吸い込まれるように裏の世界とダジュームをつなぐワームホールに飛び込んだ俺とペリクル。
どういう構造になっているのか、俺にはわかるはずもないがとにかくホールの中はいわゆる無重力状態のような感覚に陥った。
どちらが上で下かもわからず、だが風に乗るように俺の体は流されていく。空間の狭間、というのは俺の経験では説明ができないものだった。あの妖精の森に行ったときは完全に気を失っていたし、今は何もないトンネルをただ滑り落ちているようなものだった。生きているのか死んでいるのか、俺はどこへ行くのか、俺は何者なのか。そんな疑問が浮かんでは消えていく。すべては虚無といっていいのだろう。
ただ、背中には俺の背中を掴むペリクルの感触だけが、俺がここに存在しているという実感を与えてくれた。
刹那、景色が開けた。いや、目の前に光が広がったというか、視界を捉えられるようになった。
夜であっても明るいその景色は、山の中だった。俺は意識せずに地面に降り立っていた。反射的に振り返ると、俺が今出てきたであろうワームホールが口を開けて存在していた。
「着いたわ」
いつの間にかペリクルは俺の背中から下りていた。
「ここは、どこだ……?」
空を見上げると、空は夜だが月が見える。裏の世界と違って、ここがダジュームだと教えてくれる。
見渡すと、木々に囲まれた、山の中。
「お疲れ様です。ここにサインを」
と、声をかけられる。ああ、さっきペリクルが言っていたワームホールを守る門番かと振り返ると……。
「ぎゃぁぁぁぁ!!!」
俺は思わず尻餅をついた。尻尾がぐにゃりと曲がった。
だって、そこにいた門番を、俺は知っていたから。いや、知っていたというか……。
「キラーグリズリー!」
そう、その門番はあのキラーグリズリーだったのだ!
俺が【薪拾い】スキル習得のために毎日せっせと薪を拾いにいっていたあの裏山で出現するという夜行性のモンスターだった。
昼間は出会うことがなかったが、俺は一度だけ襲われたことがあるのだ。あのときのモンスターに間違いない!
そのときはジェイドに助けられたのだが、キラーグリズリーは倒されたはずでは? なんで生きてんの?
「あれ、お兄さん、どこかでお会いしましたっけ?」
デーモン姿の俺を見下ろすように、キラーグリズリーがファイルを片手に首をかしげる。
今はなぜか左腕に「門番」という腕章をつけて、まるで役人のような対応をしているのだ!
やっぱり、あのとき俺を襲ったキラーグリズリーだよな?
「あの、俺……」
「こいつ、ダジュームに来るのは初めてだから、会うのは初めてのはずよ。じゃ、サインしといたからね!」
ペリクルがごまかすように、書類をキラーグリズリーに渡している。
そこには「ペリクル」と「デモケン」という名前が書かれていた。俺はもうデモケン確定なんですね?
「そうですか? なんか、どこかでかいだ匂いなんだよなぁ……」
キラーグリズリーは俺に鼻を向けてくんくんと動かして見せた。
俺が襲われたときのあの凶暴さはまったく見えず、俺も戸惑ってしまう。モンスター相手だとこうも対応が違うのか?
いや、ちょっと待てよ。あのキラーグリズリーと同一モンスターだとしたら、ここは……?
「じゃあ、私たちは行くわよ?」
「ああ、どうぞ。魔王様の監視業務でしたら、問題ありませんのでどうぞ!」
ぴしっとペリクルに敬礼をするキラーグリズリー。
「ほら、ぐずぐずしないで。行くわよ!」
「え、俺? はい!」
すたすたと歩いていくペリクルに、俺もついていく。
「お気をつけて! 初めてのデモケンさんは人間の襲撃には注意してくださいね! ダジュームはモンスターには厳しいですからね!」
キラーグリズリーの言葉に俺はなんだかもやもやするが、さっさと山道を下り始めた。
「あなた、自分がアイソトープだってバレたらダメなのよ? バカなの?」
俺とは目を合わせずに、ペリクルがきつめの口調でひそひそと話す。
さっき俺が正体をばらしかけたことに釘を刺しているのだ。
「じゃあやっぱり、あのキラーグリズリーは?」
「そうよ。あなたが襲われて、ジェイド様が助けたときの」
あのときのことは当然ペリクルも魔王城で監視していたのだろう。
「だってあのキラーグリズリーはジェイドが真っ二つにしたじゃないか? なんで生きてるんだよ?」
「……何もわかってないのね? あのキラーグリズリーも魔王様側のモンスターなのよ。無暗に人間を襲ったりしないわ。あなたがふらふらワームホールに近づいたのが悪いのよ。それを警告しただけ」
「俺が、ワームホールに……。てことはやっぱりここは?」
一気にこの山の中の風景に親近感がわいてくる。
「俺が薪拾いをしていた裏山なのか?」
「そうよ。やっと気づいたの? あなたは薪拾いの最中にワームホールに近づいて、警告を受けたのよ。そこにジェイド様がやってきて、一芝居打ったってわけ」
「キラーグリズリーが夜行性っていうのも、ワームホールが夜にしか開かないことと関係があったのか? ていうか、俺はこんな危険なところで毎日薪拾いをしていたのか?」
いろいろと合点がいき始める。なんという伏線回収だろうか。俺も夜行性のキラーグリズリーのことなんてすっかり忘れていた。
ていうか、まさかハローワークの裏山に裏の世界とつながるワームホールがあったなんて!
