俺たちは異世界ハローワークの事務所から馬車に揺られて小一時間。
馬車が止まった場所は、窓から見える景色は緑が少なくなっていた。
シャルムが降り、続けて俺たちもあとに続く。
しかし装備が重すぎて、馬車から降りるだけで一苦労だ。防御力全振りの弊害である。
素早さゼロ、むしろマイナス。装備してパラメータが下がるとは、これは呪いの装備なんでしょうか?
「おつかれさまです、ケンタさん! いよいよ訓練ですね! ワクワクしますね!」
俺の気苦労も知らずに、ホイップがぴゃらぴゃらと俺の周りを飛び回っている。
手にはバターナイフを持っている。ホイップの武器らしいが、あれで殴られたら意外とダメージがでかそうだ。
「こんなところで何をやるんですか?」
目の前に広がっていたのは、荒れ果てた荒野である。山肌に緑はなく、荒々しい岩が隆起している。地面はひび割れし、そのひびから白い煙が噴き出ている。
まるで決戦の場である。
戦隊ものが敵と戦うのにうってつけの場所だ。最後に爆発しても誰にも迷惑がかからないような。
やっぱりこんなところで行われる訓練がまともなわけがないではないか!
「あれは、洞窟?」
シリウスがあたりを見渡しながら、つぶやいた。
俺もすぐその言葉の意味に気づく。山肌にぽかんと穴が開いているのだ。まるで俺たちを待ち構えていたように。
「そ。二人であそこに入って、一番奥にある宝箱を持って帰ってきて」
すでにシャルムは折り畳み式の椅子を広げ、どっかりと腰を下ろしていた。
サングラスをかけ、どこから持ってきたのかクーラーボックスからワインを取り出している。
その姿は大御所の映画監督のようだ。
「ちょっとシャルム! 俺たち二人で行くんですか? 危なくなったら助けてくれるって言ってたじゃないですか!」
「なんで私が行かなきゃいけないのよ。中の様子はホイップに見てもらうから、大丈夫よ」
ポン、と景気よく抜かれたワインのコルクは、空中でそのホイップがキャッチした。
「異世界ハローワークの雑用係兼、監視役ですのでお任せください!」
キリッと敬礼ポーズのホイップは、しゅたっとシャルムの肩に着地した。
「心配しないで。この洞窟の中にはそんなやばいモンスターはいないから。あ、でも毒サソリだけには注意してね。刺されると2秒で死ぬから」
「2秒! 結構な即死!」
グラスにワインを注ぎながら、シャルムが怖ろしいことを言い出した。
「俺はもう訓練を辞退します! 戦闘スキルはE判定で結構ですから!」
俺はもう降参である。
戦闘スキルを見極めるだけならば、わざわざそんな危険なことをする必要がないのだ。
最初から適性がないことにして、他の訓練でがんばればいい。
もっと平和な【料理】や【掃除】とか、そういうやつの適性を訓練したい!
「シリウスもそう思うよな? 最初の訓練で無理して死んだら意味がないだろ? ダジュームで生きていくために契約したのに、それじゃ話が違うよな!」
さすがに向上心の塊であるシリウスも、さっきのシャルムの話を聞いてしまっては、気持ちも変わってしまうことだろう。
こんなおどろおどろしい洞窟に入って、毒サソリを相手にするなんて、正気じゃない!
そのシリウスは少しうつむき、唇を噛みしめていた。
「俺はショップの店員さんとか、そういうジョブで大丈夫だから! もしくは農家とか、そういう平和な仕事でスローライフを……」
バリン!
シャルムの持つワイングラスが、いきなり割れた。
いや、割れたというよりは、木っ端みじんに砕け散ったのだ。
「シャ、シャルム様……?」
それに驚いたのはホイップである。コルクを両手でギュッと抱きしめ、肩をすくめている。
当然、俺も自分の発言が原因であろうということは想像がつくので、半笑いの表情のまま固まってしまった。
「ひとつ言っとくけどね、あなたはダジュームをなめてるの?」
「え……?」
シャルムは左耳のピアスを弄びながら、きわめて冷静に俺に問いかけてきた。その落ち着きようが、もう怖すぎる。
「このダジュームで生きるということは、モンスターにいつ襲われるか分からないってことなのよ。アイソトープならなおさらよね? 町にいれば安全? 農家は戦わないでいい? スローライフなら悠悠自適だって? バカじゃないの? なめてるの?」
シャルムは声をひそめながら、俺を叱咤する。
「みんなモンスターと戦いながら、必死で働いているのよ。毎日、生きるか死ぬかの瀬戸際で、戦いながら生活してるの。こんな訓練、戦闘スキル以前のレベルなの」
俺はピクリとも動けなかった。
「いつも誰かがあなたを守ってくれるとは思わないで。自分の身を守るのは自分。あなたたちアイソトープが簡単に働けるほど、この世界は甘くないのよ!」
最後通告のように、シャルムは俺たちに現実を突きつけた。
「ダジュームで生きるということは、戦うことよ。忘れないで」
そうなんだ。このダジュームではモンスターにいつどこで襲われるかは分からない。
この世界の人たちは、いつでもモンスターと戦いながら生きているのだ。
必要最低限で基本的な戦闘スキルは必須。おそらく自転車に乗るくらい、当たり前のスキルなのだ。生活スキルさえあれば生きていけるというのは甘かった。
「ましてや僕たちアイソトープはモンスターを引き付けてしまう……」
シリウスがひとりごちた。
そう。モンスターをおびき寄せ、しかも戦闘スキルがない役立たずのアイソトープを、誰が雇ってくれるというのだ? そんな奴にジョブなんてあるわけ……。
このダジュームで生きていくには、せめて自分くらいは守れる必要最低限の戦闘スキルからは逃れられないのだ。
「さあ、どうする? この訓練から逃れたら、それはすなわち契約を破棄することにもなるのよ? それが何を意味するか……」
「生活スキル以前に、こんな初歩の戦闘訓練でビビるような奴に与える仕事はないってことですよね」
俺はつばを飲み込み、自分自身に気合を入れるように胸を叩いた。
「そういうコト。仕事どころか、生きる資格もないってコト」
俺の答えに満足したのか、シャルムはにっこり笑ってグラスにワインを注ぎ始めた。
あれ? そのグラス割れたんじゃ……? どういうコト?
「やはり僕たちには、この道しか残っていないんですよ」
槍を両手に構えたシリウスが、一歩踏み出した。
「ああ。行くしかないってことだよな」
年下のシリウスを前に、もう逃げることはできない。ちらと、監視役のホイップを見ると彼女もバターナイフを持って行く気満々である。
「もう準備はOKかしら? 洞窟の中で起こることはすべて訓練よ。どんな方法を使ってもいいから、切り抜けてみなさい!」
ワインを口に含みながら、完全にこの状況を楽しんでいるシャルムである。
完全な投げっぱなし、ひとりバカンス気分である。
「やばくなったら、引き返そうな? 無理はしないように、慎重にいくぞ?」
「はい。死ぬ前に一気に片づけましょう」
シリウスには俺の意図が伝わっているのか不安だったが、洞窟に向かった一歩、踏み出す。
全身鎧に守られてるんだから、毒サソリに刺されることはないよな?
「ケンタさんとシリウスさん、洞窟へ入場しまーす!」
ホイップの陽気な声が響き、俺たちはぽかんと穴が開いた洞窟へと、足を踏み入れるのだった。
小さな決意と、大きな不安を抱えながら。
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