機体開発を阿藤や千代原らに任せてから二時間後。いつもの採石場跡には仰向けの白い小型車が黒煙を噴いて地表に大きく穿たれたすり鉢状の窪みの底で転がっていた…。
「…いや、だから…さぁ…」
目の前で起こった超常現象染みた事故の目撃者である成瀬はこめかみを押さえての渋い顔。が、すぐに怒りとその範疇を通り越してしまった引きつり笑い混ざりの表情で現場に向かって叫んだ。
「何でっ、坂道発進でそんな状態になるんですかァっ!!」
彼女が怒りをぶつけている相手は言うまでも無く先程研究所から連れ出してきた香苗である。機体開発は研究所に残してきたチームの所員たちとマイノリティーズらに任せておけば心配は無いだろう。だから残る懸念はドライバーとなる香苗の腕前である。
成瀬は残る開発期間、彼女をみっちりと鍛えてドライバーとして安心して機体を任せられる状態にする…つもりだったのだが、その結果がこの惨状。これまた言うまでも無い事だが、巨大なすり鉢状の窪みは今しがた彼女がこさえたもので、発進直後一体どう運転したらそうなるのか、猛烈にスピンを始めた車体が斯様な巨大蟻地獄を掘り出してしまったのだった。
「いやぁ~、失敗失敗」
けろっとした顔でひっくり返った車体から抜け出してくる香苗、二度目ともなると慣れたものである。
「あー、もうっ! 改善する余地も見出せない…」
がくりと項垂れる成瀬だったが、ここまで話を進めてもはや引き返せる段階ではない。彼女としては意地でもこの破壊魔を品行方正・優良上品ドライバーに育て上げねばならぬのだ。…とは言え、ここで同じことを繰り返していてもただただ自然破壊とスクラップの無限生産が進むのみである。今更ながらの途方も無い課題を認識し、途方に暮れた成瀬は遥か上空を扇いで別のアプローチを模索していた。
結局これと言った打開策を見いだせないまま二人が次に訪れたのは市街のゲームセンター。成瀬は両手に溢れんほどの小銭を抱え香苗をレースゲーム筐体のバケットシートへと座らせた。ゲーム画面内ならば気兼ねすることなく壊したい放題が出来るというものである。
…が。
ほんの30分も経過しないうちにオーバーヒートして煙を噴く筐体と、その脇ではあれほどあった手元の小銭を飲み込まれ尽くし、呆然自失でへたり込む成瀬の姿があった。
その地獄の様な破壊劇はいつの間にか彼女たちの周囲に野次馬の輪を形成させていた。世にも珍しい光景を目の当たりにした感動なのか、それともその脇で突っ伏す哀れなトレーナーに対する同情なのか、ぱらぱらとまばらな拍手まで起こっている始末だ。
「千尋ちゃん、コンテニューする?」
筐体から半身を乗り出し成瀬に声をかける香苗だが、それは別に相手に対して何らかのお伺いを立てての台詞ではなくコンテニューするからコインを寄越せ、と言う意味なのだろう。それが証拠に成瀬を苗字ではなく名前の方で呼ぶ彼女の顔は明らかに駄賃を強請る子供の面相だ。
「…もー、イイです…」
感情の無い半笑いで成瀬は香苗から視線を逸らした。続きも何ももはや手持ちの小銭は尽き、筐体の三面ディスプレイだって故障でもしたのかバグに満ちたメチャクチャな表示ばかりをちらつかせ果てている。
「スゲェな、最後車体が錐もみで高速分身しながら爆散したぜ?」
「途中、コーナーで車体が消えて瞬間移動したの見たか? 炎のコマって実在したんだなァ…、オレ初めて見たぜ」
どうやらお開きと知ったかギャラリーが口々に感嘆の声を漏らしつつ三々五々その場を離れてゆく。まぁ傍は実に無責任な他人事だが、当事者としては後で絶対修理費の請求が来るのだろうから頭が痛い。
「あれっ? 浦鳥さん??」
ふと我に返ると、ちょっと目を離した隙に香苗の姿は筐体から消えていた。成瀬がきょろきょろと辺りを見回すと、…いた。彼女はスポンサーからの出資を諦め、バイクの車体を模した別のレースゲーム筐体に跨って自費でのプレイに興じていた。
それにしたって操作が手荒い! あの小さな身体でがったんがったんと筐体を揺らす様はレースゲームと言うよりも格闘ゲームの如きだ。…まぁ、格ゲーだって普通はプレイヤーがキャラみたいにガチャガチャと暴れ回ることは無い(一部例外アリ)ものだが…!?
