魔法訓練の打ち切りを知ったシリウスは、一人で自分の部屋に戻ってしまった。
「ホイップ、お前なあ。もうちょっと言い方があるだろうが!」
二階の俺たちの部屋の扉が閉まる音を聞き届けてから、俺はホイップに注意をしようとする。
魔法習得に前向きに励んでいるシリウスに、才能がないとは言いすぎだ。
「そうですか? アイソトープが魔法を習得できるかどうかなんて最初から賭けみたいなもんなんですよ? 才能がなければどれだけやっても無駄なんですから、早めに見切る方がシリウスさんのためでしょ? 時間の無駄は人生の浪費ですよ」
コーヒーを入れてテーブルに戻ってきたホイップに、罪悪感というものは見えない。
「だからって、あいつは真面目に魔法が使えるように訓練してるんだぞ。ダジュームのためにモンスターと戦いたいって、ずっと言ってたじゃないか? 一週間そこらで才能がないって判断するのは……」
「いつまでも才能がないってわかっていながら、無駄な訓練をする方が残酷じゃないですか? ハローワークは慈善事業じゃないですし、無駄な努力はシリウスさんのジョブ探しを長引かせるだけですよ!」
「無駄無駄って、ジョブ探しは効率でするもんじゃないだろうが!」
「効率を無視することが、無駄って言ってるんです!」
いつの間にかにらみ合う俺とホイップ。水掛け論であることは理解していた。
隣ではカリンが目を丸くしてあわあわしているが、俺たちのバトルは終わらない。
「じゃあ俺の薪拾いのどこが効率がいいんだよ? こんなもんで俺にどんなスキルが身に作っていうんだよ? ただの雑用じゃねーか!」
「それはケンタさんが気づいていないだけです! この一週間で体はすごく立派になってるんですよ? ここに来たときの貧弱な体とは大違いです」
「そ、それは……」
ホイップの的確な分析に、俺は即座に言い返せなくなる。
ただの雑用だと考えていた薪拾いだが、徐々に自分の体が鍛えられていることに気づかないわけではなかった。
毎日山を駆け回っているせいで太ももは太くなっているし、大量の薪を背負っているせいで背筋も鍛えられている。
最初は毎日筋肉痛だったのが、今はもう慣れてきた。
俺は転生してきたとき真っ裸だったので、ホイップに当初のガリガリでひ弱な情けない体を見られている。ホイップから見ても成長はよく分かるのだろう。
「それにモンスターがいつ現れるか分からない状況での観察力、危機管理能力、逃走力が磨かれているんです! もうポケットワームくらいなら慌てずに対応できるでしょ?」
「た、確かに……」
最初はポケットワームが出てきただけで腰をぬかしそうになっていたが、今はもう穏やかにやり過ごすことができている。
それにキラーグリズリーは夜行性らしく、日中は姿を見せないと言うが、万が一のことを考えていつでも逃げられるような態勢を整えている。
「シリウスさんに比べてケンタさんはまず体力面を鍛える必要があったんです。それに考えすぎて慎重になる性格は、突然のハプニングには対応しきれない。だから情報を与えずに裏山に放り込んで経験を積ませる、というのがシャルム様のお考えになった訓練なのです!」
小さな肩を怒らせながら、ホイップがグイグイと迫ってくる。俺は体を反りながら、この訓練の意図を知らされぐうの音も出なくなっている。
ただの雑用だと思っていた薪拾いに、俺は知らず知らずのうちに心身ともに鍛えられていたのだ。
「何もわかっていないのはケンタさんです! そしてシリウスさんは魔法について甘く考えすぎです! ダジュームにおいて自分の能力を過信することは一番危険ですからね! 私はそんな自信過剰なアイソトープが悲しい事故に遭ってなくなるのを見てきたんですからね!」
「は、はい……」
ホイップの説得力のある言葉に、俺はもう反論ができなかった。
俺は考えすぎの性格から、自分の能力はできるだけ低く見積もっている。
魔法なんて使える才能があるわけないし、戦闘スキルなんてひとつもあるわけがない。そう思っている。
だけどシリウスは違う。
自分なら魔法を使えて当然だという気持ちを持っているのは、はたから見ていても伝わってくる。それは自信過剰ではなく、純粋にこのダジュームで生きていくため、役に立つための手段だと考えているのは伝わるのだが……。
「でもシリウスは甘く考えてるわけじゃなくって、あいつなりの使命感だと思うぞ。ダジュームで生きていくための」
