「ケンタさん!」
ハローワークからホイップが俺の名を呼びながら、飛び出してきた。
羽をきらめかせながら、俺のもとに飛んでくる。
どうやら俺の叫びが聞こえたのだろう。
「ケンタさん! どうしたんですか?」
ホイップの声に、俺はようやく現実に戻ってきたように、目の焦点が合った。
やはり目の前には、動かなくなったシリウスがいる。
さっき手から出た光のことなど忘れたように、俺は今目の前にある現実を受け止めることができなかった。
「シ、シリウスさん?」
まだ動けずに口を開けたままの俺の前でホイップが、荷台のシリウスに気づく。
その血まみれで倒れるシリウスを見て、あのホイップでさえ表情が固まった。
「モンスターに、襲われた……」
俺は自分でも声が震えていることがわかるほど,動揺していた。
何もできなかった自分に失望し、シリウスをこんな目に合わせてしまったことに絶望していた。
「俺がもっと強ければ、俺がもっと戦えれば、俺がもっと訓練していれば……」
血に濡れた手で、俺は顔を覆う。
その血はまだ温かく、俺の顔を赤く濡らす。
涙と汗と血で、俺の顔はぐちゃぐちゃになっていた。
感情をどう出せばいいかもわからない。どこに向ければいいのかわからない。
ただ――。
「……俺のせいで、シリウスが、死んだんだ」
ついに俺はその一言を口にした。
認めたくはなかった。でも、これが現実なのだ。
シリウスは死んだんだ。
俺が、殺したようなものだ。
見殺しにしたんだ、俺が……!
「シリウス……」
俺は動かなくなったシリウスの体に、顔をうずめた。
「はい、なんですか?」
「…………」
今、シリウスの声が聞こえたような気がした。
そうか、天国から俺のことを見守ってくれているのだろう。
「すまない、シリウス……」
俺は最後に、天国へ向かったシリウスに謝った。
「いえ、ケンタさんが謝る必要はないですよ」
「…………」
また、シリウスの声がした。
まさか成仏できていないのか? そりゃそうだ、夢半ばにしてモンスターに殺されたんだからな。地縛霊としてこの地に残るのも、当然だ。
俺はシリウスの胸に顔をうずめたまま、いつか成仏できるように願いをかける。
「ケンタさん、さっきから泣いたり興奮したり、何かあったんですか? モンスターに襲われて、ついにおかしくなっちゃったんですか?」
今度はホイップのいつもの毒舌である。
さすがにシリウスがモンスターにやらて死んでしまったこの状況で、そんな冗談は不謹慎すぎやしないか?
こうやってモンスターに殺されることも、ダジュームでは日常とでも言いたいのだろうか?
妖精だからといってシリウスを侮辱するようなことを許すわけにはいかない。
「何かあっただって? このシリウスの姿を見て、何をのんきなことを言ってるんだよ!」
俺は顔を上げ、ホイップに向かって怒鳴る。
「シリウスさんがどうしたんですか?」
「どうしたって、シリウスは死んだんだよ!」
荷台を振り向き、そのシリウスの亡骸を指さした、その時であった。
「……」
「ケンタさん、さっきから何言ってるんですか? 僕は死んでませんよ」
リヤカーの荷台には、上半身を起こしてこっちを見るシリウスがいたのだ!
「ぎゃぁぁぁぁ!」
俺は後ろに吹っ飛ぶようにしりもちをついてしまった。
さっきのモンスターとの遭遇でちょっとだけちびってしまったが、今度は完全に漏らしてしまった。
だって、だって……!
「シリウスが生き返った!」
荷台の上で、血まみれのシリウスがこっちを見ている!
地縛霊か? 成仏できずに、俺だけに見える霊的なものなのか?
