「今日も疲れた……」
背中に大量の薪を背負い、なんとか異世界ハローワークの事務所にたどり着いたころにはもう夕方、ヘトヘトのクタクタである。
パラメータが見えるとしたら、おそらく俺のHPは一桁になっているはずだ。チカチカに点滅している。超必殺技も出せるのではなかろうか?
「ケンタさん、おかえりなさーい!」
冗談はさておき、事務所の入り口の横にある倉庫に荷物を下ろしていると、どこからともなくかわいい女の子の声がした。
「ホイップか……」
「かわいいフェアリー、ホイップちゃんがお出迎えですー!」
くるんくるんと俺の周りを飛び回る、20センチのフェアリー、ホイップだ。
この異世界ダジュームに来て、俺も妖精が当たり前にいる環境にようやく慣れたと言っても過言ではない。
今さら妖精が飛びまわっていても驚きもしない。
「ホイップは元気だな。俺はもう疲れたよ」
「これくらいで疲れてたら、モンスターと戦えませんよ?」
「絶対に戦いたくねーよ。俺は生活スキルを身につけたいだけなんだからな」
「またまた。謙遜しちゃってー!」
「マジのマジだよ!」
ホイップとの会話はさらに疲れが増してしまう。
俺が朝から薪を集めるために行ってきた裏山にも、当たり前のようにモンスターが現れた。
大人しいポケットワームにしか出会わなかったので戦闘にはならなかったのだが、いつ恐ろしいモンスターに襲われるか分からない状況だ。
こんな生活に順応している俺って実はすごいんじゃない?
「シャルムとシリウスは?」
「地下の道場で魔法訓練中です」
「あ、そう……」
拾ってきた薪を倉庫に入れながら、俺は興味なさそうに答えた。
「じゃ、ご飯作りますね! それまでケンタさんはゆっくりしててください!」
ホイップは忙しそうに、また事務所の窓からキッチンへ戻って行ってしまった。
「はぁ……」
その姿を見送り、再び一人になったところで深いため息が漏れた。
異世界に来て一週間が経った。
俺は今、この異世界ハローワークで住み込みながら、異世界ダジュームで生きていくためのスキルを身につけるために訓練を受けているのだ。
訓練とは簡単に言えば、俺に何ができるかを見極め、やがて適切なジョブを斡旋させられるのだ。
それで晴れて俺は独立し、異世界生活を始められる。
だけど現状は……。
「なんで俺だけ、薪拾いなんだよ!」
手にした細い木の枝を、俺はバキッと折る。
あれは転生してきた日、ほぼ同時にやってきたシリウスとともに戦闘訓練を受けたのだ。
死にそうになりながらも最初の訓練を終えたのだが、次の日から俺に与えられた訓練は、なんと薪拾いだった。
朝から晩まで、毎日毎日エンドレス薪拾い!
「こんなもん、昔話のおじいさんの仕事じゃねーか!」
一方でシリウスは、毎日シャルムと【魔法】スキルの習得訓練を行っているらしい。
最初の戦闘訓練で、シリウスだけが戦闘スキルの素質を認められたのだ。
「別に俺は戦闘スキルを認められたいわけじゃないんだよ。モンスターと戦いたくなんかないわけ! だから魔法訓練なんてしたくないのよ。でもさ、なんで俺だけこんな雑用を延々とさせられてるの? 【薪拾い】スキルってなんかの役に立つの? ていうか一生俺はこの異世界で薪拾いしかできないわけ? 俺の未来は木こり一直線なの? 髭はやしてオーバーオールを着ちゃうよ?」
倉庫に薪を運び入れながら、俺の痴愚は止まらない。
不本意ではあるがサボるとシャルムに叱られてあからさまに夕食のおかずを一品減らされたりするのだ。
「ここで生きていくには何が必要なのかを分からせるための戦闘訓練だったわけじゃん? どんなスローライフでもモンスターとは隣り合わせで生きていくことになるんだよって、そういうことだったじゃん? なのに俺はほったらかしで、裏山で薪拾い。モンスターからは必死に逃げて、死の危険にさらされてるだけ! こんなもん訓練でも何でもなく、ただの強制労働じゃないか! あの女、鬼だ!」
「まだ元気が余ってるようね」
「……え?」
背後から、その鬼の声がした。
背中に冷たいものが流れる感触がした。
「ちゃんと働いてるようだから褒めてあげようと思って来てみたら、誰が鬼ですって?」
トントンと、壁を叩く音が聞こえる。
この声、完全に怒ってらっしゃる!
やだ、絶対に振り返りたくない! 殺される!
「いやぁ、それは言葉の綾というか……」
「そんなに魔法が使いたいんだったら、もっとハードな戦闘訓練をしてあげましょうか?」
がしっと、俺の肩に手が乗せられた。
いやん、その手のひらから怒りが伝わる!
