「あなた、誰?」
魔王の部屋から自室に戻ろうと魔王城を歩いていたら、突然背後から声をかけられた。
俺は思わず驚いて、血で濡れた廊下で足を滑らせそうになる。
「ここで何してるの?」
声は女性のものだった。
聞き覚えのある声、もちろん当てはある。
この魔王城には普段は俺と魔王が住んでいるだけで、むしろ俺がここにいるのは普通のことなのだ。部外者にとやかく言われる筋合いはないのだが、ひとつだけ問題があった。
今、俺の姿はデーモンなのだ。
「ちょっと待ってくれ……」
俺はゆっくり振り返る。
そこにはやはり、ちゅらちゅらと羽を羽ばたかせながら、俺のことをぎりりと睨みつけている妖精ペリクルがいた。
「この城に、どうやって入ったの?」
明らかに俺を怪しむペリクルの声は、いつもより1オクターブ低い。
彼女の言う通り、この魔王城にはそう簡単に入れないようになっている。俺がここにいるとこがランゲラク軍に見つからないように、魔王自らあらゆるモンスターの立ち入りを禁じている。
その例外が、事情を知っていて魔王からダジュームの監視を頼まれている、この妖精ペリクルなのだ。
「ペリクル、話を聞いてくれ」
「なんで私の名前を知ってるの? どうやって魔王城に入ったか聞いてるの」
俺のことをどこかのモンスターだと思っているようだ。
ペリクルは俺と距離を取り、いつでも必殺の急滑降キックをお見舞いしてやるぞという態勢をとっている。あのキックを受けたことがある俺からすると、それだけは何とか避けたい所存。
「俺だよ、ペリクル? ケンタだよ!」
「そんなわけないでしょ! 所属を言いなさい!」
秒で否定された。
いや、それも仕方がないのだ、今や俺は頭から角が生えて、背中には骨々した羽が生え、牙まで生えてるもんな!
自分で鏡を見ても、俺がケンタなんて思わねーよ! 信じられたほうがこわいわ!
「まさか、ランゲラク軍の者……?」
ペリクルはランゲラク軍のモンスターだと勘違いしているらしい。
そのまま天井近くに高度を上げた。完全に攻撃態勢である!
「違うって! さっきベリシャスに【変化】の魔法をかけられたんだけど失敗しちゃって! なんでかこんなデーモン姿にされちゃったんだよ!」
両手を上げ、抵抗の意思がないことをアピールする。
人間のときみたいに、まっすぐバンザイができないのは関節の問題なのだろうか? 腕がまっすぐ持ち上がらずに不格好になってしまうところが、なんともモンスター感。
「そんなわけないでしょ! 嘘も休み休み言いなさいよ! 魔王様が魔法を失敗するわけないでしょうが!」
まったく信じてもらえない。
そりゃそうだ。魔王が魔法を失敗するようなおっちょこちょいキャラだとは、魔王軍すべてのモンスターは思ってもいないだろう。
「そうだけど、失敗したんだよ!」
ペリクルの嫌疑の目は鋭く、両手を上げた俺の左手首に視線を移した。
「そ、その腕輪……!?」
そうだった。体はデーモンになり、上半身の服は変化した瞬間に破れてしまったが、左手につけていた腕輪はそのままだった。
これはアイソトープの証明である、オーラを促進させる腕輪である。転生してきたときにシャルムにつけられたものだ。
「そうだよ、この腕輪! ケンタだって信じてくれたか?」
危ないところである。この状態では俺がケンタだと証明できないところであったが、腕輪に助けられた。
しかしペリクルは顔が真っ青になっていた。
「どうした、ペリクル?」
「あなた……。ケンタを殺してその腕輪を奪ったっていうの?」
「は?」
勘違いが大きく加速していた。
デーモンがケンタを殺したと思われているらしい。
「違うって! 俺がケンタなんだって!」
そんな恐ろしい勘違いしないでくれよ! ケンタは今も元気にデーモンとしてやらせてもらってますから! 今後ともごひいきに!
「大変! ケンタが死んだら、ダジュームは終わってしまうわ!」
「だから、ケンタは死んでないって! ダジュームも終わらないから!」
パニくるペリクルにどう説明すればいいのだろう?
俺がデーモンで、デーモンが俺? もうわけわかんないよ!
『ペリクル、安心するがよい』
すると魔王城の廊下であたふたする妖精とデーモンのところに、声が響いた。
魔王ベリシャスの声だった。
どこから聞こえているのかわからないが、俺たちは自然と頭上を見上げる。
「魔王様……」
その声に、ペリクルもすたっと地面に下りてすかさず跪く。モンスターの本能というやつだろうか。
『そのデーモンはケンタで間違いがない。私が【変化】の魔法をかけてやったのだ』
「そうだったのですか。しかし、なぜこのような姿に……?」
魔王の一言ですっかり信じ込むペリクルである。俺の信用のなさよ。
「だから、ベリシャスが魔法をミスって……」
『すべて想定通りのことだ。私が魔法を失敗するわけがなかろうが』
「おっしゃる通りです、魔王様」
ペリクルが頭を下げながら、俺を睨んでくる。
おい魔王! なにが想定通りだ! 保身すな!
