「おい、こっちだサソリ野郎! バーカ! バーカ!」
小石を拾っては投げつけ、とにかく投げつけまくる。鉄の鎧がものすごく邪魔で投げづらいが、こんな攻撃でもしないよりはましだ。元からダメージを与えるのが目的ではない。
シリウスの様子を窺うと、俺から見て右側の壁沿いをなるべく遠回りしながらすでにサソリの真横くらいを通過している。
軽装備とはいえ、バスタードソードを抱えているのにかなり速い。
「そのままじっとしててくれよ、サソリ野郎!」
巨大毒サソリは動かないが、その目はじっと俺のほうだけを見つめていた。
このまま、このまま……。
心でそう願っている、そのときであった。
大きく逆立っていたサソリの尻尾が、一瞬ビクンと震え、そしてついに動き出したのだ。
「ヤバイ!」
俺は両手を胸の前で十字に組み、来たるサソリの攻撃に備えた。
なんとか一撃くらいは耐えてみせる! その間にシリウスが、尻尾をたたっ切ってくれるはず!
ぐっと全身に力を入れ、歯を食いしばり、目を閉じ、息を止める。
だが、想定外のことが起こった。
――ドゴゴゴゴン!
さっきサソリが現れたときのような轟音が、再び起こったのだ。
慌ててその音がした方を見る。
それは俺から見て右側の壁、さっきシリウスが走っていたサイドの壁にサソリの尻尾が突き刺さっていた。
「シリウス!」
サソリは俺ではなく、シリウスを狙って攻撃をしてきたのだった。
ぼろぼろと壁が崩れ、砂煙が上がる。
軽装のシリウスがあの攻撃を食らったらひとたまりもない。しかもあいつは俺を狙ってくると思って、油断していたに違いないのだ。
俺は駆け寄ろうとしたが、ぐっと我慢した。俺たち二人が一緒にいては、サソリの思うつぼだ。できるだけ俺たちは離れていなければいけない。
「シリウス! 大丈夫か!」
俺は叫ぶ。大声を上げることで、サソリの気をこっちに引き付けるためでもある。
しかしなぜ、サソリはシリウスを? あいつの目は確実に俺を見ていたはずなのに!
「ケンタさん! 僕は大丈夫です!」
シリウスの声が聞こえた。
砂煙の中から、バスタードソードを杖代わりにして立っているシリウスの姿が確認できた。見たところ、大きな怪我をしているようには見えない。
間一髪、尻尾の一撃を避けてくれたようだ。さすがの身体能力である。俺なら死んでた!
この状況でシリウスを助けに行くこともできない。なんとかあいつにはサソリの尻尾を切ってもらわないと!
俺は再び石を拾い、サソリの注意をこちらに向けようとした。
だが、思い通りにはいかなかった。
巨大毒サソリは尻尾を高く上げ、再びシリウスのほうに狙いを定めているのだった。俺のことなんて、まったく構いもせずに。
「バカサソリ! こっちを狙えって! お前の目は節穴か!」
サソリの目は明らかに俺のほうをじっと見ている。だが尻尾だけは、さっきからずっとシリウスを補足しているのだ。
「クソ!」
サソリの二撃目をタイミングを見計らって避けながら、シリウスは叫んだ。
ちゃんとサソリの攻撃を見極めて対処するシリウスに、戦闘スキルの才能を感じさせた。
「なんで同じアイソトープなのに、お前ばっかり狙われるんだよ!」
「知りませんよ! でも、これ以上、あいつに近づけません!」
避けることに精いっぱいで、これ以上サソリには近づけそうになかった。
「サソリの攻撃を、こっちに向けなきゃ!」
一体なぜ俺が狙われない? 距離でいうなら俺のほうがサソリに近いし、真正面にいるんだぞ?
「……まさか」
アイソトープの匂い?
あいつは目じゃなく、匂いで獲物を判別している?
「たぶん、匂いで俺お前を狙っているんだ!」
俺の声はシリウスに届いているだろうが、返事する余裕はなさそうだった。
匂いでアイソトープの位置を把握しているとしても、なぜシリウスばかりを狙うんだ?
むしろ正面の俺のほうが狙いやすいはずだし、距離としても近い。
あのサソリ、まさか面食いってわけじゃねーだろうな? ブサイクの俺は食っても美味しくないってか? この野郎!
……いや、ちょっと待てよ。そうか。そうだよな?
あのサソリは俺たちアイソトープを食うことが目的なんだ!
