踊れ、アスラ~4d⇒~

科学の砦でから騒ぎ。
沖房 甍
沖房 甍

「節足なる食卓」2

公開日時: 2021年5月15日(土) 22:18
更新日時: 2021年10月8日(金) 16:08
文字数:3,164

「…それで? 勝負の結果はどうなったの?」


「どーもこーも無いわよ…」


 分子生物学を研究する淵野辺のラボ。食堂の狂騒からエスケープしてきた香苗はローズヒップティーとクッキーのアラカルトでようやく胸のムカつきを鎮めていた。ここへ来たのは別に淵野辺の研究に興味があるわけではない、彼が日々尽きる事無く備蓄しているお茶菓子での口直しが目当てだ。

 本人は「頭脳労働に糖分は欠かせない」などとは言っているのだが、だとしたら備蓄品の中に塩味系のポテチがあるのは理屈が合わないし、その体形を見ても頭脳の糖分は十分余りあり過ぎる程回っている事は明白なのだ。故に、香苗は彼の健康維持のためこうして定期的に菓子の押収に訪れるのである…もちろんあくまでそーゆー名目で、だ。

 さて、のっけから話が逸れたが食堂での勝負がどうなったかと言えば…。


「そもそも料理のネーミングから考えろってレギュレーションが大失敗だったのよ! 『モスバーガー』とか『ビートルジュース』とか『ドラゴンフライ』とか『バタフライ』とか…、どいつもこいつもダジャレの応酬になっちゃって…原材料の名前を隠せってーの!!」


 素人の大喜利ほど聞くに堪えないものは無い…彼らと同じくお笑い芸人ならぬ科学者として、現在香苗の愚痴の聞き相手となっている淵野辺はただ無責任に笑うしかないのだった…。


「でも教授が仰る通り、食用昆虫の研究はもっと積極的に推進された方が良いと僕も思うよ。それは食糧難だけじゃなくって、もっと前向きな未来展望からも言える事なんだ…例えば…」


 淵野辺はデスクの本棚からファイルを一冊取り出すとそれを開いて香苗に見せる。

 そこに書かれている論文や引用文書の内容は理解できないし、そもそもする気も無いのだが、時折挿んであるイラストや図面には興味を惹かれるものがある。それは小学校の頃図書室で読んだ空想科学小説に出てくる様な未来都市の様な宇宙ステーションや月面基地等が描かれたものだ。


「餌のコストがかからず、コンパクトなスペースでの飼育が出来る…つまりこれは限られた空間での効率的な食材生産に求められる条件でもある…例えば、宇宙」


「宇宙…食?」


「そう、地球から宇宙へ物資を運び出すにはとんでもないコストがかかるのが現状…例えばJAXAのデータでは1㎏の物資を宇宙へ運ぶのにおよそ330万円ほどかかってしまうのだそうだよ」


「うへぇ~…」


 自分の年収全部つぎ込んでも僅か1㎏も運べない…香苗は目眩に襲われる。


「だから人間の長期滞在が必要となる施設や乗り物では食料や空気は現地調達したり、リサイクルできるようにするのが理想的なんだ。そのために生産プラントの徹底的なコンパクト化とそれに適した食材の開発が必須になる…そういう意味で食用昆虫は都合が良いのかもね」


 話を聞きながら月面のドームの中で昆虫を食っている自分の姿を思い浮かべて香苗は「うぇ…」と舌を出した。一瞬自分の頭に触覚でも生えてきそうな気分になって頭など押さえてみたりもする。


「実はね…僕も今、同じ様な研究しているんだ。試食してみる?」


「えっ!? まさか淵野辺さんも昆虫を…!??」


 ギョッとして身を引く香苗、ここまで逃げて来てその先でまた昆虫食わされたんじゃ堪らない。


「いやいや、ちゃんとした牛肉さ。…まずはこれを見てくれるかな」


 そう言って彼が研究資材(一部、個人的な食料含む)保存用の冷蔵庫から取り出したのは一枚の赤身肉。


「…牛肉? 本物の?」


「もちろん。ただし、これは培養したものだけどね」


「ばいよー…?」


「つまり、牛から直接取った肉ではなくって、採取した細胞を再生医療の技術を使って人工的に作り出した肉なんだ」


 細胞の欠片を培養液の中で何倍にも増殖させたもの…などと聞くとクローン技術等に拒否反応を持っている人間は無意識に構えてしまいそうなものだが、生憎彼女はそうした意識も知識も持ち合わせてはいなかった様で、ようやく真っ当な食い物にありつけたとばかりに舌なめずり。


