ジェイドが魔王から聞いたこのアイソトープの情報は少なかった。
いつもの早朝の報告に伺った際、この【蘇生】スキルを持つかもしれないアイソトープの名を聞いた。
ケンタ・イザナミ。
一か月ほど前にラの国に転生してきて、そのまま同国のハローワークに保護されているという。
そのアイソトープのスキルを確かめ、本当に【蘇生】の魔法が使えるのなら魔王城に連れてきてほしいと魔王から依頼されれば、ジェイドは従うしかない。
魔王がどこからこの情報を仕入れてきたのかは、もちろんジェイドは聞くこともできない。
なぜ魔王が【蘇生】のスキルを欲するのか、その理由もわからない。
そもそも【蘇生】の魔法を使える者が、本当にこの世に存在するのか。ジェイドでさえも疑わしく思っていた。
簡単に死者を生き返らせることなどできないのは、このダジュームでも、モンスターたちの間でも当たり前のことであった。死というものはそれほど重く、すべてを終わらせるものだった。
ジェイドは数百年生きてきて、【蘇生】の魔法を使える人間やモンスターには出会ったことがない。
そんな魔法が頻繁に使われていれば、この世の摂理は崩壊することくらい、モンスターのジェイドでも理解できた。
しかもその魔法をアイソトープが使えるとは、信じたくもないことだった。
先代の魔王を倒したあの救世主ウハネ――この名前さえも思い出したくないくらい腹立たしい男だ――でさえ、【蘇生】などという魔法は使えなかった。
もしそのアイソトープがウハネを超えるような力を持っているとしたら、それは魔王にとって何百年ぶりの脅威となりえてしまう。
スキルの詳しい条件や効果は知りえないが、万が一あのウハネを生き返らすことができてしまうならば、それはモンスターにとってはただ事ではない事態になる。
その芽を摘むための任務だとしたら?
ウハネをよみがえらせないために、あらかじめ【蘇生】スキルを持つであろう者を消し去っておく?
ジェイドは魔王の目的を勝手に推測するが、それすら失礼にあたると思い、思考をかき消す。
何せこの任務は、ほかの魔王軍幹部には内密にされている。あの参謀ランゲラクにさえ、である。
ジェイドは自分が魔王に信頼されているということを誇りに感じていたのだ。
もしそのアイソトープの力を封じておきたいのなら、モンスターらしくスキルの有無を問わずに殺すなり拉致するなりすればいいだけの話だった。
例えばランゲラクに依頼したならば、そうすることは確実だろう。ランゲラクならばアイソトープを死なないギリギリの状態で洗脳することも可能である。何せ、彼は呪いを自由に操れるからだ。
かつて勇者パーティーの魔法使いに魔法を使えなくなる呪いをかけて、その尊厳を踏みにじって楽しんでいたこともあるという。
だが魔王は、スキルがあれば保護しろと、そうジェイドに頼んだのだ。むしろ、殺すことは望んでいないようだった。
狂気にまみれたランゲラクの性格を知っているからこそ、彼には秘密にしたいという魔王の意思は理解できる。
ならばジェイドは、魔王の意思を尊重して任務を果たさなければならない。
「まずは、スキルを確かめる」
遠くラの国に向かって空を飛ぶジェイドは、魔王への忠誠心に刻みこんだ。
ジェイドにとっては、約半日ぶりのラの国であった。
一昨日から二日続けて、このアイソトープを監視するために、ずっと行動を共にしていた。
一日目はラの国の首都で会議に出席するところを見届け、その翌日はテーマパークで遊ぶところをずっと監視していた。
もちろん、このターゲットを含む同行者たちにも気づかれはしていない。
そのターゲットであるケンタという少年は、見たところ何のスキルも持っていないただのひ弱なアイソトープであった。ジェイドの監視に気づくことなど、あり得るはずがない。
ジェイドも魔王に仕える歴戦のモンスターである。どれくらいの実力を持っているかは見るだけで大体検討はつく。
むしろ一緒にいた女のアイソトープのほうが、魔法スキルの素質があるように見えてしまうくらい、ケンタという男に戦闘スキルの見込みはなかった。
だがアイソトープというのはモンスターにとっても未知の生き物だった。
突然の覚醒と変異を起こすのは、あの憎きウハネによって教えられていた。
ジェイドも丸一日監視を続けていたが、【蘇生】スキルの有無は、ただ見ていても確認しようがないのだ。
そこでジェイドは、このアイソトープが【蘇生】の魔法を使えるような場を作る必要があった。
それがあの「人食い魔女のインフェルノマウンテン」のアトラクションの前で起こった事件である。
ケンタの目の前で老人が心臓発作で倒れたのは、このジェイドの仕業だった。
わざと老人の心臓を止め、ケンタが【蘇生】スキルを使うように誘ったのだ。
結果、ケンタは【蘇生】を試みたが、何も起こらなかった。
そこでジェイドは考えた。
この一回の失敗によって、スキルは使えないと判断するには根拠が足りなかった。
このような強力な魔法を使うには、いくつもの条件と制約が必要なのではないか、と。
ダジュームに来てまだ一か月少々の少年が、まだ自由に魔法を使いこなせない可能性はあり得る。単なる力不足と経験不足によってである。
また、条件としても初見の人物を生き返らせるほどのことはできないのかもしれない。
魔法というのはメンタルを消費するスキルである。人を生き返らせるとなると、そのメンタルの消費は計り知れないだろうことは、ジェイドでも推察できる。
となると、ケンタにとってある程度関わりのある人物が死んだときにしか発動されないのでは? 見ず知らずの老人が死んだとして、それを生き返らせるほどの能力は発揮できないのではなかろうか?
