かつて知ったる馴染みの職場も敢えて姿を現さぬ人間を捜すとなるとこれが中々に広大で、ましてその相手が神出鬼没、行動予測不能の赤丸危険人物たる浦鳥香苗とあらばその発見は容易く叶うものでは無い。
そんなワケで今だ目的不明の雲隠れを続ける香苗の姿を求め、高槻一派と古淵はバラエティー豊かな実験施設が複合的に立ち並ぶ研究所の敷地内を走り回るのであるが、杳としてその足取りは掴めないままでいたのだった。
「どこ行きおったあの小娘めぇっ! 普段は呼びもせんのにどこにでも現れるくせに、こういう時には影さえ見せやしないっ!!」
当所なく所内を走りまわされてしまっている現状に、苛立ちの沸点に達した高槻が激昂の声を上げた。
「落ち着いて下さい先輩、ただアテも無く走り回っていても徒に消耗するだけです」
何故行方不明者捜索にそれが必用なのか大振りのスパナを頭上に掲げ、すっかり怒りに我を忘れているといった様相の高槻を阿藤と豪原が二人がかりでなだめる……否、正確には豪原が高槻を羽交い絞めにして阿藤が諭す…という状況だ。
苛立ちという意味では別に高槻が特別堪え性が無いという訳では無く、付き従う後輩二名だって本当は不満をぶち撒けたいのは同様なのではあるが、毎度毎度先輩に真っ先にキレられてしまうのだからどうしてもなだめ役に回らざるを得ない。唯我独尊タイプのリーダーを持つと下は何かと苦労するのだ。
「ええい、無策に走り回っても埒が明かないって事か……」
「そもそも、彼女は研究所にいるんですかね? 姿が見当たらないんだったら来ていないって事も考えられるんじゃないっスか?」
忌々し気に肩で息をついている高槻に豪原が根本的な疑問を投げかける。
「知るか! ここにいなければ俺らのしているのは只の徒労だっ」
その可能性も頭にはあったのだろう、身もフタも無い返答を吐き捨てる高槻。香苗がいようがいまいが、結局こういう展開になるのか、と憤慨を隠せない。
もちろん香苗に振り回されるのは決して今に始まった事では無いのであるが、多くの場合まず彼女の犯行があって、それを阻止するために戦々恐々、右往左往…というのがパターンであり、そうした状況には慣れて…否、慣らされていたのだが、今回の様に表向き「何もしていない」段階で彼女の足取りを追って奔走するといったケースは初めてなので、その戸惑いが大きく捜索の障害となっている事はどうしても否めず、それが余計に彼の苛立ちを激しいものとしていたのだった。
それはまた周囲の面子も同様で、高槻のクールダウンがてら阿藤は何とかして手がかりを得ようと携帯で手あたり次第の聞き込みを行っている。程なく何かしらの回答でも得たか、彼女は携帯を首に挟んだまま入手した情報をかいつまんで高槻らに報告してきた。
「今、受付で調べて貰ったんだけど、浦鳥さんの今日の出勤記録はあるそうです。それと、現段階で外出している記録も残されていないことから彼女、施設内にいると考えられますねぇ」
「でも…浦鳥氏が生真面目……に、毎日タイムレコーダー…挿してるとも限らない…のネ」
日ごろの運動不足が祟ってか、走り草臥れの荒い息で台詞を吐き出す千代原。
「…やっぱり、ついて……くるんじゃ…なかった…のネ…」
同じグループであるとは言え、元々彼は他の面子と一緒に動き回るタイプではない。それが何の気まぐれでか、今日は一緒に来てしまった後悔も所詮あとの祭りであろう。
なお、まったくの余談ではあるがこの研究所における所員の出勤記録媒体は所員証を兼ねたICカードによって管理されている。当然のことながら旧態依然としたパンチカード式のタイムレコーダーなど今どき用いられてはいないのでわざわざカードを取り出して挿し込む必要などない。
「こうなるといよいよもって意図的に姿を隠しているのだと判断出来るわね」
そしてこちらも行き掛かり上、一同と行動を共にする事となった古淵が作戦会議に割入ってくる。所内の立場的には本来高槻よりも先輩なのだが、彼がリーダー格を務めている事からこの場においては参謀役の立ち位置に納まる事に決め込んだらしい。
「高槻さんの推測通り、あの娘の失踪が今回の件に深く関わっているとするなら、普通に所内を巡回した程度で見つかる様な場所に潜んでいるとは考え難いものね」
「潜んでいるだけじゃ…ないのネ。浦鳥氏、バグ事件以来……換気ダクト…に…ゼェ…独自の秘密ルートを造り上げて…フヒぃ…るから…──」
