「ホイップもいろいろ苦労してたんだな」
「あのときの私はまだまだ若かったですからね。つっぱってたんですよ」
「今でもホイップはつっぱってると思うけど……って! 痛い痛い! 耳をつねるな!」
「今は素直な妖精ホイップちゃんですよ! 余計なこと言うと、またお仕置きですよ!」
空を飛ぶ俺の背中に乗るホイップが、無謀な俺にやりたい放題である。
昨晩、勇者たちから逃げてファの国の山の中で野営をした際、ホイップとペリクルの出会いと別れの話を聞いたところだった。
昔のことを思い出していつになくアンニュイになるホイップに、俺は聞き役に徹していたのだが、一晩明けるとホイップはいつものホイップに戻っていた。
「さ、もっと早く飛んでください! アレアレアにペリクルに会いに行くんですからね!」
「分かってるよ! 俺もまだ慣れてないんだから……」
俺たちはファの国を抜けて、ラの国のアレアレアの町に向かっていた。
途中ではぐれてしまったペリクルに会うためである。
「そういえばさ、ホイップはシリウスとは話したのか? あいつ、本当に勇者パーティーに入っちゃったんだな。すごいよな」
アレアレアへ向かう道中、シリウスのことが気になってホイップに聞いてみる。
昨日は戦う羽目になってしまったが、俺は素直に感心をしていたのだ。
できれば夢を叶えたシリウスを祝ってあげたかったが、状況がそうはさせてくれなかった。
「そうですね。ケンタさんが家出してから、そりゃシリウスさんは訓練に打ち込みましたからね。それから、勇者パーティーのオーディションに受かったんです」
オーディション?
それだけ聞くと、なんだかアイドルを想像してしまう。
「まあ、シリウスの実力ということだよな?」
「そうですよ。何を考えてるんですか、ケンタさんは!」
また怒られた。ホイップといるといつもこうだったなと、なんだか懐かしくなる。
「でも、勇者に傾倒するあまり、シリウスさんも少し変わってしまった気がします。ぜんぶあのクロスとか言う勇者が悪いんですよね! 魔王を倒すためには手段を選ばないというか、私はあんまり好きじゃないです!」
忖度なしに言い切るホイップ。
確かに、俺も勇者クロスの印象がどんどん悪くなっている。
昨日も自分は何もせずに、仲間に命令ばっかりして、シリウスを追放するとか言い出すし……。世間の印象と、実際に会うとギャップがあるのはアイドルと一緒なのかもしれない。そんなこと言ったらファンに怒られそうだが。
「また元の姿に戻ったらシリウスに会いに行こう。それだったらきちんと話ができるかもな」
「だといいですけどね」
ホイップはなんだか言いたいことがありそうだが、言葉を飲み込んだ。
「でさ、昨日の話の続きなんだけど……」
「妖精の森を抜けて、すぐにラの国のハローワークに行ったのか?」
昨晩は気を遣って聞けなかった質問を、何気なくしてみる。
「そんなわけないじゃないですか。ハローワークがダジュームにできたのはここ数十年ですよ。いつかはもう忘れちゃいましたけど」
そうだったのか。俺もダジュームについてまだまだ知らないことばかりだ。
「私も歴史の語り部として、いろいろなところを旅したもんですよ。モンスターに襲われたり、当時の勇者を助けたり、まあいろいろあったもんです」
「なるほどね」
「ケンタさんがシリウスさんに右腕を切られたのも、語り継いでいかなければいけませんよね!」
「……そうだな」
妖精たちは歴史の語り部を自負するわりに、時間関係はかなりおおざっぱなのは特徴だった。俺たちアイソトープや人間とは時の流れが違うし、寿命も長い。
ホイップもダジュームの真実を知るためと言いながら、そのへんはかなりアバウトだった。
「シャルム様に会ったのは、最近のことですからね。私がモンスターに襲われているところを助けていただいたんですよ」
妖精の指す「最近」も時間感覚がアバウトなので、詳しくはわからない。
「へえ。それでハローワークに雑用として雇われたのか」
「簡単に言うと、そういうことです。シャルム様は命の恩人ですからね」
意外と義理堅い妖精である。
「その間もペリクルには一切会っていなかったのか?」
