「場所はそう遠くないわね。裏山を超えたところよ」
シャルムはブレスレットの羅針盤を確認しながら、裏山に入っていく。
俺にとっては今日2回目の裏山になる。
この裏山は俺が毎日薪拾いをしているところで、大体の位置関係は把握していた。シャルムを追い抜き、ずんずんと進んでいく。
「ここならモンスターは大人しいポケットワームしかいないので、安心ですね!」
この俺でも死なずに毎日ここで薪拾い出来ているので、そう怖がることはなかった。
ポケットワームとはいわゆるイモムシで、全長は一メートルくらいあるのだが動きは遅い。
見た目こそ気持ち悪いので出会ったときはちびりそうになったが、特に攻撃をしてくることもなく、走れば俺でも余裕で逃げ切れるのだ。モンスターランクもFだ。
この辺にアイソトープが転生してきたとして、さほど危険なことにはならないだろう。
「あら、言ってなかったっけ? この山にはランクBのキラーグリズリーも生息してるって?」
周囲を見渡しながらシャルムが穏やかではないことを言い出した。
「キ、キラーグリズリー?」
俺は思わず足が止まった。
「そ。大型のクマ。そろそろ温かくなってきて冬眠から目覚めるころよ。腹を減らしてるでしょうから、見つからないようにしてね」
赤土で足場が悪い山道を、シャルムはヒールで器用に闊歩していく。
「ほらケンタさん。あの木の爪痕を見てください。強烈ですね!」
ホイップが指さす木には、斜めにざっくりと爪でえぐられた痕がついていた。
この道、毎日通って薪拾いに行ってたんですけど……?
「ちょっと待ってください! そんなことひとことも聞いてないですよ? 俺はキラーグリズリーが出るって知らずに、ここで一週間も薪拾いをやらされてたんですか? なんで言ってくれなかったんですか! 殺す気か! やっぱり殺す気だ!」
よくぞ一週間、出会わずに生き残れたよ、俺!
「だって言ったらビビって薪拾いに行かなかったでしょ? よかったじゃない、死ななくて」
「当たり前だ! 行くわけないだろ!」
さらっと俺の生殺与奪の権利を握っているようなことを言うシャルム。なんて女だ!
こんなことを聞いてしまい、さっきまで元気に行進していた俺の足が完全に止まってしまった。体は正直である。
「キラーグリズリーは夜行性だから、昼間は出てきませんので安心してください!」
すいっと俺の耳元に寄ってきたホイップが、こそこそと教えてくれる。
といいつつも間もなく日没である。こんなとこでグズグズしていたらグリズリーが出てきてしまう。
「本当だな? 信じるぞ? でも不眠症のキラーグリズリーがいたらどうすんだよ? 眠れないからお散歩してるところにバッタリとか最悪だぞ!」
「考えすぎですよ! ね、シリウスさんも言ってください!」
ビビり散らかしている俺のことは手に負えぬと、シリウスに助けを求めるホイップ。
「ケンタさん、大丈夫です。もしモンスターが出てきたら、僕がなんとかします」
こんな俺のために戦ってくれるなんて、いい奴だよ、お前は!
「でもランクBだぞ? 魔法も使えないのに、無理だって! もし出てきたら全力で逃げような? 約束だぞ?」
元の世界でも山で熊に出会ったら、2秒で人生詰むレベルだ。
死んだふりしてもダメってなんかで読んだことあるしな。逃げるが正解だ。
「まだ魔法は使えないけど……、できることは、やってみます……」
そう言い残し、シリウスはシャルムのあとを小走りで追った。
冗談のつもりで言ったのに、どうやら真に受けてしまったようだ。
「シリウスさん、かっこいいですねー! 守るべきものがある男は輝いています!」
その後ろ姿を見つめるホイップの目がハートになっている。ポッとしてるんじゃないよ!
「あいつ、魔法を使えなくてなんか焦ってるんじゃないか?」
「その特攻精神、頼もしいじゃないですか。ケンタさんもビビってばかりじゃなくシリウスさんくらいガンガンいってくださいよ!」
「俺は自分の実力とリスクを図って慎重なだけなんだって!」
俺には焦るシリウスが死に急いでいるように見え、さっきの言葉が壮大なフラグでないことをただ祈った。
同じアイソトープとして、友として。
しばらく山道を上っては下り、シャルムのブレスレットが示す位置へ向けて俺たちはひたすら進んだ。
途中で数匹のポケットワームに出くわしたが、戦闘になることもなく素通りする。肉は脂ばかりでとても食えたものじゃないらしいので、食用としても不向きらしい。
時おりシャルムが立ち止まって気配を探るたびにドキドキしたが、今のところ例のキラーグリズリーには出会っていない。
「おいホイップ。本当にキラーグリズリーは夜行性なのか? シャルムの警戒っぷりが怖いんだけど?」
俺は前を行くシャルムに聞こえないように、ホイップを近くに呼んでそっと囁きかけた。
「夜行性も夜行性、深夜にしか姿を現さないんですけどね。でも今日はどうかしら?」
「どうかしらって、無責任だな!」
「だって、ケンタさんとシリウスさんが一緒にいるんですよ? さらにもう一人、新たなアイソトープがやってくるんです。鴨が葱を背負って来る状態ですもん。起きてきてもおかしくないと思います!」
すいすいと飛びながら、ホイップが楽しそうに言う。
「確かに、これは飛んで火にいるアイソトープ状態……」
アイソトープはモンスターを引き寄せる匂いを出しているのだ。しかもキラーグリズリーは冬眠明けの腹ペコ状態。これはもう悪い予感しかしない。
俺の悪い予感というのは、ほぼ当たってしまうのだ。
これってもうスキルじゃないのか? ていうかこんなスキル、なんのジョブにも活用できないじゃないか! ただの疫病神!
