「そ~ぉだねぇ…、香苗ちゃんだけがこれだけ多種多数のOIWECに適合できるのは、たぶん私たちよりも少しだけ小脳のキャパシティーが大きいからだと思うのよぉ」
小さな町の商店街辺りにいる気の良いおばちゃんみたいな喋り方をする見た目小学生のこの女性は、脳科学を専門に研究する根岸詠美(年齢不詳)、こう見えても博士号を有する研究者である。
ここは研究所の地下1階にある彼女の研究室…、香苗は午後からここで脳の機能的磁気共鳴画像検査のため、そして高槻はその結果に個人的興味を持って来室している。
「そうそう、二人ともマリトッツォあるけど食べる? さっき淵野辺君のラボから勝手に頂戴して来ちゃったやつだけど」
「あ、こりゃどーも♪」
香苗は差し出されたいかにもカロリーたっぷりの菓子を両手にそれぞれ一個ずつ、そして口にも一個放り込む。
「食い物は後にしろ! 俺はさっさとこの小娘の脳がどんな構造になっているのか知りたいだけなのだ。くつろいでないで早く検査を始めたらどうなのだ?」
放って置けばこのまま午後のお茶会状態に突入しそうな二人の様子に業を煮やした高槻が香苗の両手からマリトッツォを奪い去る。獲物を奪われた香苗は餓鬼の形相で高槻の両腕ごとそれにかじりついた。
「ぐあっ!??」
両腕に食らいつく妖怪娘を高槻が足蹴で引き剝がすと、両者は猫の様な威嚇音で互いにけん制を始める…その猫耳をぴんと立てながら…。
「まぁ落ち着きなよ高槻君。検査はせずとも仮説だけなら今ここでも聞くことが出来るじゃないのさ、まずは一息入れなさいな。…え~っと、ありゃっ? あたしの眼鏡どこいったのかしらね?」
「…根岸さん、眼鏡はあんたの頭の上だ」
「あ、ホントだ! ありがとね、高槻君、やだよぉ~何か最近色々物忘れがひどくってさ」
根岸はてへへ…と照れ笑いしながら底の分厚い眼鏡をかける、とにかくギャップが渋滞状態を起こしているこの女性を見ていると生物の老化とは一体何なのか理解出来なくなりそうだ、と高槻は軽い頭痛に襲われるのだ。
「…で、何の仮説だって? 先程この小娘の小脳がどうだとか言っていたが」
「そうそう、小脳ね。動物が運動を行う際は脳の様々な部位を用途用途に応じて連動させるわけだけどねぇ、小脳は特にこうした運動を学習してその適切化や自動化を形成させる重要な役割を持っているんだよ」
「適切化と自動化…つまり小脳の機能の高さが運動能力の効率や無意識下での制御性に反映されるという事か?」
「まぁ、そんなとこだね」
どこからか引っ張り出してきた煎餅を湯呑の上に置く根岸、こうすると煎餅が程よく柔らかくなり濡れ煎のような食感に変わるのである。
「あたしが調べたところじゃ、OIWECってのはその小脳から発する信号を受信しているらしいのよね。しかもそれを皮膚を通じて受信しているってんだから驚きさ」
「皮膚から…だと? …いや、決して理論的には不可能な技術ではないが、これだけ検知性能の高いセンサーが実用化されているなんて話は聞いたことが無いぞ? 一体どういった仕組みで?」
「そんなこた、あたしゃ知らないよ。そいつを解き明かすのはあんたたち工学分野の役目だろ? あたしの守備範囲は脳機能であって、他所の分野にゃ興味は無いね」
そう言って小鳥のさえずりの様な声で笑い飛ばした根岸は一息つくために湯気ですっかりふにゃふにゃになった煎餅に食いつく、決して人見知りをするようなタイプではないこの人物が普段あまり他の所員の前に姿を現さないのはこうした性格に因るところであり、つまりは自分の研究対象以外には頓着を持たないためである。
「さて、ここからがあたし独自の仮説になるわけだけどね…、ここまでの理屈だと人間は自分が本来持ち得た体の構造の内でしか運動機能が働かないって事になっちまわないかね?」
「そりゃあそうだろう、人間は鳥や魚じゃないんだから羽やヒレを動かすための機能なぞ持ってはおらんからな」
