「かんぱーい!」
カチンと、グラスを鳴らす音が店内に響き渡る。
「……あぁん! 美味しい! 店長、おかわり!」
一口で空になったワイングラスを頭上で振ると、すぐさま店長と呼ばれた男性がテーブルに寄ってきた。
「同じものでいいですか?」
「もちのろんよ。ああ、もうめんどくさいからボトルで二、三本持ってきといて!」
髭の店長は営業スマイルを残し、厨房へ帰っていった。その笑顔の下には「昼間からどれだけ飲むんだ、この人は?」という呆れた表情が隠れていた。
「ちょっと、シャルムさん? まだお昼ですよ!」
本人以外が気づいているその状況を言葉にして伝える優しいカリンは、もちろんワインではなくコーヒーを飲んでいる。
「何言ってんのよ。ワインがおいしいのは、昼も夜も一緒よ? ほら、カリンも飲んでみなさい」
「もう、私は未成年ですよ!」
「遠慮しなさんな! 一口だけよ!」
「私はコーヒーを楽しんでるんですから!」
店長が持ってきたワインボトルを差し出してくるシャルムに、必死で抵抗するカリン。もう完全に出来上がっている。
「あれ、シリウスさん。元気がないですね?」
「いや、そういうことじゃないんですけど……。ここに来るとちょっといろいろ思い出しちゃって」
妖精専用の小さなコーヒーカップでココアを飲むホイップが、隣のシリウスの顔色を窺う。
シリウスは愛想笑いを返して、一つため息を吐いた。
この場所には何かつらい思い出でもあるのだろう。トラウマだったら気の毒なことである。
「ほら、シリウスも飲みなさい! 今日は訓練を休みにしてあげたんだから!」
ここはカフェ・アレアレ。
ハローワークご一行ランチをしにやってきていた。
そう、たった一人を除いて。
「ケンタさんに言わずに来てよかったんですかね? なんだか悪いなぁ」
トラウマのせいだけではなく、シリウスは気まずそうに窓の外を見る。
「いいのよ。ケンタは首都まで行かせてあげたんだから、その分働かせておかないと」
赤、白、ロゼと次はどのワインを飲もうか、にやついているシャルムが冷酷に言い放った。
このアレアレアでのランチは、今朝シャルムが突然言い出したことだった。
今日は朝からシャルムはどこかに出かけていたらしく、朝の十時ごろに帰ってきたと思ったら、いきなりみんなにアレアレア行きを告げたのだった。
訓練の準備をしていたシリウスや、昼ごはんのメニューを考えていたカリンもあっけにとられ、ケンタはすでに裏山へ薪拾いに出かけていた。
朝から上機嫌でテンションの高いシャルムに、半ば無理やり連れてこられたというのが、このランチ会の成り行きである。
「首都には私も行きましたよ! それにケンタくん、会議では立派だったんですよ?」
するとカリンがすかさずフォローを入れた。
シリウスと同じく、カリンもケンタをほったらかしにしていることに、どこか罪悪感を覚えているようだ。
「まあ、会議のことは褒めてあげてもいいわね。ケンタにしては、よくやってくれたわよ」
と、シャルムは頬杖をついて口を尖らせた。
「全然、褒めてる表情じゃないんですけど?」
その目でケンタの会議での発表を見届けたカリンは、シャルムのふてぶてしい態度に苦言を呈する。
できればみんなにあのケンタの発表を見せたかったと、カリンは本気で思っていた。
会議が始まる直前に、ソの国のハローワーク所長にアイソトープであることを揶揄され、それでもその評価を覆すためにケンタは見事な発表をしたのだ。
あれにはカリンも感動すら覚えた。
正直、あそこまで堂々とケンタが発表をするとは思ってもみなかったのだ。始まる前は慰める言葉を準備していたくらいだった。
「会議のことは聞いてるわよ。ああ見えて、度胸が据わってるのは私も認めてるから、あいつに頼んだんだし」
その言葉とは裏腹に、シャルムはむすっとした表情を崩さない。
「じゃあ、ケンタさんも連れてきてあげたらよかったじゃないですか」
シリウスもカリンの反論に乗っかる。
「シャルム様、この前の合コンが大ハズレだったから機嫌が悪いんですよ!」
カリンとシリウスの間にいるホイップが、小さな声でつぶやいた。
「こら、ホイップ! いらんこと言いなさんな!」
「ひゃあ! ごめんなさい!」
ギリリとにらまれたホイップがぴゃららとカリンの後ろに隠れた。
ホイップの大暴露とシャルムの反応により、すべてを理解したカリンとシリウスは顔を見合わせた。
合コンと国際ハローワーク会議をダブルブッキングしてしまったシャルムは、優先した合コンがハズレだったので素直になれないだけらしい。なんとも面倒くさいハローワーク所長である。公私混同とはこのことだ。
「相手は屈強な戦士って聞いてたのよ? でも実際に来たのはひょろひょろの男ばっか! 戦士とは名ばかりで、訓練もしてない名ばかりの戦士よ! 騙されたー!」
ぐびっと、シャルムがワインを飲み干す。
この異世界ダジュームでも合コンでは男側はジョブが重要な要素になるらしい。世知辛い世の中である。
「それとこれとは話が違うじゃないですか。ケンタさんをほったらかす理由になりませんよ」
シャルムのやってることは八つ当たりとばかり、シリウスが言い返す。
アイソトープ同士、ケンタを仲間はずれにしたようで居心地が悪い二人であった。やはり三人の絆は、日に日に増しているようだった。
これにはシャルムも少しは罪悪感が目覚めたのか、
「そりゃケンタもいれば連れて来てあげたわよ。私が帰った時にはもう裏山に行っちゃってたし、帰ってくるのは夕方でしょ? ランチに間に合わないじゃないの」
