妖精の森から戻ってきた俺は、ジェイドからこのダジュームの真実を聞かされていた。
それは魔王軍の今の状況、そして魔王が望んでいること――。
「魔王様は最初から、お前を捕まえて無理やりに【蘇生】を使わせようとはしていないのだ。今はお前が自由にそのスキルを使えないことは分かっている。あの時も私は手を引く予定だった。だが、ランゲラクと勇者がお前を探し始めて、放っておくわけにはいかなくなったのだ」
「放っておいたら、あなたは殺されちゃうから。勇者か、ランゲラクに」
ご丁寧にペリクルが補足してくれる。
「お前が生きているだけで、すでに抑止力にはなりえているのだ。だから俺はお前を守らねばならない。いずれ魔王様が望まれる、人間とモンスターが共存できるダジュームを作るために」
俺の存在が、抑止力――。
「それがシャクティ様が言ってた、憎しみのない世界よ」
ジェイドとペリクルの話を聞いて、俺はまだ理解が追い付いていなかった。
まさか魔王がダジュームの平和を願っているとは、信じられない話だった。
一方で勇者は魔王を倒すことでこの世界に平和を取り戻そうとしている。最初から、魔王やモンスターは悪だと決めつけているのだ。
そのためにはモンスターを殺すことも憚らない。モンスターにだって家族はいるのに、そんなことを考えもせず、話し合いもせずに。
争いとは正義と正義のぶつかり合いだと聞いたことがある。
正義とはきっと呪いのようなもので、その枠に入れば自分の中の悪には気づきもしないのだ。
「なぜ魔王はそんなことを考えたんだ? 人間との共存なんて?」
「それは私にはわからない。だが、私は魔王様の考えに同調している」
ジェイドは迷いなく答えた。
一度はジェイドに拉致されそうになった俺だが、いつの間にか真剣にこの男の話を受け入れていた。
「……なぜだ?」
だが俺は納得できないでいた。
それは俺もモンスターが人間にとっては邪悪な存在だと、ついさっきまで信じ込んでいたからだ。
裏山で訓練しているときも、何とかモンスターに出会わないようにと願っていた。怖かったからだ。殺されると思ったからだ。
そして出会った時のために、俺は武器を携えていた。もし出会ったなら、問答無用に攻撃していただろう。
人間とモンスターを同列で考えたこともなかったんだ。
「誰かが生きていくために、誰かを殺す必要はないと考えたからだ。命はおそらく、平等にある。人間も、モンスターも」
モンスターの言う言葉じゃない。
そこには驕りも、謙遜もない。
表情が読めないジェイドではあったが、嘘をついているようには見えなかった。
信じてもいいんじゃないかと、俺は覚悟を決めた。
ジェイドとなら、俺がやろうとしていることを実現できるのではないかと思えてきた。この争いを止めるには、これしかないんじゃないかと。
「少なくとも、魔王様は人間を殺すようなことを考えられたことはない。今もランゲラクを止めたいが、そう簡単にはいかないので苦心しておられる。先のデンドロイでの戦いも、嘆いていらっしゃった。これでお前の身を勇者にも、ましてやランゲラクに渡すわけにはいかない私たちの理由を分かってくれたか?」
「だが今のお前はランゲラクの配下なんだろ? 俺に会いに来たなんて知れたら……」
ランゲラク軍は今もデンドロイで勇者とにらみ合っていると聞く。
ジェイドだけがこうやって自由にできるのも不思議な話だ。
「私の【監視】スキルは、魔王軍でも随一だ。監視されないための方法も組み上げることもできる。ランゲラクとて、私の行動を監視することはできていない。私がここにいることも、知る由もない」
その自信は、きっと何かしらの策を施しているからなのだろう。
すっかりジェイドのことを信じ切っていた俺はお人好しなのだろうか?
実はジェイドも俺を殺そうとしているだけで、今の話がすべて嘘という可能性も否定はできないのだ。
それでも、信じることでしかすべては始まらない。
俺とジェイドは話し合いができている。これは大きな譲歩であり進歩だ。
魔王が本当に平和を考えているのなら、少なくとも今の勇者よりは信頼に足るかもしれない。
シリウスのことは気になるが、俺が死ぬわけにはいかないことだけは確かなんだし。
「じゃあ、俺はどうすれば?」
今はジェイドを信じることに決めた。
「お前が戻ってきたら、ある場所へ連れて行くように魔王様に頼まれている」
「ある場所……?」
「ああ。とりあえず、今日はここで夜を明かそう」
「ここで?」
「人目のある場所は危険だ。お前、自分が追われている立場だとわかっているのか?」
いつの間にか、あたりは暗くなっていた。
目の前のたき火のおかげか、俺の服もほとんど乾いている。
「これを見ろ」
ジェイの手にポワンと一冊の雑誌が現れた。これも魔法だろうか?
