が顎ごと歪む。
「そう、趣味。嫌味なオヤジだったけど少なくとも本気で遊んできてたからね、それはそれで相手していて楽しかったのよ。でもドローンの方はちっとも楽しくなかった、不粋なのよアレ!」
「……そ、そーか…。不粋、か…」
何やら彼女の核心めいた部分に触れたような気もしたが、それでもやっぱり理解には苦しむ。恐らく彼女には彼女独自の倫理観と言うか、矜持と呼べるものがあるのだろう、それは理解できる…のであるが、その根幹にかかわる部分がどうにも判然としないので高槻には今いち釈然としない思いばかりが残るのだ。
彼がそんな思いに首をしきりに傾げていると、いい加減退屈したのか香苗は松葉杖を支えにして長椅子から立ち上がろうとする。
「話ってそんだけ? 他に無いならもう行くよ?」
「ああ……、いや、待て。もう一つ」
それを一瞬見送りかけて高槻は慌てて彼女を呼び止めた。
「入院中の豪原だがな、何か所か骨折していたがそれ程重症では無かったそうだぞ。来週には仕事に復帰も出来ると言っとったわ」
余談に過ぎない報告の直後、だが香苗が垣間見せた表情に高槻ははっとして呼吸を止めた。
「あっそ。そりゃあ良かった」
口ぶりこそ普段のままだが、それは彼女からは想像も出来ない穏やかな笑顔だった。虚を突かれて呆け倒してしまっていたせいでそのまま香苗が食堂へと消えてゆくのを見過ごしてしまう。やがて取り残された高槻のぼんやりした思考は、唐突にあらぬ思いを口にさせたのだ。
「……あ奴…人並みに仲間を心配していたのか……? いやぁ、まさか…な…?」
咄嗟に浮かんだ考えを即座に否定する高槻。だがすぐにまた別の考えが頭をもたげてくる。
「ふん、欺瞞に満ちた自然保護団体に、それを陰ながら利用する何者か…そして頭のおかしなマッドサイエンティスト…か、案外そんな連中に比べたらあの小娘なんぞむしろ善人の部類なのかも……いやいや、いかんいかんっ、騙されんぞォっ!!」
放って置くと何やら良からぬ思考に毒されそうな予感がして高槻は激しく頭を揺さぶるのだった…。
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