「……で、何でこんな大勢に囲まれる事になるんですかっ!?」
一時間後、食堂では高槻一派と薬学兼「何でも屋」の成瀬、それに宇宙工学部門の町田に加え、分子生物学に携わる淵野辺敏也や観測技師の片倉博人、受付のリエ&アキコンビこと楠宮理恵と樫寺亜紀、果ては脳科学を受け持つ根岸詠美といったレアキャラまでが集まって古淵を取り囲んでいた。
その人の輪の外では矢部が肩身狭そうにしている。彼の計画では余計な人間の入らぬ落ちついた場所で古淵の相談に乗ろうと空き研究室に移動しようとした途中、高槻らの一派に発見され食堂に連行、途中たまたまその場に居合わせた…と言うよりも、どうも何かを察して少しでも出番を作ろうと無理くり登場してきた感の否めないその他面々も加わった事で、すっかり古淵の尋問体制が出来上がってしまったのだった。
もちろん、その落ち度は矢部にあったと言わざるを得ない。特定の人物にばかリ勘が鋭いと、得てしてそれ以外の人間に対しては鈍くなるものなのである。
とは言え、客観的意見が多ければ抱えている問題の解決もそれだけ容易になるのだから、古淵にとってはこの状況は決して都合が悪いわけでは無い。その古淵はというと一同が取り囲むテーブルに着き、顔を真っ赤にして何やら呟いている……。
「……な…、何で私がこんな目に……。あ~、恥ずかし……」
唯一彼女にとって都合が悪いとするならば、その自尊心が盛大に傷つく点である。
「ほぉ~、つまりこいつはコミュニケーションマップを利用した組織内の交流履歴偏差を数値化させるプログラム…って訳なのだな?」
先輩所員相手でも全くその尊大な態度を崩そうとしない高槻は、ざっと資料に目を通してそのコンセプトを理解する。
「それで自分では無くあの小娘に高評価が付いたものだから古淵女史はおかんむりという事か? …ハっ、こいつは傑作だ!」
鼻でせせら笑う痩身のマッドサイエンス風男を息の根止めんばかりの形相で古淵が睨めつける。この男もプライドが高いところが似ているだけに、彼女としては本当は絶対話を聞かれたくない相手であった。
「まぁ、でも確かに浦鳥さんほど他人に物怖じしない人も珍しいとは思うけど、社交力の怪物である成瀬さんならいざ知らず浦鳥さんがこんなに評価点が高いのにはちょっと疑っちゃうよね」
どちらにも角が立たない様にしっかり双方に気遣って阿藤がフォローを入れる。
「物怖じしないだけなら高槻氏も負けてないのネ。でも高槻氏、評価点低いのネ」
その阿藤の折角の努力を千代原が台無しにした。そういう余計な茶化しは普通本人から距離を取って入れるものであるが、いつも定位置とばかりに高槻の脇にいるものだから案の定、即座にゲンコツが降ってくる。
「ぃやかましやいっ、貴様とて評価点は低かっただろうが!」
「ボクの方が1点高かったのネ」
「貴様というヤツはぁあ~っ!?」
「まぁまぁ、話を戻しましょう。だったら一体何がそこまで浦鳥さんの評価を上げているんでしょうね?」
鍛え抜かれた筋肉が千代原の首にかかる高槻の手を引き離す。放って置くと出身校の先輩同士のドツキ漫才が始まりそうな気配を察して豪原が話題に修正をかけた。ちなみに、この高槻・千代原の暴走を常に程よくコントロールする豪原と阿藤の後輩二人の評価点は中の上である。
「古淵さん、個々の評価解析にはAIを用いているんですよね?」
「ええ、言うなればこれは対象を不特定多数に拡大した人間シミュレーターなので、煩雑な数値変動やそれに際した入力項目の追加にはAIを導入しているわね」
豪原が話の流れを戻してくれたタイミングを見計らって本筋の質問を投下したのは先程「社交性の怪物」と称された成瀬である。
「プログラムを組んだ当人の想定していない結果が出て、仮にそれがバグなどで無いとしたら別の要素が結果に反映されている可能性が高いですよね? だとしたらその要因はAIにあると考えられませんか?」
「ああ、それは確かに」
成瀬の仮説に町田が相槌を打つ。
「人間関係に好ましい影響を与えるものが必ずしもポジティブな要素ばかりであるとは限りませんし、それ以前にコミュニケーションは社交的性格こそが最強か? という点でも絶対視は出来ないんじゃないですかね?」
「そう言えばこんな話を聞いた事があるわねぇ~」
気の抜けた声で割って入ってきたのは見た目小学生か中学生にしか見えない根岸だった。この見た目で実年齢は一同の中で最も年長だと言うのだから驚きである。
「とある映像製作会社での話なんだけどね~、そこで人員削減のためにコミュニケーション能力の高い人材を残し、そういうのが苦手な人間を解雇していったそうなのよ~。ところがそれ以降その会社は営業活動は活性化したんだけど逆に業績は悪化しちゃったんだってぇ」
「営業が活発なのに業績悪化? どういうことでしょう?」
根岸の話に古淵が首を傾げる。潔癖に過ぎるほどの真面目が身上の彼女にとってそれは矛盾した話に聞こえたのだ。
「原因を調べたら解雇したコミュニケーション不足の人材って、その大半が実はクリエイターだったというのよね~。笑っちゃう話でしょ~?」
「……笑えないのネ」
「…つまり、コミュニケーション上手が必ずしも優秀とは限らない……という事ですか」
