「魔王様、あなたは優しすぎたんです。ダジュームと休戦など、そんな情けをかけてはいけません。モンスターならば、すべて力で侵略をしなければならないのです」
魔王軍の幹部、ギャス。
ハデスは思い出した。勇者が休戦を望んでいるという噂を最初に幹部会議で発言したのは、この男だったということを。そして勇者側との折衝をして、この会談を設けたのもこの男だった。
すべてはこのギャスが描いた絵――。
裏切り、いわゆる、クーデターである。
「ギャスよ。勇者と手を組んでどうするつもりだ? ウハネとやらも、そいつはダジュームを侵略しようとしているのだぞ?」
どう考えても利害が一致しないのだ。
勇者がギャスと組むということは、ダジューム侵略を呼び込むようなものだ。ダジュームにとって、それは毒と分かりきっているリンゴだ。
「魔王様、私が勇者に持ちかけたのはあくまで一時休戦です。とりあえずしばらく魔王軍側としては侵略をしない、という約束をしようと持ちかけたのです。そう、百年程度は」
そしてあとは説明してくれとばかり、ウハネを見るギャス。
ウハネがあとを引き継ぐ。
「僕は勇者になんて祭り上げられるのは迷惑だったんですよ。だってあなたたちに勝てっこないじゃないですか、どう考えても。だけど世論は勇者を戦わせようとする。戦って、ダジュームのために死ねと言ってるようなもんですよ。モンスターと戦って死ぬことだけが、勇者の求められる結末なんです。勝てない戦ほど、バカなことはありません。見ているほうはエンターテイメントでしょうが、こっちは命がけですよ。どうかしてますよね?」
戦いたくないという目的はハデスと一致していたが、ウハネの言うそれは、まさに自分のためであった。
ウハネがどのようにして勇者になったかは分からない。祭り上げられた、と言うからにはウハネにとっては不本意なことだったのかもしれない。
だが、今のこの発言はハデスからしても勇者の資格はないように思えた。
「だからせめて僕が勇者の間は、モンスターと戦わなくてもいいようにしたいんですよね。ゆっくりと過ごしたいんですよ、僕は。スローライフっていうんですか? こんな鎧も着たくないし。だから僕が生きている間は休戦してくれる約束をしたんですよ、このギャスさんと」
「お前は自分が死んだあとはこのダジュームがどうなろうと関係ないと言うのか?」
「そりゃそうでしょ! 死後の世界を信じるほど、僕は頭イカれてませんよ! あ、僕は元の世界で死んだからアイソトープになったのか? ま、いっか」
なんという自分勝手で利己的な勇者だろうか。ダジュームの未来のことなど、一寸も考えてはいないのだ、このウハネという男は。
「この勇者が余生を全うして寿命で死ぬまでの、一時休戦ですよ。そのあとは堂々と侵略を再開できるってわけです」
「一時休戦をする意味がどこに……」
ハデスはギャスに聞き返そうとしたが、途中で確信を得た。
「魔王様、あなたが邪魔だったんですよ。あなたに任せておくと、永久にダジュームと休戦しかねないじゃないですか。それはモンスターの本懐を揺るがしますからね。ランゲラク様のおっしゃる通りですよ」
ギャスが肩をすくめながら、ハデスに物申した。
「お前はずっとランゲラクと組んでいたというわけか?」
「組んでいた、なんて滅相もありません。ランゲラク様こそ、モンスターの本来の存在意義を分かっていらっしゃる。先代魔王様の意志を受け継いでいらっしゃるんですよ。そうじゃありませんか?」
すべてはこのギャスと、ランゲラクたち侵略派の策したことだった。
ハデスが魔王である限りダジュームは侵略できないと悟ったランゲラクたちは、勇者側に一時休戦を提案した。戦いで死にたくない勇者ウハネはもちろんこれを受け入れる。
そして同時に、ランゲラク派は魔王ハデスの首までも同時に狙ってきたというわけだ。家族を人質に取ることによって。
これでハデスさえ亡き者にできれば、あとはウハネが寿命を全うするのを待って、ダジュームを侵略すればいいだけだ。人間にとって百年は人生そのものだが、モンスターにとって百年など一瞬で過ぎ去る。ランゲラクにとっては一石二鳥。
ハデスはまんまとその罠に落とされたのだ。家族ともども。