「だとしたら、OIWECを動かしている脳の信号ってのは、一体何なんだろね?」
「…そ、そう言われてみれば…?」
改めて指摘を受けると確かに疑問が湧く、一口に脳波を検知すると言っても電気のオン・オフだけで判断している訳ではないのだから、そこには相応の理論が存在するはずなのだ。そうして戸惑いを見せる高槻に対し、根岸は自分の猫耳を指し示して悪戯っぽい笑みをこぼす。
「猫の耳は人間の耳と同じ信号で動かしているのかい? だとしたらその下にある本物の耳が一緒に動かないのは何でだろうね? そもそも人間の耳…まぁ、動かせる子もたまにはいるだろうけど…皆が皆、自由に動かせるわけじゃないよね、にもかかわらずOIWECは小脳から発する耳を動かす信号を受けてこうもぴこぴこと景気良く動いてくれる。それに所員たちが天使気取りで背中にくっつけてる翼…鳥の翼ってな骨格構造上、腕の代わりにくっついているもんだろ? それを背中で動かす信号ってのは一体人間のどこの部位の運動信号なんだろねぇ?」
「言われてみれば…OIWECってのが人間が本来持っていない動物の部位を人間の神経で動かそうって代物であるならば、そもそもそれを動かす脳内野が存在しないとならない理屈になる…まして背中に羽なんてそもそも生物学的にあり得ない形態を機能させる事なんて根本的に不可能だ」
「あたしの仮説の肝はそこさ。人間が獲得した高度な思考によって生み出された『架空』を思い描く力…想像力ってヤツだね。そういうのが人体の運動神経の構築にも影響を与えることが出来るんじゃあないかとあたしは考えているのよ…あんたも一度くらいはイメージしたことは無いかい?自分の背中に羽が生えていて、それを羽ばたかせる感覚を…!」
「…た、確かに、アスリートのイメージトレーニングなんてものもあるように、人間が脳内で自身の身体運動を仮想体験する訓練が現実の成果に結び付く例もある。それと同じように本来備え持っていない部位の運動を制御する力も、イメージによって獲得することが出来る…かも知れない。だが、そんなものを獲得したところで実際には人間に翼は生えていない。一体そんな脳機能があったところで、それに何の意味があると言うのだ?」
「まぁ、自然の世界でも何の意味があってそんな機能を持っているのか分からないって例はいくらでもあるからね。人間だって口蓋垂が何のためにあるかなんて未だに諸説紛々って段階だろ? ものごと必然だけでは出来ていないって事さ」
再び一息入れた根岸は今度はかりんとうの袋を開いて菓子皿にざぁと流し入れる。
「…話を戻そうかね…。それで、そうした想像力で獲得できる本来その個体には存在しない部位の運動制御能力…こいつをあたしは『チャンネル』と仮に呼んでいるんだけどね、このチャンネルってヤツは随分と個体差があってね、OIWECの適合キャパシティーはそいつに比例していると考えられるのさ」
「ちょ…っ、ちょっと待て! じゃあ何か? 俺たちはあの小娘よりも想像力が貧困だとでも言うのか!?」
高槻は気色ばんで香苗に視線を向ける、そういえば先程からやけに彼女が静かだと今更気づくのだが、見ると彼女は両者の科学問答に退屈していたのに加えて腹が満たされてうたた寝などしていた。
「さぁ、どうだろうね? それだけじゃこの子のキャパシティーの異常な大きさは説明できないけど…一つ確かなのは、この子の小脳の余剰チャンネルは度を越して多いって事さ」
…皮肉な事に先日、自分が苦し紛れに口にした「この小娘が異常なだけ…」というセリフが図らずも正解であった事実を突きつけられ、高槻は複雑な心境に陥るのだった…。
根岸ラボで検査を受けた香苗は翌日、体育館でOIWECの複数可動実験(…という名目の人体実験)に参加する。
「…何だこれは…?」
