「シャルム……」
二人だけとなった異世界ハローワークで、シャルムが部屋から下りてきた。
「ちょっと、話しましょうか」
シャルムはリビングで懐かしそうに、そして所在なかった俺に声をかけて、そのまま外へ出ていった。
俺も黙ってついていく。
ショートカットにしているシャルムの後ろ姿にはまだ慣れないし、この別々に暮らした数か月の重みを感じた。
シャルムは怒っているかもしれない。勝手に出ていったこと、そして世界を無茶苦茶にしてしまったこと。
そう思うと、一歩が重くなる。
事務所の外に出ると、すっかり暗くなっていた。
「いい月ね」
背中を向けたまま、空を見上げるシャルム。
今日のダジュームの月は細くて鋭利に空を削っていた。
「シャルム、俺……」
やはり謝っておかねばならない。迷惑をかけてしまったことに違いはない。
俺がこの事務所を出ていったせいで、誰もいなくなった。シリウスも、カリンも、ホイップも。
「あなた、アイソトープがどういう存在かも聞いてきたのね?」
「え? 一応……」
俺が謝ろうとしたら、先にシャルムのほうが切り出してきた。
「妖精になれなかったできそこないなんだろ、俺たちは?」
「そうね。魔法も使えないし、何もできない存在」
はっきりと言い切られるが、反論はできない。
「シャルムはそのこと知ってたのか? 始まりの妖精に聞いたことなんだけど?」
「私は異世界ハローワークの所長よ? 当たり前でしょ」
腕を組んだまま、首だけくるっと振り向く。
「でもあなたは、今や世界のキーマンになった。もうできそこないじゃないのよ」
その顔は、いつも通り自信にあふれているような、どこか寂しげにも見えた。
「何もできないから、こうやって困ってるんだよ。他人を巻き込んで、デンドロイの人たちが犠牲になったんだよ。俺一人じゃ、何もできないから……」
思い出すだけでも、胸が締め付けられる。
いまだにビヨルドさんや金鉱の仲間たちの安否はわからない。俺さえあの町に行かなければ、勇者やランゲラクが戦うこともなかった。あんな惨劇は起こらなかったのだ。
すべて、何もできない俺のせい――。
「あなた、そもそも一人で何かできると思ってたの?」
眉間の皺を深くして、シャルムが俺を見つめてくる。
「そ、そんなこと思ってないけど……」
俺はうつむいて、足元の水たまりに目を落とす。
細い月が、頼りなく水面に映っている。
「あのウハネでさえ、一人で魔王を倒したわけじゃないのよ。彼もパーティーを組んでたし、それまでにどれだけ犠牲をはらってきたか知れたもんじゃないわよ。町の一つや二つ、いやもっと人々を巻き添えにしながらね」
シャルムが先代の魔王を倒したウハネの話を持ち出してきた。
そのウハネも俺と同じアイソトープでありながら、圧倒的な力を持っていたといわれる、ダジュームにおける救世主だった。
俺と比べるには、なんともおこがましい存在だ。
「でもウハネは魔王を倒したんだろ?」
「そうよ。結果を残したから、救世主でありえたってコト。途中で死んでたら、ただのできそこないだったってワケ」
シャルムが俺を励まそうとしているのか、バカにしているのかわからない。
「俺に、結果を出せって言ってるのかよ?」
「そ。結果さえ出せば、できそこないのアイソトープだって、救世主よ。夢があるじゃない?」
まるで他人ごとのようにシャルムが両手を広げた。
「……シャルムは、俺がこのダジュームを争いのない世界にできるって思ってるのか?」
それは始まりの妖精シャクティにも期待されていたことだ。
本当にできるかどうかは別として、きっかけを作った俺がするべきことだと、シャクティは言っていた。
このいつも厳しいシャルムも、俺がこのダジュームを守れると、そう信じてくれているのか……?
「そんなこと思ってるわけないじゃない。あなた、まだ魔法すら使えないんでしょ?」
まったく信じていなかった。
俺はがっくし肩を落とすが、そりゃそうだ。いまだに魔法は使えませんからね!
