「……そ。カリンがそう言うなら、いいわ」
席を外そうとしていたシャルムは、再びリビングに戻ってきてソファにかけた。バッグから出した一枚の書類をテーブルに広げた。
「せっかくだから、あなたたちにアイソトープがジョブに就くまでの流れを説明しておくわ。これが求人票。月一回、こうやって発行されるの。アイソトープを雇いたい雇用主は国に申請して、アイソトープはこれを見てハローワークを通じて応募する仕組みね」
俺は元の世界のハローワークには行ったことはないが、求人票という名前はなんとなく聞いたことがある。
シャルムが広げた求人票も、勤務地や給料、仕事の内容などがざっと一覧になっていた。
新聞のチラシに入っている求人広告なら何度か見たことがあるが、あれによく似ている。
「毎回これを取りにわざわざお城まで行かなきゃいけないんですか?」
「ほんと、ダジュームにもインターネットが繋がってたら楽なのにな」
現代っ子のシリウスと俺は、このアナログな方式に眉をひそめる。
ここからラの国の城まで、馬車で数時間かかる。ラの国はそれほど広いのだ。
ま、シャルムならワープで数秒で行けるのだろうけど。
「あなたたち、ダジュームの技術を舐めてるわね? 今回は別用もあったから直接出向いたけど、普段は魔法通信なんかで済ましてるわよ。ま、お役所仕事ってのは得てしてめんどくささが伴うんだけど。……見て」
ムカッとしたように、シャルムが書類を爪でコツと叩く。
魔法通信というのが何かは今は置いておいて、俺たち三人の目が書類に集中する。
「一応、国が発行する公文書だから怪しいジョブはないはず。報酬は渋めだけど、変なトラブルに巻き込まれるケースは極めて少ないのがいいところね」
俺はざっと求人票を見渡す。
そこには国直轄の国境警備隊やモンスター討伐隊という絶対になりたくないジョブから、各地のレストランや宿屋、建設現場や洞窟発掘など、様々なものが並んでいた。
いわゆるバイトに応募する感覚か。俺は納得した。
ざっと見たところ、数としては戦闘ジョブが多く見える。それに、報酬も明らかに高い。
「あ、道具屋見習いとかあるじゃん。俺、こういうのがいいなぁ」
「この公式な求人票以外にも、非公式なジョブっていうのもあるんですか?」
俺の言葉を遮るように、シリウスが真面目に質問する。
「そりゃあるわよ。国やハローワークを通すとマージンが発生するわけだから雇用者も労働者も実入りが減るわけよ。その分、保証なんかがきくんだけどね。これとは別に闇オファーっていう表に出せないイリーガルな仕事もこの世界にはあるにはあるわ」
「……暗殺とか、そういう?」
シリウスが上目遣いで、妙に真剣に食いつく。
いきなり怖いこと言う奴だ。アサシンなんてジョブ、絶対に嫌だぞ!
「安心しなさい。うちは誠実・公正・安全でやってんの。そんな闇オファーをあんたたちに押し付けるつもりはないわよ。美味しい話には裏があるって、あなたたちの世界でも言うでしょ? そういうことよ」
手をパタパタと振り、シリウスを安心させるシャルム。
何が「誠実・公正・安全」だよ。いきなりモンスターのいる洞窟に放り込んどいて、よく言うよな! こちとら転生初日から死にかけたのにさ!
「このアイソトープ専用の求人票は毎月発行されるの。履歴書のほかにハローワークからのスキル認定書と推薦書をつけなきゃ応募できないの」
「あ、パン屋さんからの求人もありますよ!」
話が物騒な方向に逸れていたところを、カリンの一声が元に戻す。
彼女が指さすところには、ラの国のお城がある街のパン屋からの求人だった。
「そういやカリン、今日のパンすごく美味しかったぞ」
「うわぁ! ありがとう! ちゃんと食べてくれたんだ!」
今朝、カリンが焼いてくれたパンを昼食に持って行ったのだ。帰ってきたらお礼を言おうとしていたのだが、さっきの騒動ですっかり忘れていた。
「いや、あれならパン屋でも十分働けるかも。【パン屋】のスキルが身に付いたと言っても過言ではないな……」
「もう、ケンタくん、褒め上手なんだから! 私もパン屋さんで働けたらいいのにな!」
「これだったら毎日買いに行くよ」
「ありがと!」
バチンとカリンに肩を叩かれる。褒めるというか、俺も【パン屋】スキルが欲しいんだけどなぁ。
「話を元に戻すけど、カリンへのオファーはこの求人票とは別の話よ。こちらから応募するんじゃなくて、相手側から直接アイソトープ個人にオファーが届くのよ。これ」
シャルムは求人票を閉じ、新たな一枚の書類を取り出した。
「今回は国外からの求人、ラの国以外からってコト。……これよ」
いろいろ遠回りしながら、カリンへのオファーを提示するシャルム。
「……ソの国の王子の……、婚約者?」
そこに書かれていた文言を読み上げたのは俺だった。
「ソの国は隣国で、小さな国なんだけど炭鉱が栄えていてここと違って裕福なのよね。そこの王子が結婚相手を探してるらしいの。それでカリンに直接オファーが来たってコト」
淡々と説明するシャルムだが、これって……。
「カリンさんを名指しでですか?」
「そ。あなたたちアイソトープは、ハローワークに保護された時点で国のデータベースに登録されるの。保護率なんかの関係もあるし、こうやってオファーを受けるためにね」
つまり俺たちはこのダジューム中で存在を認識されてるってわけか……。
まるで指名手配犯みたいで、ちょっと背中が痒くなる。
「でもこれって仕事のオファーなんですよね? もう出会い系じゃないですか、結婚相手を探すって……」
しかも一国の王子が、である。マッチングアプリじゃないんだから、これをジョブというのはどうだろうか?
