ジェイドは悩んでいた。
ケンタというターゲットの【蘇生】スキルの有無を確認しに来たはずが、なぜか今は彼が操る馬の荷台に乗っている。
ターゲットがモンスターに襲われて死にそうになっているところを助けてしまったのが、運の尽きであった。かといって見殺しにすると魔王直々の任務を失敗することになり、こうするしかなかったのだ。
すべてが予定外の行動で、そのあとも曖昧な返事をしているうちにアイソトープと勘違いされてしまったのだ。そして流れで一緒にハローワークに行くことになったのだが……。
(これからどうするべきか……)
ジェイドは揺れる荷台の上で、今後の行動を熟考する。
このままターゲットの誘いに乗って、ハローワークに行っていいものか?
このケンタという迂闊な少年は自分のことを本当にアイソトープだと信じているようだった。
だがハローワークにはおそらくまともな人間がいるはずだろう。
ハローワークの所長というのは、人間の中でも能力が高くなければなれないジョブだと聞いたことがある。だとするとジェイドがモンスターであるとバレる確率は非常に高い。
(ここは一旦、仕切りなおしたほうがいいか? いや、相手が油断している今こそがチャンスでは? むしろこのまま拉致してしまえば? いかん、それでは魔王様の命に背くことになる)
慎重になって熟考するがゆえに、ジェイドはどんどんドツボにはまっていくのは、悪い癖である。こうしている間にも、馬はどんどんハローワークに近づいている。
モンスターといえば何も考えずに本能だけで行動しがち、というステレオタイプなイメージがあるだろうが、そのへんのモンスターは確かにそうである。さっきのキラーグリズリーなんかは典型的で、ただ食欲を満たすためだけにケンタを襲おうとしていたのだ。
しかし魔王に直属に仕えているジェイドくらいになると、やはり空気を読む必要があるというか、処世術というか、そういう人間くさい感覚を持たなければやってられないのだ。
魔王軍とはいえ、ただ戦闘をしておけばいいというものではない。いろいろ面倒くさい仕事や上司との付き合いもあれば、いろいろと気を利かせたり相手の気持ちを読んだりなんてこともしなければいけないのだ。
ジェイドは魔王に対しては信頼と尊敬の念があるが、参謀のランゲラクとはなかなか折り合いが部分がある。年齢差があると、なかなか埋まり切らない溝もあるのだ。
だからといってこのジェイドはやりすぎな部分があるのは、この現状を見ていただければ一目瞭然である。
まるで中間管理職のサラリーマンである。もう少し魔王の執事という、モンスターにしてはトップクラスの実績と肩書を持っていることに自信をもっていいと思うのだが。
(このまま飛び去ってしまおうか? しかしそうなると万が一、次に接触する必要が出たときに面倒だな……)
この通りである。
考えすぎて空気に飲まれてしまう。
ジェイドというモンスター、実に人間臭いところがあったのだ。
いや、もしジェイドがモンスターらしい考え方を持っていたならば、きっとケンタはもうこの世にいなかったかもしれない。
その点だけは、ケンタは感謝するべきだ。
考えすぎで慎重すぎるという、あまりにも思考が似通ったアイソトープとモンスターが出会ってしまったことが、お互いにとって幸か不幸か、今のところ明暗が分かれているようだった。
(しかし、この荷台……。やけに血の匂いがする)
ケンタが拾った薪と一緒に乗せられている荷台から、ジェイドは違和感に気づく。
モンスターたるもの、人間に比べて五感が鋭いのは当然のことである。なんなく荷台からかすかに匂う血の匂いを感じ取った。
この匂いはもちろん、先日ここで一角鳥と戦ったシリウスの血である。
このジェイド、ケンタの【蘇生】スキルの情報は魔王から聞いただけで、先日シリウスを生き返らせたことは知らないのだ。
まさかこの荷台の上で、ケンタが【蘇生】の魔法を使っていたなんて、夢にも思っていないことだろう。
(戦闘スキルをまったく持っていないように見えて、実は血なまぐさいことをやっているのではないか? この薪拾いも、ブラフ?)
血の匂いがしたことで、ジェイドはケンタのことを何のスキルもないアイソトープだと判断してよいのか、再び疑惑を持ってしまった。過大評価が過ぎると、もはや疑心暗鬼である。
フォローするわけではないが、ジェイドの初見による判断はまったく狂いはなかったのだ。
このケンタ、戦闘スキルなんてまったく持っていないし、戦闘訓練も受けていない。ダジュームに来て以来、薪拾いと配達を繰り返していただけなのだから。
それに【蘇生】スキルも、自由に使いこなすどころか、本人は先のテーマパークの件ですっかり諦めてしまっていた。それゆえ、今日は薪拾いにいつもより精を出していたのだから。
だが考えすぎて裏を読みすぎたジェイドは、ケンタを勝手に神格化し始めてしまった。
まったく困ったモンスターである。妖精のペリクルがいれば、きっと叱られていたであろう。
「もうすぐ着きますんで。乗り心地悪くてすいません」
馬上のケンタが振り返って、荷台のジェイドに気を遣う。
「ああ、大丈夫だ」
飛べば2秒で着くところを、馬で移動してすでに10分ほど経っている。
「ところで、お名前はなんていうんですか? 俺はケンタっていいます」
揺れる馬上で、ケンタが尋ねてきた。
確かにさっき出会ってから、自己紹介を交わしてはいないことにジェイドは気づいた。
ジェイドが一方的にケンタのことを知っているだけで、お互い名前も知らないままのこの状況は不自然であったかもしれない。
(泳がされたか? 名前を聞かないということで不審に思われたか?)
