「ここは……?」
シャルムとホイップにつれられてその部屋に入ると、雰囲気が一気に変わった。
さっきまでいた簡素なオフィスのようなリビングとは違い、連れられて入ったこの部屋は一面レンガ造りで、壁にはいたるところに剣や斧、槍や弓がかけられているのだ。武器だけじゃない、鎧や兜なんかもある。
「ここは武器庫よ。一応、見といてもらおうと思って」
部屋の真ん中には丸いテーブルがあり、その向こう側でシャルムが意味深な顔をしてこちらを振り返る。
これはまさにファンタジーRPGの武器屋の雰囲気だ。
「……なるほど、やはりそういうことですね」
この状況と空気、これは考えるまでもない。さっき予想した通りだ。
やはり俺は魔王と戦うためにこの世界にきたのだ!
この武器を取り、ダジュームのためにこの身を削り、俺は特別な存在のアイソトープとして、魔王と戦うことになる!
異世界に転生する奴の運命くらいは、俺だって承知しているさ。
圧倒的なスキルや力をもって、ここに転生してきたはずなのだ。それがアニメなんかでよく読む転生の常識というやつだ。
チートだと揶揄されようとも、きっと俺の中には壮大な力が秘められているということ。異能に目覚めているに違いないのだ!
俺はこの力を使って、この世界を救う存在……、勇者として!
俺は壁の剣に手を伸ばそうとした。勇者として戦いの中に身を置く覚悟の表れである。
「ちょっと、勝手に触らないで!」
「ギャ!」
バチン、とその手をシャルムに叩かれた。
「ド素人がそんなもの触ったら怪我するわよ。ほら、ここにサインして!」
「ド素人って……」
赤くなった手の甲を擦っていると、シャルムがテーブルの上を指さした。
そこには一枚の紙が。
「な、なんですか、これ?」
テーブルに近寄り、その紙に目を落とすとそこにはこう書かれていた。
『異世界ハローワーク契約書』
「い、異世界ハローワーク?」
あ、そういえばこの建物に引きずり込まれるとき、そんな看板が見えたような……?
「ここはラの国から委託されていうハローワークよ」
俺はその契約書とシャルムの顔を交互に見る。
「ハローワークって、職業安定所のことですよね?」
失業したら次の仕事を探すために行くところだ。新しい仕事を斡旋してくれる場所。
そのハローワークが、魔王とどう関係があるのだ?
なんだか職安と聞くと、一気に現実味が増してくるのが不思議だ。
「そ。ラの国に転生して来たアイソトープは一括して私と契約することになっているの」
トントンと書類を長い爪で叩くシャルム。
「け、契約、ですか? なんのために?」
「さっさとサインして。忙しいのよ、私も!」
なぜかキレ気味のシャルムに、俺は少しカチンときた。
ダジュームを救いに来た勇者の俺に向かって、態度がちょっと上からすぎないか?
さっきから変態呼ばわりして、往復ビンタだぜ? ここに来て助けられたとはいえ、俺の扱いが雑すぎる気がする。
なんだかいろいろと思い返すと次第に腹が立ってきた。
「それが勇者にお願いする態度ですか!」
さすがに俺もこの態度にイラッとして、ドン、とテーブルに手をついた。
シャルムと、ふわふわ浮かんでいたホイップもこっちを向く。
「何がさっさとサインしろ、ですか。世界を救うのは俺なんでしょ? 魔王を倒してくれって、お願いするほうじゃないんですか、あなたがたは!」
あまりにもぞんざいな扱いに、俺はつい大声を出してしまった。
この一連の接待は、アイソトープとして異世界ダジュームを救いに来た勇者に対してあんまりではないか。これでは俺もやる気をなくすぞ!
これにはシャルムとホイップも驚いたのか、まるで反省しているように肩を落とし、眉を下げ、もじもじして、俺に謝罪を……、ということはなかった。
「なんですって?」
シャルムの声は、鬼のそれだった。
カツンとヒールを響かせて大きく一歩を踏み出し、俺の胸ぐらをガッツリ掴んだ。
「え? え? なんで?」
首元のマントをものすごい力で掴まれ、ぐいっと持ち上げられる。俺のかかとが浮き、かろうじてつま先で地面を感じている。なんて力なんですか、シャルムさん?
