ハローワークの裏山にある、ダジュームと裏の世界を繋ぐゲート。
こっちに来るときはあのキラーグリズリーに怪しまれてしまったが、今度は魔王軍でも幹部クラスのジェイドが一緒なもんだから対応が天と地の差だった。
「ジェイド様、裏の世界へお戻りですか! こ、こちらの二人は……?」
でかい図体を折り曲げるように小さくして、ジェイドに対応するキラーグリズリー。
そういえば、ジェイドには一度殺されるふりをしているのだ。実力の差も圧倒的なのだろう。
「ああ、一緒に帰る。ゲートを開けてくれ」
「は! かしこまりました!」
普段は夜しか開かないゲートだが、ジェイドに頼まれては断ることもできない。パワハラとかコンプライアンスとか大丈夫なの、と思うが魔王軍の心配をしている場合ではない。
キラーグリズリーは言われた通り、閉じているゲートの真ん中の小さな穴に手を突っ込み、力でこじ開けていく。すると目の前に、ブラックホールのような穴が現れた。
「では、帰るぞ」
ジェイドは慣れたもので、なんの躊躇もなくその穴に飛び込んだ。
「ほら、あなたも行くのよ」
背中に乗るペリクルに頭を叩かれ促される。
「……ああ」
俺は一度森の中を振り返る。
この一時的なダジュームへの帰還はホイップを探しに来ることが目的ではあったが、思わぬことがいろいろ起こってしまった。
シャルムは相変わらずだったし、カリンはアレアレアでガイドとしての夢をかなえようとしていた。
それにシリウスは念願の勇者パーティーに入っていたし、だけど勇者クロスのことは俺はあんまり好きじゃない。
ホイップを見つけることができて、ペリクルとも再会させることができた。
そして、あのランゲラクとも遭遇してしまった。
数日間の滞在だったけど、俺にとってはこれからの道が見える有意義なものであった。
それは希望だけではなく、もちろん絶望に近い感情も芽生えてしまったのだが……。
だけど、俺がこれから向かう未来がはっきりとした。
「絶対に帰ってくるからな」
俺はダジュームにしばしの別れを告げ、ゲートへと飛び込んだ。
ダジュームと違い、裏の世界の空はいつも真っ暗だ。
朝とか夜とか、きっとそんな時間の概念もないのだろう。ダジュームでは四季があったが、この世界ではそんな季節の変化を楽しむ余裕がある者はいない。
ここはモンスターが住まう世界。
空を飛んでいるだけで肌にまとわりつく嫌な空気が、鼻につく血の匂いが、どこかから聞こえる雄たけびが、俺のテンションをぐんぐんと下げていく。
「ああ、もう帰りたい! こんなとこヤダ!」
思わず本音がはみ出してしまう。
さっきの決意はどこへやらである。
「何言ってんのよ。しっかりしなさいよケンタ」
背中でしがみついているペリクルにまたぱちんと頭をはたかれる。
「こんな世界で生活するなんて、俺の理想とかけ離れてるよ! 俺は転生してきてからずっと、スローライフを送りたいと思ってるのに、なんだよこの魔界みたいな世界は! 思ってたのと違う!」
「そりゃあんたが【蘇生】なんてスキルを持ってるのが悪いんでしょうが。スローライフはもう諦めなさい」
「諦められるかよ! ていうか裏の世界ってなんだよ! こんなとこで平穏な生活が送れるわけないじゃん!」
俺は魔王城へ向かって空を飛びながら、駄々をこねた。
こんなことならばずっと裏山で薪拾いをしておくほうがずっと健康的だった。
「この世界がなかったら、人間もモンスターもごちゃ混ぜだったからもっとカオスだったはずよ。そもそもケンタがもともといた世界と同じようなものじゃない」
「俺のもといた世界と同じだって?」
ペリクルがこれまで考えたことのないことを言ってきた。
「そうよ。たまたまダジュームとこの裏の世界が繋がってるだけで、ケンタの世界もどこかにあるんでしょ? 繋がっていないだけで」
「そりゃそうだけど……。でも、俺の世界へはもう二度と戻れないんだろ?」
俺だってできることならば元の世界に戻りたい。この裏の世界に来るように、ゲートをくぐって行き来できればどれほどよかっただろうか。
「ケンタの世界がどこにあるか分かんないしね。この裏の世界とダジュームがたまたま繋がってただけで、あんたの世界も無限にある世界のうちのひとつなんだから」
魔王城へ飛んでいる道中、ペリクルとの会話は思わぬ方向へ向いていく。
それはこの世界の謎についてだった。
「こういう世界が無限にある?」
「そうよ。妖精の森だって、いわば別世界じゃない? シャクティ様の能力によってダジュームと繋がってるだけで。きっとこんな世界が私たちの知らないところにいっぱいあるのよ」
「じゃあ別世界と繋がる方法さえ見つかれば、俺も元の世界に帰れるかもしれないってことか?」
それは俺がアイソトープとして転生してきた瞬間からの、永遠の願いでもあった。