俺はちらっとカリンを見る。さっきまでの笑顔が風に吹かれたように消え、真面目な顔でオファーの書類を見つめていた。
思うところは同じようだと、俺は理解した。
「クソ気分の悪い話をするけどね、女のアイソトープは人気なの。特にこういった身分の高い連中にはね。アイソトープ名簿を使ってオファーをかけてくるのは、ダジュームではわりとある話なの」
シャルムは吐き捨てるように言い、ゆっくりソファにもたれかかる。
「……まるで人身売買じゃないですか?」
俺の言葉があっているかどうかは分からないが、シリウスもカリンもじっと黙っている。
アイソトープと結婚する、というのがステータスと感じる奴もいてもおかしくない。俺たちはマイノリティなのだから。
でもやり方が仕事のオファーを利用しているようで、気にくわない。
「……だからあなたたちには話したくなかったのよ。私だって、こんなオファーを勧めるつもりはなかったのよ。でも、国を通して入ってきたオファーを無視するわけにはいかない。ハローワークとして」
もちろんシャルムの立場も分かる。
間に入るハローワークがジョブのオファーを届けないというのは違反にあたるだろう。
「そうですけど……」
「これまでの経験上、アイソトープはこういうオファーに飛びつくの。相手は一国の王子、必要なスキルはなし、結婚すると一生豪勢な生活が保障されるのよ? ダジュームで生きていくための苦労なんて、何ひとつない」
シャルムは何か含むような、皮肉めいた口調で話した。
――玉の輿。
俺たちはじこのダジュームで生きていくために、過酷な訓練でスキルを身につけようとしている。だけどこれなら、シャルムの言う通りスキルなんていらない。ジョブと言えど、働かずしてなんら不自由ない暮らしが待っているのだ。
「じゃあこれまでも女性のアイソトープが……?」
「そうよ。うちのハローワークからもいろんなところへ嫁入りしていったわ。国を治める王や王子ともなると、正妻以外にも妾としての募集もあるくらいだからね。女子にとっては売り手市場なのよ、この『ジョブ』は」
シャルムは「ジョブ」の部分だけ強調した。
異世界ハローワークとして、シャルムはアイソトープにジョブを与えるのが仕事である。ドSに見えて、実はアイソトープのことを考えて訓練をしたり、ジョブを斡旋しようとしているのは実のところ気づいていた。
今回のケースも、シャルムは不本意に見える。まるでカリンにこのオファーを受けてもらいたくないようにまで感じられる。だから俺たちには聞かせないようにしたのかもしれない。
しかし、当のカリンはどう思っているのか――。
「カリン、どうする? 今言った通り、破格のオファーであることは確かよ。ソの国の王子と結婚したら、一生不自由はないはずよ。決めるなら早い方がいい」
ぐっとシャルムが前かがみになり、悩むカリンの目を見る。
さっきから一言もしゃべっていないカリンだが、簡単には決められないという逡巡が見て取れる。
こればかりは俺がどうこう言うつもりはないが、カリン本人のことを考えると悪い話ではないのは事実だ。
一国の王子への嫁入り――。
ジョブとしてこれだけを見るとちょっとネガティブなイメージを受けてしまう。だが、何も悪いことをしようとしているわけではなく、ダジュームでは当たり前のことだという。
俺たちは異世界ダジュームで当たり前のように生きていくために、訓練を受け、ジョブを探している。当たり前の生活の選択肢の一つとして、それは否定することはできない。
……むしろ俺は羨ましく思っているのだが、それは言わぬが花でしょう。
「私……」
口元を手で隠し、眉根を下げるカリン。なんだか泣きそうに鼻をすすり、肩を震わせていた。
「おい、大丈夫か?」
その少し異様な様子に、、俺は思わず声をかけ、その肩に手を伸ばそうとした。
「……っ!」
するとカリンは腰を引き、俺の手から逃れるようにソファに深く座り直した。明らかに、俺を避けた格好だ。
やはりどこか普通じゃない。いつもの笑顔が完全に消えている。
その青ざめた表情は、いつか見た気がする……。
そう、あれはカリンが転生してきたとき、俺が手を差し伸べたときだ。何か、あったんだろうか? 何か思い出すことでもあったのか?
シャルムもその様子に気づいたように、目で合図をしてくる。
俺は自分の席に戻る。シリウスも心配そうにして、口を結んでいる。
「カリン、私は何もあなたに無理に勧めているわけでもないのよ。強制しているわけじゃ決してないの。決めるのはあなたよ」
シャルムは優しく語りかける。
「はい……」
さっきパン屋の求人を見つけたときと違い、空気が重々しくなっている。
「私……」
す、と顔を上げたカリンが語りだした。
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