勇者側より会談に指定されたのは、大きな建物であった。ラの国の首都で一番大きな宿屋らしく、ハデスたちが訪れたときにはすでに周囲は戒厳令が敷かれていた。
おそらく首都に住む人間たちは外出を禁止されているのか、町にいるのは装備を整えた兵隊ばかりだった。
訓練してはいるのだろう、その兵たちもハデスから見るとオーラの量も微々たるもので、なんとも頼りないものであった。
ハデスたちを先導するギャスも、虫けらでも見るような視線を送っている。もしこの場にランゲラクがいれば、なぜこんな人間たち相手に休戦をしなければいけないのかと憤怒していただろう。それくらい人間たちの力は無力だった。
その宿屋の入り口に向かうと、勇者側の人間と思われる男が現れた。身につけている重厚な鎧などを見るに、そこそこの戦闘力はありそうだったが、それもたかがしれている。
「私は勇者パーティーの戦士アネフだ。建物に入るのは、会談に出席する最小限の人数にしていただきたい」
アネフと名乗る戦士は、全身を鎧で囲み、頭も目だけが見える兜をかぶった完全装備だ。
慇懃無礼な態度に、モンスターへの敵意が感じ取れた。
「魔王様、いかがします?」
側近として付いてきている幹部モンスターのギャスが、小さな声で尋ねる。
「構わん。私とお前がいればなんとかなろう」。
ギャスが無言で頭を下げる。
魔王の身に万が一のことなどあるはずがないというのは、ギャスも十分承知していた。
「私はギャスだ。魔王様のご家族まで外でお待ちいただくわけにはいかぬだろう」
すっとハデスの前にギャスが歩み出る。
「もちろんだ。別室を用意してある」
アネフはちらりと魔王の隣にいるミラと、背中に隠れているシャルムを見た。
「こちらへ……」
アネフは小さく頭を下げ、さっと右腕を出した。
「安全という保障はどこにもないではないか。無礼なことをすると、この会談はいつでも破棄できるのだぞ」
アネフに対し、噛みつくのはギャスであった。魔王の側近という立場で、勇者側に先手を取られることに神経質になっているようであった。
「ギャス、お前が付いていてくれ」
ハデスはこんなところで言い争うつもりはなく、ギャスに命令した。
「しかし、会談のほうは……」
「私一人だけでは心配というのか?」
「いえ、滅相もございません!」
言葉が過ぎたことに気づいたギャスは、すぐさま跪く。
「ミラとシャルムを任せた。会談は、すぐに終わる」
ハデスはミラとシャルムの肩を叩き、アネフに従うように目で合図する。
会談自体は勇者側が提案する休戦に、ハデスが合意するかどうかの簡単なものだ。
「待ってるわね」
「お父さん、がんばってね」
ミラとシャルムは軽くハデスと抱き合い、ギャスとともにアネフの案内する部屋へ向かった。その姿を見送り、ハデスは中央の大きな部屋に進んだ。
大きな長方形の机があり、すでに一人の男が座っているのが見えた。そのわきには数人の、護衛が立っている。
「ようこそおいでくださいました。魔王様!」
ハデスが部屋に入るとその男が立ち上がり、ひときわ大きな声を出した。
鎧は身につけていない。武器も持っておらず、丸腰だ。ローブのようなものを肩から斜めにかけ、頭には月桂樹の葉を編んだ冠を付けている。無精ひげが目立つ顔も、どこか軽薄さを強調させていた。一見しただけで、体も大きくない。隣の護衛のほうが体格もいい。
(こいつが、勇者?)
ハデスは自分を待ち受けていた、あまりにも頼りない男を見て目を細める。逆の意味で動揺しそうになったのだ。
「ラの国は遠かったでしょう? さあ、ゆっくりしてください」
男は華奢な右腕で、ハデスに椅子を勧めた。
話し方があまりにもフランクで、こちらを挑発しているのかと疑る。初めてミラと会ったときとは、正反対の印象だった。
「僕が勇者のウハネです。初めまして、魔王様」
軽薄で、人を馬鹿にしたような態度に勇者ウハネの第一印象は最悪であった。
だが、同情ができないような人間のほうが、感情が入り込まなくていい。
これはあくまで会談であり交渉だ。個人の感情による話し合いとは違う。
ハデスは黙って椅子に座った。
「ほら、お茶でもお出しして。このラの国はね、いいお茶が取れるんですよ。ぜひ飲んでいってください」
護衛に指示をして、お茶を淹れさせに行くウハネ。
「茶などいらん。さっさと会談を始めてもらおうか。ここに長居するつもりはない」
これはあくまでビジネスなのだ。
実力行使に出れば、このダジュームなどすぐに征服できる。。父であった前魔王は油断をして撤退を余儀なくされたが、すでに侵略のノウハウはもう十分に魔王軍にはある状態なのだ。
そのことを理解したうえでの勇者側からの休戦申し込みのはずであるが、あまりにも勇者ウハネの言動に違和感を覚えるハデスであった。
モンスターを目の前にして、しかも相手は魔王である。泣き叫び許しを請うのが普通といっても過言ではない。
しかしどうだろう、この態度は。何か策でも巡らせているのか?
ぐるりと室内を見渡しても、罠が仕掛けられたり、援軍が控えているようには見えない。たとえ何百人と人間が隠れていようが、ハデスにとっては他愛もないことだが。
だとすると余計勇者の緊張感のない態度が気になってしまう。
「まあまあそう焦らずに。会談といっても、これはもう結果が決まっていることでしょう。うちらが休戦を申し込んで、魔王様がそれを承諾する。それだけの話です」
ウハネは足を組んで、大げさに手を広げて見せる。
やはり、何か裏がある――。
ハデスは出されたお茶にも手を付けず、ウハネの様子を窺う。
この勇者の戦闘力が話にならないほどの低レベルであることは、すでに見切っていた。さっきいたアネフとかいう戦士のほうがよっぽどレベルは高い。
(何か特殊なスキルを持っているのか?)
体力による単純な能力のほかに、スキルの有無によって戦闘力は大きく影響する。魔法も一つのスキルでもあるし、【変化】のようなスキルで己の姿を変えることもできる。
「魔王様ともあろう方が、緊張してらっしゃる? リラックスしてください。私はこの通り、何も持たざるアイソトープですから」
ウハネは己を卑下するように笑った。
ウハネがどんな強力なスキルを持っていたとしても、ハデスに通用しないことは、自明の理である。ただでさえ、人間よりも能力が劣るアイソトープなのだ。妖精として転生できなかったできそこないが、このようなアイソトープになるということは調査済みだった。
「それとも私みたいなアイソトープを、魔王様は怖がっておられるんですか? 意外と魔王様間も気が小さいんですね!」
無礼なウハネに、ハデスはピクリと眉根を動かした。
ハデスは慎重になっていた。相手のスキルを知らないままで、迂闊に動くことはできない。
これは魔王としては消極的だったといえる。おそらく父ならば、この時点でウハネを殺していただろう。魔王に対してのこのような態度をとるアイソトープなど、会談する価値もないと。
それがモンスターの頂点に君臨する魔王としては、正解だったのだ。
ハデスには守るものがありすぎた。
家族、裏の世界、そしてこのダジュームも守ろうとしていたのだ。
そのためにはこの会談で休戦を成立させなくてはいけない。
「まずはあらためて話を聞こう。勇者ウハネよ」
そしてようやく、勇者と魔王による会談が始まった。
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