「キラーグリズリーが出てくる前に、カリンを見つけるぞ!」
「はい!」
走る俺のあとを、シリウスがついてくる。
ホイップはシャルムが帰って来た時の連絡役として、事務所に残してきた。カリンを一人で行かせた責任を感じてついてきたがったが、なんとか堪えてもらった。
すでに日は落ち、暗くなりかけている。そろそろ夜行性のキラーグリズリーが活動し始めてもおかしくない。
事務所から裏山までは見通しのいい一本道だった。途中で迷うこともないし、俺が帰ってくるときにカリンとすれ違うこともなかったのだ。
ということはカリンはすでに裏山に入っているということ。なにかあったに違いない。
「やっぱり、山に入ったとしか考えられないな」
山の入り口に着いても、カリンの姿はなかった。ホーラン草を採取して帰ってくるところに出くわせばと思っていたが、それもなかった。
「ホーラン草はどこに生えてるんですか?」
「俺も意識して見てなかったけど、ちょうどカリンが転生してきた場所あたりに生えてたと思うんだよ」
「じゃあカリンさんもそのあたりを目指す可能性が高いですね」
「ああ。でも……」
シリウスの言うことはもっともだが、その辺は昼間に俺がずっと薪拾いをしていたのだ。だけどカリンなんて一度も見ていない。
「とりあえず、行きましょう」
考えて足が止まる俺に、シリウスが急かしてくる。確かに今は考えるよりも行動だ。
「カリン!」
「カリンさん!」
裏山に入ると、これといった道はなくなる。ただ、毎日俺が歩いている場所は自然と踏みならされて獣道のようになっている。
俺もこの自分で作った道を頼りに、毎日薪拾いをしている。俺はいつも同じルートをたどっているので、この道から外れたことはないのだ。
「カリンさーん!」
大きなバスタードソードを背負ったシリウスが、大声を張り上げながら山道を行く。
俺もこの薪拾い訓練で体力がついたと思っていたが、やはりこいつの体力は俺と比べ物にならない。過酷な魔法訓練を受けて、さらに差をつけられたようだ。
「いませんね。先に行きますか?」
先行するシリウスが立ち止まり、道の先を指さした。
「……ちょっと待て。なんか聞こえないか?」
俺は耳を澄ます。
木々の葉が揺れるざわざわと、鳥のさえずりの間に、かすかに聞こえる、声。
「……スくん、……タくん」
蚊の鳴くようなか細い声がする方を見ると、その先に道はなく、地面が途切れていた。
木が生い茂り、足元には落ち葉が敷き詰められているのだが、その一部だけ地面の土が露わになっている部分があった。
まるで足を滑らしたように、地面がえぐり取られ、その先は崖に続いていた。
「カリン!」
俺とシリウスは同時に状況を飲み込み、木をかき分けながらその場所へ向かう。
陽が当たらずこのあたりの落ち葉は湿って滑りやすくなっていた。慎重に一歩ずつ進み、木の枝を掴みながらその崖の下を覗き込んだ。
「カリンさん!」
およそ三メートルほどの崖の下に横たわっているのはカリンであった。その周りには緑色のホーラン草が生えていた。
「シリウスくん、ケンタくん……。ハロー……」
弱々しい声で、手を振るカリン。気丈な笑顔が今は逆に心配の種になってしまう。
「ちょっと待ってろよ! すぐいくから!」
すかさず俺は持ってきたロープを木の幹に縛る。先にシリウスがロープを伝って崖の下に下り、俺もそれに続く。
「大丈夫ですか、カリンさん?」
倒れるカリンを抱き起こし声をかけるシリウスに、俺も遅れて駆け寄る。
「シリウスくん……、ごめんね」
カリンは薄目を開けて、声を絞り出した。
「どこか怪我はないか?」
「足をくじいちゃったみたい。動かすと、ちょっと痛い」
カリンは自分の右足首を指さす。
地面は柔らかい赤土になっており、衝撃を吸収してくれたのが幸いだった。
見たところ血は出ていないし、腫れている様子もない。捻挫くらいで済めばいいが、折れている可能性は今の時点では否定できない。
「ちょっと動かすぞ」
俺はそのへんに落ちていた木の枝をひろい、カリンの右足にあてた。「っつ」とカリンの声が漏れる。
「固定だけさせてくれ」
俺は履いていた靴の紐をほどき、カリンの足と木の枝を動かないようにしっかり結び付けた。
もし骨折していたらなるべく動かないように固定しろって、保健体育の授業で習った記憶がある。いや、なんかのテレビで見たのか
な?