ゆっくり振り返ると、そこにいたのは鬼……、いや異世界ハローワーク所長のシャルムだった。
今日もざっくりと胸元が開いたドレスのような服装で、その姿は異世界とは思えないほどに妖艶というかエロいというか、だが今の俺にとってはただの恐怖でしかなく。
「仕事が終わったんならさっさと風呂にでも入ってきなさい! すぐに食事よ!」
「はいぃ!」
俺は元気いっぱい、声を振り絞って事務所へと走るのであった。
「いてて……。あ、ケンタさん、お疲れ様です」
風呂からあがると、すでにキッチンにはシリウスがテーブルについていた。
左肩のあたりをさすって苦い表情をしていたが、俺の姿を見てすぐにいつもの爽やかな笑顔を投げかけてきた。
「おつかれ。大丈夫か、それ?」
シリウスのTシャツの裾からはみ出している包帯を指さす。確か今朝は包帯なんかしていなかったはずだ。
「ええ、ちょっとした打撲ですよ。これくらいで痛がってちゃ、ダジュームで生きていけませんよ!」
さっと左手を上げて無事アピールをしようとするが、一瞬筋がこわばったかのようにビクッと反応するシリウスである。
「そ、そうか」
これはシャルムとの魔法訓練によるものだということは、容易に想像がつく。
一体どんな訓練を行っているのだろうか?
魔法を使えるようになるのって、そんなに大変なの?
俺は連日の薪拾いによるダメージが筋肉痛だけということが情けなくなってきた。
「で、魔法は使えるようになったのか?」
俺も席に着く。
キッチンではホイップが料理を作っているところだった。
「いえ。一週間も訓練してもらっているのに、情けない話ですが」
シリウスは自虐的に笑って、左手首に巻いている腕輪を見せる。
この腕輪は、最初の訓練で洞窟から持ってきたもので、俺の手首にも付けている。
「この腕輪があるのに、なかなかうまくいかなくて」
どうやらこの腕輪は、魔法習得のために必要なアイテムらしい。
魔法を使うには体内のオーラを集めて、それを体外に放出することで魔法として発現するらしいのだが、俺たちアイソトープにはそのオーラを扱う概念自体が希薄らしいのだ。そのオーラ移動を助けてくれるアイテムらしい。
「すぐには無理だろ。俺たちはオーラの流れなんか意識して生きてこなかったしさ」
血のように全身をめぐるオーラを集める。
それを促進させてくれるのがこの腕輪なのだが、戦闘スキルの見込みがあるこのシリウスでも困難を極めているのだ。
「この腕輪にオーラを集めなくちゃいけないんですけど、その途中で体のいたるところでオーラが暴発しちゃって。正直、簡単ではないですよ」
いつも前向きなシリウスが珍しく弱音を漏らす。
このシリウスは俺と違って戦闘スキルを身につけたいと考えているのだ。
冗談かどうかは分からないが、勇者のパーティーに入って魔王と戦うのが夢らしい。生粋のドMである、俺から言わせりゃ。
果たして俺が同じような戦闘訓練を受けたらどうなるか、もう考えたくもない。
強がって魔法訓練を受けたいなんて言わなくてよかったよ、ほんと。
「一週間そこらで魔法が使えるようになれたら苦労しないわよ。あなたは自分を過信しすぎなところがあるから気を付けなさい」
話を聞いていたのか、シャルムがキッチンに入ってきた。
いつの間に着替えたのか、スリットの入った黒いワンピース姿だった。いつも思うのだが、シャルムの服装はこのダジュームにはまったく見ない系統のものだった。どこで買っているのだろうか?
そもそも俺たちはこうやって住み込みでシャルムから訓練を受けているが、彼女のことはよく知らない。
この異世界ハローワークはラの国からアイソトープの保護と育成を委託されている公的機関らしいのだが、まだまだ俺たちはダジュームについて知らないことばかりだった。
「でもシャルムさん、魔法が使えないとどんなジョブも見つからないんでしょう? いつまでもここに厄介になってるわけには……」
シリウスが左腕にはめた腕輪を見ながら言う。
「焦るのはよくないわ。あなたたちは魔法とは縁遠い生活をしてきたわけだから、まずはオーラの循環をクセにしていかなければいけないの。魚にいきなり陸上で生活しろって言ってるようなものなんだから」
「そうですけど……」
どこか自分の不甲斐なさに苛立っているようなシリウスであった。
「魔法が使えないと判断したときは、生活スキルの訓練に切り替えるから。戦闘スキルにこだわりすぎるのもよくないからね」
「……はい」
戦闘スキルを身につけたいシリウスの声は、明らかに沈んでいた。
一週間一緒に暮らしているが、少し突っ走るクセがあるのは否定できなかった。自信過剰というわけではないが、自分を信じすぎているというか直感的というか。考えすぎて慎重派の俺とはまったく正反対の性格だ。
「俺なんか魔法の訓練すらさせてもらえてないんだから、お前は期待されてるってことだよ」
こうやって自分を卑下して相手を励ます俺は、もちろん自分に自信なんかあるわけがない。
「ケンタさんの訓練のためにも、一刻も早く魔法を習得しますんで。すいません……」
