翌日、教授の姿は三茶署の捜査課にあった…。
「今日はあのイカレた問題所員は連れて来てはいないでしょうね?」
昨日の件がトラウマにでもなってしまったのか鷲尾刑事が警戒して周囲をきょろきょろと見回す。初見のイメージはどこへやら…すっかりメッキが剥がれておどおどとした挙動が小物然とした本性丸出しの有様だ。
「ええ、我が研究所の総力を挙げて外出を阻止しておりますので…」
冗談めかした口調で明後日の方を向いてしまう教授…実は彼のセリフは冗談でも誇張でも、何でも無かったりする…。
同時刻、研究所内…。
「ここから出せェーっ!!! これって所内ティック・バイオレンスだぞぉーっ!!!」
意味のよく分からない造語を口走って小窓に設けられた鉄格子をがたがた揺すぶる香苗、昨夜所員総出で急遽建設した彼女専用監禁室である。
厚さ150㎜のタングステン・カーバイド鋼板で覆われた6畳ほどの部屋の内部は、脱走に用いられそうな一切の器具や設備も無いウレタン壁の真っ白な空間になっている。
並の人間が閉じ込められたら1週間もしないうちに頭がおかしくなってしまいそうな環境だが、彼女を封じるにはこれくらいしないと不十分なのだ。
「じんけんしんがいだぁーっっ!!!」
「静かになさい! 教授が帰ってくるまで大人しくも出来ないの、あなたは?」
たぶん自分の言っている意味を全く理解せずに抗議の声を上げる香苗に入り口の小窓から古淵が怒鳴りつける、この上更に所員が交代で監視しているのだ。
「ねぇ古淵さん…何もここまでやらなくても…」
香苗のこの処遇をさすがに気の毒に思ったのか成瀬が疑問を呈する。
「…甘いわね!」
そんな成瀬の憂慮を古淵は一蹴した。
「この娘のしぶとさと閃きを侮ってはダメよ? たとえ今日こうして拘束出来たとしても明日には脱走しているかも知れない。…そういう娘なのよ…!」
悪い方向に信用されたものである…。
「ところで、一体どうやって浦鳥さんを捕まえたんです?」
成瀬が素朴な疑問を口にした、確かに彼女の拘束以前にそもそも確保が至難の業である。
「簡単よ、この部屋の中に彼女の好物の陽光軒のタコ焼きを置いといたのよ…手を付けたら扉が閉まるような仕掛けをしてね」
…猪捕獲レベルの単純な罠だ、成瀬は虚ろな引きつり笑いを浮かべる…。
「へ~…そーなんですかー…それは…かんたんでいいですねぇー…」
「ひとまず、今日はこれで無事一日を過ごすことが出来る…それで良しとしましょう…」
…それが精一杯なのだ…古淵は自身の無力を恥じ入る事しか出来なかった…。
さて、話は三茶署に戻る…。
「それで先生、事件の真相は分かったのですか?」
「…はい、まぁ当のパプロが初期化されてしまったことでその実証は出来ません。ですからこれはあくまで推測の域を出ませんが…」
教授は前置きをして自身の推理を語り始めた…。
「まずはこの事件、犯人…というか犯行はやはりあのロボットによるもので間違いはありません…そして、それがロボット自体の判断によるものであることも…」
「では、やはりあのロボットが殺意を持って…?」
「いえ、それはあり得ません。現行AIにはまだ意思なるものはありませんので…。これはロボットのAIが自ら学習したディープラーニングを基に行った、ただのプログラミング行動なのです。その可能性に関しては昨日の早い段階で考えてはいました。でも私にはそれを断定するのに何か一手足りないと思っていたのです」
「一手…ですか、それは一体何が?」
「もしも犯人がロボットなどではなく人間だったら…刑事さん、あなたたちがまず考えるべき事ですよ?」
「…あ!」
鷲尾は少し考えて、すぐにそこに思い至った。
「『動機』…ですか!」
「そうです。私たちはロボットの心云々を論じておきながらどこかでそれを道具としてしか見ていなかったのですよ。だから犯行の起点である『動機』を見逃してしまっていた…それではこの事件の本質は見えてきません」
…そう言えば自分も最初『凶器』などと表現してしまったなぁ…と鷲尾は思い返す。
「なるほど…で、一体その動機とは?」
「それに関してはこちらを見て頂けますか…」
教授はそう言うと手元のタブレットを鷲尾に差し出した。
海に流れる大岡の 月は真水に揺蕩えぬ
所詮私は海の月 白き水には馴染めない
流れ 流され 流され 流れ
あなたと私は交われぬ
現世で果たせぬ恋ならば あなたの両手に包まれて いっそ終えたい私の命
嗚呼…、大岡川に浮かぶ月
私が乾して果てるなら あなたも後を追いますか?
