このダジュームに転生してきて、異世界ハローワークに保護されたときの俺の願いは「まったりスローラーフ」だった。
この異世界は魔法と剣の世界で、勇者と魔王がいて、そこら中にモンスターがいる。
そんなハードな世界で自立して生きていくにはジョブが必要とのことだったが、俺はモンスターと戦うような危険な生活を送るつもりはなかった。
一緒に転生してきたシリウスなんかは、剣を持って人々の役に立つようにと戦火で生きる道を模索し、見事に勇者パーティーでの戦士というジョブを手に入れた。
俺はそんなジョブはまっぴらで、宿屋のフロントとか、牧場の経営とか、そういうまったり系のジョブを願っていたんだ。
だけどすったもんだがあって、今の俺はそんな第一希望のジョブを手に入れたかもしれない。
いや、そりゃ上司はあり得ない立場の人だし、公にしにくいそっち側の職種だし、後ろめたさがないとは言えないけど……。
とにかく、俺はジョブを得た。
魔王の執事というジョブ。
それはまったく予想だにしなかった、まったりスローライフジョブだったんだ。
あれはちょうど一週間前。
シャルムによってこの魔王城にワープさせられた俺が目覚めたのは、まさに魔王城の魔王の部屋だった。
例のごとくしばらく意識を失っていたようで、目を覚ましたのは高級そうな毛皮のソファの上だった。遠くに大きな玉座に座る一人の男がすぐに目に入った。
顔の半分を隠した仮面、漆黒の鎧。
圧倒的な存在感とオーラが、真空のように引き締まった部屋中を覆っている。
俺にでも感じる、まがまがしいオーラに、一気に目が覚めて鳥肌が立ってしまう。
その男が何者なのか、意識を失う前の記憶をたどるまでもなくすぐに直感する。
魔王だ。
「目が覚めたかい」
魔王が立ち上がり、玉座からこちらへ歩いてくる。
きちんとその言葉が聞きとれ、その姿もこの目でとらえている。
この真っ黒な男こそが、魔王軍を統べる魔王――。
「君がケンタだね。ようこそ、魔王城へ」
魔王に名を呼ばれる。やはり俺のことは知っているようだ。
無意識のうちに起き上がってソファの上に正座していたのは、魔王の前というプレッシャーだろうか。
カッカッと厳かな足音を鳴らせて近づいてくる魔王に、俺はちびりそうになっていた。
これまでの魔王の話は、平和主義だとか、争いを望んでいないとか、兄思いだとか、いろいろ聞いてはいるが本当かどうかはわからない。見た目だけではどう見てもあっち側の存在だ。堅気には見えない。
魔王軍として、このダジュームでモンスターを率いているのは事実なのだ。
兄を生き返らせたいなんていうのは嘘で、実はランゲラクと同じように俺の【蘇生】スキルが邪魔なのかもしれない。
俺をこうやっておびき寄せて、ここで殺すつもりかもしれない!
考えれば考えるほど、俺は身動き一つとれなくなる。
初対面の魔王を信じろと言うほうが土台無理な話だ。
「ま、魔王……」
目の前に立つ魔王に、俺はかろうじて言葉を絞り出す。
殺されるのか、俺に何をさせようとするのか。
魔王城において、俺の想像は限界を迎えて機能しない。
「私の名はベリシャス」
仮面によって口元しか見えない魔王が名乗る。
魔王にも名前があるのかと、そんな当たり前のことにも気づかされた。
「君にここに来てもらったのはほかでもない」
本題に入ろうとする魔王ベリシャス。
「君には私の執事をやってもらう」
「執事……」
それはシャルムにみせてもらった求人票に書かれていたことだ。
今になって魔王がハローワークに求人を出すなんて事態が異常である。そんなことを考えると、なぜか笑ってしまいそうになるが、目の前にいるその魔王の威圧に冗談を言えない。
「以前はジェイドがやっていたのだが、今はいろいろと事情があってね」
そのこともジェイドから聞いたことがある。
彼は今や、この魔王と内々で対立している参謀ランゲラクのもとで働いている。ランゲラクの鈴付け役らしいが、魔王軍もいろいろあるみたいだ。
「大体のことはジェイドから聞いているよね? 現在のダジュームの状況と、君の立場も?」
「大体は……」
「よかった。物分かりがよくて助かるよ」
魔王と話しながら、俺は違和感に気づいていた。
なんともこの魔王、物腰が柔らかいのだ。見た目に寄らないとはこのことだ。
魔王軍のトップならば恐怖でモンスターたちを支配していると思っていたのだが、こうして向かい合うとそんなことはなさそうなのだ。
確かに威圧感や存在感は半端ない。どす黒いオーラも、ジェイドのそれとは比べ物にならない。きっと俺なんか息を吹きかけられるだけで全身の穴という穴から血を噴き出して死んでしまうだろう。実力だけで言うと、それは間違いない。
だが、この魔王はそんな恐怖政治を敷いているとは思えないのだ。
それは雰囲気? 怖いのは怖いけど、この人はそんなことをしないだろうという、根拠のない安心感。
なぜ俺はモンスターの総大将に安心感を持ってしまうのだろうか?
