踊れ、アスラ~4d⇒~

科学の砦でから騒ぎ。
沖房 甍
沖房 甍

「節足なる食卓」3

公開日時: 2021年5月17日(月) 22:11
更新日時: 2021年10月8日(金) 16:16
文字数:3,412

 嫌な予感しか浮かばなくとも結局足を踏み込んでしまう…良くも悪くもその桁外れの好奇心は彼女自身の行動を支配する原動力だったりする。


──何かえらい前向きな言い方したが要は欲求の塊ってこっちゃな、それはそれではた迷惑な事に変わりはない。


 そんな訳で翌日の千代原ラボ。

 手前の棚にはホルマリン漬けのよく分からない生物の部品が並び、独特の鼻を衝くにおいで室内は満たされている…分かりやすく喩えるのならば「理科室の匂い」だ。その奥に大小のはく製がずらりと並んでいるのは単に研究資材というだけでなく彼の趣味の一環らしい。中には明らかにワシントン条約に違反しているであろう動物や、その存在さえ疑わしい眉唾物の幻獣のはく製さえある。

 他にも様々なはく製や骨格標本でも収められているのだろうか、香苗は大小さまざまなプラスチックケースやガラスケースが並ぶ棚を凝視してみるのだが、梱包材で覆われていたりおが屑がびっしり敷き詰められていたりでどれもいまいち中が見通せない。


 試しに自分の身の丈ほどもあろうかというガラスケースの扉を開けてみる…もちろん(?)ラボの主には黙って…と、一瞬の隙を衝かれて黒い影が抜け出し、あっという間に棚の影に消えて行ってしまった…。



 …香苗はしばらくその行方を追って…そして見て見ぬフリをする事に決め込んだ…。



「昆虫というのは宇宙から来たのネ」


 そんなことは露知らず、はく製に取り囲まれたラボの一角で千代原はおもむろに話を切り出した。


「昆虫は元々地球上の生物ではなく、誰かによって地球に持ち込まれた異星生命体だという説があるのネ。従来説では最初の昆虫と考えられる単純な形状のトビムシが約3億7千万年前のデポン記に出現してから多種多様な次世代の昆虫が現れる3億年前までの間を繋ぐ種の無い空白期があるのだというのネ。これに対して唱えられたのが『昆虫宇宙起源説』…、これが主張するところによると昆虫は太古に何者かによって地球に持ち込まれた別の惑星由来の生物だという事なのネ」




………。




 香苗は「はアっ? 何言ってんのコイツ!? 頭にウジでも湧いてんのか???」…とでも言いたげな表情で千代原を見下げている。千代原はこほん、と一度咳払い…そんな反応などとっくに想定済みだ。


「…もちろん昆虫が異星から持ち込まれた云々…というのはオカルト主義に偏向した知識不足の世迷言に過ぎないのネ。進化の空白期…ミッシングリンクの化石が見つからないのは単純にまだ現在は見つかって無いからに過ぎないのネ」


 現代においても化石の発掘は掘れば掘るほど新種が発見される状況である、まだ人類は地球全土を掘り尽くしていないのだからどこに何が埋まっているかなど分かろうはずもない。もちろんそれで昆虫宇宙起源説を否定するに十分な論拠にはならないが、少なくとも昆虫は宇宙人が持ち込んだ…などというトンデモ理論の実証よりは遥かに信憑性の高い理屈であるとは言えよう。


「それにこと昆虫に関して、間をつなぐ種が見つからないのにはもう一つ説があるのネ。それは本当に間の種が存在しない可能性なのネ。昆虫はとても変異しやすい生物なのネ。生息環境によっては僅か数代で顕著な遺伝子変化を起こす例も多々あるのネ。それにパンスペルミア説に照らし合わせればそもそも地球上の生命全てが──」


「…いや、あのさぁ…」


 例の如くだが、今のワンセンテンスの間に既に香苗は話に飽きていた。


「別に私は昆虫が宇宙から飛んで来ようが海から上陸して来ようが、そんな事どーでもいーのよ。つーか、昨日の何が虫か? ってのも正直、もー興味無くなってるんだから」


「…そんな事言われちゃったら話がもう進まないのネ…とっても悲しいのネ…」


 しゅんとしょげかえってしまう千代原。普段はマイペースに構えているのでメンタルが強いのかと思えば、実は意外にそうでも無く打たれ弱いらしい…。高槻や古淵みたいに真っ向から対抗してくれるのならば香苗としても遠慮なくりあえるのだが、こうも子供の様にいじけられてしまってはどうにも調子が狂ってしまう。


