踊れ、アスラ~4d⇒~

科学の砦でから騒ぎ。
沖房 甍
沖房 甍

「さよならA.S.U.R.A.」3

公開日時: 2023年3月7日(火) 21:32
更新日時: 2023年4月29日(土) 03:21
文字数:3,110

 結局入院中、赤鰯教授一人で占拠する事になってしまった四人部屋の病室は既にベッドの布団も片され、今は本人が身支度整え退院するのを待つのみとなっていた。

 久しぶりのスーツに身を包んだ教授は、この入院中の手荷物一切を使い古した茶色い革鞄に詰めていそいそと退院準備を進めている。ベッド脇にはそれを見守る様に鋸引所長代理が控えているのだが、当然病院内では飲酒禁止なので忙しく動き回る教授とは対照的にこちらはどこか手持無沙汰気だ。

 あまりにすることが無いものだから、うっかり鋸引は教授に話しかけてしまう事になる。それがただの時間のロスにしかならないというのに……。


「明日からもう出勤するんだって?」


「はい、まずは大学に顔を出して挨拶してゆこうかと思います。長い期間講義に穴を開けてしまいましたのでね」


 案の定鋸引の問いかけに教授の手がはたと止まる。

 もちろん鋸引に相手の邪魔をしようなどといった意図など微塵も無い。退院後の教授のスケジュールなど聞かずともとっくに把握済みで、わざわざ確認する必要も端から無いからだ。

 それでも始めてしまった会話は区切りを見るまでは止まらない。鋸引は更なる問答を投げかける……答えなど知っているくせに。


「A.S.U.R.A.の方は週明けから……だったよな」


「ええ、さすがにあちらの業務は体調万全にしとかないと務まりませんので」


 言いつつ教授の脳裏には「実に厄介な」所員たちの顔が次々と浮かんでは消える。その「~厄介な」が一人では済まないのは組織として如何なものか? とは思うのであるが、確かにそうした面々を相手取り所長を務めるのであるから病み上がりすぐの復帰はまた体を壊してしまいそうである。

 まして若干一名、そのイメージの中でも際立って存在を主張する女性所員の顔がちっともフェードアウトしてくれないのは、きっとその彼女の日頃の行いが反映しての事なのであろうと考える。……想像するだけでも身が細りそうだ。

 そんな自身の想像で軽い目眩を覚えた教授はこめかみを押さえて憂鬱ゆううつな溜息をつくと、自虐の苦笑そのままの表情で改めて鋸引に向き直る。


「……ですから、そちらはもう少しだけご迷惑おかけしますね」と一礼。


「構わんさ、俺としてもあそこは割と居心地が良いからなぁ。何だったらこのまま俺が所長を変わってやっても良いんだぜ?」


 羨ましいことにその厄介な所員らを物ともせず研究所生活を満喫していたであろう鋸引所長代理は、教授の頼みを快諾した上で少し悪戯っ気のある視線と乗っ取りとも受け取られかねない提案を突き付けてきた。

 仮にそれが厚意からであったとしても、そこまで請け負われてしまうと困ってしまうのはむしろ教授の方なので、相手の提案に対しては丁重に断りを入れる。


「そりゃ勘弁して欲しいですね、あそこは私の大事なねぐらなのですからそれを奪われたら路頭に迷ってしまいます」


 そう躱す教授の発言は決して大袈裟なものの喩えや皮肉を込めた機知の類では無い。実際に彼は自身の実家があるにも関わらずそこへ帰る事無く、生活の拠点をほぼ研究所の所長室に置いていたりするのだ。

 研究所の建設時からその腹積もりだったのだろう、所長室には普段仕事をするスペースに加えて、奥の部屋に入ると簡易的な折りたたみのベッドの他にも冷蔵庫にキッチン、シャワー等も完備されており、一か月そこらならば余裕で籠城を決めこめるようになっている。

 なので彼からすれば研究所の方こそ自宅だったりするのである……所長とは言え職場の私物化も甚だしいのであるが。


 因みに、丁度病室の窓から臨める山の稜線……年中雨雲の途切れることが無いとも語り継がれている山々の中腹。今はダム湖の底に沈んだ村には昔から天より墜ちてきた龍神の伝説が残されているのだという。

