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ハマカズシ
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ホイップとペリクル(1)

公開日時: 2021年7月2日(金) 18:00
更新日時: 2022年1月3日(月) 11:17
文字数:2,522

 これは何十年、いや何百年も前の話かもしれない。


 その日、妖精の森の妖精たちはこぞって泉の広場に集まっていた。


 こんな真夜中に、始まりの妖精であるシャクティからの呼び出しがあったのだ。


「そろそろかしら?」


 誰かが真っ暗な空を見上げながら、つぶやいた。


 泉の真ん中に生えている大木が赤く光っている。そこにシャクティの姿はなく、その光は広場をぼんやり照らし、妖精たちの不安そうな顔を浮かび上がらせていた。


「もう、落ちてきた?」


 そこへ遅れてちゅらちゅらと、一人の妖精がやってきた。

 羽が瞬くたびにきらきらと輝き、綺麗な軌道を描く。


「もう、遅いわよホイップ! まだ、落ちてないわ」


 妖精たちの輪の中に、ホイップも混ざってちょこんと地面に座った。


「今日は成功するかしらね?」


「さあ、どうだろ」


 ホイップはあまり興味がなさそうに答え、人差し指でピンと地面の石を弾いた。呼ばれたから仕方なく来たという感じを隠しきれていなかった。


 今年に入ってこれが五度目の「転生会てんせいえ」だった。


 転生会とはシャクティによってほかの世界で命を落とした者を、この世界に妖精として転生させる儀式である。


 シャクティは儀式に入るちょうど一日前から木の中に閉じこもり、呪文のようなものを唱え続けるのだ。今も耳をすませば木からその呪文が聞こえてくる。


 妖精たちがこんなにも注目しているのにはわけがあり、過去の四回はすべて失敗しているのだ。すなわち今年に入って、この妖精の森に一人も妖精が生まれていないということだった。


 同時にそれは、何を意味するのか?


 転生会の失敗は、ダジュームに新たなアイソトープを呼び込んだということだ。


 妖精に転生できなかった「できそこない」として、無情にも元の世界と同じ姿でこのダジュームのどこかに放り出されているのだ。


 その四人の「できそこない」のアイソトープがどうなったかは、誰も知らない。


 今ここにいる妖精たちは成功した時のことしか頭にないし、失敗したからといって気にするわけでもない。


 できそこないのアイソトープがモンスターに食われようが、ハローワークに保護されようが、妖精たちは興味の範疇外であった。


 それは生きる世界が全く違うのだし、当然と言えば当然ではあった。ダジュームと妖精の森は別世界。ここにいる妖精たちはこの森から出たことがない者がほとんどで、実際にアイソトープに会ったこともないのだから。


「見て!」


 誰かが叫んで、空を指さした。


 ホイップ以外の全員はすでに空を見上げていた。ホイップもようやく、重そうに首を上げる。


 その真っ暗な空に、細い筆を滑らしたような真っ白な線が描かれた。


 流れ星という概念はこのダジュームにはなく、この白い線こそが転生会における最初の兆しだった。


「どっち?」


「こっちに落ちる?」


 この兆しに妖精たちが騒がしくなってきた。


 どっち、というのはダジュームか、妖精の森か、ということである。


 厳格に言えばこの妖精の森もダジュームという世界に含まれるのだが、厳密にいえばシャクティが生み出した別次元である。


 今あの空に流れたあの白い線こそが、何かしらがほかの世界から転生してきた証だった。


 どこかの世界で散った、命の逍遥しょうようであった。


「……はぁ」


 沸き立つ広場の中でホイップだけはどこか浮かない顔で、誰にも聞かれないように小さなため息をついた。


 妖精たちは転生会が成功して、この森に妖精が増えることを歓迎していた。それは単純な理由で、仲間が増えるといった感情からであった。たとえば弟や妹が生まれるといった人生における大きなイベントというより、学校に転校生がやってくる、くらいの軽さであったろう。


 だがホイップだけはこの感情をのみ込むことができていなかった。


 妖精の役目はただひとつ、ダジュームの歴史を伝えること。


 なのに、この妖精の森を出る妖精はほとんどいなかった。ダジュームのことなど何も知らないまま、この森で日々を過ごしている状態だった。


 何も知らず、何も知ろうともせず。


 妖精の役目をみなが忘れようとしていたのだ。


 妖精たちは、自分が転生する前の姿や記憶は一切ない。ホイップもそうだ。


 自分の存在がなんであるかもわからず、知ろうともしない妖精に対し、ホイップは疑問を感じていた。


 対して妖精になれなかったアイソトープは過酷な人生を送ることになる。元の世界の記憶を残し、ゼロからダジュームでの人生を生き抜いているのだ。


 一方で妖精は、こうやって何の苦労もせずに生きている。自分が一体なんなのかも知らないまま。


 今のこの状態を見比べたとき、一体どちらが「できそこない」なのだろうか?


 ホイップのぼんやりとした疑問の根底にあるものは、自己の存在そのものであった。


「あ、こっちに来た!」


 空の白い線がこちらに引き寄せられるように弧を描き始めた。

 泉の木が、より一層赤く輝き始める。


 シャクティによって、あの散った命が妖精の森へひっぱられているのだ。それによって、あの命がこの森に落ちたとき、晴れて妖精として生まれ変わることになる。


 妖精か、アイソトープか。


 その白か黒かを握るのが、シャクティだ。


「落ちるよ!」


 五度目の正直だった。

 その白い線は空から徐々に伸び、一直線に泉の広場に向かって落ちてきた。


 シャクティの木の目の前の泉の中に、勢いよくひゅとんと、落ちた。まるで空から一滴の雨が落ちるように。


 広場の妖精たちは静まり返り、状況を見極めている。


 すると、木の中からシャクティが現れた。


『今新たに、私たちの仲間が生まれました』


 両手を広げるシャクティに、妖精たちが拍手をして湧き上がる。ホイップも周りに合わせるように、手を叩く。


 するとやがて泉に落ちた命が、シャボン玉のような透明の泡に包まれて、宙に浮かび上がってくる。


 その中には、裸の妖精が入っていた。大きさは、今ここにいる妖精とすでに同じだ。


 黒い髪に、白い肌。背中には羽が生えている。


 凍えるように体を小さく丸めながら、やがてその奇麗な瞳が開いていく。


『ペリクルと名付けます』


 シャクティが新たに転生してきた妖精にペリクルと名付けた。


 目を開けたペリクルは何が起こっているのかわからないように、広場を見渡す。


 そのとき、ホイップと目が合った。


 これがホイップとペリクルの最初の出会いだった。

 

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