「絶対押すなよ! 絶対だぞ!」
翌日早朝。
俺はただただ叫んでいた。
俺の目の前に広がっていたのは、一面の青い空。
足元を見ると、そこは崖になっていた。すぐ隣に流れる川は、滝となってはるか下方の泉にたたきつけられて水しぶきを上げている。
まさしく昨日、俺がシャクティと会ったあの泉がはるか眼下に小さく見えているのだ。
一歩踏み出すと真っ逆さま、すなわち、死。
俺はアオイとペリクルに叩き起こされ、有無を言わずここに連れてこられた。
そしてそのままこの崖に立たされ、俺の背後ではアオイとペリクルがじっと俺を見守っていた。
「押さないわよ! だから早く自分で飛んでみなさい!」
「と、飛べってバカか! こんなとこから飛んだら死ぬだろ!」
「往生際が悪い男は嫌いよ! さっさと飛んで!」
「飛べるか! ロープもなしで飛んだら、これは立派な自殺だよ!」
俺はなぜか崖に立たされ、背後から「飛べ」とプレッシャーをかけられている。
借金で首が回らなくなり、闇金に保険金をかけられて自殺を強要させられている多重債務者のごときである。闇金妖精組だ。
なぜこんなことになっているのか?
「空を飛ぶための訓練なんだから、さっさと飛びなさい! 私たちも背中を押して人殺しはしたくないんだからね!」
「人殺しってなんだよ! 死ぬの確定じゃねーか! これのどこが訓練だ!」
ちらっと崖の下を覗くと、一瞬で膝が震える。
ナイアガラの滝は見たことはないが、ここはそれ以上の高さではないかと俺は想像する。
「アイソトープには羽がないんだから、あとは根性でカバーするしかないでしょ」
「根性で空が飛べるか!」
ペリクルは謎の根性論を突きつけてくる。パワハラである。
「そんなんだからできそこないなのよ。妖精になれなかった理由は、そういうところよ!」
続けてアオイは俺を徹底的にできそこない扱いをしてくる。モラハラである。
「とにかく! 訓練ならもうちょっと真面目にやってくれ!」
さすがに自殺はしたくない俺はその場に座り込む。
アオイとペリクルは顔を見合わせて、大きなため息をついた。
マジでこれで空が飛べるようになったら世話ないぜ!
「どうする、ペリクル? このできそこない、どうやったら飛べるようになるかしら?」
「さあ。私たちは生まれたときから空を飛べるから、教えるとかよくわかんないのよね」
よくそんなので訓練をするって言えたな。
「シャクティ様に頼まれたから仕方なくやってるけど、無理じゃない? 飛べないアイソトープはただのできそこないよね」
「そもそも【蘇生】スキルなんて本当に使えるのかしらね? ちょっと買いかぶりすぎたのかも」
今さらそんなこと言わないでもらえますかね?
そもそも【蘇生】が使えないなら、こんな騒動にはなっていなかったんですから。
「そう言えば、シャクティ様が新しい妖精を生むって話、どうなったの?」
ペリクルは俺の訓練のことは諦めたのか、いきなり話題を変えた。
たしかこの森で最初にアオイに会った時、そんな話をしていたような気がする。そのときはまだシャクティにも会っていなかったし、なんのことかサッパリだったが。
「ああ、そろそろらしいわよ。だけどここ数年、できそこないしか生まれていないの」
アオイも残念そうに首をかしげる。
「ちょっと待てよ。妖精を生むって、それって別の世界から死んだ奴の魂をこっちに転生させるってことだよな?」
俺もつい口を出してしまう。決して話を逸らせて訓練を忘れさせようとしているわけではなく、他人ごとではなかったからだ。
「……そうよ」
アオイが俺をにらみつけながら、返してくる。
「それってさ、魂を呼んでみないとどうなるかわからないのか? アイソトープって、どこに転生してくるか分からないんだろ?」
俺はアレアレアの町のど真ん中に、真っ裸で転生してきたのだ。
シャルムの話では、元の世界で死んだときの格好で転生してくるということだった。
「妖精なら、この森のどこかで生まれるわ。できそこないならば、普通はこの森には入れないからダジュームのどっかに出てくるんじゃないの?」
できそこないとして生まれた魂には興味がないと言ったように、アオイの口調は投げやりなものだった。
「なるほど……。シャクティ自身も、妖精かアイソトープかは転生させるまで分からないのか」