「話を戻しますけど、ここからはもう手荒なことはしたくないんですよ。できれば奥さんも娘さんもこのままお返ししたいんですよね。だって僕は平和主義ですから」
ウハネが半笑いで、床に横たわるミラとシャルムを指さした。
「私にどうしろと言う? 魔王を辞せと、そういうことか?」
ハデスは裏切りのギャスを睨みつけた。向こうがこちらのことが見えているかはわからないのだが。
「誠に僭越ではございますが、魔王様には死んでいただきたいのです」
ギャスがあっさりと言い切った。
「これはランゲラク様はじめ、侵略派の総意でございます。魔王様は魔王様の器にない、と」
頭からフードをかぶっているので表情は見えないが、口元から歯が覗く。
ハデスは予想はしていた答えだったが、かつての部下とは思えない発言に怒りが最高潮に達しそうになる。
その憤怒を押さえるのは、ただひたすらに家族の安否だけだった。
「魔王様が死ねば、これって僕の成果になるんですかね? だって現在のダジュームの勇者はぼくなわけじゃないすか?」
「そっちのほうの処理は勝手にやってください。あなたがダジュームを救った救世主になろうが、私たちは魔王様の死という事実さえあれば十分ですので」
「お、それいいじゃん? 勇者になった甲斐があったよね! これで俺は死んでもずっとダジュームの救世主として歴史に残っちゃうよ!」
ギャスとウハネの会話を意識の端で聞きながら、ハデスは策を練っていた。
ミラとシャルムのためならば、この命を犠牲にする覚悟はあった。
だが自分が死んだとしても、そのあとこの世界はどうなる?
おそらく魔王軍はランゲラク派の手中に落ちることだろう。シャルムはまだ若い。おそらく時期魔王には弟のベリシャスが推されることになるだろうが、実権はランゲラクが握るはずだ。この時点ですでに幹部連中の侵略派に根回しはしていることだろう。
ウハネとの約束を守るならば百年ほどは裏の世界で雌伏し、ウハネ死後に満を持してダジュームを侵略する。ランゲラクが描く絵は、これだろう。
勇者ウハネとしては自分が勇者のときに魔王が死ねば、自分の手柄となる。ダジュームを救った救世主として歴史に残り、余生をさらに盤石なものにできることだろう。
お互いの利益は守られているのだ。
だが、それはダジュームの人々にとっては最悪のシナリオだ。
百年後には、確実な滅亡が待っているのだから。
救世主と祭り上げた勇者に、実はダジュームを売られていたわけなのだ。
「ただ私たちでは魔王様を殺すことなどできません。モンスターが束になってかかっても、魔王様には傷ひとつ付けられないほどの実力差があることは明らかですので」
黙って考え込むハデスに、ギャスがしゃべりだす。
ギャスもバカではない。身の程は知っているらしい。そのためにミラとシャルムを人質に取ったのだ。
「ですので魔王様を殺せるのは、魔王様ご自身だけです。ご自害なさってください」
ギャスの言葉はもう、かつて使えた魔王軍の幹部としてのものではなかった。
彼の中ではもうこのクーデターが完全に成功したものとして、仇敵ハデスに向けられていた。
「でも表向きは僕が殺したことにするからね! 自殺よりかはダジュームの勇者に殺されたってしたほうが、かっこつくでしょ?」
ウハネは自分が救世主になるルートを見つけ出し、無邪気に喜ぶ。
ハデスはそれでも、突破口を探す。
ハデスが望むのは、裏の世界とダジューム、両方の安寧だ。モンスターも人間もともに暮らせる世界。共存の道。憎しみのない世界――。
その道を実現させるために今できることは、おそらくこの裏切り者ギャスと勇者ウハネを殺してしまうことだろう。
おそらくこの謀は、ダジューム側はウハネ単独の行動だろう。このウハネさえ亡き者にしてしまえば「勇者がモンスターに殺された」というだけで済む。裏の世界については、戻り次第ランゲラクを始め侵略派を処分していけばいい。
これは平和裏に事を進めていたハデスにとっては最終手段となるが、仕方がないことだった。
だが、そうもいかない理由がある。その理由ゆえ、ハデスは動けないでいる。
ミラとシャルムの存在だ。
こんな状況に落ちてしまった自分の浅はかさを、ハデスは猛烈に後悔するのであった。
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