3階へと向かう階段を上る道すがらで男性所員は十文字交と名乗った。
「十文字…? いたっけ、そんな所員?」
香苗は首を傾げる。いくら記憶を探ったところで、そもそもその名前に聞き覚えが無いのだから思い出すはずが無い。
「もしかして新人さん?」
「いやぁ、こう見えてあなたよりもずっと前からこの研究所にいるんですよ」
十文字はちょっと困った様な表情で答えを返す。香苗が彼をして新人と思ったのも無理なからぬ話で、背はひょろっと高いが人の好さそうな純真そうな見た目は十代と偽っても騙し遂せそうなレベルの彼を、先輩所員であるとは容易に判断出来ないだろう。
「…そうですね…例えばあなたと仲が良い高槻さんや古淵さん…彼等よりも僕、先輩なんですよ、実は」
「そーなんだ! …って、仲良くは、無いです!」
むしろ奴らとは犬猿の仲だとでも言いたげに香苗は牙を剝いた…それはお互い様である。
「それにしても全然覚えが無いや…重要案件の会議とかでなら見ているはずなのにね」
「だって、浦鳥さんって議事にはほとんど顔を出さないじゃないですか」
「悪かったわねー」
「あ、ごめんなさい」
ちょっと冗談めかしてスゴんだらすぐに謝ってしまう…ひ弱な上気弱なんだ、この人…と香苗は呆れ返ってしまう。
「それに僕は所内でも印象薄い方ですからね。憶えてなくても仕方が無いですよ。個性派揃いのこの研究所ではどうしたってかすんじゃいます」
「そーよねぇ、ここの所員ときたらどいつもこいつも変な連中ばっかりだもん」
──いや、ネーちゃん…あんたもその一人だっちゅーこと、忘れてへんか?
どこのコミュニティーでも同じなのだろうが、他人からの認知度が誰しもが平等であるとは限らない。言動や容姿が目立つ人間はそれだけで人の記憶に残りやすいものだし、逆に特筆できる個性や容姿を持たない人間はなかなか他人の記憶に残り難く、また普段から存在感も薄いものだ。
もちろん本来ならばそこに優劣があるわけではない。
目立たない人間には目立たない人間なりの生存戦略があるもので、その活かし方次第では目立つ人間よりも遥かに優れた成果を社会に提供できる場合もあるのだ…というのはあくまで建前。実社会では多くの場面で目立つ者、声の大きい者ほど優位に立てるのは如何ともし難い事実であったりする。
一方で、目立つが故に肩身の狭さを味わう者もいる。突出する者は何かと風当たりの強い場所に立たされることも多く、それ故に人一倍の苦労を抱え込む。
尤も中には要領良く…あるいは狡猾に立ち回り、目立つのに責任から逃れて過ごせる者もいたりする。だがそうした類の人間も万事恙なく安穏と生活を送れるとは限らない。極端な例では場を弁えない、いわゆる「悪目立ち」が世論によって叩かれる…といった話題は昨今、枚挙に暇が無い。
それが当人の落ち度や利己主義的行動によるものであるならば致し方が無いことであるが、時にはあらぬ嫉妬や憂さ晴らし半分の感情論から槍玉に挙げられてしまうパターンも決して少なくは無い。出る杭は打たれ、同調圧力に後ろ指さされる…実に以て人間の世界とは斯くも生き辛いものなのだ。
そうした意味でこの研究所といえば、狭いコミュニティーながら両極端が過激なりに程よく共存している実に稀有な環境であると言えるだろう。
閑話休題…。
香苗の関心は既に彼の印象の件から離れ、別のモノに注がれ始めていた…。
「…ねぇ、その手足に着けてる機械ってあなたが造ったの?」
香苗は彼の着用する器具を指さす。
「いえ、これは市販されている既製品です。これらはロボットスーツだとか、パワーアシストスーツ、あるいはマッスルスーツなどと呼ばれている筋力補助器具で、機械的動力で人間の運動能力…特に筋力を補うサポートギアなんです。これにAIによる制御性を持たせた装着型ロボットなどとも呼ばれてる種類もあります」
「へぇ~…」
「骨みたいで一見頼りないですが、こいつがなかなか優れモノなんですよ…見てて下さい」
