「どうだい? デビルズリーフのお茶だよ。人間界では決して手に入らない格式高い茶葉を使った一級品だ。ケンタの口に合うといいが……」
心配そうにこちらを見てくるものだから、俺も高そうな白磁のティーカップに口をつける。
「これは……。香りと言い口当たりといい、飲んだことがない風味。美味しいです!」
「そりゃよかった!」
魔王はぱぁっと笑顔を弾けさせる。
魔王直々にお茶を淹れてもらい、魔王の部屋でまったり過ごす昼下がり。
お茶うけに出されたクッキーもお茶によく合って、心も満たされるようだ。
ああ、魔王城の生活も悪くない……。
「って、違いますよ! 俺はお茶しにきたわけじゃないんです!」
「あれ、そうなの? もしかして魔王のおもてなしが気に入らなかったのかい?」
「いやいや、おもてなしは最上級すぎて文句がないんですけど、そういうことじゃないんです!」
「ああ、そうか。BGMがなかったね。魔王軍交響楽団が先日録音した『魔王軍のための協奏曲第12章』のレコードでもかけようか。クライマックスのサキュバスによるピアノのソロは圧巻だよ!」
「これ以上俺をもてなさないでください! アイソトープに対して手厚すぎるんですって! 俺は執事ですよ?」
俺と魔王の立場がよくわからない。
まるで俺が久しぶりに訪れた孫とその祖父みたいな関係だ。
「君は何が不満というのだい? この魔王が直々に魔王軍の仕事もそこそこにほっぽりだしてもてなしているというのに!」
「その魔王の気の使いようが重いんですって!」
「お、重いだって……? 魔王に気を使われるのが重いなんて、これまで何百年も生きてきてそんなこと言われたのは初めてだよ……」
ベリシャスは分かりやすく胸を押さえてショックを感じているようだった。
そりゃそうだ。さっきの部下への態度を見ていると、きっと魔王にもてなされたモンスターなどいないだろうし。
「魔王なんですから、こんなとこ部下のモンスターに見られたらどうするんですか。俺はアイソトープなんだから、もうちょっとシャキッとしてください」
「君の前なんだから、別にどう振舞おうがいいじゃないか。私はもう魔王様魔王様と敬われるのに疲れたんだよ。君と私の仲は、そんな表面上のものじゃないだろう、ブラザー」
「ブラザーとか呼ばないでください。じゃあ部下にもカジュアルな感じでフランクに接すればいいじゃないですか」
「そういうわけにもいかないんだよ。もう父のあとを継いで数百年これでやってきたんだ。今さら態度を変えたら示しがつかないだろ。二重人格を疑われちゃうよ。魔王がサイコパスだと思われたら、それこそ魔王軍が崩壊しかねないだろ。私の立場を分かってほしいな」
上に立つ者の悩みというのか、ベリシャスは首を振った。
しかしこの魔王は極端すぎる。そう思うのも実は俺の偏見なのかもしれないな。きっと魔王は恐ろしいって本能の中で刷り込まれているんだから。
それは人間みんなの共通意識かもしれない。
「で、ケンタは何をしに来たんだい? チェスならすぐ用意するけど、君がいた世界には将棋というボードゲームがあるって聞いてね、今取り寄せているんだ。あと数日で届くよ」
どこで将棋の情報なんて聞きつけてきたのだろう。マジで魔王城にも通販は届くんだな。置き配?
ていうか、この魔王はほんとうに暇なのだろうか?