「でもアイソトープは、元の世界で死んじゃってるんでしょ? それでシャクティ様が魂だけをダジュームに引き寄せたんだし、帰る体がないじゃない? 今さらそんなこと言ってるの?」
「そ、そうだった……」
これはハローワークに連れていかれたとき、シャルムに最初に言い聞かせられたことだった。
アイソトープとは魂だけが転生してきた存在で、元の体は死んでいるのだ。万が一、魂だけが戻ったとしても、それはいわゆる地縛霊みたいなものになってしまう。
「でも俺は死んだ記憶がないんだよなぁ……」
同時期に転生してきた仮にゃシリウスは自分が死んだときの記憶がはっきりと残っていた。だからかもしれないが、このダジュームへの転生もすんなり受け止めることができていたのだ。
だけど俺にはその記憶がない。シャルムからは突然死だったんじゃないかと言われたが、いまいちピンと来ないのだ。
「じゃあ死んでいないんじゃないのか?」
前を飛んでいたジェイドが話に加わってきた。
「でも死んだから、シャクティに魂を引っ張られたんだろ? で、妖精になれなくて、こうやってアイソトープに転生したって……」
「死んだとき以外の記憶はあるんだろ? 一生において死の記憶ほど強烈なものはない。その記憶がないということは、死んでいないんだろう」
ジェイドがこれまで俺が必死に納得しようとしてきた事実を、簡単にひっくり返すようなことを言い出した。
「でも死んでないのに、魂だけを呼ばれるっておかしいだろ? シャクティのミスってことか?」
「シャクティ様がミスなんてするわけないじゃないの! 馬鹿なこと言いなさんな!」
ベチベチと俺の後頭部を乱打するペリクル。
確かに生きてる人間の魂を引っ張ってダジュームに転生させるってヤバすぎる。カリンやシリウスは自分が死んだって確信があったし……。
「何かのはずみで体と魂が離れてしまった瞬間に、シャクティの【転生会】が行われた可能性がある。あれも一種のスキルだからな」
「そんなことありえるのかよ? 体と魂が離れるって? 死ぬ以外に?」
「幽体離脱とかがそうじゃない?」
ペリクルが思いついたことを投げてくる。
「そうだな。あとは金縛りとか、夢遊病なんかもそのケースと言える。体は眠った状態のままで、魂だけが離脱する現象は往々にある。就寝時にこそ起こりやすいことだ」
「ね、寝ているときに……?」
俺は全身に鳥肌が立った。
俺の最後の記憶は、寝るために自分の部屋でベッドに入ったときだった。
これまでも朝起きると知らず知らずのうちに服を脱いでいることが多々あった。無意識のうちに暑くて脱いでいたんだろうと思っていたし、現にダジュームに転生してきたとき、俺は真っ裸だったのだ。
それって、俺は寝ている間に魂が離れていたってことなのか?
もしかして、夢遊病だったってこと?
「ちょっと待てよ? もし、もしもだぞ? 俺が夢遊病だったとして、その瞬間に魂だけこっちに呼ばれたとしたら、どうなるんだ? 俺は俺の体に戻れるってことなのか?」
「まだお前の世界にお前の体が残っていればな」
気持ちが粟立っている俺とは裏腹に、ジェイドはいたって冷静に答える。
死んではいないけど魂がない状態とはどういう状態なのだろう?
息はしているけど目覚めないってことは、植物状態になっているとしたら?
俺の体はまだ魂がない状態で生き続けているんじゃないのか?
「じゃあ元の世界に戻れれば……」
「どうやって戻る? お前の世界はどこにあるかもわからないし、そこに戻る手立てもない」
新しい可能性に気づいた俺に、ジェイドの容赦ない正論を食らってしまう。
ただの机上の空論であり、戻る方法がない状態ではどうしようもない。
「でもさ、シャクティも他の世界から魂だけでも引き寄せられるってことは、逆もできるんじゃないか? 可能性はゼロじゃないだろ?」
「シャクティの【転生会】については、彼女のスキルによるものだ。始まりの妖精であっても、他の世界から無作為に魂だけを呼び寄せることが限界だろう。おそらく無数にあるほかの世界へ送ることは難しいだろう」
「じゃあさ、この裏の世界とダジュームを繋げるゲートはなんだよ? こんなの誰が作ったんだよ?」
「これは先代の魔王様が作られたものだ」
「先代? ってことはベリシャスの兄貴ってことか? じゃああいつも他の世界へ行くゲートを作れるかもしれないよな?」
「おい! 魔王様をあいつなどと……」
「よし、早く魔王城に帰るぞ! ベリシャスに詳しいことを聞いてみよう!」
俺は羽を羽ばたかせ、スピードを上げた。
「何よ、さっきまでダジュームに帰りたいって言ってたくせに!」
ペリクルの不満を無視して、俺は浮ついていた。
もしかしたら、俺は元の世界に戻れるんじゃないか?
一度はあきらめた淡い希望が、再び俺の心の中で戻り始めたのだった。
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