「ケンタさん、どうしちゃったんですか? やっぱりおかしくなったんですか?」
「さあ? 気が付いたら僕の体の上に顔をうずめて泣いてたんですよ。 僕にもわかりません」
ホイップとシリウスが、何事もなかったかのように会話をしている。
「で、シリウスさん、ケガはないんですか? 血だらけですけど、モンスターに襲われたのは本当なんですか?」
ホイップが血まみれになっているシリウスの周りをくるんと飛んで、その状態を確認した。
何をのんきなことを!
「ええ、一角鳥に襲われて……。なんとか必死で戦ってたんですけど、どうやら追い払ったみたいですね。これもたぶん、モンスターの返り血かと」
「でしょうね。それがすべてシリウスさんの血だったら、出血多量で死んでますよ!」
「ですよね!」
「ハハハ」と笑い出した二人を見て、俺はわけがわからなくなってきた。
いやいや、ちょっと待てって!
返り血なわけがないだろうが? さっきまで、シリウスの腹からどくどくとあふれ出てたんだぜ?
俺が手で押さえてたんだから、間違いない。
あの血の温かさは、今でもこの手のひらに残ってるんだから……。
「ケンタさんが必死に逃げてくれたおかげですよ。何とか無事にハローワークにたどり着いたんですから。ありがとうございます、ケンタさん」
よみがえったシリウスが、ぺこりと頭を下げた。
「じゃ、ご飯にしますよ! 今日はカリンちゃんがおいしいパンを焼いてくれてますからね! シリウスさんもその恰好じゃシャルム様に怒られますから、さっさと着替えてくださいな!」
ホイップがそのままハローワークの事務所に帰ろうとする。
「いや、ちょっと待てって! 俺たちはモンスターに襲われたんだって!」
俺は混乱する頭を無理やり落ち着かせ、ホイップを呼び止める。
「何ですか、ケンタさん? さっき聞きましたよ。それで、シリウスさんが追い払って、ケンタさんが馬で逃げてきたんでしょ?」
何度も同じことを言うなというように、ホイップが眉をしかめる。
「そうなんだけど、モンスターに襲われて、シリウスは……。シリウスの腹には大きな穴が開いてるだろ?」
もう一度、俺は何事もなく生き返ったシリウスを見る。
やはり、生きているのだ。
「腹? いえ、確かに攻撃は受けたような気がしますけど……? どこにも穴なんて開いてないですよ? 服は破れているので、かすっただけじゃないですか?」
そのシリウスが自分の腹をさすって、確認する。
「そ、そんな馬鹿な? だって一角鳥の角に刺されて、その穴から血が……」
「馬鹿なこと言ってるのはケンタさんですよ! 一角鳥の角に貫かれたら、さすがのシリウスさんでも生きてるわけがないでしょうが!」
「だから、シリウスは死んだんだって!」
「生きてるじゃないですか!」
俺の目の前で、ホイップが頬を膨らませて憤怒の表情でシリウスを指さす。
その小さな指先が示す方向に顔を向けると、確かにシリウスは生きている。
「生きてる……よな? お前、生きてる?」
「はい。僕は生きてますけど?」
むしろシリウスのほうが心配そうな顔をして俺を見てくる。
完全にぼけた老人でも見るような目である。
「私は戻りますからね! ケンタさんは頭を冷やしてから帰ってきてくださいね!」
もう俺には構っていられないと、ホイップはぴゃららと事務所に戻ってしまった。
「僕たちも戻りましょう、ケンタさん?」
まったく怪我でもしていないかのように、シリウスは荷台から飛び降りた。
「ちょっと待てよ、シリウス。マジで、大丈夫なのか?」
俺はまったく信じられない。
今もこうやってシリウスが自分の足で立っていることに。
だってさっき、確実にシリウスは腹を貫かれて、瀕死の状態だったのだ。
そして、死んでしまったのだ。
俺の目の前で、腹から血を流しながら……。
「大丈夫もなにも、この通りですよ。確かに血はすごいですけど、これはモンスターの返り血だと思いますよ? 体にはどこにも傷がないし」
両手を大きく広げて、その体を見せてくるシリウス。
