今日の仕事を終えて洞窟を出ると、まだ完全に日は落ちておらず、ほのかに明るい。
この金鉱での発掘作業は途中休憩をはさんで毎日九時間。繁忙期には残業があると聞いているが、まだその時期ではないらしい。そもそも金の採掘で、忙しい時期などあるのだろうか?
洞窟からはいわゆるデンドロイの市街地までは少し離れていて、毎日送迎の馬車が出ていた。
「おい、ケニー。一杯行くか?」
馬車に乗ると、顔見知りの仕事仲間が声をかけてきた。
俺と同じくアイソトープのジョン。俺よりかはずいぶん年齢も上で、無精ひげがトレードマークの三十路である。かれこれここでは一年以上働いている、先輩だ。
「ジョンさん、俺、未成年ですから」
「固いこと言うなって。乾杯はオレンジジュースでもいいんだよ!」
グイっと肩を抱き寄せてくるジョンは、一日働いた汗のにおいがしたが、悪い気はしなかった。
「俺は今日は帰ります。留守番頼まれてるんですよ」
「ビヨルドか? またどっか行ってんのか?」
俺がビヨルドの家に居候していることは、ジョンも知っている。
ジョンは寮住まいで、この金鉱で働く者たちは出稼ぎ者が多いことから寮住まいがほとんどだった。
「三日ほど前からミの国に行商に行ってるんですよ。帰ってくるのは明日なんです」
「じゃあなおさら飲みに行こうぜ」
「だめなんですって! ネコにご飯も上げなきゃいけないし、アイテムの整理も任されてるんですよ……」
居候させてもらっているお礼に、俺はできだけ家事を手伝うことにしていた。ビヨルドは商人なので家を空けることも多く、俺は倉庫でアイテム管理なんかを任されている。
ビヨルドの留守中にもアイテムが納品されたり、お客が来ることもあるので俺が一緒に住んで助かっていると言ってもらえるのは、居候の身としては少しは気が楽になる。
「男の二人暮らしなんてするもんじゃねーな! ふはは!」
豪快に笑ったジョンは諦めたのか、また別の男を誘いだした。
気のいい同僚に囲まれ、最年少の俺はみんなによくしてもらっている。俺はこの金鉱での仕事には不満もない。
体力的にはきついジョブではあるが、もともと薪拾いで筋肉や持久力はついていた。若さという武器もあるので、いまのところ無理せず働けているのだ。
金鉱で働き始めて三か月。
あれ以来、俺の目の前にジェイドの影はない。
モンスターもこのソの国に来てから、一度も出会っていない。
うまく逃げることができたのだろうか。それとも魔王軍は俺を捕獲することを諦めたのだろうか。
どちらにしても、このまま平穏な日常が続けられるといいんだけど。
―ーそれともうひとつ。
シャルムが俺の失踪届を出したという連絡は来ない。
平穏な日々を送れるありがたさと同時に、自分がそう願ったにもかかわらず見捨てられた寂しさも胸の中に去来するのであった。
これでいい。これでいいんだ。
そう繰り返す毎日こそ、俺が望んだもの。
何も起こらない平坦な人生。
こんな生活が送りたかったんだ、俺は。
「よし、おつかれ!」
馬車はデンドロイの町の中心部に到着し、そこでみんなと別れて俺は家に帰った。
ビヨルドの家は一階が商店と倉庫になっていて、二階が住居となっていた。
ビヨルドが外商に出ている間は、店は閉められている。店にはデンドロイ産の金を使ったアイテムが所狭しと並んでいた。
二階の住居スペースも一人で住むには広いが、ビヨルドは数年前に離婚して、奥さんがここを出て行ってしまったらしい。
俺もその話は詳しく聞けないのでそれくらいしか知らないが、どうやら一人で住むのは寂しかったらしく、こんな俺でも歓迎してくれた。
裏口から入ると、すぐに買っている猫が「にゃあ」とご飯を催促にやってくる。
「はいはい、ちょっと待ってな」
この黒猫の名前はないらしい。勝手に住み着いただけだとビヨルドは言っていたが、それなりに愛着はあるようで、今は金の首輪がつけられている。もちろん本物の金がちりばめられており、俺の一月の給料よりも高いらしい……。
俺も元の世界では猫を飼っていたので、慣れた手つきで餌をやる。
「じゃあ俺は倉庫でアイテムの整理をしてるからな。それ食っとけ」
名もなき猫に声をかけ、俺は倉庫へと入る。
ビヨルドが扱うのは金を加工したアイテムで、装飾品が中心だが中には武器や防具もある。これを仕入れて、売るのがビヨルドのジョブだ。
ゴールドの鎧なんかは目が飛び出るような価格だが、いったい誰が買っていくのだろうか? 防御力よりも、こんな高価なもので戦うと気が気ではないだろう。
「ゴールドソードの検品をしとけって言ってたな」
箱に入って積み上げられているゴールドの金ぴかの剣を取り出し、不良品がないかチェックする。
「こんな剣、シリウスが見たら喜ぶだろうな」
俺は刃先に触れないように、光り輝く鋭利な剣を一つずつチェックする。
「きっと高いんだろうな。攻撃力とか、どれくらいあるんだろうか?」
ぶつぶつと独り言をはさみながら、頼まれていた仕事をこなしているときだった。
「攻撃力なんてたいしたことないわよ。そんなもん、成金趣味のオブジェでしょ」
「だよな。こんなもんで戦ったら、もったいな……」
「人間は趣味が悪いわよね。私、センスのない男は嫌いよ」
「……」
女の声がした。
声がした、というか俺と会話しているではないか。
俺は手に持っていたゴールドソードを落としてしまい、がちんと床にぶつかる音が鳴り響く。
今、この家には猫と俺しかいないはずだ。まさか猫が喋りだした?