転生してきたアイソトープの半数は、わけもわからずその場でモンスターに襲われて死んでしまうという。そうならないためにハローワークが転生してきたアイソトープを保護するというのだ。
俺は運よく保護されたアイソトープなのだが、あらためて考えると残酷なものだ。
妖精にもなれず、転生してきた瞬間に再び死んでしまうアイソトープのことを考えると、胸が痛い。
「シャクティもアイソトープを助けてあげればいいのに。有無を言わさず転生させて、そのまま放っておくなんて」
「できそこないの面倒を見るほど、シャクティ様は暇じゃないのよ!」
アオイが反論するが、やはりアイソトープと妖精には考え方に大きな隔たりがあるのだろう。
「じゃあなんで俺みたいなアイソトープにこのダジュームの運命を託そうとしてんだよ? ウハネみたいなアイソトープが出てくるのを期待してるんだったら、見殺しにするのはひどいじゃねーか。ちゃんと世話してくれよ!」
「簡単に死んじゃうようなアイソトープに、そんな素質なんてあるわけないじゃないの。ダジュームで生きていくには運も必要なのよ。あんたもわかるでしょ?」
ペリクルが間に入って、俺を諫めてくる。
森を離れて魔王軍にいたからか、考え方がリベラルになっているところがある。ホイップと同じように、アイソトープにも理解を示している気がする。
「勝手に転生させといて、勝手だよ」
「どうせ元の世界でも死んだんだから、もう一回死んでも何も変わらないでしょ。与えられたボーナスステージにまで文句言わないでよ」
ペリクルと違ってアオイはずっと妖精の森で暮らしているからか、アイソトープに対しては厳しいのだ。
「俺は死んだときの記憶がないから、ボーナスステージだなんて思ってねーよ」
ここで喧嘩するのも大人げないので、これで終わりにしようと俺はアオイに背を向ける。
シリウスやカリンと違い、俺は死んだときの明確な記憶がなかった。
だから死んだ実感もなく、転生させられてまったくの有難迷惑としか思えない。
「そうなの? それって……」
するとアオイが真剣な声でつぶやいた。
続きの言葉を飲み込むのが気になって、どうしたんだと声をかけようとしたとき。
「あ、あれ!」
ペリクルが滝の下を指さした。
俺とアオイも、誘われるように崖の下を覗く。
その瞬間であった。滝の下の泉が光っているのだった。
「シャクティ様!?」
アオイが何かに気づいたように叫ぶ。
よく見ると泉が光っているのではなく、その中心に立っている木が光っていた。
シャクティが生えてきた、あの木である。
「な、なんだ? 何が起こるんだ」
「生まれるわ!」
ペリクルも叫んだ。
そして泉の木から、一直線に空に向かって一筋の光が伸びた。
崖の上の俺たちの目の前を下から上へ、そのまま青い空に突き刺さるように。
「て、転生してくるのか?」
俺は今、別の世界から誰かが転生してくる瞬間に立ち会っているのだ。
おそらく俺もこうやってこのダジュームに転生してきたはず。
その歴史的な瞬間を目の当たりにして、俺はただ口を開けて空に突き刺さる光をただ見上げていた。
しばらく森から伸びた光を見つめて、俺たちは言葉を発するのも忘れてじっとしていた。
徐々に光の柱は細くなっていき、やがて一本の木に戻るように収束していく。
「転生が……、終わったのか?」
俺は恐る恐る、尋ねる。
アオイとペリクルは俺のことなど無視し、あたりを見渡していた。
「……いる?」
「いえ。何も感じない」
さっきまで俺に飛び降りを強要していた二人が、真剣に気を研ぎ澄ましているようだった。
おそらく、転生してきた妖精を探しているのだろう。
「……どうやら失敗のようね」
アオイがため息交じりにつぶやいた。
「ってことは、またどこかにアイソトープが?」
「そういうこと。残念ね」
ペリクルのいう「残念」という言葉は、この世界のどこかに転生してくる羽目になったアイソトープのことを案じてのことだろうか。それとも妖精が生まれなかったことに対してか。
どちらにしてもこの瞬間、ダジュームのどこかにアイソトープが転生してきたことは確かだった。
俺はそのアイソトープが、無事にハローワークに保護されることを願うことしかできなかった。
たまたま運のよかった俺ができることは、それだけだった。
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