「ちょ…っ、また壊す気…」
冷静に分析している場合ではない。これ以上請求を増やされてはたまらないので成瀬は香苗を筐体から引きずり降ろそうとその肩に手を伸ばし…──
「えっ?」
掴みかかろうとしていた手がスローダウン、目の前で展開する光景に成瀬の目が大きく見開かれた。
「…上手い…? 何で? どうして!?」
先程までのプレイ…いや、それ以前の実車での運転も含めての狂態っぷりが嘘の様にハイスコアが打ち出されてゆく。
特に何かがさっきと違うわけではない。プレイする香苗のステアリングは相変わらず力任せの荒っぽさではあるのだが、それに反して画面上では鮮やかにコースが流れ去るよどみ無き走りが展開されているのだ。
理解不能な状況にしばし眉を潜め観察を続けていた成瀬であったが、やがて一つの可能性に思い当たる…。
「…そっか、 そーゆーことか…!」
成瀬は懐からスマホを取り出すと、喧騒に満たされた店内を一旦離れて電話をかける。
「もしもし、阿藤さん? ちょっと機体の設計変更をお願いしたいんだけど…──」
部外者チームの機体が完成したのはレース当日の三日前であった。ここまでくると試験飛行による実地データの収集や蓄積はおろか、ちょっとしたトラブルで機体が損傷する事を恐れてろくに稼働する時間も設けられないまま本番に臨むほかは無さそうなのだが、ひとまずちゃんと飛ぶかどうかの動作試験だけは行う事となった。
B-11工房、チームの面子が出来立てほやほやの機体を取り囲み歓声を上げる。
「想像以上にコンパクトにまとまったものねぇ」
誇らしさ半分、呆れ半分で阿藤が真っ白く塗装された機体をしげしげと眺める。
機体なんぞ製造中に飽きるほど見ているであろう彼ら開発陣が、それでも皆改めて興味深げに機体に視線を注ぐのは、塗装が終わったのが今朝の事でこれが初見になる事ももちろんなのであるが、何よりそのシルエットがあまり見慣れぬ容を為していたからだ。
「コンソールに圧し掛かる様なライディングスタイルのシングルシートを中心にまとめられたフレームは、車と言うよりもバイクって印象が強いからね。これって成瀬さんのリクエストだったよね?」
デジタル表示のメーター類を撫でまわしながら町田がワクワクしたような目でそのフォルムを愛でる。何だかんだ言ってこういうの、嫌いではないのだ。
一見すると彼の言う通り車体の外観はバイクのそれで、空気抵抗の低減とドライバーの保護を兼ねた風防は前面のみを覆い側面は大きく開けている。あらゆるものが削ぎ落された最低限の構造の機体は研究所の正規チームや資料で目にしている他の参加チームのマシンに比べると一回りも二回りもシェイプアップされたシルエットを有しているのだ。
もちろん「空飛ぶ」の前置きがあるのだからタイヤこそ備わってはいないが、その代わりに機首から飛行機の様な翼が伸び、滑らかな弧を描いて後方に備わるリアウィングと融合している。またそのウィングは車体のカウリングに相当する外装とも一体成型となっており、明確な区切りが認識し辛いデザインとなっている、いわゆるブレンデットウィングボディと呼ばれる構造だ。
それだけでも他の車体に比して異質なデザインなのであるが、どういう訳かスカイカーの基本構造であるはずのローターがそこには存在せず、推進機関らしき構造は一見では確認できない。
更に特徴的なのは、機体の前後のカウル内に埋め込まれるような形で用途不明な銀色の円盤が覗いている事だった。
その未来的な独特のシルエットは玄主の『ダース・エンペラー』と対極的な、そして負けず劣らぬ異様さを放っている。
「これでちゃんと空を飛ぶってんだから驚きよね」
呆れたと言わんばかりの阿藤の口調だが、その顔は僅かににやけている。
「これって例の扇風機の構造を応用したものでしょ? 前方からこのウィング全体を使って風を取り入れ、加速して後方に噴出する…ウォータージェットの空中版ね」
そう言って彼女が示すのは前後一体型の翼に設けられたスリットである、ここから空気を取り込む仕組みの様だ。それを顎に手を添え悠々と見下ろしている千代原がぽつりと呟いた。
「独創技術の勝利なのネ…」
「でもこれで良かったんですか? 注文通り操縦系の機構は全部取り払ってしまいましたよ?」
