ハデスが恐れていたことが起きた。
ダジュームという別世界の存在が父に知られてから間もなくのことだった。
魔王が自分をダジュームに連れていけと言い出したのだ。【ワープ】の魔法を使えば、別空間であろうと移動できるのではないかと、幹部会議によって検討されたらしい。
その目的が、ダジューム侵略であることは明らかであった。
もちろんハデスは父親であり魔王に逆らうことはできない。
一度【空間移動】で二つの世界を繋げてしまえば、【ワープ】で移動できることはハデスも分かっていた。
最初は魔王本人ではなく、部下のモンスターを連れて【ワープ】をする実験が行われた。ハデスも乗り気ではなかったが、その実験はなんの問題もなく成功した。
ダジュームと裏の世界を繋げたファーストムーバー・ハデスは、こうやって二つの世界を完全に繋げてしまった。ハデス以外のモンスターも【ワープ】を使えば自由にダジュームに行けるようになったのだ。
実験によって安全と証明されて、いよいよ魔王を連れてダジュームへと飛ぶことになった。
「ハデスよ、でかした。この一歩が、わがもう軍の新たな世界へ向かう大きな一歩となるのだ。さすが我が息子」
初めて父親に褒められたが、こんなにうれしくないことはなかった。
自分が見つけた楽園が、踏み荒らされるのだ。
侵略という、モンスターの偏った正義によって。
「じゃあ、行くよ」
ハデスは魔王を連れて、自分の大事な世界へと【ワープ】をした。
「なるほど、素晴らしい世界だ!」
初めてダジュームを見た魔王の言葉に、ハデスは胸を痛めた。
魔王の言う「素晴らしい世界」というのは、ハデスの感じた「素晴らしい世界」とは正反対であった。
魔王はこのダジュームの豊饒な世界を、侵略に足る素晴らしい世界だと言っているのだ。
ハデスは諦念と畏怖の気持ちを入り混ぜながら、ダジュームの青い空を見つめた。
この空が、裏の世界のように真っ黒に染まらないことを願って。
そののち、魔王軍の幹部会議によって、ダジューム侵攻が決議された。
そもそも魔王がその気なので、反対する者などいるわけがなかった。
初めて魔王がダジュームを訪れて以来、続々とモンスターが送り込まれていた。それは監視や情報収集が目的で、あとから魔王軍本隊を送る予定にしていたのだ。
だが、先鋒隊のモンスターにとってダジュームは目新しいものばかりなのだ。自分たちの役目を放棄し、自由に行動するモンスターが続出した。裏の世界を暴力により統一したばかりで、モンスターたちの統制が取れていないことが裏目に出た。
それに人間は弱い。誰かが言った。
「人間を食ったことがあるか? そりゃあもう美味でよ。あれを食ったら、もう裏の世界になんて帰りたくなくなるぜ」
ダジュームへ送られたモンスターたちは、各々がやりたい放題に人間たちを襲い始めた。
情報収集など本来の目的などどこへやら、モンスターたちはそのままダジュームから帰ってこなくなった。
これは幹部たちにとって誤算だった。ダジュームの情報は入ってこなくなり、予定は遅れることになったが、一度侵攻してしまえばほぼ一方的に征服できるであろうということは満場一致の見解だった。それほど人間という存在を軽く見ていたのだ。
一方でダジュームとしては、突然現れたモンスターにたまったものではなかった。
平和だったダジュームはこの未曽有の危機に世界中が一致団結し、モンスター討伐のために立ち上がった。
その一つの対策が、勇者の擁立であった。
勇者という英雄を立てることで、ダジュームの人間たちの意志を統一させようとしたのだ。
その思惑は成功し、ダジュームの人間の気持ちをひとつにさせた。勇者がいるのでダジュームは安泰だという空気を醸成し、ひとつの敵に挑む勇気を与えたのだった。これは裏の世界のモンスターたちとhあ大きな違いだった。
こうしてダジュームも対モンスターに団結して挑んだ。
魔王軍としては、勇者といってもただの人間で恐れることなど何もないと静観していたが、人間たちの団結力には手を焼いた。団結、という言葉はモンスターには皆無だったからだ。
さらに団結力を礎とした人海戦術により、魔王軍はまさかの苦戦を強いられることとなる。
個々のモンスターの能力は高くとも意思統一されていない烏合の衆は、力を合わせて戦略を組むダジュームの人間たちからことごとく敗走することとなった。
なぜレベルの低い人間に負けるのか?
こうなると魔王軍の士気は一気に下がった。そもそもダジュームに先鋒として送られた監視役のモンスターにとってはやらされ仕事である。いくら人間が美味いといっても、自らが危機に陥れば背に腹は代えられない。
さらに勇者をいくら倒しても、次から次に新しい勇者が擁立される。ダジューム側はまさに玉砕戦術であった。
「こいつら、死ぬことが怖くないのか?」
暴力に屈せず、死をも恐れずに立ち向かってくる人間たちに、むしろ魔王軍側は畏怖を覚える。
ダジュームの予想外の反撃により、業を煮やしたのが、魔王であった。
「人間ごときに何を苦戦しておるか!」
これが鬨の声となり、魔王軍はついに本体を派遣することになる。
だが先の理由によりダジュームの情報不足は否めなかった。加えてこの時期はまだ二つの世界を繋ぐゲートは作られておらず、【ワープ】を使えるモンスターが直接連れていくという非常に効率が悪い移動方法が取られていた。これでは本隊の侵攻といっても、まるで砂時計の落ちる砂のように限定的でゆっくりなものだった。
レベルの高いモンスターがやってきても、人間側にはそれに対する準備と戦略で対抗してくる。本体の侵略が始まれば勝負は一瞬で決すると思われたが、魔王軍の準備不足とインフラの脆弱さにより、ダジューム側が意外にも健闘することとなったのだ。
そのまま裏の世界とダジュームの争いは膠着状態となったまま、何百年も続くこととなる。
その間に初代魔王が病に倒れることになったのも、大きな理由であろう。
「私の悲願のダジューム征服、お前が代わりに果たしてくれ」
ダジューム征服ヲ果たせぬまま、それが初代魔王の最期の言葉だった。
そして長男のハデスが、二代目魔王となった。
ゲートをくぐりダジュームに降り立ったハデスは、二代目魔王に就任したときのことを思い出していた。
父が死んだとき、心のどこかで安堵したことは隠しきれなかった。まだダジュームが、自分の楽園が無事だったからだ。
父から託されたダジューム征服の野望はのらりくらりとかわし続け数百年が経ち、いよいよ現在の勇者ウハネから休戦の申し入れがあった。
魔王という立場になって、ダジューム侵略を堂々とやめにすることはできない。だが、ダジュームは守りたい。
その一番の好機がやってきたのだ。
この対談で争いは終わりにする。ハデスのずっと願ってきたことであった。
「行こうか、ミラ。シャルム」
久しぶりにダジュームに帰ってきたミラは懐かしむように青い空を見て目を細めている。
愛娘のシャルムは初めて見る世界に目を輝かせている。
すべてはこの家族を守るため――。
ハデスは勇者ウハネとの会談の場、ラの国の首都へと向かった。
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