「誰が勇者ですって? 世界を救う? はぁ?」
「く、くるしい……」
いつの間にか、俺は宙に浮いていた。
そしてシャルムのその鬼気迫る顔は、冗談ではなかった。
「ギャッ!」
急に胸ぐらを離され、俺は無慈悲にも床に落とされ尻もちをついた。
「ケンタ。あなた、ちゃんと資料を読まなかったの? もしくは読んだうえで勇者になるとか言い出せるような残念な理解力なの?」
俺を上から睨み付けてくるシャルム。
あの資料はちゃんと読んだというか、流し読みというか……。
「じゃ、じゃあこの武器はなんなんですか? 勇者は言い過ぎたかもしれませんが、アイソトープの俺に、魔王やモンスターと戦えってことなんでしょ? 異世界に転生してきた俺にはなにか能力があるんじゃないんですか? アイソトープにしかない、最強の力が!」
俺はプルプルした拳を握って見せる。
それが俺が転生してきた理由であると、考えた末にたどり着いた答えだった。
「はぁ……。想像力が豊かというか、妄想が過ぎるというか、考えすぎというか……」
さっきまでガチギレだったシャルムの顔が、今度は一転、呆れ顔。腕を組んで、まるで蔑みの視線を俺に落としてくる。
「シャルム様……」
妖精のホイップまでもが、哀れな表情で俺を見ている。まるで雨の中に捨てられた子猫を見る目!
「え? 俺は勇者になって魔王を倒すためにここに転生してきたんじゃ……ないんですか?」
転生したことによって、なんか圧倒的なスキルを手に入れてるんじゃないの、俺?
なんかこの腕からすごいカッターが出たりするんじゃないの? ケンタカッターみたいなやつで、ズバズバッと?
もしくは最強の魔法を使えるとか……? あ、目からビームなんか出しちゃったりは?
「て、転生ってそういうもんでしょ? え、違います? 違うんですか?」
シャルムは天を仰ぎ、ホイップはうなだれている。
さすがに俺も空気を読みなおした。
どうやらこのキンキンに冷め切った空気を見ると、どうやら違うらしい。
「……違うんですね? 違うんだ?」
俺は折れた。パッキリと。
どうやら俺の目からケンタビームが出るわけではなさそうだ。
「分かっていないようだからもう一回説明してあげる。このダジュームに転生してくるアイソトープは年間で数百人ほどいるの。何も分からずこの世界に放り出されて、その多くがどうなると思う?」
アイソトープが俺だけでないことはさっき彼女も言っていた。
確かに全員が全員、勇者になっていたら勇者で世界が溢れてしまう。勇者のバーゲンセールである。
「ど、どうなるんですか?」
「まずは半分が、転生してきた瞬間にモンスターに殺される」
「こ、殺され……」
一瞬、背中に冷たいものが流れた。
「ケンタさんはラッキーだったんですよ? 転生してきたのが街の中でしたから。モンスターがいっぱいいる洞窟や森の中だったら、一瞬で死んでましたよ! 誰にも転生したことなんて知られずに、跡形もなくぺろりと食べられちゃってました!」
ホイップが俺を指さしながら、恐ろしいことを明るくしゃべる。
アイソトープはただでさえモンスターを引き寄せる匂いを放っているのだ。さもありなんである。
「転生してくる場所は選べないからね。で、運よくあなたは1/2の生存確率を切り抜け、無事に私に保護された」
「あ、ありがとうございます……」
俺はなぜかお礼を言ってしまう。
ラの国に転生してきたのがラッキーだと言っていた意味が分かった。
もし魔王の城の近くにでも転生してたら恐ろしいことになっていた。くわばらくわばら……。
「勇者とか、世界を救うとか、マンガみたいなこと言ってたけど、保護されなければ、ひとりで何もできない存在がアイソトープなのよ」
シャルムが腰に手を当て、首を傾けた。
「あなたがマンガで読んだような主人公と違って、アイソトープはこの世界じゃまったくの無力。当然なんのスキルもないし、異能も目覚めていない。もちろんチートなんてもってのほか。なんの役にも立たない存在ってコト」
「役に立たない……?」
この世界にもマンガという概念があるのだなあと思いながらも、シャルムの厳しい言葉に俺はさらされていた。同時に、俺は自分の運の良さだけを把握させられる。
確かにモンスターに襲われて勝てる気はしないし、高校の体育の成績も2なのに冗談でも勇者などと口走ったことが、猛烈に恥ずかしくなってきた。