「じゃあ夕食に来ればよかったじゃないですか」
「昼間に飲むワインがおいしいのよ!」
「そういう問題ですか!」
無茶苦茶な「昼に飲むワインは美味い」説に、カリンとシリウスは大きくため息をつく。
「ケンタにはアレアレアサンドをお土産に買って帰るから、それでいいわよ。それにあいつ、ここでバイトしてるときに給料以外に店長からお小遣いももらってたみたいだしね。これはあなたたちに対するご褒美的な意味合いもあるのよ」
ちらっとカウンターの奥に引っ込んだ店長に視線を送る。
店長は口笛を吹いて目線を外した。どうやら図星らしい。
「ケンタくんには私のお手製カツサンド弁当を作ってあげたから、お腹はすいていないだろうけど……」
カリンが早起きして作った弁当である。肉体労働のケンタのためのハイカロリーな一品であった。
「そうよそうよ。今度はみんなで行きましょう! ほら、ご飯が冷めるわよ」
シャルムは悪気がなかったかのように、大きなソーセージにフォークをぶっ刺した。
「でもシャルムさん、今日は朝からどこに行ってたんですか? こんな早朝から出張に行くのは珍しいですよね?」
シリウスも納得はしていないが、空腹には勝てずにサラダに手を付けながら訪ねた。
毎日の戦闘訓練は朝食後の朝八時から始まる。だが今日は朝食時はおろか、九時を回ってもシャルムが現れないので不思議に思っていた。
それから十時になって帰ってきたと思ったら、そのままスマイルさんの馬車に乗ってアレアレアに連れてこられた。
「私はいろいろ忙しいってコト! だからこうやってたまにはお昼から息抜きもしなきゃね!」
ハローワーク所長として独りで切り盛りしているシャルムが忙しいことは、カリンもシリウスも重々承知していた。
こうやってはぐらかしているが、もちろんアイソトープには言えないような仕事もしていることに違いなく、これ以上突っ込んでも答えは出てこないだろうとシリウスは引き下がった。
「そんなことよりあなたたちも、どうなの? このダジュームでの生活は?」
シャルムはカリンとシリウスを、赤い顔で見渡す。
隠れていたホイップも頃合いを見て出てきており、テーブルの上にちょこんと座ってパンにかじりついていた。
「どうって、どういうことですか?」
「あなたたちがダジュームに来て、一か月以上経ったわけでしょ? 毎日訓練をしてスキルの習得を目指しているけど、今後は具体的なジョブのことも考えなきゃいけないからね」
突然、ハローワークの面談が始まってしまった。
相手が酔っ払いのシャルムだとしても、無視するわけにはいかない。
「どうって、どうなの、シリウスくん?」
突然の質問が飛んできて、答えに窮したカリンはまずシリウスに振った。
「僕は変わりありませんよ」
シリウスも質問が曖昧過ぎて、適当に返した。
「シリウスくんは最初っから、目的をもって頑張ってるもんね。偉い!」
「まあ、挫折も経験しましたけどね。それでも、僕にはこれしかないから」
シリウスはぐっとこぶしを握って見せた。
ちょうどこのカフェ・アレアレで、勇者クロスと面会した時のことを思い出しては、戒めのように胸に刻み込む。
あの時、勇者パーティーに入りたいと思った気持ちを勇者にズタボロにされ、一時はくじけそうになったが、シリウスはまだあきらめないで訓練に励んでいた。
いつか勇者を見返すくらいに成長し、再び勇者パーティーに入って魔王と戦う。
それがシリウスの、最初から変わらぬダジュームでの夢であり目的だった。
「あくまで勇者のパーティーを目指したいってワケね」
「はい。いつになるかわかりませんし、いきなりは難しいかもしれませんが……」
「まあ、ボジャットの伝手で、アレアレアの護衛団なんかで経験を積むのも一つの手かもしれないわね」
ボジャットというのは、アレアレアの町の護衛団の団長である。
「そんなこと、可能なんですか?」
「まあ私には借りがあるはずでしょ、あの男は? ま、あなたはとりあえず訓練を続けて、タイミングを見てね」
ボジャットがシャルムに頭が上がらないであろうことは、シリウスも想像がつく。
アレアレアの町をモンスターから守り、そして今も町の上空に結界を張っているのが、このシャルムなのだ。
「ぜひお願いします!」
ぺこっと頭を下げるシリウス。
「で、カリンは?」
続けてシャルムがカリンに話を向ける。
「カリンさんも、最近は料理の腕も上達してきましたよね。毎日おいしいご飯を作ってもらえて、僕は幸せ者ですよ」
「もう、シリウスくんったら、お世辞が上手なんだから!」
ばちんと肩を叩かれるシリウス。
もちろん本音だったが、シリウスはなんだか照れて顔が赤くなってしまった。
「シリウスはそれでいいとして、カリンはどうするの? またカフェやパン屋から求人が出るのを待つ?」
同じく顔が真っ赤なシャルムが、カリンに尋ねる。もちろんこれは酔っているからだ。
「うーん、そうですね……」
どこか歯切れが悪いカリン。
はっきりと目標がみえているシリウスとは反応が対照的だった。
「どうしたの? 言いたいことがあるんだったらなんだって言いなさいよ。ハローワーク所長として、あなたたちの希望は尊重するから」
つい先日、ハローワーク所長の肩書を放棄したシャルムが目を細めた。
「私……」
カリンは少し迷って言葉を切り出した。
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