ケンタが地下の道場に下りると、すでに部屋の真ん中でジェイドが腕を組んで待っていた。
ついこの間、シャルムに呼ばれた時の光景が蘇り、ケンタの胸には妙な緊張感が湧き出た。
あのときはいきなり【蘇生】スキルのことを言及され、面食らってしまったのだ。
だが今はもうそんな【蘇生】スキルが自分にあるわけがないと確信している。昨日のテーマパークでの一件が、ケンタに現実を突きつけてくれたのだから。
「一体どうしたんですか、ジェイドさん? 道場になんの用があるんですか」
ケンタはジェイドの突然の行動が理解できず、両手を広げて真意を問う。
今日も朝からシャルムとシリウスが訓練をしたのであろう、汗のにおいと熱気が今も道場には満ちている。
そういえば、みんなどこへ行ったのだろうといぶかしむケンタに向かって、ジェイドが話しかけてきた。
「私が魔法を使えるかどうか確かめてやろう」
そういうと、ジェイドはスーツの裾を腕まくりした。
その素肌には幾何学模様のタトゥーのようなものが見えて、ケンタは一歩後ずさった。
この人、タトゥーしてる! しかもしっかりめの!
「いやいや、さっきも言ったでしょう? 俺は魔法なんて使う気は……」
急にやる気になっているジェイドに、タトゥーを見てひるんだケンタは必死で手を振って否定する。
命を助けてもらったとはいえ、初対面である。なぜいきなりやる気スイッチが入ってしまったのだろうか? ケンタは怖くなってきた。
「魔法を使えないから、さっきみたいなことが起こるのだ。アイソトープも自分の身くらいは自分で守らねばならぬだろう」
ジェイドとしては【蘇生】スキルの有無を確認する前に、ケンタのそもそもの魔法の素質を図ろうと考えたのだ。
魔法を使うシステムは簡単に言うと、体中のオーラを集めて外部に放出することなのだ。
ジェイドはケンタにオーラを注ぎ込むことによって、体の中に潜むオーラを活性化させようと考えた。
素質があるならば、ケンタの体の中のオーラは膨張し、全身を流れ出すはず。もし全く素質がなければ、ジェイドのオーラを受け止められずにケンタの体内はぐちゃぐちゃになってしまうことだろう。
魔法の素質を確かめる方法としては強引なやり方であるが、モンスターたちの間では一般的なやり方であった。
それは命の価値が人間とモンスターでは違うからで、素質がなくて注ぎ込まれたオーラによって死んでしまったならば、生きる価値がなかったと判断されるからだ。
モンスターの世界は、生きていくためにはそれくらいの選別を乗り越えられないと厳しいシビアなものなのである。
ジェイドもこれが最善の方法だと確信していた。
【蘇生】の魔法自体は超高度な魔法である。
初級魔法をまったく使えないのに、いきなりそんな高度な魔法が使えるはずがないのだ。ましてや見た目はなんの将来性も期待できなさそうなアイソトープである。
もし本当に【蘇生】が使えるのならば、その予兆くらいは見せてくれるのではないだろうかと、ジェイドはそう考えた。
これは当然のことで、ものには段階がある。基本から応用、発展と、順を踏んだ成長というのは、このダジュームにおいても当然のことであった。
はいはいもできない赤ん坊が、いきなり100メートルを10秒で走れるわけがないのだから。
「確かめるって、どうやってですか? 俺、まともな訓練は受けたこともないんですよ?」
ケンタは半泣きになりながら、ジェイドを止めようとする。
なんたってあのシリウスでさえ、シャルムから一週間以上もみっちりと訓練を受けて魔法スキルの素質はないと判断されたのだ。
あの間の日々疲労していくシリウスを見ていたケンタとしては、魔法の素質を確かめる訓練というのはまさに地獄だ。
ジェイドが簡単に言うように、リトマス試験紙で素質を図るようなものではないことは、ケンタも理解していた。
「心配するな。一瞬で終わる」
そういうと、ジェイドはタトゥーでばっちりキマッた右腕をケンタに伸ばしてくる。
「いや、ジェイドさん? 待って待って!」
思わずケンタは逃げ出してしまう。
そして直感した。
この人、堅気ではない!
このタトゥーに、さっきの戦闘能力を見るに、ジェイドという男はただ者ではない。アイソトープだとしても、元の世界では完全に裏の世界に生きていたはずだ。
ヤクザだ! 関わってはいけない人だ!
ケンタはジェイドから逃げるが、すぐに道場の壁に行き当たる。
「い、いや、俺は結構ですから!」
思えばキラーグリズリーを真っ二つにするとか、おかしいと思ったんだよ!
あれは日本刀の扱いに慣れてたからなんだよ! まさにヤクザのテクニック!
ケンタの想像の中では、このジェイドは元ヤクザのアイソトープという結論が出たみたいだった。ヤクザがキラーグリズリーよりも強いのかどうかは、また別の話である。
勿論、ジェイドはアイソトープでも、ヤクザでもない。
キラーグリズリーを真っ二つにしたのも実力だし、タトゥーもモンスターのオシャレである。
ただのモンスター、魔王の執事である。
考えすぎる性格のケンタの予想が、今回はどうやら明後日の方向に向いてしまったようである。
「おい、逃げるな。手を出せ」
狭い道場でいつまでも逃げることもできず、ついにジェイドに腕をつかまれてしまったケンタ。
さっきから表情一つ変えないし、言ってることが無茶苦茶なのだ。
これはやばいクスリをやっているに違いないと、ケンタは察する。
命を助けてもらっておいてなんだが、ケンタはいよいよやばい人に絡まれてしまったと後悔をし始めた。
「か、勘弁してください! 一応、俺はこのハローワークの所属なんで、所長の判断なしに反社との付き合いは……、いえ、訓練とかはちょっと、ダメなんですよ!」
元ヤクザから腕をつかまれながらも逃れようと、所長のシャルムを盾にする。
いていうか、事務所をからにしてどこ行ったんだ、あの人は! また合コンじゃねーだろうな?
