勇者クロスとシリウスは、カフェ・アレアレを出ていってしまった。
シリウスが勇者パーティーにふさわしい実力があるかどうかを試すために、二人は戦うというのだ。
俺は店のバックヤードから二人の会話を聞いていながら、シリウスを止めることも声をかけることもできないままだった。
「ケンタくん、そういえばあの子、シャルムさんとこのアイソトープって言ってたけど、知ってるの?」
店長が思い出したかのように、俺に聞いてくる。
「店長、お疲れさまでした! 薪、ぜんぶ置いてあるんで、また明日!」
店長の質問には答えず、俺は裏口から飛び出した。
「あ、ケンタくん!」
俺はそのまま、店の表に回ってやじ馬をかき分けて二人を追った。
このとき、俺の気持ちはもう決まっていた。
――シリウスを止めなきゃ!
まともに勇者クロスと戦って、ただで済むわけがないのだ。
あの言いようから、クロスも手を抜くとは思えない。ダジュームを舐めた軽い気持ちのアイソトープだと思われているのなら、お仕置き程度のことは考えているかもしれない。
「勇者と戦って勝てるわけないじゃないか! 冷静になってくれよ、二人とも!」
俺は勇者とシリウスの後を追い、必死で走った。
「勇者、どっちに行きました?」
「中央広場のほうに行ったよ」
二人の行き先は、道すがら誰に聞いても明らかだった。それもそのはず、勇者ほど有名な人間は、この世界にいないのだ。
あんな人が集まる場所で勇者とアイソトープが戦うとなれば、注目の的になるのは間違いないことだ。理由はどうあれ、大変なことになるはずだ。
俺はまっすぐ、中央公園に向けて走る。
「うっわ……」
中央広場に着いた瞬間、その光景に俺は目を疑った。
広場を囲むように、人、人、人!
パレードのときよりは人は少ないだろうが、あのときは沿道に分散して並んでいた人たちが、今回は中央広場に集中しているのだから見た目は圧倒的である。
これは、完全な密である。勇者という蜜に集まるアリの如きである。
「ちょ、ちょっとすいません!」
俺は人波をかきわけ、なんとか広場の真ん中に向かう。
この中では勇者とシリウスが戦うことになっているのだ。
「なんとか止めなきゃ!」
人々にいやな顔をされながら、人の壁を突っ切ったところ――。
「シリウス!」
その広場ではすでに剣を交わせる音が鳴り響いていた。
シリウスが両手剣を振りかぶり、それを片手剣でいなす勇者クロス。
最初に飛び込んできたその光景では、ほぼ互角にやり合えているように見えた。
「やっちまえ、勇者!」
「兄ちゃんも負けんなよ!」
観衆たちは、二人の戦いの意味を分かっているのだろうか。二人の戦いを囃し立てては、まるで闘牛でも見ているように盛り上がっていた。
そんな空気に、俺もこの戦いをやめるように口出しすることが憚られた。
それに、シリウスは思っていたよりも勇者に食いついているのだ。
必死で剣を打ち続けるシリウスは、体中から汗が噴き出ているが、日ごろの厳しい訓練の成果かその攻撃の手は止まらない。
両手剣を振り上げては降りおろし、繰り返される攻撃は単調ではあるが、片手剣の勇者はじりじりと後退しているのが見える。
さすがに片手でシリウスの大剣を受け止め続けるのは、素人の俺が見ていても不利に思えた。
「うおー!」
大きな声とともに、また頭上からの一撃が勇者の剣に受け止められる。
シリウス有利に見えた攻防も、時間が経つにつれ様相は変わってくる。
必死のシリウスに対し、勇者は涼しい顔をして、むしろこの状況を楽しんでいるようでもあった。
あえてシリウスに攻めさせている、そんな余裕が窺える。
シリウスは完全に遊ばれているのだ。
「なかなかやるじゃねえか、あの兄ちゃんよ」
「バカ言え。勇者は受けてるだけで、何もしちゃいねえよ」
どこかから聞こえてきた観衆の声は、至極もっともであった。
時間が経つにつれ、この戦いは膠着状態ではなくただの勇者の余興と捉えられてしまうような、そんな有様だったのだ。
素人から見ても、シリウスの攻撃は、勇者クロスに一撃を与える可能性すら感じさせない。
「そろそろ、いいかな」
まるでこれまでの攻防が遊びであったかのように、勇者はすっと剣を構える。
これにはがむしゃらに攻め一辺倒だったシリウスも異変に気付き、、大剣で身を隠すように守りに入った。
「くるぞ、勇者の攻撃が」
見守る男の声に、俺は二人を止めるという目的すら見失い、つばを飲み込んでいた。
勇者の攻撃が繰り出されては、シリウスはただではいられないという、確定された未来だけを覚悟させた。
