「早く起きてくださーい!」
ガンガンと扉が叩かれ、俺は強制的に起こされる。
「うるせーよ! 起きてるから!」
俺はベッドから跳ね起き、部屋の外で大声を上げるカリンに返事する。
「シリウス! カリンお嬢様が来たぞ! 早く起きろ!」
隣のベッドでは低血圧なシリウスが布団をかぶって眠ったままだ。なんでもできる男だと思っていたが、どうやら朝だけは苦手らしい。
加えてここ毎日のシャルムとの魔法訓練による疲労も大きいのだろう。
夜中にうなされているのを聞くと同情すると同時に、俺は絶対そんな訓練を受けたくないと心に誓うのだった。
「……まだ早いですよ」
「お前は今日も魔法訓練だろうが! シャキッとしろよ!」
布団をはねのけると、シリウスは膝を抱えて丸まっている。
綺麗な銀髪は寝癖がついて、イケメンも朝だけは形無しだ。
「ご飯できてますからね! 早く起きないとシャルムさんに言いつけますよ!」
さらにガンガンガンと扉が叩かれる。
そろそろ扉が破壊されるのではと毎朝気を揉んでいる。きっと穴が開いたらシャルムに怒られるのは俺のほうだ。
「着替えたらすぐ行くから!」
「早く来てくださいよ! もう!」
そう言い残し、カリンは階段を下りていった。
さすがにシリウスのこのだらしない姿をカリンに見せるわけにはいかない。
「はぁ。朝から騒がしくなったなぁ」
パタパタと階段を下りていく足音を聞きながら、俺は頭を掻いた。
この異世界ハローワークに3人目のアイソトープがやってきて数日が経った。
白鷺花凛。
彼女は俺と同じく日本人で、聞いたところによると世界有数の資産家の娘らしい。
貿易商をメインとした白鷺グループといえば、さすがに俺も名前だけは聞いたことがある。あんなドレスを着てパーティーに出ていたというのも納得できる大金持ちである。
年齢は俺と同じ17才の高校2年生。あんなドレスよりもまだまだ制服が似合う女子高生。
これはすべて元の世界の話で、今は異世界に転生してきたアイソトープという存在として、俺たちと一緒にこの異世界ハローワークで訓練を受けている。
カリン・シラサギとして。
「おはようございます……」
まだ開ききっていない目をこすりながら、派手な寝癖をつけたままのシリウスがキッチンのテーブルにつく。
すかさずカリンがエプロン姿でシャキシャキと朝食を運んでくる。
「もう、シリウスくん! 顔ぐらい洗ってきなさいよ!」
年下のシリウスを叱咤するのが、綺麗な黒髪をポニーテールにしているカリンである。頬を膨らましながら、まるで姉さん女房のような振る舞いである。
カリンお嬢様は身だしなみや作法にはとてもうるさい。さすが名家の一人娘といったところか。昨日もイタリア人のシリウスにお辞儀の角度が浅いとか、わびさびの精神を教え込んでいた。
「す、すいません……」
色男が朝だけはスキだらけである。よく見たら口の周りによだれついてるぞ。
「カリンは朝から元気だなぁ」
シリウスまでとはいかないが、朝はもっと寝ていたい俺はついぼやく。
「これも訓練のうちです! もっといろいろ勉強しなきゃいけませんから!」
先日転生してきてこの異世界ハローワークと契約をしたカリンであるが、彼女は今のところ訓練はホイップについて家事手伝いと、【料理】スキル習得の訓練を受けている。
転生初日から洞窟に放り込まれて巨大毒サソリと戦わされた俺たちとはえらい違いである。ま、あの藤の枝のような細い腕では剣も握れないだろうが……。
「学校に通っていたときよりも早起きだからな。カリンは普段から早起きだったのか?」
「ええ、まあ……」
ふとカリンが真面目な顔になり、言葉を濁らせた。
いつも明るく前向きなカリンだが、元の世界の話題になると何やら含みがちになるのだ。
「ああ、いや、なんでもない。そういえばシャルムは?」
俺の何気ない世間話がタブーにつっこんでしまったと慌てて話題を変える。
さっきからキッチンには俺たちアイソトープ3人と、フェアリーのホイップしかいない。
