この魔王城に魔王執事という役職で赴任してきて、一週間。
俺は何もしていなかった。
基本的に部屋の中で閉じ込められているだけで、魔王から仕事の指示なんかひとつも来ない。
ペリクルも本来の監視の仕事が忙しいらしくほとんど顔を見せないし、ただただ暇を持て余す生活は一週間で完全に飽きてしまった。
今日もキングサイズのベッドの端っこで目を覚ますと、すでに朝食が届けられておりコーヒーの香りが漂ってくる。部屋にある転送装置という小型ワープマシンに三食きちんと時間通りに食事が転送されてくるのだ。
朝食のメニューはエッグベネディクトらしい。どこの英国だ、ここは!
与えられた部屋は魔王城の高層階、東向きの角部屋でロフトやベランダまで付いたメゾネットタイプの3LDKの部屋だった。
四人家族でも余裕で住めるくらい、都内なら軽く億を越えそうな立派な部屋で、この部屋だけを切り取ったらまさかここが魔王城とは思えないだろう。もう完全に港区の高級マンションである。
「ケンタのためにリフォームしといたから!」
魔王ベリシャスはニッコニコで俺に告げた。
この薄いピンクの壁紙とか、ハート柄のカーテンは魔王の趣味なのだろうか?
俺はどういう待遇でこの魔王執事という役職を全うすればいいのだろう? まさか愛人枠じゃないだろうな? そう考えると一瞬、背筋がぞっとした。
「あいつ、本当に魔王なのか……?」
ベッドから置き、頭を抱える。
いかんいかん。「あいつ」なんて言ったらまたペリクルにしばかれてしまう。ベリシャスって名前を呼ぶだけでキレるんだからな。
ペリクルにとっては絶対的な上司で魔王様でしかないのだが、この素の魔王を見て何も感じないのだろうか?
部屋に置かれたロッキンチェアーには大きな熊のぬいぐるみが座っているが、これも魔王が用意してくれたものだ。
俺をお姫様とかと勘違いしてるのか? VIP待遇はこういうのじゃないぞ?
いや、いくら俺の命がダジュームにとって大事な存在だとしても、俺は俺で慢心するわけにはいかない。何がVIPだよ。
しかし、俺はここに俺にしかできないことを探してやってきたのに。ダジュームに平和を取り戻すためにやってきたのに……。
現状ではこんな中二の女子が飛び跳ねて喜ぶようなハートフルでキュートな部屋でまったり暮らしているだけだった。
「はぁ……」
俺はハート柄のかわいいカーテンを開ける。
窓の外から見えるのは、日食のような太陽がぼんやりとしている真っ黒な空。
緑のまったくない岩肌の山に、真っ赤な血のような液体が流れる滝と、なぜか沸騰してゴポゴポ沸いている血の池。浮いているのは骨だろうか?
見下ろすと魔王城の下に広がる城下町からはなぜか悲鳴や嗚咽が絶えず聞こえてくる。
「やはりここは魔王城なんだよな……」
このメルヘンな部屋と、一歩出れば地獄が広がっている隔世感に、俺はめまいがする。
「でもずっとここで甘やかされているわけにはいかんぞ」
ダジュームのためには死なないことが一番だとはわかっていても、これでは罪悪感でつぶされそうだ。このまま魔王城に引きこもって三食昼寝付きの生活を送っていては、申し訳がない。ニートも甘やかされすぎると恐怖に変わる。
平和を願いつつも、今も外の世界では人間とモンスターが戦っているのだ。勇者とランゲラク軍の動向も気になるし、俺にとっては決して他人ごとではないのだ。
何もできないことが、こんなにもつらいことなんて。
まったりスローライフも楽じゃない。
着替えも魔王が用意してくれていたが、どうにも趣味の悪いものが多かったので俺はいつもの服に着替える。こんなワニの皮っぽいゴツゴツテカテカの緑色のスーツなんて着るか!