そのあやふやな記憶に頼って、応急処置を行った。たぶん、何もしないよりかはましだ。
「よし。事務所に帰るまで、我慢してくれ」
たぶん事務所に帰れば、シャルムがなんとかしてくれるだろう。
薬や、もしかすると回復魔法があるかもしれない。馬車で街の医者に運ぶこともできるだろう。いや、シャルムならワープの魔法が使えるか?
「うん。ありがとう、ケンタくん」
カリンは力強く頷いた。我慢しているのは見ていて分かる。
「俺がカリンをおぶって崖を上るから、シリウスは上から引っ張ってくれないか?」る
「僕が……、いえ、分かりました」
体力に自信があるシリウスは自分がカリンを背負おうと考えていたのだろうが、すぐに背中にはバスタードソードがあることに気づいて、先に崖を上った。
「ごめんね、重いよ?」
「毎日俺がどれだけの薪をかついでると思ってんだ。ほれ」
しゃがんで背中を向けると、カリンの両腕が俺の首に絡みつく。
「よいしょっと」
女子をおんぶすることなど人生で初の試みだが、今は照れている場合ではない。
しかし、である。
背中に当たるカリンのアレに、一気に集中を増してしまう。
さらにカリンの太ももの感触がまるでマシュマロみたいに柔らかいのだ。
いかん! これは人命救助である。何をバカなことを考えておるのか、俺は!
ただちにこの裏山から脱出せねば、キラーグリズリーが出るというのに!
「ケンタさん! いけますか?」
すでに崖上のシリウスが、こちらを心配してくれる。
体力的には問題ないのだ、体力的には!
「しっかりつかまってろよ?」
「うん」
太ももから手を放し、俺はロープを握る。カリンが腕の力だけで俺にぶら下がる。
これは思った以上に重労働だが、俺以上にカリンのほうがつらそうだ。
「ケンタさん!」
なんとか数メートルロープを上がったところで、シリウスが伸ばしてくれた腕をつかむ。
あとはもうシリウスがその自慢の体力で俺とカリンを引っ張り上げてくれたのだから、たいしたものである。
一旦地面にカリンを下ろし、一息入れる。刻一刻と暗くなってきているので、休んでいる暇はない。
「よし、行くぞ」
再びカリンを背中におぶり、来た道を戻る。
「重くない?」
「重くないって。気にするな」
背中からさっきから何度も同じ質問をしてくるカリン。
実際のところ、いつもの薪よりもちょっとだけ重かった。
「ごめんね。崖の下にホーラン草を見つけたんだけど、足を滑らしちゃって」
表情は見えないが、声がいつもより元気がないのは落ち込んでいるのかもしれない。
「そんなに何度も謝らなくていいよ」
転生してきてからずっと笑っているところしか見ていなかったので、こんな彼女を見るのは初めてでどう反応していいのか迷ってしまう。
「みんなの役に立とうと思ったんだけど、逆に迷惑かけちゃったから……」
「迷惑なんかじゃねーよ。夕食の食材を採りに行ってくれたんだろ? むしろこっちがありがとうだよ。なあシリウス?」
「そうですよ。わざわざありがとうございます」
シリウスも振り返って、律義に頭を下げる。
「たぶんシャルムがいたら、俺が採りに行かされてたんだぜ? 助かったよ」
「シャルムさん、人使いが荒いですからね」
「お、シリウスもようやく分かったようだな。訓練って言えばなんでもアリだと思ってるからな、あの女!」
「特にケンタさんにはめっぽう厳しい!」
俺とシリウスは笑った。
カリンに元気を出してほしいという、暗黙の一致だっただろう。シリウスも珍しく冗談を言うので分かりやすい。
「ま、俺たちは家族みたいなもんだからな。一つ屋根の下で生活してるんだし」
「家族……」
俺の言葉に、カリンがぽつりとつぶやいた。
「アイソトープとしてもそうだけど、助け合っていかなきゃな。せっかく三人一緒に訓練してるんだからさ」