そう言って十文字は段ボールを右側に重心をずらしつつ上手くバランスの取れるポイントを見定めて移動させると、右腕一本でそれを支えた。
「ほら、これくらいの重量物なら片腕で容易く持ち上げることが出来るんです」
「うわ、すっごい!」
子供のようにはしゃぐ香苗。
ガジェットやツールに興味を示すのは主に男児やその慣れの果てであるオッサンであればさほど珍しくも無い趣味嗜好であるのだが、稀に女性でもそうした「モノ好き」がいたりする。彼女も恐らくはその類なのだろう。
…尤も、彼女は飽きっぽいのでちょっとつまみ食いしては、翌日にはもうこれっぽっちの興味も無くしている…なんてことは日常茶飯事だ。だから日々絶え間なくアイテムが供給されるこの研究所は、彼女にとってはまさに宝の山そのものであると言えよう。そして何よりも彼女はこうした分かりやすいアイテムが大好物なのだ。
「このタイプは労働用・農業用ですが他にも医療や介護、土木、宇宙開発用等々…、今後は様々なジャンルへの進出が期待されている技術なんです…さぁ、着きましたよ」
「え? あ、ホントだ…」
ほんの少し会話している間に、二人は3階にたどり着いていた。荷物を床に下した十文字は一度両腕を交互に前に突き出し動作確認を済ますと腰のスイッチを切ってスーツの電力を落とす。
「僕の研究は、こうした人間の動作を助ける技術を更に進化させ、より生活に密着した強化外骨格や高機能の義手、義足等の補装具を開発することなんです」
「へぇ~、イイね、そーゆーの」
十文字の口からちらりと飛び出した『強化外骨格』という何だか武器っぽくてカッコイイ言葉の響きがひどく気に入ったらしく、香苗は目を輝かせながら十文字の筋力補助器具をまじまじと凝視した。
会話だけなら青春恋愛もので定番の交流シーンっぽいシチュエーションの様でもあるが、こと彼女に限ってはこれはあまり良くないパターンだったりする。どうやらいつもの悪い癖が頭をもたげ始めている様だ…。
「それで? 今はどこまで開発進んでいるの?」
「いやぁ…それがちょっと芳しくなくって…」
十文字の顔がふと曇る。
「漠然としたコンセプトはあるんですけど、どうも具体的なビジョンが思い描けなくって…だからこうして空いた時間に市販品を試すことでインスピレーションにつなげようと試みてはいるんですけどね…」
一見縁が無さそうだが技術開発の場にもインスピレーションやセンシティブな感覚は必要である。たとえ十分な資材や技術力を有していてもそれを具体化させる発想とビジョンがなければテクノロジーは形を成すことが出来ないのだ。
そうしたきっかけは多くの場合知識や理屈ではなく、むしろ直感から発する場合が多く、またその瞬間は所かまわず突然に訪れたり、逆に何をしても浮かばなかったり…と、およそマニュアルみたいなものは存在しない。
つまり彼が今陥っているのは生みの苦しみ…というヤツなのだ。
「ふぅ~ん…」
そんな悩める研究者を相手にお悩み相談の先生の如く熱心に話を聞くフリをしながら、だが香苗は次第に愉快気な面持ちになりつつあった。彼女にしてみれば渡りに船、あるいは鴨がネギ背負ってやってきたようなものなのだ。
「だったら、手伝ってあげよっか?」
「えっ?」
香苗は一瞬耳まで切れ上がった凶悪な笑みを浮かべ…慌ててそれを純真無垢な微笑みに切り替え、十文字にそれを向けた。
「こういうのは一人でうじうじ考えているより、他の人の意見を聞きながらの方が発想が広がるもんだよ?」
「え、うん…確かに…それも一理あるけど…」
彼女の言い分はきわめて合理的且つ正論である…その奥底に邪心が潜んでいる事を除けば、なのだが。
「ねっ? 私で良ければ協力してあげるよ」
駄目押しに小首を傾げてみせたりする大悪魔。
「う…うん…いや、はい。それじゃあ…お願いします」
…陥落。
こうして所内に巣食うメフィストフェレスはまんまと楽し気な玩具を手に入れたのである…。
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