ケンタはというと、ハローワークに着いた時、みんなに命の恩人を紹介するために名前を聞いておきたいと思っただけで、特に不信感を
抱いていたわけではなかった。泳がせていたわけではなく、ただのタイミングの問題である。
「ああ、私はジェイド……」
と、素直に本当の名前を名乗ってしまうジェイド。
ここはせめて偽名を使うべきであろうことは、子どもでも分かるケースである。
現にここまでの一部始終を、ジェイドのスキル「第三の目」によって魔王城で見ているペリクルは、ディスプレイの前で顔に手をやって「バカ……」とつぶやいていた。
妖精にバカにされるところも、ケンタとジェイドは似ているのかもしれない。
本当の名前まで名乗ってしまって個人情報をさらしすぎたジェイドはさすがにおのれの迂闊さに気づき、このままハローワークに行くわけにはいかなくなった。
やはりここは仕切りなおそうと、馬上のケンタに声をかける。
「ケンタくん、ちょっといいかい」
「どうしたんですか、ジェイドさん?」
すでにケンタにもハローワークの建物が目視できる位置まで来て、ジェイドが話しかけた。
「私は用事を思い出したので、今日のところはここで……」
「いやいや、せっかくなんで、コーヒーの一杯でも飲んでいってください!」
予想外の接触により、今日の任務はここまでにしようと思ったら、ケンタが遮ってくる。
「いや、私もまだ訓練が……」
「そんなこと言わずに! それに暗くなったらまたキラーグリズリーが出てきて危険ですから!」
余計な心配をしてくるケンタに、ジェイドは心の中で舌打ちをする。
ジェイドならばケンタに気づかれないまま、ここから離れることなど容易なのだ。だがそうもできないのはジェイドの中にやはりケンタを過大評価している部分があった。
これまでアイソトープなど、戦闘にも適さずに魔法も使えないゴミのような存在だと思っていた。
だが、【蘇生】という超高レベルな魔法を使えるかもしれないというこのケンタに、ジェイドは一目を置いてしまったのだ。
その情報が魔王から直接聞いたことが大きかったのかもしれない。魔王がケンタを傷つけずに保護しろ、なんて言ってきたものだから、思慮深いジェイドが勘ぐっても仕方がないことだ。
このケンタというアイソトープには、何かがある。
良くも悪くもそれだけはジェイドも確信しているところだった。
まあ実際はあるようでないのが、ケンタの素性なのだが。
「さ、着きましたよ」
ジェイドがまた考えすぎていると、ケンタは馬の速度を緩める。
ついにハローワークに着いてしまった。
(こうなってしまったからには、こいつから情報を引き出すしかない)
諦め、というとジェイドが負けた気分になるので、ここは方針転換と考えることにした。
だが、丸腰で敵地ともいえるハローワークの事務所に入るわけにはいかない。
このケンタは自分のことをモンスターだと分かった上で、自陣におびき寄せようとしている可能性もまだ消し切れていない。事務所に入った瞬間、攻撃されるかもしれない。
ケンタにそんな戦闘能力があるわけないし、そんなことをする理由はないのだが、慎重なジェイドは空高くに待機させてあった「第三の目」を先行してハローワーク事務所へと向かわせた。
これはジェイドの【監視】スキルで、具現化させた目玉である。これで見たものは、リアルタイムでジェイドの目にも反映されるのである。
「ハローワークには、俺の仲間も二人いるんで、会ってやってください。それに雑用の妖精と、所長もいるんで紹介しますね」
ケンタは馬から降りて、嬉しそうに言う。
(……事務所には誰もいないようだ。これはチャンスか)
その間に事務所内に先行させた「第三の目」からの映像を確認したジェイドは、ケンタの思惑が破綻することは先に知る。どうやら、事務所内は無人のようだった。
(やはり考えすぎか? こいつ一人ならば、最悪どうとでもなる)
おびき寄せられたことを否定するジェイドも、警戒しながらも荷台から降りる。
唯一、気になったのがハローワーク所長の存在だった。
所長ともなると、アイソトープを訓練するという立場なので、どの国でもそれなりに力を持つ人間が就いているのが当然のことだった。
もちろん、ジェイドも魔王軍直属のモンスターであるので負ける気はさらさらなかったが、用心するとすれば所長の存在だけだった。ほかのアイソトープや妖精など、なんの戦力にもなるまい。
その所長も、今は不在。
ならば……。
「じゃあ、少しだけお邪魔しようか」
ジェイドはケンタの誘いに乗ることにした。
ハローワークの事務所で、このケンタのスキルを見極められるかもしれない。
それに【蘇生】スキルを確かめるために、ケンタの仲間を殺すという手段を、ジェイドはうっすらと目論んでいたのだ。
(仲間が二人いると言っていたな。そいつらの情報もつかんでおいて損はない)
すでにケンタとともにテーマパークにいた女のアイソトープのことは、ジェイドも把握していた。
(最悪あの女を殺せば、ケンタは【蘇生】スキルを使うかもしれない)
顔には出さず、心の中でほくそ笑むジェイド。
予想外のことも起こってしまったが、それが功を奏して計画通り進んでいる。
ジェイドはそう思い込むことにした。
「さ、どうぞ!」
ケンタに促され、ついにジェイドはハローワークの敷居を跨いだのだった。
次回更新は1月4日(月)の18時になります。
年末年始、お体に気を付けてお過ごしください。
ではまた来年!
読み終わったら、ポイントを付けましょう!