「いた!」
「ギャア!」
シャルムの声に、俺は反射的に声を上げてしまった。
「やばいやばい、逃げるぞ、俺は!」
腰に備えた剣を取るつもりもない俺は、すでに背中を向けて引き返す準備をしていた。
こんなもん、考えるまでもない。逃げるしかない!
「ケンタさん、待って!」
それを止めるのは、終始楽観的なホイップである。グイッと俺の襟首を捕まえて逃がさないようにする。
どうやら騒いでいるのは俺だけのようで、そろりそろりと首だけ振り返る。
そこにいたのは腹を空かせて見境なく暴れまわり、狂気の咆哮をあげる早起きのキラーグリズリー……、ではなかった。
そんな恐怖の象徴とは正反対というか、シャルムとシリウスの視線の先にいたのは……!
「お、お姫様?」
大きな木立の根元で膝を抱えて眠っていたのは、この荒れた山に似つかわしくない艶やかな赤いドレス姿の女性だった。
その服装はまるでお姫様で、俺は目を丸くしながら、じっくりとその姿を観察する。
大きく膨らんだスカートに足は隠れているが、胸から上は肩が丸出し。
綺麗な黒髪は編み込まれており、その頭の上にはちょこんとティアラが輝いているのだ。
どこか笑っているように目を閉じているが、見た目は若く、俺と同じくらいか?
「彼女がアイソトープ……ですか?」
シリウスも反応に困ったようで、シャルムに目配せをしている。
俺たちが一目でアイソトープだと判断できなかったのも、無理もない。彼女のその衣装が原因だ。
というのもシリウスが転生してきたときは、いわゆるスーツにネクタイ姿で、このダジュームのファンタジー世界には似つかわしくない格好だったから一目で分かったというもの。
だが目の前にいる彼女は、このダジュームでもありえそうなドレス姿だったのだ。むしろシャルムがいつも着ているような派手で露出気味の服装とジャンルは同じである。
頭には高級そうなティアラまで載せているし、このダジュームの本当のお姫様の可能性もあったのだ。
どこかのお城のお姫様がこんな辺鄙な裏山で迷子になっている、というケースがあるのかどうかは別だが。
「……彼女で間違いないわね」
何度かお姫様の顔と、ブレスレットが示す位置を確認しながら、シャルムが断言した。
「彼女がア、アイソトープ……」
シャルムが言うのなら間違いはない。
このお姫様というかお嬢様こそが、俺たちがここに来た目的であったアイソトープであった。
すると、まもなく彼女は目を覚ました。
「……あれ? どうして? 私、生きてる?」
腰を抜かしているのか、動くに動けないお姫様は、頭上を見上げたり、両腕をさすったりしている。
まもなく、俺たちに気づき、一瞬肩を震わせた。
「え? 誰?」
お姫様はこちらを警戒しながらも、緊張した面持ちから、反射的に笑顔を浮かべた。
恐怖で笑ってしまうというのはよくあることだ。
彼女がアイソトープならば、元の世界で死に至り、目覚めればこの山の中だったということ。
なによりモンスターに襲われる前に、俺たちに発見されてよかった。
だがいつまでも安心してはいられない。なにせアイソトープが三人も集まると、どこからモンスターが寄ってくるか分かったもんじゃない。
とりあえずこの子を安心させて、この場を離れなければと、俺は率先して彼女に近寄った。
「俺は君の味方だよ。大丈夫だから」
ニコっと満面の笑みを浮かべ、彼女を怖がらせないようにと両手を広げ、敵意がないことを示す。
「……ぇ」
刹那、彼女から声にならない声が漏れた。嗚咽というべきか、おそらく俺にしか聞こえないような小さな声で、細い体を一気に緊張させて固まった。
「大丈夫。大丈夫だから……」
俺はなんとか怖がらせないようにと優しく声をかけ、一歩一歩と近づく。
が、彼女はオバケでも見たかのように顔面蒼白になっていた。さっきまでの笑顔は微塵も消えている。
まるで何かを思い出したかのように、一気に息を吸い込んだ。そして――。
「キャー! 近寄らないで!」
「え?」
腰を落としたままのお姫様は近くに転がっていた石を掴んだ。
まるで地獄を見たかのような壮絶な顔で、手に握った石を俺めがけて投げつけてきた!
「ちょ、ちょっと待……!」
――ゴチン!
なんというコントロールであろうか。彼女が投げた石は見事に俺の頭に命中し、そのまま気を失ってしまった。
「変態!」
薄れていく意識の中で、彼女のそんな声が聞こえた。
まるでデジャヴである。いつかこうやって変態呼ばわりされたときがあったなぁ……。
なんでこうなっちゃうの?
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