「そうですよ。カリンさんも、何かあったらいつでも僕たちに言ってもらっていいんですよ。ホーラン草なら、ケンタさんがいつでも採りに行ってくれますから!」
「なんで俺なんだよ! お前こそ、今日はずっと休みだったんだろうが!」
「もちろんお願いされたら僕も喜んで行きますよ!」
俺たちは大げさに振る舞っているが、本心であった。
俺だって最初は一人だったのが、シリウスが来て、カリンが来た。
ダジュームで右も左も分からずに不安だったのが、今ではなんとかやっていけてるのはこの二人のおかげだ。精神的にはだいぶ助かっている。
家族、というのは大げさかもしれないが、間違ってはいない。
俺たちはお互いを励まし合いながら、生きていこうとしているのだから。
「だからカリンも遠慮すんなよ? 俺たちは一人じゃないんだから」
ふいに俺の後頭部に、こつんとカリンのおでこが当たる。
「おい、カリン? どうしたんだ?」
俺は思わず立ち止まる。
「……みんながんばってるから、私ももっとがんばらなきゃって思って」
消えそうな声はもう、俺の知っているカリンの声ではないようだった。
「俺は別にがんばってるわけじゃねーし。薪拾いなんて雑用だぜ?」
「毎日毎日、ケンタくんもシリウスくんもがんばってるじゃん」
いつものカリンの笑顔が見えない分、俺は気を遣わず話せている。それはきっとカリンも同じだと思う。それゆえの、本音だろう。
「誰かと比べて、自分ががんばる必要なんてねーよ。カリンはカリンのやり方でやればいいだけだからさ。無理してても疲れるだけだぜ? 自分のやりたいように生きればいいんだよ」
一歩一歩、カリンを落とさないように、なるべくくじいた右足が動かないようにゆっくり歩きだす。
「私ね……。ずっと良い子を演じてたの。あっちの世界で」
背中で揺れながら、カリンが語りだした。
俺とシリウスは黙って聞くことにした。
「……私、ずっと一人きりになるのが怖かったの。誰かの役に立たなきゃって、だからいつでも良い子であろうとして、笑顔を振りまいて、誰かの期待する自分を作ってたの。イヤなこともイヤと言えずに、本当の自分をずっと隠して……」
鼻をすする音が聞こえる。
「仮面をかぶってたの。自分じゃない、良い子を演じるために」
カリンのその声には、嗚咽が混じる。
「ずっと大丈夫じゃなかったのに、大丈夫なふりをしてた。私が我慢すればいい。それが私の生きる意味だって……」
俺とシリウスは黙ってカリンの言葉を聞いていた。
「捨てられるのが怖かったの。ただ私は、自分の居場所がほしかっただけなのに」
ずっと笑顔でいたカリン。彼女はそうやってずっと生きてきたのだ。誰かの期待に応えるように、仮面を被って演技し続けてきた。
自分を隠し、そうすることで居場所を作ろうとした。
「もう居場所ならあるだろうが。お前は一人じゃねーよ」
こいつもずっと不安だったんだ。高二の女子がこんな異世界に放り込まれて、平気なわけがなかったんだ。
笑うことでカリンは精神を保っていたんだって、ようやく気が付いた。
ここでも仮面を被り続けようとしていたんだ。自分を守るために。
元の世界で何があったのかは分からない。これ以上、聞くつもりもない。
でも、そうやって生きてきたカリンは、ダジュームに来てようやく本来の自分が出せたのだとしたら、それはきっとよかったんだろう。
「助けてほしかったら助けてって言え。やりたいことがあったらやりたいって言え。大丈夫じゃなかったら大丈夫じゃないって言え。そしたら俺たちがなんとかしてやるから」
「……うん」
強く頷くカリンの声は、何かを振り切ったような意志がこもっていた。
「もうすぐ、山を抜けますよ!」
シリウスが山の出口を指さし、かろうじて太陽が落ちる前に俺たちは山を出たのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!