「そうなんですか。ケンタさんは大変だったんですね」
シリウスは俺の話を聞くときは資料を読む手を止め、いちいち合いの手を入れながら真剣に聞いてくれた。
リビングで俺とシリウスはこの異世界ダジュームについての資料を読みふけっていた。といっても俺は二度目なのだが、まるで初見のように熟読をしていた。
シリウスと言葉がこうやって通じているのも、どうやらダジュームの特性だということもきっちり本には書かれていた。初読のときはどうやら読み飛ばしていたようだ。
そもそも俺がシャルムやホイップと普通に話せていたのも、今考えるとおかしな話だった。
「俺が転生した場所は街の真ん中だったもんで、どうすることもできなかったんだよ。とにかく俺が思ったのは、町の人々を巻き込まないようにしなきゃ。それだけだったんだ。なにせアイソトープの匂いはモンスターを引き寄せるからね。すぐにその場を離れなきゃと、珍しく焦ってしまったよ」
シリウスが聞き上手なので、俺もつい饒舌になってしまう。
先輩として、いろいろ教えてあげなくてはいけないからね。
「でもそのとき、ケンタさんは転生してきたばかりだったんですよね? アイソトープとかモンスターとか、よく状況を把握できましたよね?」
シリウスは『異世界転生、そのとき君は?』を読みながら、素朴な疑問を口にした。
やばい。調子に乗って話を盛り過ぎた……。こいつ、なかなか鋭いな?
「いや、まあ、直感ってやつかな? で、どうだい、ぜんぶ読めたかな?」
適当に誤魔化して、俺は先輩風を吹かした。
どうやらこのシリウス、年齢は俺よりひとつ下の16歳というのだ。イタリア人で、俺と同じく学生らしい。このスーツは普段着らしく、なんてお洒落さんなのだろうか。裸で転生してきた俺がバカみたいである。
「ええ、まさか自分が異世界に転生するとは思いませんでしたが……。死んでしまったんですね、僕は。……そうですか」
シリウスは小さく俯き、自虐的な笑みをこぼした。
無理もない。目が覚めれば突然異世界にいて、すぐにこんな現実を突きつけられたら信じることなどできようか。さっきの自分を見ているようで、シリウスの気持ちはよく分かる。
かくいう俺も、本当の意味で今の自分が信じられていないのだ。まだ夢であってほしいと、どこかで願っている。元の世界で生きていると、そう思い込みたい。
「シリウスはその、死んだときの記憶があるのか?」
さっきシャルムも言っていたが、転生する前の最後の記憶が自分の死ぬ瞬間だったというのが普通らしい。きっとこのスーツを着ているときに、死んでしまったのだ。
「はい……」
シリウスは言いにくそうに、表情を固めた。
そして一瞬、スーツのお腹の当たりを軽く触って確認するようだった。
「そ、そうなのか。わ、悪い」
俺はバカな質問をしてしまったことに気づき、謝る。
シリウスに死の直前の記憶を蘇らせてしまったのだ。
誰だってそんなこと思い出したくもないし、それは死を突き付られたのと同然なのだ。
むしろ死の記憶がない俺のほうがイレギュラーといえる。
「でも、今さらへこんでる場合じゃないですよね! ケンタさんを見習わなきゃ!」
ぐっと顔を上げたシリウスの顔には、無理やりに笑顔が作られていた。
こいつ、年下のくせに、俺より強いじゃないか。
未だ夢であってほしいと思っていた俺は、奥歯を噛みしめた。
「ああ、それで、どうする?」
「契約の件ですか?」
テーブルの上には資料の本のほかに、すでにさっきの契約書が用意されていた。
ご丁寧に、俺の分も一緒に、二枚。
「この資料と、さっきのシャルムの言うことが本当なら、俺たちはもう元の世界には戻れない。ここで生きていかなければいけないんだ。たぶん、元の世界で生きてきたような方法とはまったく違う方法で」
なんだかシリウスが来てから、俺も冷静になれた気がする。
ただ単純に相談相手ができたというのも大きいが、年上として俺がしっかりしなければいけないという気持ちも生まれてきたのだ。
……さっきのあんな顔を見せられたら、弱音なんか言ってられないじゃないか!