「……そういえば、なぜここには誰もいない?」
ここでふと、ジェイドはこの状況の違和感を思い出す。
この事務所内には自分たち二人しかいないことは、すでに「第三の目」で確認済みのことだった。
だが、その理由は分からない。
ケンタが言うには、所長とアイソトープたちがここで訓練を行っているとのことだった。
それがもぬけの殻なのである。
この道場内には汗のにおいが残っており、ついさっきまで訓練が行われていたような空気はある。
最初に警戒したように、ケンタは自分のことをモンスターと見抜いたうえでここにおびき寄せたのだとしたら?
所長やアイソトープたちはいったん身を隠し、自分に襲い掛かろうとどこかに潜んでいるのではないか?
(……ありえる話だ。こいつ、バカのふりをしているだけかもしれん)
これは陽動作戦ではないかと、ジェイドはギリッとケンタをにらみつける。
顔面蒼白の間抜け面をしているが、これが演技だとしたら相当な食わせ物だ。もしそんなことを企んでいるのだとしたら、魔法が使えないというのも嘘。
実は相当な魔法スキルを持つ実力者のはずだ!
こいつ、モンスターハンターか?
これがこいつのやり方か!
(アイソトープの分際で魔王軍の執事たる私を騙そうと思うなど、許さんぞ!)
「痛いですって!」
つい力が入ってケンタの腕を強く握ってしまうジェイド。このリアクションさえも白々しく思える。
ジェイドの想像の中では、このケンタはモンスターを罠にかけて狩るモンスターハンターだという結論が出たみたいだった。
勿論、ケンタは魔法なんて使えないし、演技をしているわけでもない。ましてやモンスターハンターとは、想像が飛躍しすぎである。
ただのアイソトープ、元高校生である。
考えすぎる性格のジェイドの予想が、今回はどうやら明後日の方向に向いてしまったようである。
ケンタはジェイドを元ヤクザのアイソトープだと思い、ジェイドはケンタを魔法が堪能なモンスターハンターだと思い込んでいる。
残念すぎるすれ違いであった。
考えすぎる性格の似たような二人がひょんなことから出会い、お互い考えすぎるがゆえとんでもない勘違いをしているのだった。喜劇である。
「フフフ、よくも私をこけにしようとしたな。その心意気だけは褒めてやる」
不敵に笑うジェイドは、ポーカーフェイスを装うことを諦めたのか、これにはケンタもビビりまくってしまう。
お互いの勘違いによる関係性は、明らかにケンタのほうが不利であった。
どっちにしても、ケンタはジェイドにとっての敵と認定されてしまったのだから。よもや【覚醒】スキルのことなど、ジェイドは忘れかけていた。
アイソトープに騙されかけたという事実が、モンスターであるジェイドのプライドをひどく傷つけたのだ。
しかしすべてが考えすぎの勘違いである。
ケンタにとっては、とんでもない巻き込み事故に逢ったようなもので、疑心暗鬼による逆恨みである。
「ちょちょちょ、こけにしたってどういうことですか? ジェイドさん、言ってる意味が……」
腕を振りほどこうと抵抗するが、ジェイドからは逃れられない。
「さすがに私も立場上、貴様を殺すわけにはいかないのだ。当初の予定とは違うが、このまま連れていくことにしよう」
「は? 連れていくって、どこへ? ジェイドさん、アイソトープですよね?」
ジェイドは魔王の言いつけにより、ケンタを殺すことはできない。こればかりはさすがに頭に血が上ったジェイドとて、忘却することはできなかった。
下手にオーラを送り込んで死なれては困る。
そうすると次の案が浮上した。
ケンタを魔王城に連れ帰り、じっくりと【蘇生】スキルを確認する。
魔王城に行けば、モンスターの死体くらいなら山のようにある。とりあえず、その死体を使ってケンタのスキルを確認すればいい。
それでもダメなら、今度はケンタの大事な人間、たとえばここに住むアイソトープや所長を拉致して、殺してしまえばいい。
わざわざここで、ジェイドの身分を隠してまで確認することではない。魔王城ならじっくりと、誰にも邪魔されずに実験ができるではないか。
「ペリクル。これからこいつを連れて、そっちに戻る」
ジェイドはふと天井を見上げて、つぶやいた。
これは宙に浮かべてある「第三の目」に向かって言ったもので、魔王城でこの光景を監視しているであろうペリクルに対して言ったものだ。
「え? なんですか? 独り言? どうしたんですか、ジェイドさん? 何が見えてるんですか!」
やばい。この人、クスリの副作用で幻覚が見えている!
ケンタは確信した。
やはりこのジェイド、やばい奴だ!
「抵抗すると、痛い目を見るぞ。黙ってついてこい!」
グイッとケンタを引っ張って、道場を出ようとする
「さっきから何を言ってんすか! オーバードーズですよ! 体は大事にしないと!」
完全にヤクの過剰摂取であろうと心配するケンタ。
そして、ついに強硬策に出たジェイド。
似た者同士の勘違いは、どうなるのか?
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