俺はシリウスばかりを狙う理由に思い当った。
……だけど、どうする?
「シリウス! もうちょっと我慢してくれ! 俺がそいつの攻撃を引き付ける!」
すでに三撃目をかわしていたシリウスだったが、崩れた壁や穴の開いた地面に苦戦し、少しずつサソリから距離が離れつつあった。
「僕は僕で、なんとかしてみます!」
シリウスは大きなバスタードソードを両手で握り、毒サソリの攻撃を受け止めた。俺とは比較にならないくらいその大剣を見事に使いこなしている。
魔法が使えないアイソトープなのに、しかも俺より年下で、巨大毒サソリにひるむことなく一人で戦ってやがる!
猪突猛進とか言ったけど、それを裏付ける実力があるじゃねーか!
なのに俺は考えすぎて、口を出すばかり。使えもしない武器を持って、ろくに動けない役立たず……。
あいつ一人にいい恰好させるかよ!
「クソ、俺だってやってやる!」
俺は被っていた鉄の兜を脱ぎ、巨大毒サソリめがけて投げつけた。
が、届かずに途中でガチャコンと地面に落ちる。
続けて俺は両腕の小手から、胸のプレート、腰から足までを覆っているすべての鎧を脱ぎ捨てた。
そして俺は完全に素っ裸になってしまったのだ。
「ケ、ケンタさん……?」
監視役のホイップが、俺の奇行に思わず声が出たようだ。
この異世界に来て二度目の裸である。しかも一日で二回目。かなりハイペースな脱ぎっぷりである。
「同じ匂いに反応しながら、シリウスばかりを狙うこいつの目的が分かったぞ! 全身鎧の俺より、軽装備のお前のほうが食べやすいからだ!」
そう、俺だってそうだ。
殻付きのエビと、殻が剥かれたエビがあれば、どっちを先に食べる?
おそらくあの巨大毒サソリにとって、俺たちアイソトープはそれくらいの対象なのだ。最終的にはどっちも食べる。だけど二人で抵抗されると面倒くさいし、食べづらい。
だったらまずは、できるだけ食べやすい方を……!
言うまでもなく全身鎧の俺は殻付きエビ、軽装備のシリウスは剥きエビ。
「さあ、サソリ野郎! これで俺のほうが食べやすいぞ! 味は知らねえけどな!」
俺は両手を広げ、完全に真っ裸の生まれたて、余計なものはついていない、アイソトープのお刺身状態をアピールした。
目だけはずっとこちらを見ていた巨大サソリだったが、シリウスを狙っていた尻尾がピクリとこちらを向いた。
きらりと光るその先の針から、紫色の液体がぽとりと落ちる。
「ケンタさん! む、無茶ですって!」
「無茶は百も承知だ! なんとかあいつの攻撃を受けるから、そのうちに……!」
攻撃を受けるったって、真っ裸では針がかすっただけでお陀仏である。これぞ正真正銘の防御力ゼロ。
かといってシリウスのように華麗に尻尾攻撃をかわす自信なんか、これっぽっちもない。素早さも、もともとゼロみたいなものだ。
どうする、俺? 強がっていいカッコしすぎたか?
でもこれしか方法はなかったよな?
「やばい……」
そうしているうちにも、サソリの尻尾は確実の俺のほうに狙いを定めている。じりじりと、尻尾が高く持ち上げられ、俺の体をいつでも一突きできる態勢を整えていた。
そしてようやく攻撃から逃れたシリウスが、サソリの背後に向かって走り出すのが見えた。なんとかサソリが俺を攻撃してくる前に、あの尻尾を切ってくれ!
もう完全にシリウス任せである。
同じアイソトープとして、この格差たるや。
一方は戦闘スキルを十二分に発揮してバスタードソードを構えて颯爽と走り、かたや一方はフルチンで仁王立ち。情けないったらありゃしない。
「おいサソリ野郎! ビビってんのか? 俺を食ってみろよ!」
せめて異性だけは負けないようにしよう。カラ元気とも言う。
正直、この場で一番ビビり散らかしているのは間違いなく俺である。俺の股間が縮みあがっているのがその証拠だ。
「さあ、来いよ!」
だがその恐怖を奮い立たせるために、俺は大声を上げた。
するとサソリの尻尾が、ぴたりと制止した。
さすがに俺の挑発に乗ったわけではないだろうが、いよいよ俺に狙いを定め、突き刺そうとしているように思える。
「シリウス……、早く!」
叫びたかったがぐっと声を殺す。
そのときであった。
ついにサソリの尻尾が、一直線に俺に向かって放たれたのだ!
