翌日、会議室では件の掃海衛星に関しての説明会を兼ねた対策会議が開かれることとなった。例の如く重要案件であるため原則全所員参加なのだが、珍しく香苗が出席してきたことで会議の前に場が騒然となる等、小さな(?)アクシデントはあったのだが議事が始まる頃にはそれも鎮静化する。
説明会はまず阿藤による掃海衛星の解説から始まった…。
「ご承知の通り…これまでの宇宙開発により発生した推進器や人工衛星のゴミ…いわゆるデブリによる問題はすでに深刻な状態にあります」
地球の大気圏の外層から先、静止衛星軌道上はこれまでの宇宙開発で発生したデブリで満ちている…そう言われても普段人々が空を見上げてもそんなゴミなど見えないから実感は湧かないだろう。だがもはやデブリ問題は人類が宇宙進出を進めてゆくにあたり避けて通ることが出来ない局面に差し掛かりつつあるのだ。
「これを放置しておけば遠からず大規模な事故や災害を引き起こす要因ともなる事でしょう…」
レーザーポインター片手に阿藤が背後の大型モニターの映像を指し示しながら解説は続く…。一通りデブリの脅威と現段階での各国のデブリ対策案を紹介した後、本題である掃海衛星についての説明が始まる。
モニターの画面が切り替わり映し出されたのは一枚の設計図面だ。ドラム状の構造材の外側を無骨なトラスで補強し、その両側にはホイッスルを巨大化させたようなユニットが設置されているのが独特なデザインとなっている。
少しだけ無理をしてみればそのユニットが羊の角の様に見えるのだが、それがこの衛星の名の由来となったのだという。
「そこで開発されたのが自動掃海衛星『ADSS-ロストシープ』でした。この衛星は非監視下にあるスペースデブリを発見し、それを処理する事を目的に設計されました」
「…ねぇ、ちょっと聞いていい?」
阿藤の話を聞いていた香苗が近くにいた成瀬を捕まえる。
「ロストシープって…どういう意味? …羊のシープはわかるけど…」
「そうね…迷える子羊…とでも訳せば良いのかな? 確か原典は聖書でストレイシープと表記されることもあるそうね…」
「へぇ~…」
自分から聞いておいてもう興味無さ気な香苗の急冷ぶりに成瀬が空虚な表情を向ける、…どうやら彼女にとってそれほど面白い話ではなかった様だ。
その間にも阿藤の機体スペックに関する解説は続いていた。
「──機体にはデブリ捕獲用に『ペンジュラム』と呼ばれる磁力分銅の付いたワイヤー射出装置が備わっています。ペンジュラムを撃ち込まれたデブリは磁力分銅によって軌道のベクトルを変え、下層の僅かな大気の抵抗によって減速しつつ、やがて地球の重力に引かれて落下を始めます。最終的には大気の摩擦によって地表に達する前に燃え尽きてしまうのです」
画面にはペンジュラムによってデブリの大気圏降下処理のプロセスが動画で表示される。一見大がかりな作業にも見えるが、こうして大気の摩擦で焼却してしまうのが最も効率的且つ経済的なデブリ処理方法なのである。
「ところがそのロストシープの進路付近に位置する、稼働中の静止衛星が次々と消息を絶つという事態が発生、しかもその間、本来の目的であったデブリの処理作業が地上から全く観測されていないことが明らかになったのです」
今度はワイヤーフレームで表示された地球の上空、ロストシープの軌道が矢印で表示される。その矢印の周囲に表示された静止衛星を示すマーカーが、ロストシープ通過後次々と点滅して消えてゆく。
「これら一連の異常に何らかの関連性があるのではないかと推測したJAXAからの依頼と協力によって、当研究所は現在ロストシープの追跡観測を行っているのです」
「はいはいはぁ~い、質問でぇーす!」
左手を高々と掲げる香苗。議事の場は全員参加であるので案件に直接関係無い所員も多いが、質問や発言の権利は全員に認められている。専門外の人間の意見は時に先入観が無いが故に専門家だけでは出てこない妙案や本質に触れる見解が飛び出す場合もあるためだ。
──けど、ネーちゃんの意見が果たして妙案につながるかどうか…?