んなわけない。異世界でも猫は猫だ。
「だ、誰だ?」
俺は倉庫を見渡すが、誰かいる気配はない。猫はご飯を食べて、目を細くしたまま床で丸まっている。
最初はビヨルドの別れた奥さんが帰ってきたのかと思ったが、そんな姿もない。
俺はすぐ間近で、声を聞いたのだ。
そんなすぐ近くに人がいれば、気づくのは当たり前で……。
「ハロー!」
今度はもっと近く、耳元ではっきりと声がして、俺は飛び上がる。
そして音のしたほうに首を向けると、そこにいたのは。
「よよよ?」
妖精だった。
俺は思わずよろけて、積まれていたアイテムの箱を崩してしまう。箱の中から小さな金のブレスレットが飛び出した。
「びっくりしすぎじゃない? うぶなアイソトープね!」
目の前にいたのは、黒髪ストレートでぴっちりとしたレオタードのような服を着て、腰に手を当てた妖精だった。
もちろん背中からは羽が生えて、パタパタと俺の目の前に浮かびながら、余裕の面持ちで俺がビビっているのを見て楽しんでいるかのようだった。
「妖精が、なんでここに?」
俺も妖精を見るのは初めてではない。
ていうか、この前まで一緒に住んでいた。
だがホイップ以外の妖精を見るのは初めてで、まさかビヨルドの倉庫で出会うとは思っていなかったのだ。
それにホイップと大きさは同じくらいなのだが、どこか雰囲気が違う。
俺の妖精のイメージは明るくて大雑把で態度のでかいホイップの印象が強いのだが、今目の前にいる妖精はどこか暗いオーラをまとっている。
どちらかというとこのオーラは、モンスターに近い。
ダジュームで数か月過ごしてきて、俺もこれくらいの違和感は初対面で持てるようになっていた。警戒するにこしたことはない。
「あなたに会いに来たのよ、ケンタ」
妖精が口にした俺の本当の名前に、ジッと口を結んで真面目な顔でにらむ。
なぜその名前を?
まさか、こいつ……?
「あらあら、警戒しちゃって。大丈夫よ、いきなり殺したりしないから」
ふふふ、と手で口を隠して笑う妖精は、さらっと恐ろしいことを言う。
だが冗談ではないことは俺でも分かる。
体はこんなに小さいとはいえ、アイソトープの俺が敵う相手ではないことくらいは。
「何しに来たんだ? どうやってここに入った?」
俺はこの妖精の目的をある程度察しながらも、けん制する。
ハローワークで雑用として働いている妖精もいるくらいだから、モンスターの手下になっている妖精がいてもおかしくないのだ。
俺はいよいよこの時が来てしまったのかと、スーツ姿のモンスターのことを思い出す。
「こんなところ、侵入するくらいなら簡単よ。何しに来たのかは、想像ついてるんじゃないの?」
妖精はアイテムの箱に腰掛け、すらっとした足を組み、挑発的に笑いかけてくる。
「まさか、お前……?」
まさか第二の刺客が妖精とは――。
だがこれが俺一人のときでよかったと思いながら、俺は床に転がっているゴールドソードに目をつける。
できればビヨルドさんに迷惑をかけたくなかったが、いざとなったら戦うしかない。
以前のジェイドのときみたいに、変な勘違いをして一方的にやられるわけにはいかない。さすがにこの妖精を元ヤクザのアイソトープとは勘違いしないだろうが。
ゆっくりすり足で後退しながら、いつでも剣を拾って攻撃できる態勢を整えていた時。
「ちょっとちょっと。あなた物騒なこと考えてるんじゃないの? こんなとこで無駄死になんてさせないから、落ち着きなさいって」
俺の行動をすべて読んでいるかのように、パタパタと手を振る妖精。
人を食ったような態度は、妖精独特の性格なのかもしれない。
だがこの妖精に俺と戦う意思は見えなかった。
「だったら、何をしに来たと聞いてるんだ!」
大きな声を出したので、店のほうから「にゃー」と猫が鳴いた。
「はぁ。興奮しないでよ。私はペリクル。ジェイド様に頼まれて、あなたを守りに来たのよ」
「ま、守りに?」
想像していたことと正反対の答えが返ってきた。
俺はその妖精の言葉が信じられずに、思わず床の上のゴールドソードの上に尻餅をついてしまう。
守る? ジェイドに頼まれてだって?
ペリクルと名乗った妖精は、動揺する俺に向かって蠱惑的に笑った。
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