「森にはいちども戻っていませんから。だけどまさかペリクルまでダジュームに来ているとは思わないですもん……」
ホイップの声が、少し小さくなる。
ペリクルもホイップを追って森を出たのだが、それがいつの話なのかはわからない。
それにペリクルは裏の世界で魔王執事のジェイドに仕えていたわけで、そのことを伝えるべきか迷ってしまう。
「もうすぐ会えるはずだから」
俺はなんとなく、ペリクルのことを告げることをためらった。
しかしペリクルは今は妖精の姿から人間の姿になっているが、それもサプライズとして残しておこう。
そしてちょうどファの国の国境を越えたところだった。
「なんだ、あれ?」
前方に、異様な風景が広がっていた。
「黒い壁?」
ペリクルもそれに気づき、声を上げる。
――黒い壁。
その声に、俺はふと思い出す。
俺を輸送していたあの護衛団の馬車が事故ったとき、ゲジカルが言っていた。目の前に「黒い壁」が現れたと。
同じものかは分からないが、黒い壁が地上から空に向かってそびえたっていたのだ。
それは何かを囲むように、円柱状に立っている。
「あの場所って……?」
そうだ。川沿いの村、ポラス。
黒い壁に覆われて村の中がまったく見えなくなっていた。空から見下ろすことさえできない。
あそこには怪我をした護衛団の二人を残してきたんだが、どうなってるんだ?
「ちょっと、ケンタさん? どうしたんですか?」
俺はつい空を飛ぶスピードを落としてしまう。
「いや、あの黒い壁の中に村があるんだよ。そこに知り合いが……」
「村があるんですか? あの中に?」
「ちょっと寄っていいか? なんか放っておけないよ」
俺はホイップの返事を待たずに、黒い壁の中にあると思われるポラスの村へ降りていった。
「ちょ、ちょっと待ってください! ケンタさん、あの黒い壁、何か知ってて行こうとしてるんですか?」
ホイップは俺の角を掴んで、グイッと持ち上げる。それは操縦桿じゃありませんから!
「あの黒い壁のこと知ってるのか?」
一旦空の上で制止し、角に掴まるホイップに聞く。
「何って、知らずに突っ込もうとしてたんですか? ケンタさんまでシリウスさんの真似しなくていいんですよ!」
それは猪突猛進のシリウスの性格のことを言っているのだが、俺はダジュームきっての慎重派でやらせてもらっている。今はこんなデーモンの姿だけど。
「どういうことだよ?」
つい俺も足が……、いや、羽がすくむ。
「あれは魔法ですよ。あのまがまがしいオーラ。おそらくかなりの使い手です」
「なんだって?」
もちろん魔法的な何かだとは思っていたが、ホイップの深刻な声音で一気に緊張感と説得力が増してしまった。
「村を丸ごと覆ってしまうほどの魔法を使いこなせるなんて、魔王軍のボスレベルじゃないですか?」
「魔王軍のボスって……」
ベリシャスレベルってこと?
でもあの魔王も俺に【変化】の魔法ミスってたしなぁ。
だけど強敵に変わりはなかろう。
「よし、逃げ……。いや、そんなわけにはいかないって。だってあの村には知り合いがいるかもしれないし、そもそも村人たちが襲われてたらどうすんだよ!」
「助けようっていうんですか? デーモンになってケンタさんもまともなことを言うようになったんですね!」
「そりゃそうだよ! モンスターに襲われてたら助けなきゃ! それに今の俺だったらなんとかなるんじゃないのか?」
俺も今は中ボスレベルなのだ。
魔王ベリシャスの【変化】の魔法が失敗して、いまや俺はとんでもない力を得ている。それにモンスター同士ならば、今度こそ話し合いで何とかなるかもしれない。
「勇者と戦ったり、モンスターと戦ったり、ケンタさんは忙しい人ですね。じゃあ、行ってみましょう」
俺が行く気になると、ホイップもあっさり賛同してくれた。
「ちゃちゃっと助けて、アレアレアに向かおう。ほっとけないよ」
一度躊躇したが、俺は再びその黒い壁に向かって下りていくのであった。
だがこの選択は、とんでもない事態を巻き起こすのである。
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