「魔王様側のモンスターは無暗に人間を襲わないのよ。ちょっと脅かしてワームホールに近づけないようにするのがあの門番の役目よ。あのキラーグリズリーもなかなかの役者だから、ジェイド様にやられて死んだふりするくらい簡単よ」
「そうだったのか……」
キラーグリズリーもこの山で俺が毎日薪拾いをしていたのは迷惑だったんだろうなぁ。
しかしこの裏山にワームホールがあるなんて、シャルムは知っているのだろうか?
いや、知っていて俺をここに薪拾いに来させていたとしたら、鬼ではないか? いや、シャルムならやりかねん!
いろいろと真相が見えてくると、シャルムと魔王とのつながりがうっすら見えてきてしまうのだが、どういうことだろう?
魔王の部屋に俺をワープさせたり、魔王からオファーが来たり、そしてハローワークの裏にワームホールがあったり……。
ぜんぶ偶然なんだろうか? そりゃそうだよな。……そうに決まってる。
「で、どこへ行くんだ? ホイップの居場所にあてはあるのか?」
俺は自分の中の迷いを打ち消すようにペリクルに尋ねる。
ホイップは俺を探してどこかへ旅立ったらしいのだ。まさかその俺は今やデモケンとしてデーモン姿をしているとは思うまい。
「ハローワークよ。あの女から、ホイップの情報を掴んだって連絡があったの」
「あの女って、シャルムか?」
ついさっきまで考えていたシャルムの名前が出て、俺はむき出しの赤い目をさらに広げた。
「ジェイド様経由の情報なんだけどね。いいタイミングよ。ちょうど私たちがダジュームに来ることになったんだからね」
ペリクルは嬉しさを隠しきれずに、少し声が弾んだ。
確かにいいタイミングだ。
このダジューム行きを言い出したのは、ベリシャスだ。
まさかベリシャスとシャルムは直接つながっているのか……? まさかな。
「じゃあ俺たちがハローワークに行くことはシャルムも知っているのか?」
「ええ。あなた、今生の別れをしたはずなのに、すぐ戻ってくるなんてカッコ悪いわね」
「それを言うなよ……」
確かに、一週間ぶりのハローワーク帰省は想定外すぎる。
もう二度とダジュームには戻れないと思っていたのに、早すぎる帰還である。ま、いいことなんだけど。
山を下っていくと、見慣れた風景に俺はつい頬が緩む。
アイソトープとして転生してきて、ここで薪拾いを続けていたときは想像もできなかったよな。
あのときは毎日がモンスターに襲われないようにとドキドキの日々だったが、今や俺はデーモン姿で魔王の執事をやって、勇者に命を狙われている。
なんかもう日常のレベルがインフレしすぎて、ちょっとやそっとのことじゃ動じなくなってしまっている。
人生何が起こるかわかんねーよな?
山を抜けると、すぐにハローワークに着く。
ペリクルがトントンと、意外にも礼儀正しくドアをノックする。すると中から出てきたのは、シャルムだった。
「あら、あなた?」
「ジェイド様からホイップのことを聞いて、やってきました」
恭しく頭を下げるペリクル。仕草も人間にしか見えない。
「この前の妖精ね?」
「はい。魔王様よりダジュームで活動しやすいように【変化】の魔法をかけてもらいました」
「なるほどね。妖精でも目立ってしまうから、懸命だわ。まあ入って。で……」
シャルムは後ろにいる俺を見て、眉間に皺を寄せた。
「アレはあなたの使い魔? あんなモンスター臭いデーモンは首にひも撒いて、外で待たせておいてね。事務所がクサくなるから」
散々な言いようである。モンスターに対して思いやりはないのか!
「シャルム! 俺だよ! ケンタだよ!」
デーモン姿なのは仕方がないので、今やケンタであることの数少ない証明である左腕の腕輪を見せつけ、必死に自己アピールをする。
「は? 息がクサいので喋らないでくれる? 消毒液ぶっかけるわよ。さ、あなただけ入って」
と、ペリクルだけを事務所に入れようとする。相変わらずドSだな!
「あの、あれはデモケンといって、一応はケンタの世を忍ぶ仮の姿なんですが?」
さすがにペリクルも同情したのか、俺をフォローしてくれる。
ある意味、シャルムのほうがモンスターよりも非道である。ベリシャスの協和の精神を少しは見習ってほしい。
「わかってるわよ。ちょっとからかっただけよ。あなた、そのデーモンのほうが強そうじゃないの。ずっとそれでいたら?」
「絶対嫌ですよ! 一週間だけの期間限定デーモンなんですからね!」
クスリと悪い笑い方をするシャルムに、俺は言い返す。
「じゃ、中に入って。デモケンはちゃんと足の裏を拭いてから入るのよ!」
俺は散歩帰りの犬か!
かくして俺は一週間ぶりに、ハローワークに戻ってきたのだった。デーモンで。
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