目を閉じながら申し訳なさそうに頭を下げるシリウス。
俺は訓練なんかしたくないので、しばらくは薪拾いで十分です、はい。
「ま、ゆっくりやっていきましょう。見込みがあるから訓練してるんですから」
へこみがちのシリウスに声をかけるシャルムも席に着いたのを合図に、夕食が始まった。
「今日のメニューはホイップちゃん特製のカバのシチューと、くるみのパンですー! 美味しく召し上がれー!」
木の器に盛られているのは、見た目はホワイトシチューである。中にごろっと入っているのはダジュームカバというモンスターの肉で、食用として重宝されている。俺が知ってるカバよりも一回り大きい。
俺も最初に出されたときはゲテモノだと眉間にしわを寄せたが、食べてみるとこれがなかなかいけるのだ。タンパク質が豊富で、ダジュームでは貴重な栄養源だ。
スプーンでカバの肉をほぐしながら、シチューと一緒に食べる。
「うん、うまい!」
「当然です! じっくりことこと煮てますから、よく味が染み込んでいますよ!」
ホイップが胸を張る。
このハローワーク生活において、食事はほとんどがこのホイップが作っているのだ。
小さい体で自分よりも大きな食材を調理する姿はまさに圧巻である。カバのブロック肉を包丁で切りさばく様は、もはや戦闘である。
「そろそろケンタには薪拾いだけじゃなくて、食料の調達にも行ってもらわなきゃいけないわね。そのへんのモンスターでも狩ってきなさいよ」
付け合わせのサラダにドレッシングをかけながら、横目で俺を見つめてくるシャルム。
「ちょっと待ってくださいよ! 魔法も使えないのにモンスターをどうやって捕まえるんですか! 殺す気ですか? 殺す気だ!」
俺は必死で抗議する。
美味しかったカバの肉が急に苦く感じた。
「大丈夫ですよ、ケンタさん。魔法を使えなくたって罠を仕掛けるとか、肉弾戦に持ち込めばなんとかなりますよ」
ホイップも自分用の小さな器に盛られたシチューを食べながら、ピンと指を立てた。
「今だってポケットワームがいたら全力で逃げてるんですよ? 戦うなんて無理無理!」
ぶんぶんと頭を左右に振って、必死で否定する。
「魔法を使えないなら頭を使えってコト。戦闘スキルがなくてもモンスターと戦わなきゃいけないのよ、この世界では。まだそんなことも分かんないの、あなた?」
「俺はまだ死にたくないんですよ! 現に最初の訓練で死にかけてるんですからね!」
「あのときは拙い作戦だったけど、うまくやったじゃないの。ああいうことよ」
「もう二度とあんなことはしたくないから言ってるんです!」
あのとき、魔法も武器も使えない俺は、なんとかない知恵を振り絞って巨大毒サソリに対抗したのだ。といっても、俺はおとりになっただけで、ほとんどはシリウスの手柄なのだが。
「ケンタさんが魔法の訓練できていないのは僕の責任です。はぁ、やはり早く僕が魔法を使えるようにならなければ……」
またもシリウスがへこみモードに入ってしまう。なかなかに面倒くさい男である。
「いや、シリウス、お前がへこむ必要は……」
むしろ俺に戦闘訓練の順番を回してくれるな。
「……ちょっと待って?」
と、俺の言葉を遮るようにシャルムが左腕のブレスレットに目を落とし、動きが止まった。
「え、もしかして……?」
俺がイヤな予感を抱いた瞬間。
『キュイン……、キュイン……!』
シャルムのブレスレットが鳴き始めたのだった。
「な、なんですか、この音? まさか……!」
この音を初めて聞くシリウスはスプーンを置き、すかさず立ち上がる。すぐに武器庫に走ろうとするのを、俺が引き留める。
「いや、モンスターじゃない。これは……」
俺にとってはシリウスがやってきたときから二度目である。
「アイソトープが、転生してきたみたいね。ホイップ」
シャルムも真面目な顔をして、ホイップに合図を送る。
すぐに察したホイップはエプロンを外して、武器庫へ飛んで行った。
「ケンタさん、アイソトープって?」
まだ状況が飲み込めていないシリウスが、俺に尋ねてくる。
「あのシャルムがつけているブレスレット、アイソトープが転生してくるときにああやって知らせてくれるらしいんだ」
「アイソトープが、来るんですか?」
「ああ、早く保護しに行かないと……」
アイソトープがモンスターに襲われてしまう!
俺たちがそうであったように、何も分からないアイソトープはモンスターを引き寄せてしまうのだ。
放っておけば、すぐにモンスターの餌になる。その前に保護するのが異世界ハローワーク、すなわちシャルムの仕事である。
「ほら、あなたたちも来なさい。モンスターが出るかもしれないから、これも訓練のうちよ!」
シャルムはホイップがもってきた剣を受け取り、事務所を飛び出した。俺たちも黙って彼女に続く。
このとき、シリウスがどこか思いつめた表情をしていることに、自分のことで精いっぱいの俺は気が付かなかった。
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