確かについさっきまで流れ出るように出ていた血は止まっている。
なによりも今、目の前にいるシリウスはぴんぴんしているのだ。
「無傷なのか? どうやって一角鳥を倒したんだ?」
「それが、僕もよく覚えていないんですよ」
「お、覚えていない?」
少し恥ずかしそうに、頭をかくシリウス。
「ええ。戦っていたことは覚えているんですよ。でも途中から、記憶がなくって……」
「どこまでだ? 一角鳥がお前の剣に噛みついてきてたよな?」
「はい。逃げ切れると思ってたら、ものすごいスピードで追いつかれて。なんとかバスタードソードで反撃はしていたんですが、相手もなかなか速くて」
「で、どうなったんだ? その、角で腹を刺されたんじゃないのか?」
俺は血だらけではあるが、まったく無事なシリウスの腹をのぞき込む。
「だから、刺されてたら死んでますって。でも……」
「でも?」
「気が付いたのが本当にさっきなんです。荷台で倒れていて、ケンタさんがなぜか泣いてて。僕もどうやってモンスターを追い返したのか覚えてないんです。倒したのか、逃げていったのかさえも」
シリウスは記憶をたどろうと頭を触るが、本当に思い出せないみたいだった。
「お前、バスタードソードは?」
「それもわからないんです。途中で落としてしまったのかも?」
「じゃあ、本当に、お前は死んでないんだな?」
俺は最後に念を押す。
「だから、生きてるじゃないですか」
「体におかしいところもないのか?」
「いえ、むしろ勇者と戦った後よりも、元気ですね。すっかりあの時の疲れも取れたというか」
どうやら勇者クロスとタイマンを張って敗れたことは覚えているらしい。
一角鳥との戦闘の途中から、記憶がすっぽりぬけているようだ。
戦闘ハイにでもなって、記憶が飛んでしまったのか?
「あ、そういえば……」
「な、なんだ?」
シリウスが何かを思い出したように、腹に手を当てる。
「目が覚める前に、なんだかお腹が温かかったんですよ。なんて言っていいのかわからないんですけど、お湯をかけられているみたいな? いや、ちょっと違うな……」
うまく説明できないといったふうに、シリウスが首をかしげる。
「温かかったって? やっぱり、俺の手から出た光が、お前の腹に入っていったんだよ! それで傷口がふさがって、お前は生き返ったんだって……?」
自分で言っていて、意味不明であった。
俺が出した光?
シリウスが生き返った?
「そんなバカな。何言ってんですか、ケンタさん?」
「……だよな? 俺は何を言ってんだ?」
シリウスが死んで、俺が生き返らせた?
そんなわけあるか。いくらここが異世界だからって、そんなことが起こるはずがないじゃないか。
ましてや、何のスキルもない俺が……。
あの俺の手のひらから出た光も、きっと何かの間違いだ。
「でも、ケンタさんに助けられたのは本当ですよ。逃げ切れたのは馬をきちんと操縦してくれたケンタさんのおかげですから。まともに戦って勝てた相手じゃありませんよ」
「俺はただ、戦ってお前を助けることもできないから必死で逃げただけで……。逆に助けられたのは俺のほうだよ」
結果として、俺たちはこうやってハローワークに帰ってこれたのだ。
シリウスの身に何があって、俺が何かを起こしたのかどうかは、わからない。
「お互い、助けられたってことでいいじゃないですか。だって僕たちは相棒でしょ?」
シリウスが、ふふっと恥ずかしそうに笑った。
「ああ、そうだ。家族であり、相棒だ」
お互い、無事だったことが何よりなんだ。
そう思おう。
今こうやって、生きていることがすべてだ。
「そうですよ。お互いにできることをやって、助け合っていければいいじゃないですか」
「そうだな。よし、じゃあ家に帰ろう」
「帰りましょう、家に!」
俺は馬を引き、シリウスと二人で歩き出す。
俺たちの家、異世界ハローワークへ。
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