妖精の森を出た俺は、翼を得た。
メタファーとかそういうんじゃなく、俺の背中に翼が生えたのだ。
半透明の翼は俺のオーラが作ったもので、始まりの妖精シャクティが俺に授けてくれたものであった。
まだいまいち使いこなせていないけれど、それでも俺が異世界ダジュームで得た大きな力だ。
そして、妖精の森から再びダジュームへと戻った俺と妖精ペリクル。翼だけではなく、俺の背中には大きな目的を背負っていた。
それはこのダジュームの憎しみの連鎖を断ち切ること。
今にもこのダジュームでは、勇者と魔王軍は衝突しようとしている。つい先日もデンドロイの町で戦闘を行った勇者と魔王軍のモンスターだったが、町は火の海となり、住民たちも犠牲になった。
このまま勇者と魔王が戦いを広げていけば、世界中は戦火に巻き込まれることになる。罪もない人々まで、血を流してしまう。
その結果、訪れるのが憎しみの連鎖であると、妖精シャクティは嘆く。
そしてこの戦闘を止められるのは、俺。ダジュームに転生してきたアイソトープ、ケンタ・イザナミだというのだ。
なんで魔法も使えないできそこないの俺が救世主のような立場にされるのかとも思うが、そもそも勇者と魔王が争うきっかけは悲しいかな、俺なのだ。
勇者も魔王も、俺の【蘇生】スキルを求めて争っているのだ。どちらも俺の【蘇生】スキルが邪魔で、つかまったら俺は殺されるまであるのだ。大変なことに巻き込まれたのは俺のほうだよ……。
とにかく。
俺はなんとかこの争いを止めなくてはいけないのだ。
勇者にも魔王にも捕まることなく、双方の争いを止める。
ていうか、そんなことどうやればできるんですか? 誰か教えてください!
「ちょっと、早くしてくれない?」
俺の目の前では小さな妖精ペリクルが腰に手を当て、ぷかぷか浮かびながら俺のことを睨みつけてくる。
「早くったって、まだ俺は空を飛ぶのに慣れてないんだから……、」
俺たちはダジュームに帰ってきて、ファの国の海の上にいた。
背中にオーラの翼が生えたからといって自由自在に空中を飛べるというわけではなく、なぜか俺はただ空中にぷかぷかと浮いて手足をバタバタさせているだけでちっとも動けないでいた。
「これ、前に進まないんだって。どうやれば……うわっ!」
突然拭いた風にあおられ、ぐらんと体が揺れる。
翼が生えたからといって鳥のようになったわけじゃなく、今の俺は風にふかれるシャボン玉みたいなものだった。
「その翼はあなたのオーラなんだから、あなたが行きたい方向へ念じれば勝手に動くわよ! ほんと、物分かりが悪いわね。赤ちゃんみたい」
さっきから風に吹かれてふらふらとしている俺に、愛想を尽かせるペリクル。そりゃいきなり翼が生えたからって、飛び方はわかんないって!
ダジュームに戻ってきた地点から俺は10メートルも動いていなかった。
「ていうか、何もしていないのにすごい疲れるんだよ。なんか気を抜けば翼が消えそうで……」
「そりゃそうよ。妖精と違って常に羽があるわけじゃないからね。使うのは筋肉じゃなくって、体中のオーラなんだから」
「そもそもオーラの使い方がわからないから、俺はこうやってできそこないのアイソトープをやってたんだよ! ダメだ、翼が消えそう!」
ちらっと背中のほうを見ると、半透明の翼がさらに頼りなく点滅している。これはもう虫の息じゃないか!