「よし、行こう。今日こそは!」
今日こそはベリシャスときっちり話し合おうと、俺は部屋を出る。
一歩部屋を出ると、世界は変わってここはもう魔王城なのである。
ダンジョンのように薄暗い廊下。ひび割れる壁に、天井から滴り落ちる水滴。どこからか吹くすきま風、角を曲がればモンスターが飛び出てきそうな雰囲気……。
魔王城全体をもうちょっとオフィスビルっぽくリフォームしたほうがいいじゃないですかね? 消防法とか大丈夫ですか? 俺の部屋だけ本気出しすぎですから!
相変わらず魔王城は迷路のようである。無駄に階段があり、隠し扉なんてものまであるから厄介だ。入るたびに道が変わるフロアとか、もう勘弁してほしい。テレビ局がテロの侵入を防ぐために複雑な構造にしているのと似ているだろう。
まあこの魔王城はモンスターと出会わないのでましである。魔王の部屋に行くのに毎回モンスターとエンカウントしていては、こっちの命がいくつあっても足りない。一歩ごとにセーブポイントが必要だ。
今日も場内を迷うこと小一時間、ようやく魔王の部屋にたどりついた。
「すいません、ベリシャスさん……」
コンコンとノックするも、部屋の扉が大きすぎて内側にまで届いているのか不安になる。
「ベリシャスさーん! ちょっといいですかー!」
もう一度強めにノックするが、反応がない。
俺は恐る恐る、その重い扉を開けてみる。鍵はかかっていない。魔王なのに防犯意識が低いと言わざるを得ない。
ゴゴゴと、扉を開けると魔王の姿が見えた。
「ベリシャ……」
声をかけようとしたそのときだった。
「君はそれでいけると思ったのか……?」
魔王の低くうごめくような声が聞こえてきた。
俺は勝手に部屋に入ったことに対してキレられたと思い、ぞくっとして膝が震えそうになったが、その言葉は俺に向けられたものではなかった。
机の上には半透明の小さなディスプレイのようなものが浮かび上がっており、それに向かってキレているようだった。たぶん魔王軍のタブレットPCみたいなものだろうと勝手に解釈した。
「わざわざ言い訳をするために、報告してきたのか? 私が必要なのは結果だ。これ以上は時間の無駄だな」
どうやらディスプレイの向こうの担当者と思わしきモンスターは、魔王から完全に詰められているようだった。やはり魔王、恐怖政治ここにありである。こわ。
「君の処分は追って連絡する。それまでに結果を出せるように、精進するのだな」
魔王はぱちんと指を鳴らすと、そのディスプレイがぷつんと消えた。
このご時世、そういうのパワハラにならないかしらと心配していると、魔王が扉の隙間から覗いている俺に気づいた。
「ケンタ……!」
仮面の下の目が、俺を睨んでくる。
「見ていたのか……?」
ぼわっと、魔王の全身から黒いオーラが浮かび上がった。
殺気。
それはこれまで感じたことのない殺気に、膝から崩れ落ちて動けなくなった。
「ま、魔王……」
迂闊だった。
この一週間、魔王が想像と違っていたことから油断してしまっていた。おしゃべりで、趣味が変で、俺にだけやたら甘い魔王に、俺は気が抜けていたのだ。
しかし、魔王は魔王。このダジュームのモンスターを一人で支配する魔王の部屋に勝手に入るなど言語道断だ。いまいち立場ははっきりしていないが、俺は魔王の下で働く執事だ。秒で処されても文句が言えない!
魔王ががたっと立ち上がり、恐怖で動けなくなった俺のほうへ歩み寄る。
目には目を歯に歯をと、俺を始末する気だ! これが本来の魔王ベリシャスの姿なのだ!
「ケンタ……」
俺を見下ろす魔王ベリシャス。
その口元が一瞬いびつに歪んだ。
殺される! 俺は覚悟して、目をつむった。
「わざわざ来てくれなくても、私のほうから行ったのに! 入って入って!」
きらりと光る白い歯を見せて、魔王が笑った。
「へ?」
「カッコ悪いところを見せてしまったね。いやぁ、部下には厳しくしろって言われててね。いわゆる帝王学ってやつかな? 本当はあんなこと言いたくなかったんだけど、仕方なくって! あ、君は気にしなくていいんだよ。あれはパフォーマンス的なやつだから!」
はっはっはと豪気に笑う魔王に、俺は別の意味で肩を落とした。
この魔王、やっぱり変だ!
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