「まぁ、業種にもよるでしょうけどね~」
根岸の結論に一人納得した様にふむ、と淵野辺が頷く。思慮深げではあるが自分専用の袋菓子を手放さない様はいまいち恰好つかない。その根岸の説に対して高槻は皮肉めいた注釈を添える。
「コミュニケーション能力ってのは人間関係の評価となるほんの一要素でしか無く、それが必ずしも絶対条件にはならない…ですか。ふん、それでは話が何も進展してはいないですなぁ」
傍目から見ると不遜にしか見えない高槻の態度に少しだけ場がピリつきを見せる。そういえば先程から片倉は胃でも痛くなったのか腹を押さえて項垂れていた。古淵は少しだけ語気を強めて高槻に矛先を向けた。
「そうやって斜に構えてないで、あなたも少しは建設的な意見でも出したらどうなの?」
それに対してふん、と鼻で笑う仕草を見せた高槻に古淵が俄かに気色ばむ。すかさず阿藤が彼女をなだめにかかるとそれに呼応するように豪原は高槻の側を取り成した。
「せ…、先輩は浦鳥さんが私たちよりも高い評価を受ける要素が一体何であるのか、ひょっとして思い当たる事でもあるんじゃないですか?」
「……そうだな、あの小娘が我々より優れている点なんぞある訳が無い…とは思うが……一点、この研究所内で彼奴のみが取っている行動ならばあるぞ。それはあの小娘だけが所内のあらゆるセクションのラボを行き来している事だ」
その場にいた全員が一斉に息を飲む。誰ともなしに互いに顔を見合わせ、ほぉ…と感嘆の声が上がった。
「そ、それだ……!」
「確かに。それは彼女特有の行動ね」
「なるほど、一見周囲を荒らしまわっている様に見える浦鳥君の行動が、実は個々の研究者たちの交流を間接的に深めているという訳か……!」
「……本当に、それだけなのかなァ…?」
「……えっ?」
まとまりかけたその場の空気に水を差したのは、唯一腑に落ちない顔を浮かべていた成瀬だった。
「う~ん、高槻さんの見解には納得できるんですけど、何か引っかかっているのよね……。まぁ根拠は何も無いんだけど、私にはどーも問題の根幹はそこじゃないような気がして……」
「では何だと言うのだ?」
「それが分かっていれば今こうして悩んではいないです」
高槻の問いを成瀬は掌をひらつかせて受け流した。
「もしかしたら、本人に確かめてみるのが一番手っ取り早いのかも知れないですね……って、あれっ、そう言えば今日、本人は?」
今更気づいた様に阿藤が周囲を見渡すと他の一同もまた何かの不安に襲われたか、彼女の姿を捜し始めた。この流れも毎度のことだが、先日の依頼を受ける件も含めて、どうも最近以前見た様な展開をシチュエーションを替え、人を代えで追体験している様な気がしてならない。
そんな様子をどこか他人事の様に眺めながら、成瀬がぽつりと呟く。
「ほら、そうやって気付けばみんないつの間にか彼女を捜しているでしょ? そーゆートコよ……」
「そう言えば浦鳥氏、教授氏の退院が近いからその前に所長代理氏に一矢報いるんだとか、ここしばらくしきりに言ってたのネ」
ラップじゃあるまいし、やたらに「し」で韻を踏む千代原がそう語る通り、香苗はこれまで煮え湯ばかり飲まされてきた鋸引所長代理に対しての復讐を何かと画策していた。間もなく赤鰯教授が退院となれば代理を務めていた鋸引は研究所から去るわけで、その前に何としてでも復讐を成就させたいと躍起になっていたのだ。
ふと何かに気付いた古淵が椅子を蹴って立ち上がった。
「……所長代理は何処に?」
「え…? さっき教授と今後の話をしてくると言って病院へ……」
「まさかあの娘ったら、また教授の邪魔を…っ!」
矢部の返答を最後まで聞く事も無く古淵が食堂を飛び出してゆく。突然の主役退場によって取り残された一同の間に、しばしぽかんと呆けた時間が流れた。
「……ずっと疑問に思ってたんですけど…」
沈黙を破る様に町田が口を開いた。
「古淵さんって、何で浦鳥さんのことをあんなに目の敵に?」
「あら、知らなかったの?」
その疑問に呆れた様子の阿藤が応じる。
「もちろん性格的な相性もあるんだけどね。浦鳥さんって、割と教授に特別視されている所があるでしょ? 古淵さんにはそれが気に食わないのよ。……だって、古淵さんって、教授の事好きだから」
「えぇ~っ!?」
「はァっ?」
「何だとぉ!?」
男性陣が一斉に驚きの声を上げる。どいつもこいつも軒並み考えもしなかった、といった間抜け顔を晒している。
「え~? 知らなかったんですか? 女性所員の間ではとっくに承知の話でしたよ?」
「そうよねー♪」
こういう話だけはやけに積極的な理恵・亜紀が声を揃えた。コミュ障かと思うくらい普段人前に顔を出さない根岸さえもけらけらと笑い出す。
「ウチの男子諸君、ホント鈍いのねぇ~」
そんな中もう一人……別の意味でショックを受けている人物が一同から離れた場所で真っ白になって立ちつくしていた。やはりその事実を知らなかった矢部である。
その様があまりに可哀想なので敢えて触れてやることはせず、だが心底呆れ切った様に成瀬はため息をついた。
「……お花畑ね、この研究所は」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!