「何でしょう? 浦鳥さん」
阿藤は几帳面…というよりも特に頓着も無くそんな門外漢の質問に応じる。
「何でそんな事民間のA.S.U.R.A.がやるんですか?」
「あなたバカなの? そんなの依頼されたからに決まってるでしょ?」
少し前の席に座ってた古淵が険のある顔を香苗に向け、猫の様に威嚇する。くだらない質問で議事を滞らせるなとでも言いたいのだろう。だがその質問を何かの機と見たか、香苗の質問を受け阿藤の傍に控えていた教授が挙手して登壇してきた。
「まぁ、補足ではありますがその点は私の方から…。実はこの計画は元々私の知人が携わっていたものでして、その人が計画が始動してから程なく亡くなりましてね…生前本人からの指名もあったことから急遽私が開発を引き継いだという経緯があるのです。ですので機体の詳細を知るものとしてJAXAから話があった訳ですね」
「そうしましたら私からも一点質問が…」
対抗心か、それとも名誉挽回か…続けて古淵が手を上げた。
「今日から私を始め、電子工学担当のスタッフが観測に加わることになったのはどういった理由からなのでしょうか?」
これまた教授が手を上げ出てくる…立て続けだとまるで国会の答弁の様なやり取りになってしまっている。
「ああ、説明がまだでしたね…実はスネークアイの通信が途絶した後、その回線を通じてJAXAに大量のデータ送信が確認されているからなのです」
「データ送信? 一体どこから…?」
古淵からすれば至極真っ当な疑問だが、教授はその答えを少し躊躇している。
「それがですね…どうやらロストシープかららしいのですよ」
「ロストシープから? 何でスネークアイの回線から?」
「…妙ですよね」
教授は頭を掻いて困り顔を見せる…正直、そういう受け答えしか出来ないのだろう。見かねた阿藤も教授の後方支援に出張ってくる。
「奇妙なのはそれだけではありません。自律行動するロストシープにはそもそも地上からの指令を受信する機能は備わっていても、逆に機体から送信する機能は搭載されていないはずなんです、メンテナンスチェック以外には機能上必要ありませんから」
そして再び教授。
「…ですので、最初は何かしらの混線かノイズなのではと疑われたのですが…今回のスネークアイ消失とその後の映像送信で一つの仮説を得ました。恐らくロストシープは…──」
教授は自身の推測を口にする…それは科学知識に明るい者ならばひどく奇妙に聞こえるものだった…。
夕闇に低い鳴動を唸らせて研究所の正面最上階、円筒構造の望遠鏡塔ドームが開くと中央から割れるように開口したドームの隙間から巨大な反射望遠鏡が姿を現した。
望遠鏡はゆったりとした動きで旋回、そして角度を上下させ観測設定を行う。その映像はデジタル補正され観測室の各種モニターに表示される。
「スネークアイを失ったためこうして地上から追跡観測するしか手立てが無い訳ですが、そのおかげでこちらも主体的に観測を行うことが出来るようになりましたね」
設定値を入力しながら片倉がモニターに映る目標に焦点を合わせた。
「画像は不鮮明ですが何とか姿を捉える事が出来そうですね」
その映像を天面スクリーンで眺めながら、教授はそこに浮かぶ目標の様子に目を奪われていた。
「目標を自動追尾できるように設定しておきました、これで見失うことなく対象を観測することが可能です」
スネークアイの通信途絶後、阿藤と古淵ら電子工学スタッフが数日を費やし用意した追跡プログラムである。これによって望遠鏡の動きを制御し、追跡観測が出来るようにしてあるのだ。
「しかし…このひと月足らずで更に巨大な姿になりましたね…」
教授の視線の先…巨大モニターに映る目標であるロストシープの事である。最初に映像に捉えた時に比べ、更に奇怪に、そして混沌とした姿に変貌していたのだ。
「ロストシープはペンジュラムを切り離さずに射出することで他の衛星やデブリを捕獲していた様ですね。しかも信じられない事に、機体に取り込んだ衛星の機能を自らの能力にしてしまうだなんて…」
阿藤がこれまでのロストシープの観測記録を読み上げ途方に暮れる。この異常な事態を論理的に説明することが出来ないのを口惜しく感じているらしい。
「いやはや…困ったものですね…。それで、送信データの解析の方はどうでしょうか?」
「こちらは作業を始めたばかりです…。恐らく何かしらのプログラムであると思われますが、ずいぶん手の込んだ暗号化がなされているようですね…少し時間がかかりそうです」
…と、こちらは古淵。現在に至るまでの膨大なデータの解析にまだ四苦八苦している模様だ。
「そうですか、並行してそちらも引き続きお願いしますね」
「はい」
阿藤と古淵は再びモニターに向かう。教授は天面スクリーンに映し出されたロストシープを見上げ、ぽつりと呟くのだった…。
「…やれやれ…、なかなかの難物を残してくれましたね、町田さん…」
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