真っ暗だった。
最初はまだ背後から外の光が差し込んでいたが、奥に進むにつれ闇が俺たちを取り囲むようになってきた。
洞窟自体は一本道だったが、自然にできたものなのか人工的に掘られたものなのかは分からない。
くねくねと曲がりくねっており、すぐに方向感覚がなくなった。いつの間にか外の光は一切届かなくなる。
「ケンタさん。さすがにこの暗さでは厳しそうです。もしここでモンスターに襲われたら……」
ここまで黙ってついてきたシリウスだったが、さすがに少し不安を吐露する。
振り返ってもすでに暗闇の中では彼の表情すら読みとれない。
「真っ暗闇の中で剣を振り回したら同士討ちの可能性もあるし、モンスターに当たる可能性も低いよな」
ただでさえ俺の武器は両手持ちのバスタードソードである。こんなもん振り回してシリウスにかするだけで大けがをさせてしまう。
いや、残念ながら俺の筋力では振り回せるとも思えないのが悲しいところである。
第一、この狭い隧道ではバスタードソードほど適さない武器はない。
「元の世界では洞窟になんか入る機会がなかったので、予想できませんでしたね」
俺が持ってきた大きな獲物を見ながら、シリウスが俺の思考を読み取ったみたいだった。
「確かに。武器は仕方ないとしても、せめて事務所を出る前に洞窟に行くって言っといてくれれば、火の準備はできたかもしれないのに」
懐中電灯のような便利なアイテムは、この世界にはない。もちろん、スマホのライトも。
「どうしますか? 一旦戻ってシャルムさんにお願いするとか?」
光が届くか届かないかのギリギリの地点で、俺たちは立ち止まっていた。
「そんなことしたら、いきなり負けを認めるようなものじゃないか。なんとか火をつけられる方法は……」
ライターもマッチもないこの世界で、どうやって火をつければいいのだろうか。
俺は首をひねり、あたりを見渡す。
この洞窟は上下左右が岩になっていて、草木一本生えてはいないのだ。
ここは異世界、運よく使い捨てライターが落ちているというようなミラクルラッキーがあるわけもない。
「何か火をつける方法が見つかりましたか?」
「いや、まったくない」
さすがにどうしようもないので、嘘はつけない。
「フィクションの異世界転生ものなら、ここで化学の知識やキャンプの経験とかで火をつけるんですが……。いかんせん、現実の異世界では難しかったですね」
シリウスが口元を押さえながらややこしいことを言い出す。
現実の異世界、という言葉がやけにリアルだ。
「フィクションの異世界とか、現実の異世界とか。よく考えると面白いよな、俺たちの現実って。異世界なのは変わりないけど」
「ふふ。自分で言ってて意味が分かりませんよ」
頭を掻くシリウスに、俺も思わず笑ってしまう。
「でも、今の俺たちにとってはこれが『世界』なんだよな」
アニメやラノベの異世界転生ものなら、シリウスの言う通り元いた世界の知識を活用してピンチを切り抜けるのだろう。
それこそ【キャンプ】や【化学】みたいなスキルなんてものがあればこういう状況も切り抜けられたのだろう。
だが、これは現実。俺たちは異世界に転生したのだ。そんなスキルもない状態で。
それに俺はなんの取柄もない高校二年生だ。こんな異世界で活用できるような知識も経験もない。
「そういえばシリウス、お前も学生、だよな?」
ひとつ年下の、イタリア人というシリウスに改めてその素性を尋ねる。
ここまでシャルムのペースに合わせてきて、お互いのことは名前以外ほとんど知らないのだ。
「え、ええ、一応は。勉強は苦手で、……仕事、というかバイトばっかしてましたよ」
そう言って少し自虐的に笑うシリウス。その筋肉で固められた体は、過酷な肉体労働でもやっていたのだろうか。
「だから僕も火をつける方法なんて思いつきません。ライターでもなけりゃ」
肩をすくめるシリウスに、俺も同意する。
「こういうときに魔法でも使えりゃな……」
「そうですね。生きていくだけでもある一定の戦闘スキルはこのダジュームでは必須ということなんですね」
「それを身をもって感じさせるために、こんな訓練を……?」
シャルムならありえる。これまでも何人もアイソトープの仕事を斡旋してきた女だ。
どれだけ座学でダジュームのことを教えても、一度実戦に出して経験させるほうが効率はいいと考えてそうだ。
現に戦闘スキルに批判的だった俺も、すでに魔法の重要性を感じているし……。
「そうかもな」
「だったらやはりここは一旦戻って……」
「いや、待て」
シリウスがくるんと入り口のほうへ向かおうとするのを慌てて止める。
さっきあそこまで言った手前、いきなりシャルムを頼っては負けを認めるようなものだ。
「もう訓練は始まっているんだ。ここにあるもので、なんとかするしかない」
俺はただ単純に、またシャルムに怒られたくないだけっていうのもあった。
シャルムを頼るのならば、ここに入る前に尋ねておくべきだったんだ。その危険予測も、この訓練の評価のひとつに違いないのだから。
さっきシャルムはこう言っていたんだ。
『洞窟の中で起こることはすべて訓練よ。どんな方法を使ってもいいから切り抜けてみなさい!』
どんな方法を使っても……。
「ケンタさん、どうしましょうか? こうなったら同士討ちだけしないように距離を取りながら、進みましょう。ソーシャルディスタンスを心がけて」
シリウスもこの状況でできることを進言してくれる。それもひとつの案だが、モンスターがどれだけいるのかも分からないので、難しい面がある。
「さっきシャルムは言ってたんだよ。『どんな方法を使っても』って」
「そうですけど……?」
俺はホイップを見る。
暗くてよく分からないが、彼女が羽を羽ばたかせているときはキラキラと音がするので、どこにいるのかはすぐ分かる。
「ホイップは魔法が使えるんだよな?」
「え、私ですか?」
ホイップは注目を浴びて、自分で自分を指さしながら目を丸くした。
ホイップ特製の武器であるバターナイフを片手に持っている。
「そうだ。ホイップさんなら魔法で火をつけられるんじゃありませんか?」
シリウスも俺の言いたいことを把握したらしく、パンと手を叩く。
そう、使えるものはすべて使う。使える妖精も、もちろん含まれているはず!