余程息が上がって苦しかったのか、千代原はそこで一旦大きく深呼吸、息を整え直して再び言葉を絞り出した。
「──人に見つからずに建物内のどこにでも移動可能なのネ……」
「どこぞの怪盗か野戦のゲリラか、あ奴はっ!?」
まぁ日頃の彼女の跳梁跋扈っぷりを鑑みればさもありなん…と納得もしつつ、改めてその始末の悪さに高槻はしかめっ面を浮かべる。
「どうするんスか先輩? 確かにこのまま闇雲に探していても、まず浦鳥さん見つかりませんよ」
次の指示を仰ぐ豪原に一瞥くれた高槻は、既に腹が決まっていたのか決然と羽織った白衣を翻らせた。
「よし、ならば二手に分かれて捜索するぞ。俺と古淵女史は南棟側から、残りの三人は北棟側から挟み撃ちといこうか。どーせあの小娘の事だ、只隠れているだけではなく必ずどこかのラボの研究資材を確保しているに違いない、鍵の開いてる部屋は人がいようがいまいが構うことは無いから片っ端から見て廻れ!」
捜索範囲を絞り込む目論見らしいが、さすがに五人では心許なくも感じる。できればここは所員総出でローラー作戦を敢行したいところなのであるが、そうは言っても他の所員たちにも仕事があるわけだから無理強いはできないのだから仕方が無い。
……もっとも、仕事があるというのであれば彼らとてこんな事に身を割かれている暇などはないのであるが、彼らの場合は現在率先してこの場にいる訳だからその点は目をつぶらねばなるまい。
──…いや、後輩格の二人は単に高槻のニーちゃんに半強制的に付き合わされとるだけなんやろうけどな──
南棟を担当した高槻&古淵ペアが最初に向かったのは地下2階。ここから上階に向かって二人はパトロール中の警官の如く巡回を始めた。
途中各研究ラボのドアというドアをノックして回りながらありとあらゆる部屋をしらみつぶしに確認してゆくのであるが、特に二人が念入りに捜索したのは研究資材や開発品が収めてある保管庫であった。
「ナントカに刃物と言うからな、彼奴が資材置き場に潜伏している可能性は極めて高い。見落としてくれるなよ、古淵女史殿?」
「侮らないで貰いたいわね。一般論的には女性の方が男性よりも注意力や直観力が働くものだし、そうでなくとも捜査能力に関してはあなたよりは私の方がずっと高いと思うけど?」
双方プライドは極めて高いので凡そ結託とは縁遠い組み合わせ。実際両者はこうしてずっとマウント合戦を繰り広げてはいるが、口とは逆に視線はお互いをサポートするかのように方々に配らせていた。
「……聞いて良いかな、女史殿?」
捜索が上階に進むに従ってさすがにマウントの応酬も飽きたのか、二人の会話は次第に減ってゆく。やがて全く互いに喋らなくなっってしまった頃、その状況に耐えられなくでもなったのか、高槻がぼそりと口を開いた。
「何ですか?」
彼の慇懃無礼は毎度のことだが、その厭味交じりの二重敬称には然程も気を害する様子も無い古淵は視線も向けぬまま高槻に応じる。
「以前から気になってたんだが、あんたがあの小娘に対して敵愾心を燃やしている事は承知している事として、だが俺にはあんたが敵意一辺倒であ奴を見ているとは思えないのだが、そいつぁ何か理由でもあるのか?」
「敵愾心? そう思われるのは心外ね。別に同じ所員なのだから心底仇敵扱いなんてしているわけ無いでしょ? ただ私はあの娘の所内の秩序を乱す行動が許せないだけで、本当は彼女自身には別に何の感情を持っているわけでは無いんだから」
ぷいとそっぽを向いて平然を気取ってはいるが、何か秘めたる意識でもあるのだろうか、その声は心なしか上擦っている。
単純に先日の女性陣の話から察するのであれば、教授を巡って古淵が香苗に対して半ば一方的な嫉妬の念を抱いている事は明白であり、何の感情も持っていないとは到底思えない。
こういう時は無闇に相手の感情を逆なでせずに見守る…あるいは見て見ぬフリをするのが大人の対応というものだが、残念ながらこの男はそうした一般良識というか、デリカシーの類の持ち合わせは無らしい。
「嘘をつけ、あんたはあの小娘の事となるとすぐに冷静さを欠き感情的になる。邪魔な存在だと云わんばかりにな…それは分かっとるのだ」
高槻の口調に自分を嘲笑っているかのような含みを察したか、足を止めた古淵がぬらりと相手を睨みつける。だが意外な事に彼女はその指摘を否定しなかった。