 教授の本当の実家はそのダム湖に沈んだ村落の住民が移り住んだ湖畔の町にあり、彼はその実家のあるだろう方角を一瞬垣間見て自嘲を浮かべた。


「現在実家は従妹の住居同然ですからね。大事を取って週内はそちらに厄介になるつもりですが、あまり長居すると彼女に迷惑になります」


「あー、確か今は大学生だったっけ?」


「昨年卒業しました。大学院に進むとかいった話もしていましたが……さて、どうしたのでしょう?」


「そうか。以前一度だけ会ったような記憶があるが……、そう言や彼女は見舞いに来たのかい?」


「……いえ、一度も…」


 少しだけ教授の表情が曇る。


「そうかい、随分と恨まれたもんだな」


「自業自得です、仕方ありません……」


 ちょっと困った様な、そしてばつの悪そうな笑みを浮かべて教授は頭を掻く。さすがにこれ以上話がそちらの方向に流れるのを嫌ったか、教授は唐突に話題を一つ前に戻して反撃に転じる。


「そんな訳ですので私からは所長職を手放す気はありませんよ。だいたい、あなただっていつまでも日本に留まっているわけにはいかないのでしょう? 聞きましたよ、例の国際機関の話。呆れたもんですね、とうとう国連にまで伝手を伸ばしたのですか」


 入院中の身で一体どこからそんな情報を手に入れたのやら、切り返された鋸引もさすがに一瞬周囲に警戒の目を走らせて身を乗り出す。


「おいおい、こんな所で滅多な話を切り出すなよ。何処で誰が聴いているか知れたもんじゃあないんだぜ?」


「おやおや、剛腕粗忽と謳われた鋸引勇作をしてそこまで用心深くさせ得る程の案件ですか。ならば尚更こちらでのんびりしている場合じゃないでしょうに」


「言ってくれるぜ、一体誰のせいでこっちに戻ってきたと思っているんだよ?」


 善意で助っ人に入って疑われるのは迷惑千万、といった顔で口端を歪ませる鋸引。


「そんなこと言って、どうせ私からの所長代理の依頼なんてもののついでだったのでしょう? 大方本来の目的はヘッドハンティングだったんじゃないのですか?」


 その鋸引に対して探りを入れるかのような疑わし気な目線を向ける教授。彼の性格からすれば珍しい底意地の悪い軽口も、旧知の間柄だからこそ許されるものなのだろう。


「あ~あ……なんだよ、流石にそこまでもお見通しってワケか」


 鋸引は観念したかのように諸手を翳す。互いに腹芸が通用するような相手じゃない事は先刻承知だが、こうもあっさりと見破られては正直立つ瀬がない。


「これだけ世話焼いてくれたところから察するに、我が研究所にもあなたのお眼鏡にかなう逸材がいたという所ですかな?」


「それなんだがなぁ、ハチよぉ……」


 言葉は尻すぼみで妙な間を作る。彼に似つかわしくないやや遠慮気味な面持ちで、鋸引は教授をじっと見つめ、そして再び切り出した。


「……実はな、米国アメリカに連れて行きたい所員が一人いるんだが、お前さんトコのスタッフなのだからちゃんと筋を通して責任者の許可は取っておこうと思ってな──」


 相手の言葉に込められた真剣み、そしてその意味する所を察し、さすがに教授も一瞬息を飲んだ。



 そしてこの時もう一人、病室の入り口…扉の陰に身を潜めて二人の会話を立ち聞きしていた人間がいた。



 一体いつから話を聞いていたのだろうか、それは香苗を捜して病院まで来ていた古淵だった。

 当然盗み聞きの意図は無かった。お目当ての人物はここへは来ていなかった様で、このまま何の成果も無く研究所に戻るのも些か気が引けるので、折角ここまで足を運んだついでに退院前の教授の様子でも窺ってゆこうと病室に立ち寄ったところ、たまたま二人の密談の現場に出くわしてしまった…という経緯だったのだ。

 しかしそこで交わされていたのは何やら知ってはいけない風な教授の秘密に関する話題に加え、更に畳みかける重い話……!




 古淵は病室内の二人に気取られぬ様、そっと後退りしてその場を離れた……。


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