「これは……、『月刊勇者』?」
目の前のたき火越しに手渡されたのは、勇者の行動をまとめた情報誌だった。
豊富な写真と、勇者へのインタビューなど、勇者パーティーの活躍を一般の人々が読むことができる。表紙はもちろん、勇者クロスであった。
「やっぱイケメンね!」
ペリクルが勇者クロスの写真にやついている。
俺はペラペラとページをめくる。
「シリウス!」
さっそく巻頭の特集ページに手が止まる。そこには「勇者パーティーの新メンバー!」としてシリウスが特集されていた。
立派な鎧を着て、両手剣を振りかざしている姿の写真に、シリウスのプロフィールが載せられていた。「アイソトープとして異例の抜擢!」とのキャッチコピーが大きく書かれている。
「あらあら、この戦士もイケメンね」
俺がシリウスのインタビューを読んでいると、ペリクルが邪魔をするようにページの上にかぶさってくる。
「お前、邪魔だよ!」
「いいじゃないの。これがケンタの友だちだって?」
「ああ、そうだよ」
邪魔なペリクルを手で払い、シリウスのインタビューを読む。
『勇者パーティーに入ろうとしたきっかけは?』という質問に対し、シリウスの答えは、
『ダジュームの平和のために、アイソトープの自分ができることを探したかったんです。それが魔王を倒すことだと考えました』
これを読んで、俺は胸がチクリと痛んだ。
さっきジェイドから聞いた話の通り、シリウスも魔王を倒すことだけがダジュームの平和だと考えているようだ。
それこそ、人間の驕りが見えるようであった。
話し合うなんて、選択肢にも入っていないのだろう。さっきまでの俺も、たぶんそうだった。
「そこじゃない」
と、俺がシリウスの特集を読んでいると、ジェイドが勝手にページをめくる。
そしてとあるページで手を止めた。
「これだ」
ジェイドが指をさして示したのは――。
「お、俺?」
一ページに丸まる、俺の顔写真が載せられていたのだ。
そしてその写真の下には「WANTED」の文字と、「この顔にピンと来たら連絡を」の文言。
「お前は今、全世界に指名手配されている。もう自由に町を歩くことはできない」
ジェイドが何でもないように、とんでもないことを言い出した。
「え、うそ? なんで? これじゃあ犯罪者じゃないか!」
「有名人じゃん、ケンタ!」
俺の顔写真をペタペタと叩いて、ペリクルがからかってくる。
「そういや、俺の失踪届はどうなったんだ? アイソトープがハローワークからいなくなったら出されるはずなんだけど、これがそれか?」
それが出されると俺のIDは全世界に知らされ、国境間の移動はできないようになるらしい。そして見つかれば元のハローワークに強制送還されると聞いていたが……。
「いや、そんな生易しいものじゃない。これは一級犯罪者への指名手配だ」
「一級犯罪者? 俺が?」
背筋が凍りそうになる。
「勇者からの依頼でしょうね。なんとしてもあなたを見つけて、殺したいのよ。犯罪者のレッテルを張っておけば、勇者が殺してもそれは正義として処理できるでしょ?」
小さな妖精もさらっと恐ろしいことを言う。
「勇者は本気ってことか……」
「そうだ。お前はこんな奴と話し合いをしようと、のこのこ出向こうとしていたのだ」
「ほんとバカね。迂闊な男って、私嫌いよ」
俺はパタンと雑誌を閉じた。
よもやこのダジュームにおいて俺の安息な場所はないのではないか?
「疲れたから俺は寝るよ……」
「ああ、そうしてくれ。明日の朝、移動しよう」
俺は木の枝を枕にして、今だけは何も考えないようにと、そっと瞳を閉じた。
このダジュームの真実が、次第に暴かれようとしていた。
勇者、魔王。
正義と悪。
正しいこととはなんなのだろうか?
争いは誰のためのものなのだろうか?
答えは出ないまま、俺は眠りについていた。
翌朝。
「ほら、ケンタ起きて! 出発よ!」
「痛い! やめて!」
ビビビビビと俺の頬を叩くペリクルに無理やり起こされる。
目を開けると、まだ薄暗い。朝も朝、夜明け前だ。
すでにジェイドは準備万端と立ち上がって俺を見下ろす。
「そういや、魔王に俺をどこかに連れていくって頼まれたって言ってたよな? 一体どこへ行く気なんだ?」
目をこすりながら、起き上がる。
「ラの国のハローワークだ」
「へ?」
ラの国のハローワーク?
ジェイドの言葉に、俺は一気に目が覚めた。
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