見張り塔の中に入ると、それはスッキリとしたものだった。
「すごい……」
カリンが塔の上部を見上げてそう漏らすのも、ただただシンプルなものだったからに違いない。
外から見ると円筒の形をした塔だったが、中に入ってもそのイメージはそのまま。塔の内壁に添うようにぐるぐるとただ階段がとぐろを巻くように頂上を目指しているだけであった。
途中にフロアなんてなく、今俺たちが入ってきたエントランスが1階だとすると、次の階ははるか頂上の最上階が2階になり、そこに至るまでは何もないのだ。
完全な吹き抜け状態。ただの円筒状の空間である。
「まるで水筒みたいだね」
カリンが言い得て妙なことを言う。
今俺たちがいるのは水筒の底で、内壁の階段を上がってようやく、最上階である水筒の口に到達するのだ。
「エレベーターとかはないんですね。階段を上がるしかないのか」
「行こう。戦士スカーが最上階にいるはずだ」
俺はそう言ってみたが、よくよく考えるとこれから会おうとしているのは勇者パーティーの一人、戦士のスカーである。
スカーが何を考えてこの塔に上ったのかはまだ分からないが、最上階に行くときっちりと対峙することになるだろう。
―-考えてみよう。
万が一、スカーが結界を解除しようとしているのなら(現時点でこれが一番可能性が高い)、それを止めるのが俺たちの役目でもある。
そしてあわよくば、スネークさんを殺した犯人を突き止めなくてはいけない(おそらくこの場合、十中八九、犯人はスカーであろう)。
と、なるとである。
戦士スカーと戦う、ということにならないだろうか?
もちろん、話し合いで解決するのが一番である。
二時間サスペンスドラマみたいに、「犯人はお前だ!」と指摘した途端に、犯人が膝から崩れ落ちてすべて白状し、見事解決ということになれば最高である。この場合、舞台はもちろん荒波うねる崖の上である。
しかし、相手は戦士スカー。
どちらかというと武力でモノを語るタイプである。
現に結界を解除するために、スネークさんを殺害したと見られる。
俺たちがいくら論理や証拠で論破したとしても、「やかましわい。いっちょ拳で勝負しようやないか。そもそもこいつらを殺してしまえば、なんも問題ないしな」と、腕力で訴えてくる可能性が高いのだ。
そうなると丸腰でろくに戦闘スキルもない俺たちはどうなるか?
考えるまでもない。
――死。
「ダメだ! 帰ろう!」
覚悟を決めた目で階段を上ろうとするシリウスとカリンを、俺は食い止めた。
半泣きである。
「ここまで来てなに言ってんですか? 犯人はこの上にいるんですよ?」
「そうよケンタくん! シャルムさんの無実を証明するんでしょ?」
振り返った二人は、果敢にもこのまま塔を上る気満々であった。
「もう一度、よく考えてみろよ? この上に戦士スカーがいることは、ほぼ間違いないんだ。そして彼が結界を解除しようとしていて、スネークを手にかけた可能性もある。それって、魔王軍側に裏切ったってことなんだぞ?」
俺は今ここにある危機を、二人に訴えかける。
このアレアレアに来て、俺は初心を忘れていたのだ。
ちょっとボジャットに頼られたりして、調子に乗って自分を見失っていたところがある。
俺はこのダジュームに転生してきて、絶対に戦闘なんてしたくないのだ!
そう、俺は根っからの草食系アイソトープ。
平和に平凡にまったりと、ただただスローライフをしたいだけなのに、今のこの展開はまったく俺らしくないではないか!
何を進んで修羅場に足を突っ込もうとしてるんだよ!