「あなたに翼なんて宝の持ち腐れね。大丈夫、下は海だから」
はぁ、とペリクルがため息をついた瞬間だった。
ぱすんと、まるでガス欠するかのように俺の翼が消えてしまった。
「ぎゃ―――――――!」
ここが異世界といえど、重力に逆らうことはできない。
「バカ」
空中に浮かぶペリクルに手を伸ばすが、届くはずもない。オーラの翼を失った俺は、そのまま海の上に真っ逆さまに落ちてしまった。
「もうヤダ……。こんなことなら翼なんていらなかったよ……」
溺れそうになりながら砂浜まで泳ぎ、震える体を抱きながら口に出るのは弱音だけだった。
「あなたは根本的にオーラの量が足りないのよ。アイソトープってほんとに世話がかかるわね。もっと訓練しなさいよ」
びしょびしょの俺の周りを、当てつけのようにくるくる飛び回るペリクル。
「訓練なんて薪拾いしかやってねーからな! こんな俺がどうやって勇者と魔王の争いを止めるっていうんだよ!」
とりあえず上半身の服を脱いで、ぎゅっと絞る。
「それはあなたの考えることでしょ。で、どうする?」
ペリクルがすとんと俺の肩の上に下りてきた。
俺もこんなとこでぐずぐずしている場合ではないのはわかっていた。
諦めるために、このダジュームに戻ってきたわけではないのだ。
俺にできることを探すために、戻ってきた。
「まずはデンドロイに行ってみようと思う。まだ勇者と魔王軍はあそこで対峙してるんだろ?」
「みたいね。あの夜以来、戦闘は起こってないけど」
あの夜とは、俺を追ってきた勇者パーティーと魔王軍がデンドロイの町で戦闘をしたときのことだ。その時の映像を妖精シャクティから見せられたのだが、町は破壊され、一般の市民たちにも犠牲が出ているようだったのだ。
デンドロイの町は、俺が数か月住んでいて、知り合いも多い。働いていた金鉱の仲間たちや、居候させてもらっていたビヨルドさんの安否が心配だ。
「きっと俺の居所を見失って、勇者も魔王軍も動けないんだろう」
「ちょっとケンタ。さっきからその魔王軍って言い方、やめてもらえない?」
ちらっと肩の上のペリクルはふくれっ面で俺を睨んでいた。
「なんでだよ?」
「あなたを狙ってるのは、ランゲラクの軍勢なのよ? 魔王様の命令じゃないわ」
「そのランゲラクって奴も魔王軍に変わりはないだろ。それにお前の上司だって、今はそのランゲラクの下で働いてるんだろ?」
ペリクルの上司とは、以前俺をラりしようとしたジェイドのことである。魔王の執事から、ランゲラクの配下へと異動したらしい。
「それはそうだけど、一緒にしてほしくないの!」
プイっとそっぽを向くペリクル。魔王軍も一枚岩ではないのは聞いた話なので、そういうことにしておこう。
「で、お前はどうするんだ? ホイップに会いに行かなくていいのか?」
このペリクルまでダジュームに戻ってきた理由は、育ての姉である妖精ホイップに会うためであった。
俺が最初に保護されたラの国のハローワークで働いている妖精だ。こんな縁もあるなんて、ダジュームは意外に狭い。
「あなたを放っていけるわけないでしょうが。一人でデンドロイに行く気なの? 勇者に見つかったら、殺されるのよ?」
「物騒なこと言うなって! 勇者は面識もあるし、それに……」
それに、今は勇者パーティーには俺と一緒に転生してきたシリウスがいる。
「話せばわかるって、そんな気楽なこと考えてるんじゃないでしょうね?」
「そう考えてるよ! ランゲラク軍よりかはね!」
「分かってないわね、あなた? 勇者のほうがあなたの【蘇生】スキルを邪魔に思ってるんだからね。あったらすぐに殺されて終わりよ」
「だからそれも話してみなきゃわからないだろ!」
「そんなだからできそこないだって言うの! あなたが殺されるわけにはいかないのよ!」
「それはお前が魔王軍だからだろ?」
「バカ!」
海辺で言い合うアイソトープと妖精の姿なんて、誰にも見せられない。
「俺は行くぞ! お前はホイップに会いに行け!」
「あほ! 間抜け! わからずや! うんこたれ!」
背中に罵声を浴びながら、俺は砂浜を歩く。
ペリクルにとっては、このほうがいい。あいつは一応魔王軍の所属なわけだし、勇者と会わせるのは気が引ける。
おそらくここからデンドロイまでは歩いても数日で行けるだろう。何とかランゲラク軍のモンスターに出会わないように、勇者たちとコンタクトを取らなくては。
誰の血も見ることなく、この争いを止める。それを止められるのは、争いの発端となっている俺にしかできないはずだ。
正直、不安なのは隠せない。ペリクルの言うように、勇者に殺される可能性があるのは、俺も理解している。
勇者は俺が【蘇生】スキルで、先代の魔王を生き返らせることを恐れているのだ。そうなったら、このダジュームはさらに暗黒の世界になり果てる。
びしょ濡れの体ではあるが、ぐっと握ったこぶしの中は汗でさらに濡れていた。
「ケンタ!」
背後で、ペリクルの俺を呼ぶ小さな声が聞こえた。
今さら別れを惜しむつもりはない。俺は俺で生きていくのだ。ペリクルも、自分のやりたいことをやればいい。
さらばペリクル、と俺は心の中でつぶやき、振り返ることなく歩き続けた。
その刹那、後ろでざざっと、砂浜の上に何かが落ちてきたような音が聞こえた。
あの小さなペリクルが地面に着地した音にしては大きすぎる。
はて何事かと思ったが、今さら振り向けない。
まさか、と嫌な予感がする。
こういう時は、ろくなことにならないのだ。そういうろくでもない出来事が積み重なって俺はこの状況に陥っている。
「ケンタ」
また名前を呼ばれた。
ペリクルではないことは、その声色でわかる。
男の声、しかも二度と聞きたくはなかった声。
俺は恐る恐る振り返る。
「……ジェイド」
そこにいたのは、あの黒いスーツに身をまとった男。
魔王の執事であり、今はランゲラク軍に所属するモンスター、妖精ペリクルの上司、ジェイドだった。
本当にろくでもない再会だった。
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