「…よく分からないけど…まぁ、牛肉ならOK♪」


「おっと、本命はこの後、だよ」


 生のままかじりつこうとした香苗から、淵野辺は慌てて皿を取り上げた。


「僕が研究しているのはこっち」


 取り上げた培養肉の替わりに手にしたもう一方の皿を香苗の前に置く。乗っているのは先程と同じ赤身の肉である…が、少しばかし印象が違う。


「…これも牛肉?」


「…と、同じ様な物、だね」


「ん? 同じ様な物ォ~?」


 如何にも意味ありげな淵野辺の言い回しに、香苗は露骨な疑いの目を向ける。


「実はこれ、牛肉と全く同じ成分を化学合成して作った人工肉でね、材料工学の鴨居カモイ君にも協力してもらって作り上げたものなんだ。残念ながらまだ筋繊維の再現までには至ってないから見た目は若干平坦で無機質な印象があるかも知れないけど、味的には自然の肉と何ら変わらないはずだよ」


「へぇ~…そぉ…」


 もう何をどこまで信じたらいいのか、今度は香苗も何も考えずに食いつく気にはなれない。


「…それで、合成って…一体何から作ったんです、コレ?」


「廃プラスチックだよ」



「…ゴミ食わす気かァっ!!!」






「ここの所員はみんなどうかしてんじゃないの!? 虫食わそうとするわ、ゴミ食わそうとするわ、まったくもぉーっ!!」


 すっかりお冠の香苗の機嫌は夕方になっても直ることはなかった。

 例の如く食堂でくつろぐ高槻一派にカラみ、飲んでもいないのにくだを巻く。


「そーか? 慣れてくると案外イケるぞ? この蝉の幼虫なんかバターでカリッカリに炒めて塩振って食うと旨いではないか」


「先輩、こっちの佃煮もなかなか良い食感ですよ」


 相当気に入ったのか、高槻と豪原はどこかからくすねてきた昆虫料理をつまみに一杯やっている…もちろん勤務中の飲酒は禁止なのでお互い飲んでいるのはただの炭酸飲料だが…。


「だからまんまの姿で食うなっちゅーに!」


「まぁ、見た目がダメならすり潰して粉末にしちゃうのが一番よね。小麦粉に混ぜちゃえば粉もん全般に使えそうだし、麺類も悪くないわよねー」


 実際阿藤の言う通り粉末として食材に混ぜ込むのは既に多くの市販品にも用いられている方法である。


「あとは昼にも言ったけどネーミングよ、ネーミング! ダジャレじゃなくって何か昆虫を連想させない製品名なり何なり考えないと絶対抵抗ある人間いるはずなんだから普及なんかしないと思うのよ!」


「そうね、言われてみればミドリムシなんてユーグレナって呼称の方を前面に押し出してから急速に普及し始めたものね」


「…えっ? ユーグレナってミドリムシなの!?」


 事も無げな阿藤の返しに香苗が仰天する。


「そぅよ? 学名からしてユーグレナですよ、知りませんでした?」


「学名なんて知らないってば、私科学者じゃないもん!」


──いや、仮にも科学技術を研究する施設で働く人間の吐くセリフやないやろ?

 …と言うか、それ以前にユーグレナが何であるかといった説明くらい商品パッケージにでも記してあろうものだが…、どうやら彼女はあまり買い物で商品を吟味するタイプではないらしい…。


「うわあぁあ~っ! …私、青汁か何かの一種だと思ってサプリメント飲んでたぁあ!??」


「いや、浦鳥さん、ミドリムシってもあれ昆虫じゃないし…」


 半狂乱気味に取り乱す香苗を阿藤が必死になだめる。


「あ゛~~~もぉっ、虫って一体何なのぉっ!!!」



「ほほぅ、虫とは何かを知りたいのネ?」



 唐突に千代原が二人の会話に割って入る…いや、直接話題には加わっていなかっただけで、元々彼も話の輪の中にはいたのだが…。


「よろしいのネ、明日ボクの研究室に来るといいのネ」


 ひょっひょっひょ…と妙な笑い声をあげる千代原、何か良からぬスイッチが入ってしまったらしい。




 …どうも明日もロクな一日になりそうな気がしない…香苗には早くも嫌な予感が過るのだった…。


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