「もうスカーはここから逃げられないんだよ。だから今すぐボジャットさんに連絡して、この見張り塔を包囲してもらえばいいんじゃね?」
俺は今考えられる一番安全な方法を提案する。
「ダメですよ! だって今にもスカーが結界を解除しちゃったら、空からモンスターが溢れてくるんですよ? 早く止めなきゃ!」
もちろんシリウスは聞く耳を持たない。
「そうよ! 上には魔法使いの方たちが結界を管理してるって言ってたじゃないの! 早く助けに行かなきゃ、危険よ!」
カリンも右に同じである。
「だって俺たちの目的はシャルムの無実を証明することだっただろ? 戦士スカーが犯人だと分かれば、もう目的達成じゃないのか?」
この見張り塔に上がったのはスカーだと決まった以上、シャルムは無関係に違いないのだ。
きっとシャルムも勇者のパレードを見にきただけなんだ。
「それに俺たちが行ったところで……」
戦力になるはずがない。
「相手は勇者のパーティーの一員の戦士スカーなんだぞ? 俺たちは魔法も使えないし、武器も持ってない。どうやってスカーを止めようってんだ!」
弱気の虫が俺を止めているのではない。
これは現実と向き合っているだけだ。無駄死になんてしたくないし、シリウスとカリンを危険な目に絶対にあわせたくない。
俺はこの中で最初にダジュームにやってきたのに、未だまともな訓練も受けておらず、毎日薪拾いと宅配の雑用ばかり。
武器も扱えないし、魔法なんて使えるはずがない。
「俺には才能の欠片もないんだ。戦えっこない。……だから、こうやって逃げながら生きていくしかないんだ。これが俺の生きる道なんだ」
蚊の鳴くようなか細い声を絞り出す、情けない俺。
黙って聞いているシリウスとカリンも、おそらく俺のことを情けなく思っているのだろう。
俺の膝は恐怖と不安で震えている。まったく、情けない。
俺は二人の目を見ることもできず俯き、しばしの静寂が訪れた。
すると、カリンが意を決したように、ギュッと拳を握って口を開く。
「才能なんて、自分で決めることじゃないよ! 自分の生きる道は、自分が歩いた後についてくるんだよ! だから何もしないうちに決めちゃダメ!」
カリンは俺の言葉を受けた上で、言い返してくる。
「ここで私たちが逃げたら、町の人たちがもっと危険な目にあうんだよ? 結界がなくなれば、モンスターが入ってきちゃうんだよ? 今も最上階で魔法使いさんがひどい目にあってるかもしれないんだよ? もし私たちだけが無事だったとしても、ここで何もしなかったことをずっと後悔しちゃうよ!」
「カリン……」
俺はカリンの本気の言葉に、胸を突かれた思いになる。
カリンこそ、元の世界では周りに期待されるお嬢様を演じてきて、後悔してきたのだ。そしてダジュームでは新しい自分らしい道を歩もうとがんばっている。
「だから私は、この第二の人生は、死ぬほどがんばるの! 死んでもいいくらい、がんばる。だってもう、後悔したくないから!」
そう宣言するカリンの目には、涙がたまっているようだった。
俺は喉の奥で言葉が詰まって、何も答えられなくなっていた。
カリンにこんなことを言わせるような、情けない男に成り下がってしまったのかと自分に失望もしていた。
そして言葉を詰まらせるカリンに変わって、シリウスまでもがこれまで語ろうとしなかった過去のことを、ほのめかす。
「僕も、カリンさんと一緒で後悔はしたくないんです。元の世界では、実は人に言えないようなことをして生きてきたんです」
人には言えないこと?
そう言うシリウスの目は、どこか遠くを見ているようだった。
その視線の先は、人に言えないことをやったという過去への懺悔か、未来への希望なのか。
確かシリウスはイタリア人で俺より一つ下の16歳。高校生だったはずだ。
一体、何をしてきたっていうんだ?
「だから、このダジュームでの第二の人生は、自分のためじゃなく、人のために生きようと決めているんです。今の僕には、それくらいしかできないから」
「シリウス……」
俺は名前を呼ぶことしかできなかった。それ以上、ここで踏み込めるような内容ではなかった。
カリンもシリウスも歩んできた過去はまったく違えども、今はダジュームでの第二の人生に希望を見出している。
そのためにできることを、必死でやろうとしている。
なのに、俺は……。
何もないことを、ただ恐れているだけだった。
死んだ理由も分からず、元の世界では何の目標もなく高校生活を無駄に過ごしてきた。何かを成し遂げたわけでもなく、目的もない毎日。
この二人は俺なんかより、もっと大きなものを抱えて生きている。
こんな俺にも、やれることはあるのか?
それを見つけるのが、このダジュームで生きる目的なのかも?
いつの間にか膝の震えがなくなっていた。
「分かった。俺たちにできることを、やるしかないよな」
俺はまだ不確かな決心を胸に秘めて、塔の上を見上げた。
死ぬかもしれないが、もう俺はすでに死んでここに来た。
ならばせめて、自分にやれることはちゃんとやってみよう。
それが俺の中に生まれた新しい目標なのかもしれない。
「行きましょう!」
「行こう!」
シリウスとカリンも、俺の決心を見届けたように、三人で塔の最上階を目指し階段に向かった。
そのときであった。
――カツン。
この高い円筒状の塔に響いた、足音。
それは俺たちの頭上高くから落ちてきた。
「え?」
思わず俺は音のする方、すなわち頭上を見上げる。
そこには遥か最上階から、階段を下りてくる誰かの影が。
「お、遅かったか?」
シリウスの悔やみきれないといった声に、カツンカツンと階段を下りてくる音が奏でられる。
俺たちはさっきまでの威勢も萎えるかの如く、その場から動けなくなった。
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