所詮私は海の月 二人幸せ紡げない
流れ 流され 流され 流れ
来世に夢を見ましょうか
それでも生きてあなたには 帰れる場所があるのなら いっそ忘れて私の事を
嗚呼…、大岡川に浮かぶ月
「…これは?」
「『大岡川心中』の歌詞です。普段から染井さをりさんは寝室で繰り返しご自身の出演した番組を観ていた様ですね」
香苗が再生させたDVDは彼女の映像集だった。
「当然あのロボット…パプロも曲を学習していたことでしょう…それこそ歌詞の意味も十分にかみ砕いて…」
「え…、えっ…!?」
「この曲の2コーラス目は歌の主人公の『死』を想起させます。そして1コーラス目にある『あなたの両手に包まれて いっそ終えたい私の命』という歌詞…これは男性の手によって命を終えたいとする女性の心理を描いたものでしょう」
「…と、言うと先生…あなたはあのロボットが曲の歌詞になぞられて彼女を殺した…曲がその動機であると…そう言いたいのですか?」
鷲尾はうわずる声でタブレットを指差す。自分で言いだしたロボットの殺意であるが、その動機が歌だというのは俄かに信じ難い。
「しかしいくら何でも歌と現実を混同するものでしょうか?」
「まぁ、普通に考えればあり得ないかも知れませんね…でも、もしもこの曲の歌詞が彼女の生活を反映していたとすれば…どうでしょう?」
「…何ですって?」
「あいにく私は警察でなければ探偵でもありませんので彼女の人間関係を調べ上げる事は出来ませんが…彼女、もしかして妻子のある方と不倫関係があったのではないでしょうか? …この曲の主人公の様に…」
鷲尾は唖然としてしばらく動けなくなる。
「…っは、…いや…ちょっ…ちょっと待っててもらえますか?」
ようやく言葉を絞り出した鷲尾刑事は泡を食った様に踵を返し、入り口脇に設置されたインターフォンで何処かと話し始める…どうやら彼女の人間関係の洗い直しを指示している様である。やがて引き返してきた鷲尾は急く様に話の続きを求めてきた。
「失礼しました。…先生、今おっしゃっていた事が事実だとして、ではあのロボットはその相手の男の代わりに彼女を殺したのでしょうか?」
「それがですね、実はあのパプロのAIの中にはその相手に関するデータが存在していないのです。きっと知らなかったんじゃないですかね、相手の事は…だからパプロは曲で語られている相手とは自分の事だと誤認したのではないかと考えられるのです」
「それはまたどうしてそんな結論に…?」
「彼女は人間…自分はロボット…それは十分叶わぬ恋と判断は出来ませんか?」
「はぁ、ではAIは何者かの代わりでなどはなく、自身がそうして欲しいと求められていると考え…相手の要求を実行した…」
「彼女も普段から相手に関して語る事は無くとも、そうした恋の苦悩は漏らしていたと思うのです。相手の存在を知らないパプロはディープラーニングを駆使して大岡川心中の歌詞から彼女の心のうちを察し、更にその相手を自分であると錯覚してしまった…。なまじAIが高度な学習をすることが出来たがためにそんなロジックを組み立て、そして自身の機能…そのマニピュレーターで可能な『殺し方』を見つけ出してしまったのです」
「ならばこの一連の犯行は歌の歌詞を現実の彼女の意思と混同したAIが彼女の『命令』として履行したに過ぎない…と?」
「そう結論できます。そして現場検証の際、再起動したパプロは彼女の死をそこで認識し、最後に自身を初期化した…つまり『心中』を果たしたのです」