そう考えるのが自然である。
(それならば、まずは周辺の人間関係を探ってみるか。ケンタという男が大事に思っている人物を殺せば、今度こそスキルが発動されるかもしれない)
ジェイドの口元が、いびつに歪んだ。
魔王はできるだけ穏便に任務を依頼したはずだが、このジェイドは結果だけを求めて、その過程において死人が出ることを憂いもしていなかった。
ケンタに【蘇生】スキルがあるかどうかを確かめるために、誰かを殺すことに対しての罪悪感がないところは、これもモンスターであるところの本能だろう。つまるところ、ジェイドもランゲラクと同じことをやろうとしているのだ。
いや、魔王軍のモンスターという習性上、これが普通なのかもしれない。悪としての正常なのかもしれない。
魔王ベリシャスだけがどこか平和的な思想を持っていたことが、悪の中では異常なのだから。
ラの国からの一泊二日の出張から帰ってきたケンタは、その翌日も朝から裏山で薪拾いを行っていた。
先週まで続いた配達のバイトも一段落をして、これが彼の通常営業に戻ったわけだ。
だが彼はこの薪拾いの訓練を悲観的には捉えていなかった。
自分には何も力がないということを改めて実感したとともに、どこか別の目的も生まれつつあったからだ。
このダジュームで生きていくための目的。
それはケンタにとって、あえて見ないようにしてきたものだった。
考えすぎて慎重になる性格ゆえ、危険なことからは逃げてきたケンタにも、目的がようやく見えてきた。
きっかけはあの会議での発表であったし、テーマパークでの失態でもあり、帰りの馬車でのカリンとの会話であった。
この一泊二日の旅で、ケンタは自分に守るべきものがあることに気づくことができたのだ。
自分が無力なアイソトープだと自覚したうえで、できることをやろうという前向きな姿勢になれたのだ。
その心境の変化こそが、首都への出張の成果だったのは、明らかである。
同じ屋根の下で訓練を続ける仲間であり家族の存在のため。
カリンやシリウスのために、自分もがんばるというひとつの目標がようやく彼の中に芽生え始めたのだった。
「はぁ、二日間拾えていなかったから、今日は大量だな」
昼過ぎになり、ケンタは額の汗をぬぐいながら、荷台に乗せた薪を見下ろした。
出張の疲れも忘れて、朝からしっかり薪拾いをこなしたケンタの顔はいつもより清々しい表情をしていた。
これまでやらされ仕事だった薪拾いも、気持ちひとつで意味が出てくる。
いつもより頭の中がすっきりしているのは、ケンタの中で迷いが吹っ切れたからに違いなかった。
それこそこのダジュームで生きていく意味を見つけたことで、今まで言い訳していたことが反転して自分を動かす原動力になっていた。
「さ、カリンが作ってくれた弁当でも食うか」
近くの切り株に腰を下ろし、リュックから小さな包みを取り出す。
ふたを開けてパンパンに詰められているサンドイッチを見て、ケンタはおかしくなった。
「カリンのやつ、もうちょっと映える見た目にすればいいのに」
カリンの弁当は、いつも見た目よりも量を重視したものであった。
ケンタが肉体労働をしていることへの感謝が込められていることは重々理解している。元女子高生にしては色合いや可愛さが皆無の弁当だった。
「これじゃインスタ映えしないぞ。……って、ダジュームにインスタなんかないか」
それはそれでケンタはむしろありがたいのだが、カフェで働きたいと言っているカリンならもうちょっと色合いにも気を使うべきじゃないかとも思っていた。
「でも、美味いなぁ」
何の肉かは分からないが、カツサンドのようなものを頬張りながら、ケンタは上空を見上げた。
ダジュームの空は、ケンタもよく知る空と同じで青々と晴れ渡っていた。
きっとシリウスは今もシャルムから戦闘訓練を受けているに違いない。
カリンもホイップと料理訓練の真っ最中のはずだ。
いずれ俺たちアイソトープはスキルを身につけ、それぞれのジョブにつくのだろう。
