「私……」
ランチ会の途中、シャルムから今後のジョブに対する面談が始まり、カリンが悩んだ末に切りだす。
もともとは料理が好きで、ホイップから料理訓練を受けていたカリン。最近はパン作りにも精を出しながら、その途中で簡単な火の魔法まで使えるようになっている。
魔法スキルの素質がないと判断されたシリウスや、まともな訓練を積んでいないケンタに比べると、一番ダジュームに順応しているといえるのが、カリンだった。
まだジョブにはつけていないが、先日ちょうどパン屋の面接を受けたところだった。残念ながら、その面接は実績と経験が不足して落ちてしまったのだが。
そんなカリンが、今後の進路について口ごもるのを見て、シリウスは不安になっていた。当然のように、このまま料理の道を進むと思っていたからだ。
シリウスはもちろん、シャルムとホイップもカリンの言葉を待つ。
「観光の仕事がやりたいなって……」
恥ずかしそうに、カリンが小さな声で言った。
目は伏せて、どこか言いにくいことを告げるような、それは謙虚さではなくこれまで言えなかったことの告白のような、そんな後ろめたさが感じられた。
「観光?」
シャルムが聞き返すと、カリンは小さくうなずいた。
シリウスにとっても、カリンの口から初めて聞く単語だった。
「もちろんお料理は好きだし、ホイップちゃんとの訓練も楽しいんです。パンを焼くのも好きだし、カフェで働きたいっていうのも本当なんです。でも……」
カリンが悩んでいる理由は、簡単だった。
自分がやりたいといって、シャルムやホイップから料理の訓練を受けていた。それを今になってひっくり返すことを、申し訳なく思っていた。
カリンが言うように、料理が好きなのは本当だった。ホイップと食事の準備をして、みんなが美味しいといって食べてくれるのを見るのは、自分の存在価値を認められたようで心が満たされた。
元の世界では決して感じることのなかった充足感であった。
カリンは元の世界ではずっと閉じ込められていた。心も、体も、解放されることはできなかった。できないことが多すぎて、未来はとうに諦めていた。決められた未来に沿って、自分は歩くだけ。それがカリンの人生だった。
カリンはダジュームに来て初めて、自由を手に入れたのだ。
ゆえに今まで見えなかったもの、見ようとしなかったもの、見させてもらえなかったもの、すべてが自分の意思で見ることができるようになった。
未来は目の前に無限に広がっていることを知った。
何もできなかった自分の人生は、なんでもできる無限の可能性として提示されていた。
今後の進路のことを考えると、カリンが一つに絞れないのは当然であった。
進路は必ずしも希望通りにいかないとしても、選ぶことができる自由があることはカリンにとって大きかった。
今まで経験したことのなかったより取り見取りの状況に、これが優柔不断であるという背反的な感情も持ち合わせていた。
自分で言い出した料理訓練をなかったことにするには、シャルムやホイップに申し訳がない。自由にジョブを選んでいいのだろうかと。
この観光のジョブがいいなと思っても、自分からは言い出せなかった。自由を行使することに、抵抗を感じてしまったのだ。
ジョブを選ぶという行為が当たり前ではない環境で育ったカリンならではの悩みであった。カリンはまだ潜在的なところで、自由が重すぎた。
「この前みんなでアレアレアに行ったり、会議で首都に行ったりしたとき、すごく楽しかったんです。私、元の世界ではほとんど旅行とか行ったことなかったから、すごく楽しくって……」
一言一言、言葉を探しながらゆっくりと自分の気持ちを確かめながら話すカリン。
ずっと心の中で閉じ込めておこうと思った気持ちが、シャルムに聞かれてようやく具体化できるような気になっていた。
「この前、このアレアレアでお土産売りをしているミネルバさんに会ったよね?」
「ああ、はい。教会の前で」
急に話を振られたシリウスも、ミネルバのことはもちろん覚えていた。
同じアイソトープで、同じハローワーク出身のミネルバ。仮カリンやシリウスにとって先輩であり、シャルムにとっては元教え子の卒業生だ。
「ダジュームにもお土産っていう贈り物の文化があるということは、旅行する人もたくさんいるってことでしょ? 現にあの勇者パレードの日は、世界中からアレアレアに人が集まっていたし。だから私、旅行者に観光名所を案内できるようなガイドをしたいなって。ミネルバさんとも協力して、お土産なんかも作れたらいいなって……」
カリンは心に秘めていたものをすべて吐き出す。
口に出して初めて、その希望の輪郭がはっきりと見えてきた。
それはシャルムも同じだった。
「なるほどね……」
トントンと、こめかみを叩きながら納得するシャルム。
「でも、ホイップちゃんとのお料理訓練が嫌になったからってわけじゃ……」
「わかってるわよ。別にあなたが優柔不断でわがままで飽きっぽいなんて思ってないわよ。ほんとよ?」
ハローワーク所長としては百戦錬磨のシャルムには、カリンが不安に思うこともすべてお見通しだった。
ちらっとテーブルの上で正座しているホイップを見るカリン。
「私もカリンちゃんの気持ちは理解しています。私に気を遣う必要はないですよ!」
ホイップはカリンを見上げてにこっと笑った。