「今日は朝からラの国のお城に出張されてますー」
そのホイップが木の器に盛られたサラダを抱えてパタパタと飛んでくる。小さい割に、力持ちなフェアリーである。
「シャルムはいないのか。ラの国のお城って、この国の都庁みたいなもんか?」
元の世界での例えがよく分からないが、ハローワークの仕事的なことなのだろうと解釈した。
「シャルム様はみなさんの訓練以外にも、いろいろとお忙しいかたなんですよ!」
そういえばシャルムも当然のように魔法が使えるらしく、遠方へはワープの魔法でひとっ飛びらしいのだ。なんとも羨ましい話である。
俺もワープみたいな魔法なら使えるようになりたいなぁ。
「じゃあ、朝ご飯にしましょう!」
ホイップが席に着き、全員が揃ったところで、シャルムがいない珍しい朝食が始まった。
メニューはホイップが焼いたパンと、サラダに乾燥カバ肉を薄く切って焼いたベーコンのようなもの。朝食なんてどこの世界もだいたい同じようなものだ。
「ホイップはパンまで焼けるんだな。料理の腕前ははんぱねーな」
「どこに出ても恥ずかしくない腕前ですよ! シャルム様は味にうるさいですからねー!」
自慢気なホイップは自分専用の小さな食器で、器用にサラダを取り分けている。
「私もホイップちゃんくらいお料理上手になるからね! 【料理】スキルを身につけてケンタさんに褒められるんだから!」
カリンが腕をまくって謎アピールをしてくる。いつもの元気なカリンに戻ってくれて、俺はほっとしている。
「【料理】スキルが身に付けば、レストランなんかのジョブが見つかるかもな。羨ましいな」
かたや【薪拾い】スキルではどんなジョブに就けるのか、あまり想像したくはない。
「そうね。町のお洒落なレストランとかカフェで働けたらいいわね! ケンタくんもシリウスくんも、毎日食べに来てね!」
ダジュームの理想の生活を思い浮かべて、にこりとするカリンに、食卓の雰囲気も明るくなる。
「そういや、シャルムが出張でいないってことは、今日の訓練は休みってことだよな? ラッキー!」
俺はパンをかじりながら、両手を上げてバンザイをしてしまう。
ここへ来てから、毎日休みなく訓練漬けの日々だったのだ。
初日の戦闘訓練で死にかけて、それ以降はずっと裏山への薪拾いである。たまにモンスターから逃げるという、リスクだけは非常に高い訓練だ。
「ケンタさんはシャルム様がいなくても訓練ができるでしょ! 朝ご飯を食べたらさっさと裏山に薪拾いに行ってください!」
腰に手を当ててホイップが俺に言いつける。
「マジかよ! こんなの訓練じゃなくってただの雑用じゃねーか!」
上げた両手でそのまま頭を抱えてしまう。
訓練といいながら俺はまるで昔話のおじいさんの日常だ。魔法訓練を受けているシリウスとは大違いである。
「あと、カリンさんは私とお料理訓練ですからね! 今日は美味しいスープの作り方です!」
「はい、ホイップ先生!」
ビシッと敬礼ポーズで応えるカリン。
「なんでカリンは料理訓練なんだよ。俺も料理訓練を受けさせてくれよ!」
町の食堂でフライパンを振る仕事で俺は十分なんだからな! 皿洗いのほうが平和でいいよ!
「ケンタさんは薪だけじゃなくて、たまにはキラーグリズリーでも捕まえてきてくださいよ! 食材はいくらあってもいいんですからね!」
「キラーグリズリーなんか捕まえられるわけないだろ! 出会わないように一瞬も気が抜けないんだからな!」
裏山にいるときは俺の感度はビンビンに研ぎ澄まされているのだ。
キラーグリズリーが出た瞬間、マッハで逃げられるように。夜行性とはいえど、油断は大敵だ。
「お料理は私とホイップちゃんに任せて、ケンタくんはご飯食べて、さっさと薪拾いに行きなさい!」
すっかりエプロンス姿が似合うカリンは完全にダジュームに適応しているようだ。ホイップと2人で組まれては言い返しようがない。
もう、仕方ねーな!