しかしあのベリシャスがテヘペロキャラだとは、俺もばらすわけにはいかない。魔王の威厳を守るのも、執事の役目である。
「なぜにケンタをこのようなモンスターの姿に? ランゲラクの目を欺くためでしょうか?」
『……まあ、それは、そうだ。さすがペリクルだな。その通りだ』
ペリクルの素朴な疑問に、ベリシャスは一瞬詰まりながら、結局は肯定した。
自分の失敗をごまかすことしか考えていなかったのであろう。あさはかな魔王である。
「それだけじゃないだろうが……」
俺も大人げないので、ぼつりと不満を漏らしてしまう。
そもそもはダジュームにホイップを探しに行くための【変化】のはずだったのだ。ダジュームに行ったほうがランゲラクに見つからないと言い出したのはむしろ俺のほうである。
『してペリクル。おぬしにもこの件に関して新たな任務を与えようと思うのだが』
「新たな任務でしょうか?」
ベリシャスが俺の不満を無視して、かしこまって何か言いだした。
『うむ。おぬしはこのデモケンを連れて、ダジュームへ行ってほしい』
「はぁ?」
デモケンってなんだよとイラっとすると同時に、ベリシャスの言葉が理解できない。
俺とペリクルでダジュームに行くだって?
それはペリクルもまったくの想定外だったらしく、眉間の皺を深くした。
『おぬしの心がここにないことは、気づいておるわ。その理由は、おぬしの生まれに関することであろう?』
ベリシャスはまるでペリクルの心を読むかの如く、すました声で言う。
それはさっき俺が言ったことの受け売りである。
「魔王様……。なぜそれを?」
「私に隠し事ができると思うてか!」
「も、もうしわけございません!」
えらそうなベリシャスに、ペリクルが謝罪する。
『最初はケンタ一人でおぬしの迷いの原因であるホイップを探しに行かそうと思っておったが、こやつがゴネおってな。行きたくないと、私の命令を拒否するもんで、この姿にしてやったのだ』
ベリシャスが後付けで適当なことを言い出した。
俺がデーモンにされたのはお仕置き設定ですか?
「そういうことでしたか。アイソトープのくせに、魔王様に逆らうなど言語道断です」
『その通り。それで、おぬしがこのデモケンを連れて、ホイップを探しに行ってくれ』
「……私と、このデモケンで?」
すっかり俺はデモケン扱いだ。
『うむ。デモケン一人でダジュームにやると、ケンタとはバレないのはいいが、モンスターとして人間に殺されかねない。そこでおぬしが一緒におればなんとかなるであろう』
俺の意思とはまったく関係なく、ベリシャスが話を進めている。
最初はペリクルに内緒でホイップを見つけてあげるのが目的だったのに、なぜか一緒に探しに行くことになっているんですけど?
これもすべてベリシャスの魔法のミスをカバーするためだけなのである。なんという魔王であろうか!
「申し出はありがたいのですが、しかし私は妖精ですし……」
ペリクルは遠慮するように、一歩下がる。
デーモン一人でダジュームをうろうろしていては目立つこと間違いなしなのだが、そこに妖精がセットになってもその注目度は下がるどころか上がりかねない。
『もちろんだ。おぬしにも【変化】の魔法をかけてやろう。私の部屋に来るがいい』
そこでベリシャスの言葉は終わった。
ペリクルにも【変化】の魔法をかけるだって?
「やめとけ、ペリクル! お前も失敗してこんな姿にされるぞ!」
俺は自分のデーモン姿を見せ、ペリクルを止める。
あんな魔王の言うことを聞いたらひどい目に合うからな! 俺みたいに!
「あなた、本当にケンタなのよね?」
ペリクルはまだいまいち信じ切れていないのか、目を細める。
「そうだよ! 魔王にこんな姿にされたんだから!」
「それはあなたが魔王様の言いつけを聞こうとしなかったからでしょ。じゃあ、私は魔王様のところへ行ってくるから」
と、ペリクルはふわりと浮かんだ。
「いや、聞いてなかったのかよ! 失敗してどんな姿に変化させられるか……」
「魔王様が失敗するわけないでしょ! デモケンは黙ってなさい!」
デーモン姿で説得するが、ペリクルはまったく聞き耳をもたず、そのままぴゅららと飛んで行ってしまった。
「知らねーぞ! お前もデーモンになっても!」
デーモン兄妹でダジュームに行ったら、真っ先に殺されちゃうよ!
その遠ざかる妖精の背中に叫ぶが、ペリクルはもう振り返りもしなかった。
あの妖精の姿を見るのはこれで最後になるかもしれないと、俺は自分のデーモン姿を見てしみじみ思うのであった。
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