興奮気味の所員らとは対照的に、一抹の不安が拭えぬ須男が設計変更の依頼主を仰ぎ見る。
「ハンドルこそ付いてはいますがこれだって単なる手すり同然。操作するインターフェースが無いのだから当然フライ・バイ・ワイヤなんて制御機構は設けられない。操縦系が無いのならドライバーは車体にしがみついているだけのお飾りになってしまいますよ?」
「でも機体の水平は自動的に保てるようにはしてくれているんでしょ?」
作業工程の記録にざっと目を通していた成瀬は問題無いとばかりに腰に手を当て泰然自若に構えている。それでも須男は釈然としない表情だ。
「それは、まぁ…ジャイロで強制的に機体の上下を自動調整できる仕組みになってますが…」
「それで良いのよ。あの娘が乗るんだから余計な操縦機構はかえって邪魔なだけなの」
「で、その浦鳥さんはこの機体をどうやって操縦する気なんですか?」
「操縦なんかしないよ? 彼女には君がさっき言ってた通り、この機体にしがみついててもらうの」
「はアぁっ!?」
皮肉で放った自身の喩えが肯定されて須男の端正な顔が間抜けに歪んだ。成瀬は機体の前後に取り付けてもらっていた銀色の円盤状の構造に手を添え、それをからからと回す。
「基本的にはこいつを障害物に接触させて方向転換するのよ。だから機体そのものは真っすぐを保ってただ直進出来ればOKなの」
「…まるでミニ四駆なのネ…」とは千代原の合いの手。
──まるでやのうてミニ四駆そのものや。
「いや、そうは言っても必ずしも都合の良い場所に障害物があるとは限らないでしょう? それにコース上には高度を変えなければならないポイントだってあります。そうした場合どうやって機体をコントロールする気ですか?」
「そうね、もちろんその時には補助として浦鳥さん本人に機体を操縦してもらうつもりよ」
「だからどうやって…!?」
この機体の設計から製造まで一貫して関わっていた須男ではあるが、この操縦者側の大問題をいかに解決するのかに関しては何も聞かされていない。なので成瀬が何故にここまで余裕を持っていられるのかが理解出来ないのだ。
「どう…て、こうやって彼女が全身を使って、よ」
けろっとした顔で成瀬は自分の体を揺らしてニュアンスを伝える。
「彼女ね、決して運転が下手なわけじゃなかったのよ。ただ異常な程反射がオーバーリアクションで出ちゃうものだから機械的、電子制御的な操縦系だとステアリングに余計な動きまで伝えちゃってたのよね」
その点ゲーセンにあったバイク車体型の筐体は全身の動きを使ってダイレクトに操作するタイプのゲームであった。だから適度に彼女のオーバーリアクションを伝えることが出来たのだ。
「そんな無茶な!」
だがまだ納得のいかない須男は声を荒らげた。
「いくら軽量化を極めたこの機体でも総重量は300㎏を越えます。そんなものが平均時速100㎞、最大350㎞を越える速度で飛ぶのを女性の身一つでどう制御させるというのです?」
「んふふ~♪ まぁ、見ててよ。もうすぐ当のご本人の準備が整うはずだから」
イラつく須男をなだめつつ成瀬は腕時計をちらりと覗き込む。程なく話題の主である香苗が工房に現れた。かしゃり、かしゃりと軽やかな金属音を上げて歩いてくる彼女の全身には銀色に輝く構造物が装着されている。
「お待たせぇ~! お、それが私のマシン? 何かイイ感じじゃないのさ!!」
「あ、…それって!?」
町田が思わず声を上げる。千代原も小さな角眼鏡を正して彼女の姿を凝視した。
「まだ所内にあったのネ?」
須男を始めとしたマイノリティーズの面々はきょとんとしているが、一方の所員たちにはその姿に見覚えがあるため一瞬緊張と戦慄が走り、それはすぐに驚きに置き換わった。
所員らが驚くのも無理はない。既に開発者自身がこの研究所にいないため、それがこの場にある事など誰も想像していなかったのである。
「どうも十文字さんからくすねていたみたいなのよね…あの娘」
それはかつて研究所に在籍していた義肢・補装具の研究者である十文字交の開発した強化外骨格『Ⅹ(香苗命名)』だった。もちろんその性能もまた所員たちには記憶に新しい…恐怖の記憶として、であるのだが…。