教授の推理を一通り聞き終えて鷲尾はただ呆然とするばかりだった。
「…それが本当だとしたら…何という事か…。でもこれは殺人とは呼べませんね」
「そういう事です。昨日刑事さんが仰ってた通り、これはパプロによる自発的な行動でした…が、だからこそ人間ではない家庭用ロボットに罪を問うことは出来ません。亡くなった添木さんにはお気の毒な話ですが、これは製品事故として取り扱われるべき案件でしょう」
この推理が証明されるのであれば、この後当然メーカーには何らかの過失やら保障問題等が発生するのだろうが…そこまでは教授が関与すべき事ではないだろう。何やら誰も得しない結末に至った訳だが、そうした現実的に残された諸問題を置いといて、彼には別の思いが去来していた…。
…窓から空を見上げ、そして呟く…。
「残念ですね…ロボット三原則が現実で問われる様になるのは、もうちょこっと先の話なのかも知れません…」
研究所に教授が戻ってきた頃にはすっかり日も暮れていた。これにより日中、ずっと監禁状態に置かれていた香苗は干物と化した状態で釈放と相成る。
「結局今回の事件はAIが心を持ったわけではなかったという事なんですか」
所員食堂中央の円形テーブル、豪原は全員分のお茶を淹れ終えると自分の席に戻って早速今日の顛末を教授に訊ねる。
まるで大学のゼミで学生が講師を囲むように、お土産の大判焼きをお茶菓子に所員たちが教授を中心とした人の輪を構成している。意外な程教授の帰りを待って所員が残っていたので皆で一息入れようという運びになったのだ。
「そう判断するのが妥当だと思います。まるで人間の様な思考でしたが、それをもって心とはまだ言えないのでしょう…」
一同が感慨深げに聞き入る中、それでも異論を唱えた者がいた…。
「ん~…でもさ、ちょっとおかしくない?」
両手いっぱいに大判焼きを抱えた香苗だった。気付くと何名もの所員の手元から大判焼きが消えていた。
「ああっ!? いつの間に!??」
「返せ、このやろ…」
さっきまで脱水状態で倒れていたとは思えぬ動きでお茶菓子奪還に伸びる手をひらひらと躱す。
「香苗さん、おかしいって何がでしょう?」
「うん、だってさ…曲のラストは『いっそ忘れて私の事を』って歌ってるんでしょ? なのに初期化で心中なんて、それ命令無視なんじゃないの?」
「…あ!」
「確かにあのくだり、本音では一緒に死にたいってニュアンスがあるのだろうけど、表向きは相手に生きて欲しいって言っているわけじゃない? でもそれを無視して心中を選んだんでしょ? それって…本当に只のプログラム? そういう心の機微までデジタルの思考で判断できるとは思えないんだけどなー?」
「!!???」
あっという間に一同驚愕の空気に包まれる。
「…た、確かに。悔しいけど…言われてみると浦鳥さんの言う事も一理あるかも…!?」
えらく動揺した顔で古淵が不本意な同意を見せる…メチャクチャ悔しそうだ。
「でしょ? 私はあのロボット君が実は相手の男の存在を知ってて、それで嫉妬こじらせて被害者殺したと思うのよ!」
「…いや、さすがにそれは飛躍し過ぎだろ…」
香苗の持論を呼び水に所員たちの論議は更に熱を帯びてゆく。
…その様子を、教授はただ穏やかに、そして興味深げに眺めていたのだった…。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!