止めなくてはいけない。
だが、止めるということはシリウスの夢を砕くことにもなってしまう。
俺は動けず、見守ることしかできないでいる。
「一対一で戦士スカーと戦ったら、私もただでは済まないよ。それくらい、スカーの体力はすさまじいものがあった。すなわち、君が私を倒せないということは、スカーの代わりは到底務まらないということだよね」
すり足で距離を測るクロスが、構えた剣から覗くようにシリウスを見据えている。
一方、シリウスは返事すらできないくらい、肩で息をしていた。攻め疲れなのか、ただ単に体力がないだけなのか。
「ただ剣を振り下ろすだけなら、そのへんの筋肉自慢でもできることなんだよ。君がさっきからやっているのは、ただの作業。攻撃でも、戦いでもない。そんなもので、勇者パーティーに入れると思ったんだとしたら、それは我々が甘く見られていたということだ」
クロスが剣刃を返し、その動きが止まる。
「だから君にも、一度勇者としての実力を見せてあげないと思うんだ。……いくよ?」
一瞬だった。
いつの間にか、クロスはシリウスの背後に移動して、剣を振りぬいていた。
瞬きをしたつもりもなく、時間が止まったわけでもない。この広場の空気が一瞬で固まり、ここにいる観衆の誰もが、いま何が起こったのかを理解できずにいた。
気がつけば、すべてが終わっていたのだ。
俺には何が起こったのかも分からない。
分からないが、今目の前にあるのは、倒れるシリウスと、剣を収めるクロスの二人だけだった。
「シリウス!」
俺の叫びがきっかけで、アレアレア中央広場の止まった時間が再び動き出す。
一気に上がる歓声は、目にも止まらぬ早業でシリウスを仕留めた勇者への称賛であろう。
観衆たちは手を上げ、ガッツポーズをして、勇者の戦いを讃えている。
まるでシリウスが悪者で、やられるべくしてやられたみたいに、広場に倒れる男には誰も見向きをしてはいなかった。
まるで結果の分かっていたエンターテイメントのようだった。
みながみな勇者の勝利を確信しており、その通りになった結果を見て、大団円を迎えるような空気に包まれていた。
その中で、俺だけが倒れるシリウスに駆け寄る。
「シリウス、大丈夫か!」
シリウスの上半身を起こすようにして、声をかける。
意識はある。
薄目を開けるシリウスは、かろうじて口を動かす。
「ケンタさん……。やっぱり、ダメでした……」
パっと見たところ、シリウスの体に大きな傷はない。勇者の攻撃は見えなかったが、きっと峰打ち的なものだったのだろう。本気であの剣で斬りつけるほど、クロスも鬼ではなかった。
「心配しないでいい。ちょっと、触っただけだ」
勇者クロスは、ササッと服の汚れを払いながら、俺たちに語り掛ける。
触っただけ、というのが明らかな皮肉であり、勇者とシリウスの実力の差をはっきりと示しているのだろう。
これが勇者の実力だと、言い聞かせるように。
そしてシリウスは、まったく敵わなかったのだ。
「ほら、どけどけ!」
まだざわつく観衆をかき分けるように、町の護衛団が現れた。
いきなり始まった勇者の戦闘を聞きつけ、ようやくのおでましといったところか。
その中に護衛団長のボジャットの姿があるのに気付く。
「クロスさん、勘弁してくださいよ」
そのボジャットがクロスに近づき、無表情のまま耳元で囁いた。
「お騒がせしてすみません! ちょっと訓練をしただけですので、今日はこの辺で失礼します!」
これには勇者も自分たちを囲む観衆に向けて言い放った。
いきなり戦闘を始めて混乱を起こしたことに対する詫びと、速やかな解散を促したのだ。
勇者がこう言うのだから、観衆も蜂の子を散らすように、中央広場から去っていった。
「クロスさん、行きましょう」
ボジャットが護衛団で取り囲むようにして、クロスを広場から移動させようとする。
護衛団からしてみると、こんな日中に町の真ん中で戦闘をするなんて、文句のひとつでも言いたいという本音が垣間見える。
「ちょっと待って」
クロスは護衛団から離れ、俺たちのところにやってきた。
そしてそっと、俺の耳元に顔を近づけ、
「昨日の宿屋で待ってるよ」
「え?」
俺がそのクロスの言葉に反応したころ委には、すでに彼は護衛団の下に戻って、広場を離れようとしていた。
勇者が俺たちにまだ何か用があるのか?
「……シリウス、大丈夫か?」
俺は勇者の言葉を考えながら、シリウスに対してそう繰り返すことしかできなかった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!