「浦鳥さんにはこのⅩを装着して操縦してもらうのよ。これなら300㎏程度の重量物の慣性だって楽に御することが出来るはず」
「…いや、でも…。折角機体を軽くしたのにⅩで重量が増すのは本末転倒なんじゃ…?」
町田が率直な感想を口にする、その意見はごもっともである。だがそれに対しても成瀬は平然と計算機を叩いて結果を示してみせる。
「大丈夫。Ⅹの乾重量は約24~25㎏だから、浦鳥さんの体重を合わせてもまだ豪原さんより10㎏以上も軽いのよ?」
香苗が怒るから双方の体重は言わずに重量差のみを告げる。
「え、そーなの?」
「…筋肉ダルマだからねー、あの人…」
何の覚えがあるのか高校時代の同級生である阿藤が薄ら笑いを浮かべる。
「そういう訳だから、機体制御に関しては心配する必要は無いよ」
「は…はぁ…、そう…なんですか…」
釈然としない思いは残るものの、自信たっぷりにそう言われてしまってはそうですかと応じるほかは無い。須男は何だか狐につままれた様な顔で引き下がる…どうにもこの研究所の所員は皆、相手をするに調子が狂ってしまう。
「で? 私のマシン、名前何てーの?」
以前何かの折に名前なんてどーでも良いとか言ってなかったっけ? などと内心思いつつ。紹介をせっつく香苗に成瀬は彼女に伏せていた機体の名称を披露した。
「ダブテール号…って名前にしてみたんだけど、どうかな?」
「だぶ…てーる? どーゆー意味?」
「DOVE-TAIL──直訳すると鳩の尻尾なんだけど、あり接ぎって意味もあるのよ」
「あり接ぎ…??」
「柱の接ぎ方のひとつね。私たち寄せ集めチームにはピッタリのネーミングでしょ?」
悪意も卑屈さも無い笑顔を香苗に向ける成瀬だったが、そもそも香苗にはそのネーミングに潜むアイロニーにも気づかない。
「それに今回参加者の中にはダスタードリーもいるんでしょ? だったらこちらはヤンチャな鳩かおしゃまな猫で対抗するべきよね!」
…もう彼女が何を言っているのかも香苗には理解出来ない。
──ちゅーか、あんた一体何歳なんや!?
「まぁ、これでようやくカードが揃ったところで一回浮かすだけでもやってみましょうか」
成瀬の号令一下、所員たちが、マイノリティーズの高校生たちがそれぞれの持ち場に動き出す。
「今回はロープでつないで無人で動かすだけにしときます。浦鳥さんはその後静止状態で機体を動かす感覚だけ把握しておいてもらうから、ウォーミングアップしといてね」
「え~っ? 運転しないのォ!?」
「お楽しみは本番まで取って置いた方が喜びも大きいでしょ?」
「あー、それもそうか」
香苗のあしらい方も実に手慣れたものである…が、
「…って、あーっ! いっけないっ!?」
唐突に成瀬が大声を上げる。
「あ、阿藤さん…!? このチームって、出場登録済ませてたっけ!?」
それをすぐ傍で聞いていた阿藤の表情が凍りついた。
「えっ? えぇっ!? 私てっきり成瀬さんがやってくれたものと…」
「ま…マズい…、これはやっちゃったかも…」
成瀬もまた顔を強張らせてその場に立ちつくす。事の深刻さを察したか周囲から所員たちが集まってきていた。
「え? 何の話??」
一人状況を全く理解できていない香苗を無視して町田がタブレット端末を開く。
「ともかく、まずは開催スタッフのページに問い合わせてみよう…、あれっ?」
関係者用ページから登録情報を確認していた町田が戸惑いの声を上げた。
「…登録、されてるよ?」
「えっ?」
成瀬他、一同が町田の手元に殺到しタブレットを覗き込む。皆、我先に頭を突っ込んでくるものだからごつごつと頭をぶつけたりなんかもしている。
その頭累々をかき分け成瀬が画面に目を落とすと確かに香苗の名前で一枠、登録が詳細情報の入力待ちになっていた。一同は一斉に香苗に向き直り無言で指をさす。
「え? 違うよ、私じゃない」
ぷるぷると首を振り香苗はそれを即座に否定。そりゃまぁ冷静に考えれば彼女がそんな気の利いたフォローなんぞ出来る訳が無い。ワケが分からんと言った顔で阿藤が肩を竦めた。
「どーなってんの!?」
「ん~…?」
じっと画面を見つめる成瀬、確信は無いが何となくの犯人の目星はついていた…。
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