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ハマカズシ
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白鷺花凛(1)

公開日時: 2020年9月8日(火) 18:00
更新日時: 2021年12月15日(水) 18:35
文字数:3,233

 これは、私が死ぬまでの、最後の記憶―ー。 






 いつも私の周りには誰かがいた。


 きっと一人の時間なんて、ベッドの中で眠りにつくまでの間くらいだっただろう。


 ベッドに入ると、自然と涙が流れてくる。理由は分からない。悲しいわけでも、嬉しいわけでもない。


 眠れない夜は、神様が私に与えた一日のご褒美ほうびにも思えた。


 何も考えず、何も気にせず、涙を流しても、どんな顔をしていてもいい。


 唯一の自由な時間。解放された時間。


 だってまた目覚めると、私はたくさんの人に笑顔を振り舞わなければいけない。


 ベッドの中だけが、本当の私でいられる場所だった。


 誰にも見せられない自分。そして誰も知らない自分。


 朝になると、また私は笑顔の仮面を被って、演技をしなければいけないから。

 

「おはようございます花凛かりん様、朝食のご用意ができました」


 トントン、と小さなノックのあとにお手伝いの桜子さくらこが声をかけてきた。いつもと同じセリフ、いつもと同じテンポ、いつもと同じ声の大きさで。


「はい、すぐ参ります」


 私もいつもと同じ調子で、そう答えた。


 枕に涙の跡は残っていないか確認する。


 時計を見ると、6時55分。家族全員でとる朝食は七時に始まる。これが白鷺家の伝統であった。


 もちろんすでにパジャマから白いシャツと淡いグリーンのスカートに着替えている。


 家族で朝食をとるためだけの服装だ。あとでもう一度、学校の制服に着替える。面倒くさいが、これが白鷺家のマナーでもある。もう慣れてしまったので、苦にはならない。


 だけど。


 これが当たり前、と思いこんでしまうのが一番怖い。


 慣れというのは、自分の上から仮面をかぶされていても気づかないということ。いつか本当の自分を失ってしまうこと。


 白鷺家の習性や慣例に慣れていくうちに、私はいつの間にか私ではなくなってしまうのではないか。


 この仮面が、私の顔と同化して、取れなくなってしまうのではないか。


 そんな疑問が胸の中で浮かぶうちはまだ大丈夫。私は本当の私を持っている。


 いつも白鷺家の一人娘として求められている私を演じるために、この笑顔という仮面を被り続けている。


 笑っていればお父様もお母様も、私は従順じゅうじゅんな娘として扱ってくれる。それですべてうまくいく。白鷺家はうまくいっている。


 これまでも、そしてこれからもずっと……。


 すべて白鷺花凛しらさぎかりんとして、外に振る舞う仮の姿。


 別に家族や他人をだましているつもりはない。


 私は私を騙して生きているのだ。


 でもいつか、私の体を覆うこのモヤに塗りつぶされてしまうかもしれない。


 母がそうであったように、仮面が取れなくなって他人が望む姿に固定されてしまう。


 私はそうなりたくない。私は私。いつまでも私を忘れたくない――。

 



「今夜は杉森すぎもりさんのところも来るのかね?」


 ナイフとフォークで器用にハムを切り分けている父が、誰に向けてではなく尋ねた。父はいつも最初にハムをすべて一口サイズに切り分ける。几帳面きちょうめんというよりかは、神経質なのだ。


 いつもの朝食メニューがずらっと机に並べられており、白いテーブルクロスと白い食器が料理をこれでもかと映えさせる。


 父が最初の一口を運ぶまで、私はじっと両手を膝の上に置いて、自分も食事には手を付けようとしない。父がそうしろと言ったのかは今さら聞くつもりはないが、私が物心ついたときからいつもこうだ。


 じっと父の作業が終わるのを待つ。お預け状態。まるで犬みたい。


「ええ。和幸かずゆきさんも」


 母が答えながら、ちらっと私を見る。


 私は母ににこっと笑顔を返す。


 その和幸という名前に過剰に反応せず、眉間みけんにしわがいくのを我慢して、かといって決して嬉しそうには見えないように。上品でありながら、何もわかっていないバカみたいな笑顔が、この場面では必要だった。