「ぎゃあああああああ!」
真っ裸の俺は我慢できずに叫ぶしかできなかった。
ぐんぐん迫る尻尾の針。風が切り裂かれるような音が耳をつんざく。
どうする? 右へ飛ぶ? 左へ飛ぶ?
いやいや、間に合わねーよ!
俺の体は恐怖でこれっぽっちも動かねーぞ! あんなの避けられるわけがないじゃないか!
死んだ! 完全に死んだ! 元の世界で死んで、異世界でも死ぬ。一日二回死んだのって、きっと俺くらいだぜ?
死んだら元の世界に戻れるのかしら? いや、それは無理ってシャルムが言ってたな。
あくまで今の俺は同位体。ダジュームから元の世界に戻った者は誰もいないんだっけ。元に戻るからだなんて、もうないのだ。
でもそれって、どうやって確認したんだろう?
もしかしたら、ここで死んだら帰れるんじゃないか? 何かの間違いで、俺の死体がまだ存在していれば……?
そう、夢が覚めたみたいに、何事もない朝が来て――。
――ズダーン!
「へ?」
死を覚悟していたら、いきなり目の前が爆発したような衝撃が起こり、俺はそのまま尻もちをつく。
一気に力が抜けたように地面に這いつくばった。
「いってぇ……」
どうやら目の前の地面が割れ、砂煙が舞っている。何が起きたのか把握できない。
巨大毒サソリの一撃を食らってしまったのかと、なんとか動く手で自分の体を触ってみる。
腹に穴は開いていない。首もついている。手足も四本揃っている。転んだ衝撃で擦り傷はできているが、どう見ても軽症。
俺はまだ死んでいなかった。
「い、今の爆発は……?」
なんとか膝をついて、身を起こす。
まだ状況は分からない。記憶をたどると、あのサソリが俺に向かって尻尾を伸ばしてきたことは確かだった。
だが今の俺はほぼ無傷。
「ケンタさーん!」
砂煙の向こうから俺を呼ぶ声がした。
「シリウス!」
まさか、あいつがやってくれたのか?
俺は痛む体をかばいながら、なんとか立ち上がった。
そして、俺の目の前に横たわっていたのは、あの漆黒で毒々しい、サソリの尻尾だった!
その尻尾はシリウスによってバッサリ根元から切られ、紫色の液体を床に飛び散らせながら、俺の体を貫く直前にここに落ちたのだった!
「今のうちにここを脱出しましょう!」
部屋の向こう側、すなわち巨大サソリの背後からシリウスが俺を呼んでいる。
「す、すぐ行く!」
しかしこの鎧をもう一度着ている暇はない。尻尾を失ったからといって、あの巨大サソリが死んだとは思えない。
ここで油断せず、できるだけ早くここを脱出すべきである。
「くそ、今さら恥ずかしがってられるか!」
俺は真っ裸のまま、手で股間だけを隠してさっきシリウスが通った壁際を、大きく迂回しながら走った。
うしろからホイップもちゅらちゅらと飛んでくる。
こいつ、マジで何も助けてくれなかったよな? ほんとに死んでたらどうするつもりだったんだ?
ちらっと横目で巨大サソリを見るが、ここからでは生きているのか死んでいるのかよく分からない。
ただ、尻尾があった部分からは謎の紫色の液体がドクドクと流れ出ている。あれ、毒かしら? おっかねえ!
「ケンタさん、お見事です!」
なんとか部屋の奥にたどり着くと、紫色の液体に濡れたバスタードソードを持ったシリウスが迎えてくれた。
「お前、マジでぶった切ってくれたんだな」
「ケンタさんがサソリの攻撃を引き寄せてくれたおかげですよ! ありがとうございます!」
シリウスは作戦の成功を祝うように、さっと右手を差し出してきた。
いや、ちょっと待て。俺、さっきからずっと右手で股間をダイレクトに触ってるんだけど、いいの? 間接タッチみたいなことになるよ? 知らないよ?
「……あ、ありがとう」
俺とシリウスはがっちりと握手を交わした。
「じゃあ、ここを出ましょう。どこに繋がっているかは分かりませんが……」
シリウスが、さっきこの巨大サソリが出てきた壁の亀裂を指さした。
向こうの壁から光が差し込んでいるのを見ると、外に出られる公算が高い。
「よし。行こう」
再び俺は股間を隠し、なんとも情けない恰好のまま亀裂をすり抜け洞窟を脱出した。
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