「あーもうっ! 分かったから、聞いたげるから余計な前振りしてないで本題に入りなさいよ!」


「ホント? 聞いてくれるのネ?」


「はいはい、聞きます聞きますっ! …面倒くさっ…」


 何だか段々わがままなお爺ちゃんを相手している様な気になってくる…、ちなみに千代原は高槻と同い年、香苗とは僅か一歳年上なだけである。そんな若年寄はようやく機嫌を直し、今度は嬉々として解説を再開させる。


「ボクはそう思わないけど、浦鳥氏の言う通り昆虫の見た目やイメージに嫌悪感を抱く人間は確かに多いのネ。こうしたイメージを払拭するためには新たに印象の良い、そして味やボリューム等に十分な満足を得られる様な、最初から食用に特化した品種改良を行った食用昆虫を作り上げることが一番なのネ」


「…まぁ、あのちまちま、シャカシャカと動く手足や触覚が無くなるだけでも随分イメージは違うけどねー…。それに大きさか…一匹一匹が小さいとどうしても量を食べないといけなくなるわけでしょ?そうなると結局皿にこんもりと大量の虫が乗せられるじゃない? 虫の気色悪さってあの群れ成した様にもあると思うのよね…、一匹一匹がもっと大きくなれば多少はそこも薄れるんじゃないかと思うのよ」


「そうなのネ、大型化は必須なのネ。こうした品種改良の手段としては、手っ取り早さを求めるのなら遺伝子操作という方法もあるけど、ここに昆虫の変異し易さを活かさない手は無いのネ。穏やかで生体の機能に則った交配によって畜産用の昆虫を作り上げていくのが最も無難な方法だと思う訳なのネ」


「それはちょっと興味惹かれるねぇ~…要するにカブトムシとクワガタ掛け合わせて最強昆虫作るわけね♪」


「さすがにそんな簡単に別種の交配は出来ないのネ。安全性を確認しながら少しずつ何年もかけて交配を行って、理想の形に仕上げてゆくのネ」


「なぁ~んだぁ、やっぱり回りくどいんだ…もっとこうゲームみたいにフラスコの中で合体させるの期待してたのに…」


「どこの世界の悪魔合成なのネ、ソレ」


 どうにも彼女は科学を便利な魔法か何かと勘違いしているフシがある、何事も一朝一夕では達成できないものなのだが、そういうのは性に合わないらしい。


「でもある程度の大型化は一代でも目に見える効果が期待できるのネ。酸素濃度の高い環境で育成してやれば1.5倍~2倍程度の大型化は簡単なのネ」


 そう言って分厚い図録を取り出す千代原、開いたのは古代生物に関するページだ


「遡る事約3億5900万年前~2億9900万年前まで続いた石炭紀には巨大な昆虫が生息していたのネ」


 指し示すページに記されているのは現代のものよりもだいぶ野性的な顔立ちのトンボに、どう見ても木の幹ほども幅を持つムカデっぽい多足生物…。


「全長70cmもあるトンボや3mもの長さのヤスデやムカデの仲間…他にも様々な巨大昆虫類がいたと言われているのネ」


 70cmの巨大な虫が飛んで来たらちょっと身の危険を感じるレベルだし、3mのムカデなんてもはやモンスターのレベルだ。香苗は一瞬想像して思わず身を震わせる。


「こうした昆虫の巨大化を促したのはその頃の地球の酸素濃度が現在よりも高かったためと言われているのネ。当時の大気中の酸素濃度は、現在の1.5倍近くあったそうなのネ」


 そう言いつつ千代原は別のファイルも取り出す、こちらは現代の水産研究に関するもので、スイカほどもありそうな巨大な金魚の写真が添えられている。


「水中の酸素濃度を高めた環境で育てた魚が自然な環境で育てたものよりはるかに大きく成長する例も報告されているのネ。すべての生物にこうした結果が見込まれる訳ではないけど、生物の大型化そのものは育成環境次第でいくらでも可能なのネ…例えばボクもいくつか試しているのだけど…」


 …と言って手前のケース類に目を向けた千代原…が、その動きが突如フリーズする。


「…け…っ…」


「け?」


「…ケースが開いているのネ…?」


「あー、それ…?」


 …先刻、うっかり開けてしまったガラスケースだ。


「え~っと…」


 若干ばつが悪そうに香苗は頭を掻く。


「…さっき開けちゃった」


「…な、中に何かいたのネ?」


「…うん、何か…どっかに出てった」


 張り付いた笑顔で香苗は部屋の影を指差す。


「…んガ…っ」


 千代原の顎ががくりと下に落ちた。




「一大事なのネぇエ~~~~~っ!??」


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