「だけど、お料理訓練は続けたいんです。たとえばその地域の郷土料理なんかも紹介したいし……。もちろん、食事の用意やりますし、ホイップちゃんのお手伝いも!」
言いたいことをすべて出したのか、徐々にカリンも表情が戻っていく。
「そこまで具体的に考えているんだったら、いいんじゃないの? でもダジュームではガイドみたいなジョブは、あんまり一般的じゃないのよね。ここの世界の人たちは、自分たちで勝手に手配して旅行するのが普通だからね」
どうやらダジュームには旅行代理店のようなジョブはないみたいだった。
シャルムの言葉に、一瞬顔が曇ったカリンだったが、もう言ってしまった手前、諦めるつもりはなかった。
「ということは、新しい需要を掘り出せるってことですよね? 誰もやっていないことをやるチャンスじゃないですか?」
テーブルに手をついて、前のめりになるカリン。
「うーん、この場合、どこかの求人やオファーに絡む話じゃないからね。いわば新しいジョブとして独立するみたいな感じ?」
「どうやったら私は独立できるんですか?」
「どうやったらって……」
カリンの圧に、シャルムのほうがのけぞって困ってしまう。
「私、料理もやりたいし、ガイドもやりたいし、いろんなところに行きたいし、みんなをハッピーにしたいんです! どれかひとつじゃなくって、できることは全部やりたいんです!」
それはカリンの自由が解放された瞬間だった。
誰に遠慮することもなく、自分のやりたいことをやりたいと言う。そんな当たり前のことがようやくできた。
「ガイドをやるんなら、このダジュームの地理や歴史の勉強もしなくちゃいけないし、忙しくなるわよ? 料理訓練も続けるならなおさら。出来る、カリン?」
シャルムはこの一か月、カリンが日に日に変わっていくことに気づいていた。
最初は無理して笑顔を作って、まるで自分を殺して生きているようだったカリン。この異世界への転生を簡単に受け入れたのも、彼女の中に慢性的な「仕方がない」という意識がはびこっているからだと感じていた。
元の世界で大企業のお嬢様として親の言いなりになってきたという事情は、カリンから直接聞いていた。そんな閉じ込められた生活からこのダジュームにやってきて、いつ精神的に解放されるのだろうかと気にしていたのだ。
だがこの不安は、シャルムの杞憂であったことにすぐ気づかされた。
カリンはケンタやシリウスとかかわっていくことで、自分の壁を崩し始めた。同世代の、同環境のアイソトープと交友することにより、カリンは変わり始めた。
そしてようやく、本当の気持ちをこうやって伝えることができるようになったのだ。
遠慮しすぎて自分を出せないことは、実は他人を信頼していないから。
シャルムはようやく聞き出せたカリンの本音に、うれしくなった。
「私、体が一つしかないことに困ったのは初めてです。やりたいことが多すぎて、今はわくわくしてるんです!」
「じゃあ、全部やってみなさい。私もちょっとガイドについて調べてみるわ。ミネルバと連携するのは、いいアイデアかもね」
シャルムはカリンの希望を全面的に受け入れ、サポートすることを了承した。
「ありがとうございます! シャルムさん! 私、ワイン飲んじゃう!」
「あ、カリン! あなた未成年なんだから……」
喜びが勝ったのかそれともほっとしたのか、カリンはボトルからグラスにワインを注ぎ、一気に飲み干した。
「……美味しいような、美味しくないような……」
顔をぎゅっとしかめて舌をペロッと出すカリンを見て、シャルムとシリウスは笑う。
「だから言ったじゃないの! カリンにはまだ早いわよ」
さっきはワインを勧めていたシャルムが「はぁ」と嘆息をつく。
「でも、うれしいです!」
カリンはにこっと、笑顔を披露した。
カリンがガイドというジョブを意識したのは、首都へ向かう馬車の中でのケンタとの会話がきっかけになったことは否定できない。会議での発表を控えたケンタに「ガイドとかやればいいんじゃないか」と言われた何気ない一言で、心の扉がノックされたようなものだった。
人は一人では生きていけない。
互いに影響を受けて生きていくものだ。
それはどの世界でも同じことで、アイソトープの三人や、シャルム、ホイップ、そして出会ったすべての人々の影響を受けて、生きていく。
引き続き勇者パーティに入ることを目指すシリウス。
料理訓練とともにガイドになることを目指すカリン。
それぞれが、それぞれに影響され、それぞれの道を歩み始めた。
「じゃあもう一回乾杯しましょう!」
妖精用の小さなグラスを持ち上げるホイップがテーブルの真ん中に歩み出た。
「カリンはジュースにしなさい! ワインは大人になってからね!」
「分かってますよ! そのときはお酒のこともいろいろ教えてくださいね!」
「じゃあ、かんぱーい!」
決意も新たになったところで、ワイワイとランチが再開された。
ちょうどこの時、ケンタは裏山でキラーグリズリーに殺されそうになっていたのだが、そんなことは誰も知らないのである。
食事をしながら盛り上がるカリンとシリウス、ホイップを見ながら、シャルムがぽつりとつぶやいた。
「あとは、ケンタね……」
この言葉は、カフェアレアレのランチタイムの喧騒の中に消えていった。
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