「……半分は否定はしないわね。癪に障るのは事実だもの。本音を言ってしまえばあんな厄介者、いなくなった方が清々するわ」
「問題はその更に奥底にある感情だ。癪に障るだけならば文句だけ吐き出して放って置けば良かろうものを、何故そこまで気に掛ける? あんたはあ奴に対し辛らつに接する一方でどこか気遣っているかのような素振りも見せる時があるのが俺には不可解でしょうがないのだがね?」
高槻はその変化に気付いただろうか? 虚を突かれたかのようにほんの一瞬、古淵は狼狽を見せた。だがそれもごくごく僅かの事で、すぐに彼女は冷めた表情を取り戻し反撃に転ずる…話を逸らすかのように。
「その台詞はそのままあなたにお返ししておきましょう。あなたこそあの娘と関わる時は、悪態はつくけど、そのくせやけに楽しそうに映っている事、私が気付いていないとでも思って?」
ぴくりと高槻の片眉が跳ね上がる。
「ひょっとして、あなた本当は浦鳥さんがこの研究所を去るのを望んではいないんじゃないの?」
「…あ、あ奴がいなくなるのが不服なのではない、俺よりあ奴が評価されるのが気に食わないだけだ!」
「どうかしらね?」
意外なほどカウンター攻撃が効いた事で余裕を取り戻した古淵が少し意地の悪い笑みを浮かべる。逆に相手に浴びせかけた皮肉がまさか自身に跳ね返って来るとは予想だに出来なかったのか、高槻は自分でもびっくりするくらい言ってて動揺が隠せない。
それは決して図星を突かれたからという訳では無く、高槻はこれまで思ってもみなかった不可解な感情が自身の内にあった事に大いに驚いていたのだ。
状況不利と見たか高槻は古淵への追及を断念し、相手との利害一致を見出せる話題へと急遽方向修正を試みる事にしたのだった。
「……いずれにせよ本人不在でこうして噂ばかりが広まっている状況は釈然とせんし不愉快極まりない! 何としてもあ奴を見つけ出して問い質してやらんと気が済まんわっ!!」
「……まぁ、その点に関しては同感ね」
古淵としては日頃の所内ヒエラルキーを明確にするためにも、この場でもう少し高槻を責め立てておきたかったところだが、さすがに今はそういう場合ではないと高槻に同意を示して一旦この件を打ち切る。
二人がそんな会話を繰り広げている間にやがて北棟側から探索を行っていた千代原、阿藤、豪原らと合流を果たす。捜索の手を二つに分けた甲斐なくどちらの班も香苗の足取りを掴むことは出来ず、結局一同は最後に残った一角に目を移していた。
「残すは、ここか……」
眼前には暗がりに続く階段。中央棟、天井に巨大スクリーンを仰ぐ大観測室のさらに上階には巨大な反射望遠鏡を据えた天文台があるのだが、所員は滅多に踏み込む事が無いその施設の裏手には本来の中央棟屋上にあたる小さなテラスが存在している。今彼らが仰ぎ見る階段はその屋上へと直接続くルートなのである。
「あまりにベタなんで後回しにしていたけど……」
少し気の抜けた様な豪原の呟きを呆れ気味のトーンの阿藤が追う。
「そーね、これじゃあサスペンスドラマの崖の上の真相告白シーンよね……」
「どーするのネ? 行くのネ?」
「行かいでかィっ!!」
やる気を欠いた千代原のお伺いに高槻が無理繰りの気勢で応じた。
「ふン捕まえてやるわっ、あの小娘が!!」
決戦の地に赴く勇者御一行よろしく、高槻は階段を駆け上がり、それに阿藤、豪原、千代原が(渋々)続く。
「……やれやれ…」
古淵も大きく溜息をついた後、彼らを追って屋上へと向かう。途中彼女が思わず発した呟きは、彼女自身でさえ意図していなかった無意識から出た台詞だった……。
「……承知しないんだから…!」
背後の山から荒涼とした風が吹きおろす天文台裏屋上テラス。普段は清掃も行き届いていないため、巻き上がった土埃は図らずもその場に妙な緊迫感をもたらしていた。
果たして一同が少し錆の浮いた扉を開くとテラスの端、鉄の手すりにもたれかかるように一人の女性がそこに佇んでいたのだ。
「…貴様……」
文句の一つでも叩きつけてやろうかと発した高槻の言葉は風に巻かれた様にそこで途切れる。
テラスにいた女性──遂に邂逅を果たした浦鳥香苗は、駆けつけた一同に気付いて振り返り…驚くでも無く、待ちかねていたのでも無い感情の定からぬ表情を向けたのだ………。
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