幾人もの所員に取り囲まれて体育館中央でありったけのOIWECを装着した香苗の姿を見て高槻は顔を引きつらせていた。
彼女の本体は身長を越えた遥か上に位置し、小型車並みの機械の塊の上に鎮座坐しましている。その小型車風の塊は複数のOIWECの集合体で、床に接する面には一抱えもある太さのべロウズ状のチューブが何本も絡み合い、その一本一本に握りこぶし大の円環状のコブが規則正しく並んでいた。
彼女の背中もまた半ばOIWECの集合体に埋もれ、腰から背中にかけては3対の巨大な被膜の翼が畳まれ後方に伸びている。肩から伸びるのはショベルカーのアームの様なフレームに装甲板を重ねて覆った甲殻類のハサミ…ただしそのサイズは人間よりも一回り大きい。頭部にはヘッドマウントディスプレイに冠状の構造物やセンサーの塊の如き耳と角と触覚がごてごてと立ち並び、背中に向けて長髪の様に流れている。更に前方にはマンモスの様な長大な牙、後方にはヒレも兼用させた平たく長い尻尾、その他諸々古今東西の様々な生物の特徴的造形が彼女を飾り立てていた…。
「…何なんだっ、これは…っ!?」
高槻はもう一度うわ言の様に繰り返す。
──「何だ」と問われても返答に困るが…強いてこの姿を言葉で表現するなら…『ラスボス』やな。
「おぉ~う、こりゃあ物凄い姿になったものだなぁ!」
高槻の横で鋸引所長代理が絶景とばかりに手をひさしに構えて眼前の異形を見上げていた。
「何ですかな、所長代理さんよ? この『ぼくのかんがえたさいきょうかいじゅう』みたいなゲテモノは!?」
「いやぁ、ウラシマ君の要望のまま装着させられる限りのOIWECを装着させたらこういう姿になっちゃってね。でもこういうの、観ていてちょっとワクワクしちゃうよな!」
所長代理は何が楽しいのだか、瞳をきらきらと輝かせている…「ダメだこりゃ」と一言吐き捨てて、高槻は手で顔を覆った。そんな高槻を置き去って、所長代理は中央でラスボス香苗を取り囲む所員の一団の許へと歩み寄って行く。
「それじゃあ、まずは起動実験と行こうか! 全員配置に就いてくれ!」
電源装置に光が灯り、聞き慣れた低い鳴動音が体育館中に響き渡る、電源から引かれたケーブルはいくつかの機器を経由して香苗のOIWEC集合体の蓄電池へと電気を注入させた。
『ウラシマ君、ちょっと腕を動かしてみてくれ』
「いーかげん名前憶えろ!」
香苗のヘッドセットから所長代理の声が流れてくる、香苗は少し嫌そうな表情で文句を一つ垂れるのだが、その指示には従う。ごりごりっ、と始めに鈍いギアの勘合音を響かせると、巨大なハサミが這いずるように前方に動く、重量があるものだからつい床材を削ってしまった。
「あー、また修繕費が…」
誰かが嘆く様に声を上げたが所長代理はまったく気にしていない。
「これはまるで重機…いえ、重戦車といった様相ですねー」
また別の誰かがそんなセリフを口にしているのも聞こえてくる。一通りの基本動作を確認して手元のチェックシートをめくった所長代理はインカムを取って次の指示を入れた。
『イイよイイよ~! そんじゃあいきなりだけどちょっと派手に動き回ってみようか!』
「はいはい、りょ~か~い…、って…あれっ!?」
香苗が妙な反応を見せたかと思うと、彼女を鎧う巨大な機械の塊がぎりぎり、ごとり、と奇妙な唸りを上げ始める、その機体から外部スピーカーを通して彼女の声が鳴り響いた。
『ありゃりゃアぁ~っ!? こりゃマズいぞぉ!??』
「どうしました? ウラシマ君」
どうしたもこうしたも無い、ラスボスは翼や尾、両腕などありとあらゆるパーツをメチャクチャに動かし、今にも体育館を破壊しかねない勢いで暴れ始めたのだ…。
『…何か知らないけどこいつ、勝手に動いてるよ!?』
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