「今のあなたは魔法も使えないし、ダジュームの住人より身体能力も圧倒的に劣る。転生したからといって能力が覚醒することもない。あなたたちはただの生まれたての赤子同然よ。しかもモンスターに狙われやすい匂いをもっている」
シャルムは辛辣に、事実だけを述べていく。
ついさっき、片手で持ち上げられたことからも、腕力ではモンスターどころかこのシャルムにもかないそうにないことは、教えられたところだ。
「だから、私たちが国に頼まれてアイソトープを保護して回ってるのよ。何もわからずにウロチョロされたら、モンスターを呼び寄せて迷惑だから」
俺は尻もちをついたまま、ぐっと拳を握りしめていた。
確かにモンスターと戦う力なんてあるわけがない。
ダジュームに来て、新しい能力に目覚めたような感覚なんかも一切ない。
俺は俺、ただの平凡な高校二年生の男子のままだ。
「それでもあなたは勇者になって魔王やモンスターと戦うって言うの?」
「……理解しました」
理解して、そしてへこんだ。
これが夢ならと最初思ったが、今もう一度、その気持ちが強くなってきた。
異世界で何もできない現実を突きつけられて、勇者になれるなんて想像した俺は、バカ以外なんでもなかった。
まるで自分が選ばれて転生した英雄であるかのように錯覚していた。
「ほらほら、ケンタさん! へこまないでくださいよ! シャルム様に保護されただけでも、ラッキーなんですから! 超運がいいですよ! ラッキーボーイです!」
がっくり肩を落とした俺の前に、ホイップが飛んできた。どうやら俺を励まそうとしてくれるらしい。もはや俺を褒める部分は運くらいなんですね。
「じゃあ、俺は何をするんですか? 邪魔だから殺されるんですか? ダジュームに不要な存在だから。ただモンスターを引き寄せるだけなら、いないほうがいいですよね?」
無力でモンスターを呼び寄せるだけの存在ならば、処理されるってことだ。
俺は自分の立場を考え、覚悟した。
「はぁ。悪い方に考えすぎよ。あなた、ほんと極端ね」
シャルムは軽く嘆息をつき、腰に手を当てた。
「こ、殺されないんですか?」
「あなた、私を悪魔だと勘違いしてない? さっきも言ったでしょ。あなたはここで生きていかなければいけないの、一人で。そのための異世界ハローワークなのよ?」
俺のへこみようを見て、シャルムも怒りを収めてくれたのかゆっくりと説明をしてくれた。
「じゃ、じゃあ、俺は何をさせられるんですか?」
「それをこれから探すんじゃないの。もう、時間がかかったわね」
と、シャルムは踵を返し、さっきのテーブルの上にあった紙を取り上げた。
「異世界ハローワーク契約書……」
俺はそこに書かれている文言をもう一度読み上げる。
「ここは異世界ハローワーク。あなたのようなアイソトープがダジュームで生きていけるように、ここでジョブを探してあげるの。あなたのスキルを見つけ出して、適切なジョブを斡旋して、一人で生活できるようにするのが目的の、職業安定所」
やはり俺が考えていたハローワークと、役目は同じようだ。
「俺のスキルを見つけて、ジョブを……?」
「そ。なんのスキルもない今のあなたを、必要最低限の生活を送れるようになるまで、ここで職業訓練をしてあげるってコト」
俺はなんとなく理解できてきた。
もはや自分が勇者だなんてうぬぼれることはなくなった。自分が無力だと分かってしまえば、モンスターと戦おうなんて露とも思わない。いや、むしろ絶対に戦いたくない!
元の世界で生活してきたように、ただ平凡に暮らしていけるに越したことはないのだ!
「アイソトープで生きていく術を、教えてくれるってことですね?」
「そういうコト。あらためて、私が所長の、シャルム・ヴァイパーよ」
長い脚を広げ、ふんぞり返るドSのこのお姉さんこそ、俺に仕事を与えてくれる異世界ハローワークの所長だった。
俺を勇者にするためでも、殺すために保護したのでもなかったのだ。
「さ、早くサインして。あなた一人に構ってられるほど、私は暇じゃないのよ!」
シャルムは机の上に、バチンとペンを置いた。
『異世界ハローワーク契約書』
これが俺、ケンタの異世界生活の第一歩になったのであった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!