「あの、ホイップさん。僕はどうすれば?」
ひと通り朝食を済ませたシリウスが尋ねる。
俺たちのわちゃわちゃに一人蚊帳の外だったが、すっかり目は醒めたらしい。
これまでシリウスはずっとシャルムとマンツーマンで魔法訓練を受けているのだが、その先生が今日は不在だ。
俺やカリンとは違い、このシリウスは戦闘スキルを身につけようと、日々鍛錬しているのである。
「あ、シリウスさんは今日はお休みです。ゆっくり休んで明日に備えてくださいとのことでした」
ホイップはシリウスに休暇を告げる。
確かに魔法訓練を受けていたシリウスは日に日に疲労が溜まっているようで見ていられなかった。
魔法訓練がどんな過酷なものかは知らないが、弱っていくシリウスを見ていると俺は絶対にあんな訓練を受けたくないと思っていたのだ。
最近はましになってきたが、薪拾いですら筋肉痛でバキバキになってんだから、シャルムにしごかれたら2秒で死ねる自信がある。そもそも俺は戦闘スキルなんてほしくないのだ。
「シリウスさんの魔法訓練は一旦終わって、明日からは新しい訓練に切り替えるみたいですよ!」
「え? ちょっと待ってください! 僕、まだ魔法が使えるようになってませんよ?」
ホイップの何気ない言葉に、シリウスの手が止まった。
「うーん、シャルム様の考えですから私には分かりませんけど……。シリウスさんには魔法スキルの才能がないんですかねぇ?」
パタパタと席から飛び上がり、小さな専用カップにコーヒーを注ぎながら、ホイップが首をかしげる。
「お前、もうちょっと……」
ストレートすぎるホイップの言葉に、つい口を挟んでしまう。
そもそも俺たちアイソトープは魔法が使えない。
ダジュームの住人たちは当たり前のように魔法を使えるらしいが、アイソトープは転生してきたからといって自動的に使えるようにはならないのだ。
今、シリウスが受けている訓練は、魔法が使えるようになるためのものだが、いくら訓練をしても才能がなければ魔法スキルは覚醒しないらしい。
1から100への成長は訓練で補うことはできるが、0から1への覚醒は訓練だけではどうしようもないらしく……。
「才能がなければ、いくら訓練をしても魔法スキルは目覚めませんからね。あ、シリウスさんもコーヒーいります?」
ちっともシリウスの気持ちを読まないホイップに、シリウスは無言で首を振ってコーヒーのおかわりを断る。
ホイップの言葉は、シリウスに対する失格の烙印でもあった。
シリウスの向上心の高さは俺も認めている。それは彼が文句ひとつ言わずに真面目に訓練に取り組む姿勢から見てもよく分かる。
なるべく戦いたくない俺とは違い、シリウスは魔法を使えるようになって、戦闘スキルを身につけたいと考えているのは、ひとえにダジュームの役に立ちたいからだ。
モンスターと戦ってダジュームの人たちを助けたいという前向きな目標を、転生してきた意味としてとらえている節がある。
そしていつかは勇者のパーティーに入って魔王と戦う。それがシリウスの内に秘めた目標でもあった。
そんなシリウスに魔法の才能がないとか。頭から叩き潰すような空気の読めない発言をしやがって!
「ま、よかったじゃないか。久しぶりにゆっくり休めて。体を壊したら大変だからな! 魔法どころじゃないぞ」
俺はシリウスの肩をポンポンと叩く。下手くそなフォローだと思うが、ホイップの言葉をかき消すためには仕方がない。
「え、ええ。そうですね」
当のシリウスはまったく嬉しくなさそうに、口元だけで笑うだけだった。左腕に巻いた包帯がよりいっそう痛々しく映る。
「僕は部屋に戻ります。ホイップさん、手伝えることがあったらいつでも声をかけてください」
カタンと椅子から立ち上がったシリウスは、そのまま伏し目がちに二階へと上がっていった。その背中はベッドで眠っていたときよりも丸くなっていた。
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