「ケンタさんは大人ですね」
「大人?」
シリウスの突然の言葉に、俺は言葉を詰まらせた。
「大人って、年齢はひとつしか変わらないだろ」
「いえ、そういう意味じゃなくって、ちゃんと現状を理解して、どうするべきかを考えてる。立派ですよ」
パチンと本を閉じ、視線を逸らすシリウス。
その表情には、やはりまだ現状を受け入れられていないことを感じさせる。たまに見せる幼さの残る表情が、シリウスの不安を映し出す。
当然だ。元の世界で死んだということ、さらに異世界で生きていくということ、この二つを同時に受け入れなくてはいけないのだ。俺たちアイソトープは。
しかもこの世界にはモンスターがうじゃうじゃいて、勇者や魔王なんていうヤバすぎる奴らも存在しているのだ。
「そんなことないさ。俺も、これが夢だったらって、ずっと思ってるよ。外に出たらモンスターに狙われるなんて、考えたくもない」
「ですよね。でも、受け入れるしかないんですよね。ここで生きていくには」
うんうんと自分を納得させるように頷くシリウスだが、机の下で拳を固く握っていることを、俺は知っている。
このダジュームで生きていく決心をしたとして、自分が何もできない圧倒的無力な存在であることは、そう簡単に受け入れられるものではない。
学校に通っていた平凡な生活は二度と戻ってこないし、ここにはそんな日常はない。
スキルもない、一人で何もできず、モンスターを呼び寄せ、簡単に餌になってしまうアイソトープという存在として俺たちは生きていかねばならないのだ。
そのためにも俺たちは訓練を受けなければいけないのだが――。
俺はその契約書に目を落とす。
「正直、俺は迷ってる。まだシャルムの言ってることが信じられないというか、利用されてる気もするしさ。まだシリウスはあの人と喋ってないから分からないだろうけど」
シャルムに聞こえないように声をひそめる。
あれからシャルムは食事をとった後、二階の部屋で休んでいるようだった。きっと俺たち二人で話し合った方がいいと判断したのだろう。
妖精のホイップは掃除や雑用をこなしながら、時折俺たちの様子を窺っているようだった。
「でも、契約するしかないと思います。僕はまだ右も左も分からない初心者ですし、もちろんモンスターと戦って一人で生きていく自信はないです」
シリウスは迷いなく言い切った。
「そりゃそうだ。俺だってモンスターと戦いたくないさ」
「でもジョブ訓練を受ければ、もしかしたら僕たちも魔法が使えるようになるかもしれませんよね? スキルが覚醒すれば」
「ちょっと待て、シリウス。お前、戦闘スキルを習得したいのか?」
さっきシャルムが言っていたように、スキルには戦闘スキルと生活スキルの二種類がある。
どうやらこのダジュームの人々は、当たり前のように魔法を使って日々、モンスターと戦っているらしい。
もちろん俺たちアイソトープは魔法を使えない存在である。しかし――。
「契約してシャルムさんの訓練を受ければ、モンスターとも戦えるようになるかもしれないですよ。ほら、『ダジュームの歴史』に書いてあったじゃないですか」
と、シリウスは一冊の本を開けた。
そのページには「戦闘スキルの覚醒」という項目があった。俺は自分には関係のない話だと決めつけて完全に飛ばし読みしていた部分だ。
「アイソトープが訓練を受けることによって、ごく少数ですが魔法が使えるようになったり、特殊能力が使えるようになることがあるって書いてありますよ」
シリウスが指さす個所を、俺はざっと読む。
それは超特異なケースとして、ダジュームの歴史上でアイソトープがモンスターを凌駕する戦闘スキルに目覚めたことがある、という内容だった。
ちなみにそのアイソトープはダジュームの歴史においても神格化されているらしく、ウハネという名前らしい。ダジュームでは知らない人はいない存在だという。
「戦闘スキルに目覚めたら、モンスターと戦わなくちゃいけないんだぞ? それにそんなに簡単に戦闘スキルが身につくとは……」
俺がダジュームで生きていくためには生活スキルを身につけたいと考えていたが、どうやらシリウスは戦闘スキルのほうに興味がいっているようだった。
「でも、確率はゼロじゃないですよ」
シリウスはぐっと拳を握った。その目はどこか、輝いているようだった。
「お前は戦闘スキルを身につけてモンスターと戦いたいのか? そのために訓練を受けるって?」
「僕だってできれば戦いたくないですよ。でも、僕にそんな能力があって、ダジュームの人たちの役に立てるんだったら、転生してきた意味があるかなって思っただけです」
少し恥ずかしそうに、シリウスは鼻をこすった。
さっきまで契約して利用される、搾取されると騒いでいた自分が恥ずかしくなってしまう。
「それに、がんばれば勇者と一緒に魔王と戦えるかもしれませんよ? それこそ、ダジュームの人たちのためになるじゃありませんか!」
シリウスは大きすぎる夢を語りだした。それって勇者のパーティーに入るってこと?
無謀なことだとは思うが、異世界に転生してきたことを悔やむのではなく、シリウスは少しでも前向きに考えようとしているのだ。俺より年下なのに!
「そうだけど……」
自分のことばかり考えて、誰かの役に立つなんてことは一切考えていなかった俺は、すこしだけ恥ずかしくなる。
「もう僕たちはダジュームに転生しちゃったんですから。元の世界に帰る方法がないなら、とりあえずやってみるしかないですよ。だってほら、魔法を使えるようになったらすごいじゃないですか」
それがシリウスの本心なのか、強がりなのか。それはまだ分からないが、彼は宣言した。ここで生きていくやり方を。
「やる前から、ダメだったときのことを考えるのはよくないですよ!」
考えすぎる俺のことを見抜いているのか、シリウスは無邪気に笑って見せる。
「僕は契約しますよ。この異世界ハローワークと」
シリウスはペンを取り、契約書に自分の名前をサインした。シリウス・フェレーロと。
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