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――スキルもチートもありませんが、ジョブは見つかりますか?
ハマカズシ
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ジェイドの受難(2)

公開日時: 2021年1月4日(月) 18:00
更新日時: 2021年12月18日(土) 20:20
文字数:4,357

 ジェイドはケンタに促され、ハローワークの事務所に入る。


 同時に建物の周りに張られていた結界を無効化した。ジェイドにとってはこの程度の結界の解除は児戯に等しかった。


 シャルムもこんな辺境の地まで魔王軍直属のモンスターが来るとは思わなかったのであろう、簡易な結界しか張っていなかったのだ。


 ハローワークに入ると、リビングが広がっていた。


 まだ罠の可能性も捨てきれず、少し緊張していることに自覚したジェイドは自身のネクタイを直しつつ、心を落ち着けようとする。


 モンスターにしては慎重すぎるジェイドゆえの行動であった。


「ホイップ! カリン! あれ、誰もいないな?」


 あとから入ってきたケンタがキッチンのほうを覗く。


 結界を解除した瞬間に「第三の目」で事務所内をチェック済のジェイドは、誰もいないことをすでに認識していた。だからこそ、ケンタの誘いに乗って中に入ったのだ。


「すいません、ジェイドさん。誰もいないみたいで、コーヒー淹れますんでソファにでも座っててください」


 誰もいないことが想定外だったのか、ケンタは慌ててキッチンに消えていった。


 ジェイドはようやく、息をつく。


(罠ではない? 最初から仲間たちと私を襲うつもりはなかったのか? ならば、これはただの善意ということか?)


 ソファに座りながら、事務所内を見渡す。


 同時に「第三の目」を使って、二階のケンタの部屋や、地下の道場も遠隔操作で確認を続ける。


 やはりジェイドとケンタ以外にこの事務所の中には誰もいなかった。


 さすがに相手がアイソトープ一人ならば、どんなことが起こっても万が一のこともあり得ない。


(……ふう。私らしくないな)


 ジェイドは小さく深呼吸をし、モンスターの誇りを取り戻す。


 そのとき、ジェイドは違和感に気づいた。


 その違和感が何であるか、すぐに答えにたどり着かなかったのはキッチンのほうからケンタの声がしたからだった。


「買い物にでも行ったんですかねー」


 ふと顔をあげると、今度は香ばしい匂いが漂ってきた。


 これはコーヒーという黒い液体の匂いだろう。コーヒーが人間が飲む嗜好品だということはジェイドも知っている。魔王城でも参謀のランゲラクが魔王に勧めているのを見たことがあったが、ジェイドはまだ飲んだことはなかった。


 ジェイド自身、人間たちの生活にはさほど興味がなかった。


 だがこうやって人間の住処に入ってみると、そこには初めて見るものが多く、これまで興味を持たなかった自分が損をしていたような気までしてくる。


 あの魔王の座にも、人間が作ったであろう調度品がいくつか置かれていた。魔王がどこで手に入れたのかは分からないが、そこのテーブルの上にある花瓶も、魔王の座で見たことがある。


 花を生けるという文化は人間による独自のものだと思うが、魔王の部屋にはいつも花が飾られてあった。


 残念ながらジェイドには花を見て美しいと思う感性はなかったが、魔王が愛でているのを見ていつもうらやましくもあり、自分の感情が欠けているのではないかと不安になることがあったのだ。


 このように、魔王ベリシャスは、どこか人間に対して好意的だった。


 今回の任務にしても、ターゲットを傷つけないようにと添えられたのも、その向きがある。


 そんな一面を見せるのはジェイドの前だけであり、参謀ランゲラクには決して見せることはないだろう。


 もちろんモンスターとして、人間とは相容れないことはよく分かっている。共存が不可能な存在だとも理解している。人間の感情や価値観と、モンスターのそれとは大きく食い違っていることも実感している。それがアイソトープならば、なおさらのことである。


 だがこうやって実際にアイソトープの少年と触れ合ってみると、固く閉ざしていた心の壁が、ほんの少しだけ揺らいだような気持ちになっていた。


 人間やアイソトープにとってモンスターは畏怖する存在であり、ジェイドもそうあることが自然だと思っていた。


 しかしケンタというアイソトープは、ジェイドに対して今のところそんな反応は示していない。モンスターだと気づいていないので当然かもしれないが、それにしてもジェイドにとっては初対面の人間に対するイメージが変わりつつあった。


 これはモンスターとしてはあるまじきことかもしれないが、魔王の人間に対する感情に少しだけ近づけたのかもしれないと思うと、ここへ来た意味があったのではないか。


 予想外の出来事の裏側にも、真理は隠されている。


 ジェイドはこの任務を与えてくれた魔王に感謝し、目を閉じた。


「お待たせしました」


 そこへケンタがカップを二つ持って、リビングに入ってきた。


 魔王城の自分の部屋のものよりも居心地の良いソファに身を沈めていたジェイドは、ゆっくり目を開ける。


 テーブルに置かれたカップに入っていたのは、やはり黒い液体だった。


「コーヒーです。いつもは雑用のホイップっていう妖精がうまいコーヒーを淹れてくれるんですけど」


 ケンタは恐縮するように、頭を掻いた。


 その妖精のことは、ジェイドも知っている。あのテーマパークでカリンと一緒にいたところを見ている。


「いただこう」


 ジェイドは小さめのカップに口をつける。


 初体験のコーヒーという飲み物は、味がなく、舌の上に感じたことのないような苦みが残った。決して美味いものではないが、これが人間の嗜好品だと思うと、モンスターのほうがずっといいものを食べているのではないかと思えてしまった。