「チェスも将棋もしません! 俺に仕事をくださいよ! 今日はそれを言いに来たんです」
「仕事?」
「そうです。俺は執事でしょ? ジェイドさんは毎日あれこれ忙しくしてたじゃないですか。俺なんてここに来て一週間、何もしてないんですよ?」
「ジェイドは監視スキルに長けていたからね。ダジューム中を見渡せる彼がいなくなって、私も痛手だよ」
「そりゃ俺はジェイドさんと同じことはできないですけど、ただ死なないように囲われているのも悪いですから、何かさせてくださいよ」
悪いという気持ちはこのダジュームの行く末を任せるために苦労をかけた人々に向けてだ。シャルムやカリンもそうだし、シャクティも。
もちろん、この魔王に対してもないとは言えない。
「君の仕事は死なないことだって言ってだろ? 魔王城を一歩出れば、どこにランゲラクの手の者がいるかわからないんだよ? それに監視業務は今はペリクルに任せてあるし」
俺がここに来た初日以来、ペリクルはほとんど顔を見せていないのは、その監視業務が忙しいからに違いない。以前はジェイドの補助役だったのに、今はペリクル一人でその任をまかなっている。
「じゃあ魔王城の掃除でもしますよ。あんなに床に血がこびりついてたら、お客さんもびっくりしますよ。どこかに死体とか隠してないでしょうね。死体遺棄ですからね」
「掃除なんて君に任せられないよ。そんなことより君は私とゲームでもして……」
「遊びませんから! 魔王らしくしてください!」
ぴしゃりと一喝する。
まさか俺が魔王を叱ることになるとは、思ってもみなかった。
「……そうかい」
寂し気な魔王に、俺はちょっと気の毒になるがこれでいい。
いくらベリシャスが人間とモンスターの協和を願っていようが、まだ俺はアイソトープという立場上、魔王軍にだけ肩入れするわけにはいかない。
魔王の気持ちも、十分に理解できるんだ。
これまでベリシャスは孤独だったのだろう。魔王という魔王軍のトップとして、モンスターたちと本音を交えることはできなかったはずだ。
それは執事だったジェイドもそうだろう。ジェイドにとっては生まれたときからベリシャスは魔王で、その名前を呼ぶことさえ憚られてきたのだ。それが魔王軍というものだろう。
だがベリシャスはそれが不満だったが、親から受け継いだ魔王という立場の上ではフランクに付き合うことはできない。
ベリシャスもきっと友だちが欲しかったんだろう。そこに俺が現れて、心の壁が取り払われたのかもしれない。もともとは人間との共存を願うような性格なのだから、なおさらであろう。
「じゃあ、ひとつ頼もうかな……」
「本当ですか?」
ベリシャスの気持ちを汲んでいると、ついに仕事の話になる。
「ああ。そのかわり、仕事が終わったら私とゲームをしようじゃないか。それならいいだろう?」
「それなら……。そうですね」
魔王の孤独を癒すのも、きっと執事の務めだろう。
「よし、じゃあ仕事とはペリクルのことだ」
「ペリクル?」
ごほんと一息入れて魔王が持ち出したのは、ペリクルのことだった。
「ペリクルがね、魔王城に帰ってきてから元気がないんだよ。もちろんジェイドがいないのが原因とは思うのだが、これまでもジェイドは出張でここを空けることが多かったし、それだけが原因じゃないように思えるんだよ」
現在はジェイドの部屋で一人監視業務を続けるペリクル。
確かにこれまではジェイドの監視を補助する役目だったので、一人での仕事に疲れているのかもしれないが……。
「たぶん、その理由に心当たりはあります」
俺はベリシャスに答える。
「なんだ? もし私のことで彼女が悩んでいるのなら言ってくれ。きつく当たりすぎたか? ああ、魔王として妖精への気遣いが足りなかったか! まさかセクハラまがいなことをしてしまったのか? このご時世、女性と接するときには注意していたはずだったが、こういうのはセクハラされた側がどう思うかが重要だというしね! やってしまった!」
ベリシャスは勝手に深読みをして頭を抱えだした。
こんなにネガティブ思考でよく魔王を数百年もやってこれたな。
「いや、ベリシャスさんが原因じゃないですって。実はペリクルはお姉さんを探しているんですよ」
「お姉さん? 妖精にお姉さんなど……。はて?」
自分に責任がないと分かったベリシャスが首をかしげる。
魔王たる者、もちろん妖精の出生の秘密くらいは知っていて当然だ。俺たちアイソトープと同じく、他の世界から転生してきて妖精となったことくらい。
「実の姉さんじゃなくって、育てのお姉さんを探しているんです。ホイップっていうんですけど、実はそのホイップが……」
俺はペリクルとホイップの関係、そして俺とホイップの関係をベリシャスに説明した。
「なるほど……。彼女にそんな過去があったとはね」
手を顎に置きながら、うんうんと頷くベリシャス。仮面の下に見える目は、何かを思うように閉じている。
「よし、じゃあ君の仕事が決まったね」
「え、仕事が? 俺は何をするんですか?」
「ホイップを探してきてくれ。そうすりゃ、ペリクルも喜ぶじゃないか」
「へ? ホイップを?」
ベリシャスから依頼された仕事は、なんとホイップを探すことだった。
突然の展開に、俺はこれが執事の仕事なのかと咀嚼できないでいたが、ホイップを探すということ自体には心がキュッと引き締まる思いだった。
俺がいきなりハローワークを飛び出して、俺を探してホイップもハローワークを飛び出したんだ。
彼女の居場所はシャルムでさえも知らないらしく、もし見つけることができるのならこれ以上ない。
いや、ホイップがどこかへ行ってしまった原因は俺にある。俺が見つけなきゃいけない。
「分かりました。魔王執事の最初の仕事として、お受けします。でも……」
覚悟を決めたけど、俺ってこの魔王城から外に出たら危険なんじゃなかったっけ?
すぐに殺されてしまうんじゃないの?
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