「そんな使命感ならなおさらです。きっとシャルム様はシリウスさんのそういう考えを、ぶち壊そうとしたんでしょうね。ダジュームは甘くないぞってことを」
すとんと自分の席に戻り、コーヒーを一口飲むホイップ。
「戦闘スキルのほうが生活スキルよりも優れていると考えがちなんですけど、そんなことは決してありません。生きていくためにはどんなスキルも大切なんですからね。モンスターを倒してくれなくても、もっといろんな方法でダジュームの役には立てるはずです」
シャルムだけでなく、ホイップもこれまでたくさんのアイソトープをここで見てきているのだ。
異世界ハローワークの仕事は、何も知らないアイソトープのスキルを見出し、ジョブに就けること。
こうした俺たちの不満や疑問、そして甘さや失敗は、何度も見てきたことなのだろう。
何人のアイソトープが実際に魔法を使えるようになったのか、ホイップはこれまでも見てきた中での意見なのだ。
何も知らなかったのは俺のほうだ。
「ほらほら、ケンカはやめましょう! ケンタさんも、ホイップちゃんも仲良くしましょう!」
俺とホイップのバトルが一段落したのを見計らって、カリンが間に入ってくる。
まだ転生してきたばかりのカリンの前で恥ずかしいところを見せてしまった。これでは先輩として失格である。
「すまん、カリン。お前まで不安にさせるようなこと言っちゃったな」
「いえいえ大丈夫です。異世界に転生したら、最初は何もかも分かりませんから、ひとつひとつ手探りでやっていくしかないですよね! 私も勉強勉強です!」
ぐっと拳を握り、健気な笑顔を見せるカリン。
年下の女子に、すっかり励まされてしまう俺である。薪拾いで文句を言ってる場合ではない。
「あ、実は私もホイップちゃんに習って昨晩パンの生地を作ってみたんです! 今から焼きますんで、ケンタさん味見してもらっていいですか?」
どうやらホイップの料理訓練は着々とカリンの料理スキルを磨いているようだ。
彼女のようにポジティブに生きていく術を、俺もシリウスも学んでいかなければいけないな。
知らないことを知って、一歩ずつ進むべきなんだよ。
「ああ、いいよ。昼飯に持っていくよ」
「わあ、じゃあすぐに焼きます!」
ぴょんと立ち上がったカリンは腕まくりをする。その白く細い腕には、俺たちと同じ黒い腕輪がはめられていた。
この腕輪はアイソトープが魔法を使うのを助ける補助魔道具だ。
カリンもあの腕輪をはめているのかと思った瞬間であった。
「ファイヤー!」
カリンが叫ぶと同時に、ピンと立てた人差し指の上に小さな火の玉が現れた。
「……え?」
俺は目を疑った。
疲れているのだろうと一度眉間をぐっと握り、もう一度カリンを見る。
見間違いではなかった。カリンが火の玉を出していたのだ。
「えいっ!」
カリンが腕を振り切ると、その火の玉はオーブンに向かってピュンっと一直線に飛んでいき、一瞬で薪に火をつけてしまった。
「一気に焼き上げますから、少々お待ちくださいね!」
にこっと笑ったカリンは、なんでもないようにコーヒーをすすった。
「いやいやいやいや、ちょっと待て! お前、今、魔法を使わなかったか? 手から火の玉を出したよな? ファイヤーっつって?」
めらめらと燃えるオーブンと、パチパチと瞬きをするカリンを交互に見る。
「はい。昨日ホイップちゃんに教えてもらって唱えてみたら、簡単にできちゃって!」
「はあ? えーーーーーーー!?」
俺は朝飯前に魔法を唱えたカリンに向かって叫んだ。なんだか眩暈がして、倒れそうになる。
「カリンさんは魔法の才能があったみたいです! 私も先生として鼻が高いです!」
えっへんと胸を張るホイップ。
「ホイップちゃんの教え方がうまいのよぉ! 料理訓練の成果が出ちゃったね!」
胸の前で手のひらを合せるカリン。
料理訓練をしながら、魔法を使えるようになるってどういうこと?
まさかシリウスが一週間死に物狂いで訓練しても習得できない【魔法】スキルを、このカリンがなんなく習得しているとは……。
俺は腰が抜けそうになった。
「こ、このことはシリウスには内緒に……」
――ガタッ。
何かが床に落ちる音がして、俺たちは一斉に振り向く。
「シ、シリウス……」
そこには顔面が蒼白のシリウスが立っていて……。
「さすがカリンさん。魔法の才能がありますね……」
無理やり薄ら笑いを浮かべるシリウスの拳は血が出るくらいに強く握られていた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!