「そりゃ私はフェアリーですから、魔法なんてお手の物です。でも、私は監視&査定役なんですけど?」
「だけど、シャルムはどんな方法を使ってもいいって言ってただろ? それに明かりがなければ俺たちの戦闘スキルの評価もできないじゃないか?」
ホイップに魔法を使わせる、というやり方もあるはずだ。
戦闘スキルとは一口に戦うことだけを表しているのではない。いろんな立ち回りも含めたスキルのはずだ。
それこそ戦わずに戦闘を回避できる策があるのならそれを講じるのもスキルだし、逃げることもスキルのひとつのはずだ。
「でも、手助けにならないかしら?」
斜め上を向いてしばし考えるホイップ。
「これは手助けじゃないさ。それにこの訓練は俺たちの戦闘スキルの見極めでもあるんだろ? だけど俺たち、魔法ってやつをまだ一度もこの目で見たことがないんだよ。どうやって使うかも分からなければ、覚醒のしようがないと思うんだ」
【説得】というスキルがあれば、こういうことだろう。
なんとかホイップ魔法を使わせようと、俺は必死で詭弁を弄した。
「シリウスもそう思うよな? 魔法、見たいよな?」
「ええ、それは、見たいです! ホイップさん、お願いします!」
どうやらシリウスも俺の作戦を理解してくれたようで、乗ってきてくれる。
「そうですけど……。ま、それもそうですね!」
と、ホイップはあっさりと納得してくれた。
「ホイップさん、ありがとうございます!」
シリウスが礼を言うと、ホイップはバターナイフをくるんと一回転させた。
「じゃあよく見ててくださいね。これが初級の火の魔法、ファイヤーボールです!」
ホイップが前に突き出したバターナイフの先に、空気が圧縮されるように見えた。
音はしなかったが、なぜか耳の奥が縮こまるような感覚がした。
そして次の瞬間には、スイカくらいの大きさの火の玉が現れたのだった。
「す、すごい!」
シリウスが舌を巻く。
それも当然だ。俺も声が出そうになったが、ぐっとこらえる。
ホイップは何もない空間に、見事火の玉を出現させたのだ。めらめらと燃えるその炎は、少し離れた俺の顔にその熱を感じさせる。正真正銘の、火である。
これはマジシャンがトリックありきで鳩を出現させるのとはわけが違った。俺とシリウスはこの異世界で、魔法という現実を目の前で見せられたのだった。
「今はここにとどまらせていますけど、これをびゅっと投げることもできるんですよ! そっちのほうが本来の使い方かもしれませんね! 火が苦手なモンスターは多いですから」
ホイップは得意そうに、燃えさかる火の玉の説明をしてくれた。
「魔法って簡単に出るんですね。もっと呪文のようなものを詠唱するのかと思ってました」
「そうですね。これは人によります。気合の入れ方みたいなのもありますしね。これくらいの初球魔法なら、みなさんも訓練すれば唱えられるようになるかもしれません」
にこっとホイップが微笑む。
「やっぱり杖とか、そういうのが必要なのか? お前は、バターナイフを使ってるけど?」
「これも雰囲気的なものです。でも杖や武器がないと手のひらにファイヤーボールを出すことになるので、熱いですよ!」
まんざらでもないように、ホイップが説明してくれる。
「さすがホイップだ! こんなに簡単に魔法を使うなんて、妖精の鑑だな! 先生と呼ばせてください!」
「いやぁ。それほどでも……!」
ぽっと顔を赤らめて、頭を掻くホイップである。
なるほど、この子の扱い方が分かったぞ!
「じゃあ、行こうか。まだしばらく一本道が続きそうだからな。毒サソリが出るって言ってたから、足元に注意して先を急ごう!」
とりあえず、真っ赤に燃えるホイップのファイヤーボールを頼りにしながら、俺たち三人は洞窟の奥へと進むのであった。
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