「でもね、可能性はゼロじゃないって言ってるのよ。アイソトープだからこそ、あなたには可能性があるってコト」
「可能性……?」
「そ。ま、普通のアイソトープならあっさり死ぬんでしょうけど、あなたはすでにここまで生き延びてきた。それは経験と、実績じゃない?」
「そんなふうに言われても、ただ逃げてきただけだし……。俺は何もできないし……」
「口を開けばできないできないって、めんどくさい男よね、あんたは」
はぁ、とため息をつくシャルムに、俺もあわせるように肩を落とす。
確かにここまで生きてきたことが実績だと言われるのなら、それもそうだが……。
「普通に生きる。それがこのダジュームにおいて、ましてやアイソトープにとってどれだけ大変か、それをもう少し実感なさい。すべては可能性が引き寄せたあなたの力よ。今、この世界はあなたの手の中にあるんだから」
シャルムは俺の両手を握ってきた。
ひんやりしたその手に、俺はつい背筋が伸びる。
顔を上がると、シャルムと目が合う。
「あなたはダジュームの夢よ。世界があなたを見つめてる」
そう言うシャルムの目は、まっすぐ俺を見つめていた。
「俺が……」
できそこないで何もできない俺の肩に、とんでもないものが乗せられていく。
俺が夢だって?
そんなこと、元の世界では言われたこともなかったし、むず痒さしかない。普通の高校生だった俺が、異世界の運命を背負う?
「そのために、あなたは魔王城へ行くんだから。今はまだ逃げることしかできないかもしれないけど、いつかはあなたの選択がこのダジュームの運命を動かすことは確かよ」
シャルムが俺の手を、ぎゅっと強く握りしめた。
まるで俺のこの【蘇生】スキルを確かめるように。
「本当に俺が魔王の執事になるのか? それで、俺は何をすればいいんだ? もし、本当に魔王の兄貴を生き返らせたら、どうなるんだ?」
これまでも意味がわからず生きてきたが、明日からのことを考えると不安しかない。
勇者やランゲラクの手の届かない場所へ身を寄せる目的ではあるものの、まさかの魔王城勤務になるのだ。
まだ南極に単身赴任するといわれるほうが良心的だ。
「あなたが決めればいい。正しいと思うことをね」
「そんな無責任な……」
「プレッシャーをかけられるよりもいいでしょ?」
「もう十分かけてるだろ!」
くすっと笑いながら、「そうね」と一言、シャルムは俺の手を離した。
「とりあえず今は魔王のそばにいるのが安全なのは確かだけど……。でも、それで勇者とランゲラクが戦いをやめるかどうかはわかんないし」
「そのへんはジェイドや、いろんな人たちがなんとかするわよ」
「無責任だな!」
さじを投げるようなシャルムだが、本気で言っているようには思えない。
「ほら、今日の月を見なさい」
顎で空の月を示すシャルムに、俺も誘われるように空を見上げる。
さっきは水たまりに浮いていた奇麗な三日月が、夜の空に輝いていた。
「月っていうのはね、毎日形が違うのよ。丸くなったり、細くなったり、消えるときもある。でも月自体はいつも丸い。その形を気にしているのは、遠く離れた私たちだけ。月はきっと自分がどう見られているかなんて、気にしてるわけないわよ」
シャルムが空を見上げながら、静かに、そして俺に言い聞かせるように語りだした。
いつも現実的なシャルムがこういう話をすることは珍しく、俺は意味も分からないまま聞きこんでいた。
「あなたも月のように、自分の存在に自信を持ちなさい」
「俺の存在……」
きっとあの月も、自分が三日月なんて呼ばれているとは思っていないだろう。
誰にどう見られて、どう思われようと、月は月。
アイソトープだろうが、できそこないだろうが、俺は俺――。
きっとシャルムは、そう言いたいんだ。
シャルムは一体、どこまで知っているのだろうか?
魔王のことも知っているのか?
俺に何を期待しているんだ?
シャルムって、何者なんだ……?
「あのさ、シャルムって……」
「来たわね」
俺が質問しようとしたら、その言葉を遮られた。
シャルムは事務所に続く道の遥か先を見つめている。
「来たって、誰が……?」
すると遠くから、馬車が近づく音が聞こえてきた。
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