「じゃあ話は早いね。君は今ここにいるのが一番安全だ。ここなら誰も君に手出しをすることはできない。人間はおろか、モンスターもね」
魔王ベリシャス以外は、と俺は自分の心の中だけで付け加えた。
「ここは君がいたダジュームとは別次元、裏の世界とでも言っておこうか。人間どもは簡単にここへはたどりつけないし、ランゲラク軍もダジュームに滞在している今は、ここが一番安全だ」
「裏の世界……?」
まさか魔王城が別次元にあるとは思わず、俺は息をのんでしまう。
「そうだ。ここはモンスターだけが生きる世界。広さで言うと、ダジュームとちょうど同じだ。表と裏なので当然だね」
RPGとかでよく聞く話だ。まさかダジュームにもそんな場所があったとは……。
しかし、この裏の世界へ俺をワープさせたシャルムはなぜそんなことができたんだろうか?
「で、君への仕事だけどね……」
俺は頭の中を整理できないうちに、魔王ベリシャスが本題に入る。
「俺は何をすれば……?」
確かジェイドは執事として、魔王のためにダジュームを監視し、報告していたはずだった。
俺も同じようなことを?
「そうだね。ジェイドのように世界中を行き来するのは危険だし、アイソトープの君には難しいだろうね。そうだ、空は飛べるようになったんだっけ? それだけも自由度は高まるね」
割と多弁な魔王である。しかも身振り手振り、ジェスチャーも大きい。
俺の中で魔王というのは寡黙なイメージしかなかったので、これは意外である。
「この魔王城は今は私しか住んでいないけど、近くの城下町に下りるとモンスターがうじゃうじゃいて危険だしね。中にはランゲラクの派閥のモンスターもいるし、かれらに見つかったら大変だ。私の執事という手前、堂々と襲うことはしないとは思うが事故を装って殺すことはたやすいだろうからね。だから君にはできるだけこの城の中だけで生活してもらいたいんだ。多少窮屈かもしれないけど、快適さは保障するよ。ちなみに魔王城の敷地はドの国にあるドーキョードーム300個分くらいはあるからね。近くには山も川もあるので、自然の恵みもあるしね。それに食べ物も美味しいし、きっとアイソトープの君の口にも合うからその点は安心してほしい」
早口で俺の身を案じながらも、魔王城のスペックを説明してくれる魔王だった。
一気に親近感がわいてくるが、まだ油断してはいけないという俺の心のアラームが鳴り響く。
「私も君が来てくれるのをずっと待ってたんだよ。ジェイドはやはり同じモンスターだし、私のことを敬いすぎるきらいがあってね。いや、それはそれで悪い気はしないんだけどね。私がいいというまで部屋に入ってこないし、挨拶をしてもずっと跪いているしさ。ノリが悪いって言ったら彼は気を悪くするかもだけど、気を使われすぎるのもしんどいんだよね、魔王的に。もっとフレンドリーにしてくれないと、私も世間話すらできないんだよ。そんな毎日は退屈でさ。わかるだろ?」
俺は魔王のおしゃべりにあっけにとられていた。
本当に、この目の前にいるモンスターは魔王なのか?
これは壮大なドッキリではないかとの疑いがもたれる。
こんなノリノリで喋る魔王などいようものか。しかも初対面だし!
「やっぱモンスター同士だと上下関係ができて、仕方がないのかもね。その点、アイソトープの君なら私に引け目を感じることはないだろうし、同等の関係性で、ここはマブダチ感覚で……」
「いや、ちょっと待ってください! 魔王さん、ベリシャスさんって!」
俺は我慢できずベリシャスにストップをかける。
さっき目覚めたときの緊張感などどこへやら、俺は黙っていられなくなった。
これではここは魔王の部屋どころか、遊びに来た友だちの部屋ではないか!
「どうしたんだ、ケンタくん? あ、呼び方どうする? ケンとベリーとかどうかな? 愛称で呼び合うことで互いの距離感が縮まるよね」
「いや、そういう話じゃなくて……」
「聞いてくれる? ここのモンスターたちってさ、私のことを魔王魔王って、ちっとも名前で呼んでくれないんだよね。私にも父に名付けてもらったベリシャスって名前があるのに。そういうのって上下関係の問題だけじゃないと思うんだよ。信頼関係ってやつ? だから君は遠慮なくベリーって呼んでくれ。しくよろ」
「しくよろじゃないですよ。あの、ベリシャスさん?」
どんどんくだけていくベリシャスに、俺は試されているのかと、逆に怖くなってくる。
「あ、本当にベリーでいいよ。兄さんにもそう呼ばれてたから」
ベリシャスが兄のことを口に出し、俺は一瞬だけ胸の奥に緊張感が蘇った。
同時に、ベリシャスもそのことに気づいたみたいで。
「そうか、君は兄さんのことを気にしているんだね? ジェイドには言うなって注意しておいたのに」
ふと、窓の外を見るベリシャス。
「ベリシャスさんは、お兄さんを生き返らせるために俺をここに呼んだんですよね?」
俺ははっきりさせておこうと、核心に踏み込んでしまった。
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