 内心では朝から一番聞きたくない名前だった。舌打ちを打てたらどれだけ楽だろうか。


 でも私にはそんな勇気もない。笑っているのが一番楽だと知っているし、これが最適な行動である。


「そうか」


 父はそれだけ言って、再び皿の上のハムを切る仕事に戻った。


 引き続き、私と母はじっと待つ。家長が食事に手を付けるまでは先に食べてはいけないという白鷺家のルール。


 未だこんな男尊女卑だんそんじょひ家長かちょう制が残っている家はきっとうちくらいだ。学校でも絶対にこんなこと誰にも言えない。


 言ったところで、きっと誰もバカにはしないだろう。「白鷺家」という名前だけで、すべてを納得させる答えになるのだから。


 さっきの父の質問は、当然和幸が来ることを把握した上のものだった。私に周知するために、あえて母の口からその名前を出させたのだろう。


 和幸とは、うちの白鷺家とも懇意こんいにしている杉森家の次男だ。確か27歳とか28歳とか、それくらいだったと思う。


 杉森和幸――。


 家同士で勝手に決めた、私の婚約者である。


 私は小さいときからこの年齢にして10も違う和幸を将来の夫として紹介され、それは逃れられぬ運命となった。


 どうやら私は高校を卒業したら、この和幸と結婚をするらしい。


 らしい、というのは私の意志はこの結婚にはまったく介在していないからだ。


 彼はこの白鷺家に婿養子むこようしとして入ってくることが決まっている。杉森家は長男が継ぎ、次男の和幸は私と結婚して白鷺家の入り婿として、私の夫として、白鷺家の跡を継ぐのだ。


 いわゆる、政略せいりゃく結婚というやつだ。現代の日本にもまだ、こんなことが存在するのだ。


 和幸の立場も理解できる。彼も家のために利用されている立場なのだ。次男ということで杉森家から追い出されるという意味では、私よりも残酷なのかもしれない。


 こんな結婚について、私は当然納得もいってないし、考えるだけで吐き気がする。和幸のことは好きとか嫌いという感情以前の問題だった。


 ――いや、どちらかというと嫌い。


 だけどそんなこと言えるわけもない。この結婚は白鷺家と杉森家の結婚で、私と和幸の感情はまったく問題にならないのだ。


 和幸が私のことをそう思っているのかも、私はまったく気にならないし興味もない。


 だから私はできるだけ、この無常に降りかかる未来については考えないようにしていた。和幸のことも、今日のパーティーのことも、遠ざけるようにしていた。


 和幸の名が出たときはできるだけ心を閉ざし、その心を守るために笑顔を強化させた。自己防衛本能だ。


 そして今回も、私が仔細しさいなく笑ったのを見て、父は安心したのだ。


 私がいつもと変わらない白鷺花凛だったから。


「楽しみね、花凛」


 待て、の命令に従いながら、間を埋めるためだけの言葉を母が吐く。


 母は私に話しかけているのだが、実は意識は父へ向けての言葉でもある。


 私も父を満足させるような、楽しみにしている娘の言葉を作らねばならない。


「はい。そうだお母様。あの赤いドレスを着てもいいかしら?」


 それは今年の17才の誕生日に、父からプレゼントされたドレスだった。


 ノーショルダーで大きく背中が開いた、趣味の悪いドレス。赤が嫌味なくらい赤すぎて、一度鏡の前で着てみたがまったく私に似合っていなかった。


 背も高くないしスタイルもよくない。黒髪で、目も大きいわけではない。そんなちんちくりんの私がこんなドレスを着て誰かの前に出ることを考えると吐き気がした。


 でも、私が着たいか着たくないかではない。


 白鷺花凛としては今日のパーティーでこれを着て、父や母や来賓らいひん、そして和幸を満足させることが正解なのだ。


「それはいいわね! 早速用意させましょう!」


 母が大げさなくらいに喜び、お手伝いの桜子を呼んで言いつける。


どうやら私のセリフは正解だったようだ。


 父をちらと見ると、私が自分からあのドレスを着ると言いだしたことがお気に召したのか、眉が下がっている


 そしてようやくナイフを置いてハムを一口、満足そうに頬張った。よし、の合図だ。


 母と私は、ようやく朝食を取り始める。


 これは家族の会話ではない。私がきちんと白鷺花凛でいるかどうかの確認だった。そして私は見事に父や母の要求に応える。この笑顔という仮面を被り、完璧に演技をする。


 これが白鷺家という、私を取り囲んで離さない、モヤ。

 

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