「なるほど……」


「あ、美味しくなかったですか?」


 初めてのものを口にして迷いが見えるジェイドの感想に、ケンタは不安になって眉根を下げた。


「いや、比較対象がないので私の言うことは気にしないでくれ。こういうものだと思えば、嫌いではない」


 寂しそうにするケンタに、思わずお世辞を言うジェイドであった。


 社交辞令ができるモンスターも存外珍しい。


「コーヒー飲むの、初めてなんですか? ジェイドさん、アイソトープなのに、元の世界でも?」


 ジェイドは自分がアイソトープであるという設定を忘れていた。


 どうやらこのコーヒーという飲み物は、アイソトープの元の世界でも存在するようだった。さすがにこれは予想できなかったとはいえ、迂闊であったとジェイドは背筋を伸ばす。


「いや、そういう文化がなかったんだよ。それより……」


 話の主導権をケンタに渡すと、またぼろが出そうなのでジェイドは自分から話題を振ることにした。


 そもそもここに来たのは、ケンタのスキルについての情報収集が目的なのだ。


「なぜ君は薪拾いの訓練を? 魔法の訓練はしていないのか?」


 ジェイドでも、ダジュームに転生してきたアイソトープの生態は知っている。


 アイソトープは魔法を使うことはできず、訓練によってその才能を探るということは聞いていた。このハローワークがその施設であることも。


「いやぁ、俺はあんまり魔法には興味がないというか、戦闘スキル自体、あんまり身につけようとは思ってないんですよね」


 ジェイドにとって、ケンタのその発言は信じられないものであった。


 このダジュームで生きるには魔法スキルは必須であると、ジェイドは考えている。何しろ、外を歩けばモンスターと遭遇するのがこの世界なのだ。


 人間やアイソトープの能力の限界値は、モンスターには到底かなわない。これはジェイドの過信ではなく、ダジュームの常識である。


 その差を少しでも埋めるために、ダジュームの人間は魔法を使うのだ。それはモンスターを倒すことだけが目的ではなく、自分が生きるためである。


 なのに、このケンタというアイソトープは魔法が必要ないと言う。


「それは魔法の才能がないと判断されたということか?」


 ジェイドは質問を重ねる。


 アイソトープは魔法の素質がなければ、どれだけ訓練しても魔法は使えない。そう判断されると、いわゆるジョブにも就く選択肢がぐっと狭まってしまうらしい。


 モンスターのジェイドにとってそれがどのような社会的な不利になることかはぴんときていなかったが、すなわち自立できない奴隷のような立場ではないかと想像した。


 そんな魔法も使えないアイソトープならば、薪拾いに従事させられていてもおかしくはない。


「いえ。まだ訓練自体は受けていないんで、素質があるかどうかもわかりませんよ」


 ケンタは自虐的に笑った。


「訓練を受けていない? 魔法が使えるかどうかもわからないのか?」


 訓練を受けていない状態で、【蘇生】スキルが使えるかもしれないという疑惑はどこから出たのだろうか? ジェイドは不思議に思う。


「でも……。いや、なんでもないです」


 と、そこでケンタはあやふやな言葉で濁した。【蘇生】スキルのことを思い出したのだ。


 くしくも二人とも同時に、【蘇生】スキルのことを思い浮かべていたとは、まさか思うまい。


「でも、どうした?」


 その不自然な態度に、ジェイドが突っ込んだのは直感だった。


 ケンタは何かを隠している。そう感じたのだ。


「……俺にはそんな才能あるわけないですから。また薪の配達のジョブなんかが見つかればいいなって、そう思ってますよ」


 ケンタは恥ずかしそうに目を伏せながら、そう言った。


 これは何かを隠しているわけではなく、本心であった。


 ケンタは【蘇生】スキルのことはとうに諦めていたのだ。


 しかし、ジェイドはそうは思わなかった。


 ケンタが一瞬目をそらしたことにも、ジェイドにとっては意味深な行動として捉えられた。


「魔法の素質は目に見えぬものだ。ましてや己の判断だけではな」


 すっと、ソファから立ち上がるジェイド。


 ケンタは突然の行動に、口を開けてぽかんと見あげている。


「行こうか」


「え、どうしたんですか、ジェイドさん?」


 そのままくるんと背を向けるジェイド。


 ケンタはこの光景に既視感があった。


 そう、いつかのシャルムである。


 あの時はいきなり地下の道場に来いと言われて、【蘇生】スキルのことを知らされたのだ。


 だが今日は初めて会ったジェイドである。


 コーヒーがまずくて気を悪くして帰るのかしらと、ケンタは考えた。


 が、そんなわけはなかった。


「地下の道場へ来い」


「へ?」


 なぜかデジャブが実現してしまった。


「なんで地下に道場があることを知ってるんですか?」


 すたすたと地下への階段へ向かうジェイド。


 もちろん「第三の目」で確認していることなど言えるわけもなく、もう取り繕うこともなかった。


 もう自らケンタの【蘇生】スキルの有無を確かめるしかないとジェイドは強硬策に出ることにしたのだった。


「来いと言っているのだ」


「ちょっと、ジェイドさん?」


 ケンタの呼びかけも無視して、ジェイドは地下へ消えていった。


「勝手に道場に入ったら、シャルムに怒られちゃうよ……」


 さすがに放っておくわけにもいかず、ケンタも慌てて後に続く。


 このときはまだ、ジェイドが冗談を言っているとしか思っていないケンタであったが、道場で事態は急変するのであった。

 

 

 

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