それが今の俺たちの、目に見える目的でもある。
そうすると、俺たちはまた別々の道を歩むことになる。
今こうやってみんなで暮らす生活も、一時的なものであることはケンタも承知していた。むしろ、ばらばらになって独立することが本来の目的なのだ。
おそらくそう遠くないであろう未来を思い浮かべると寂しくもなるが、それまではお互い支えあって生きていこうと、ケンタは心に誓うのであった。
「さ、とりあえず事務所に運ぶか」
カリン特製弁当をぺろりとたいらげたケンタは休憩もそこそこに、勢いよく立ち上がった。
まだ陽も高く、この裏山もさほど危険ではないうちに仕事を終えられるのは身の安全のことを考えてもありがたいことだった。
この裏山は狂暴なキラーグリズリーが生息しているとシャルムからは聞いていたが、どうやら夜行性らしくケンタが薪拾いをしているときに遭遇することはなかった。
昼間に出会うモンスターは動きが遅くあまり害のないポケットワームくらいで、それくらいのモンスターなら、ケンタも簡単に避けることもできたし今や驚くこともなかった。
このとき、ケンタはそのキラーグリズリーのことなどすっかり忘れてしまっていた。
ダジュームに来て、そしてこの薪拾いを日課にして一か月以上が経っている。
今も油断していたわけではないが、日々のルーチンが己の自信となったことで、最初に抱いていた最大の懸念がどこか疎かになってしまっていたのだ。
そう、モンスターに対する恐怖。警戒心。危機管理。
人は慣れると初期衝動はおざなりになってしまうのだ。この過程が積み重なって成功体験となれば経験になるのだから、仕方がないことである。
さらに、アイソトープがモンスターをおびき寄せる匂いを放っていることも、今のケンタはどこか他人事になっていたのだ。
「さ、行こう」
大量の薪を乗せたキャリーカートを引っ張りながら裏山を下りようとするケンタ。
よもやこの平和な日々が、彼の本来の特性である直感というか嫌な予感というものを鈍らせてしまったのだとしたら、皮肉なものである。
そのとき、というのは得てして起こる。
「ビグァァァァ!!!」
聞いたこともないような音が、裏山に響き渡った。
音、いや、声?
ケンタは今耳に届いたものが、なんなのか判断できなかった。
慌ててあたりを見渡すが、揺れる木々の葉は風のせいなのか、さっきの声のせいなのかもわからない。それくらい、ケンタの中に動揺が現れた。
ケンタ自身も油断していたと、このときダジュームに来たばかりの警戒心を思いだしたのだ。
だが反省している暇もない。
今は早く逃げなければと思うが、体が動かなくなっていた。
いつだってモンスターが現れたら真っ先に逃げると言い張っていたケンタが、それができなくなっていた。
体が動かない原因は、彼が一番理解できなかった。
これまでダジュームに来て乗り越えてきた恐怖が、頭の中でぐるぐる駆け回る。
最初の訓練での巨大毒サソリ戦。
アレアレアでのスネーク殺しの犯人捜し。
シリウスとの一角鳥との戦闘。
それらとは比べ物にならない恐怖が去来していることに、ケンタは本能で気づいていた。
そう、今、彼はたった一人なのである。
これまではシリウスや、シャルムがそばにいて自分を助けてくれた。
だがこれから訪れるであろう恐怖は、たった一人で迎えなければいけないということを、本能が気づいてしまったのだ。
しかもこの山で出会うモンスターといえば……。
「ビギャァァァァ!!!」
再びしびれるような叫び声が上がる。
「……!」
もう声も出せず、キャリーカートに必死でしがみつくケンタ。
また、木々の葉が揺れる。
風など吹いていなかった。
びりびりと伝わるのは、オーラか。それとも恐怖による幻影か。
そしてついにケンタの目の前に、自分の体の三倍くらいの大きさの熊が現れた。
キラーグリズリー。
ランクBの、狂暴すぎるモンスターだった。
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