勇者とランゲラクに身を追われて、数か月ぶりに帰ってきた異世界ハローワーク。
そこでシャルムから見せられたのは、魔王からのオファーだった。
「現状、勇者に追われて指名手配されているあなたに、居場所はないわ。ダジューム中どこへ行っても、すべての目があなたを探している。隠れ続けてもランゲラクとかいう奴が相手では見つかるのも時間の問題よ。今、考えられる一番安全な場所は、勇者やランゲラクが手を出せないところ。それが魔王城ってコト」
どうやらシャルムは冗談で言っているわけではなさそうだ。
しかも執事ってことは、このジェイドの後釜なわけだ。彼が機嫌悪そうにしている意味がわかった。執事のポストに俺が就くなんて、プライドの高そうなジェイドからしたら承服しかねるのも理解できる。
「これってマジで魔王からのオファーなんですか? このハローワークを通して?」
「もちろん、国を通したものじゃないわ。いわゆる裏オファーよ。でもきちんと魔王ベリシャスからの依頼だから安心しなさい」
シャルムがベリシャスという名を出したとき、ジェイドが一瞬反応した。
しかし魔王から直で裏オファーが来るなんて、どういうところなんだ、ここは?
「安心するところじゃないでしょ! 魔王は俺を使って兄を生き返らせるつもりなんですか? そんなことしたらランゲラクへのけん制になるかもしれませんけど、ダジュームがどうなるかわかりませんよ!」
「ベリシャスは争いを止め、人間との共存を願っているんでしょ? そのために兄を生き返らせることは最終手段よ。最優先はあなたの存在を勇者とランゲラクに渡さないこと。そのための最善策は、あなたが魔王の下で働くコト。わかった?」
一体シャルムはどこまで知っているのだろうか? 魔王とも関係があるのだろうか? やはり底が知れない。
「ジェイドも、これでいいのか?」
「私は魔王様の意向に逆らう権限はない」
断言するジェイド。
確かに魔王の下に入れば、ランゲラクはそうそう手出しできないだろう。
俺が【蘇生】スキルで魔王の兄を生き返らせるかどうかは置いておいても、唯一の安全地帯であることは間違いがない。
カリンもシリウスも自分のジョブを見つけ、そしてホイップもいない異世界ハローワーク。
俺も自分にできることを探そうとしたが、結局一人では何もできないのだ。
妖精シャクティにはアイソトープの真実を教えられ、オーラの翼を授かった。
ジェイドにはオーラを注入され、ようやく飛べるようになった。
シャルムにはこうやってオファーという形で安全な場所を与えられた。
俺はいろんな人に助けられて生きている。
いや、生きていかねばならないのだ。このダジュームのために、争いを起こさないための抑止力として。
この【蘇生】スキルを持ってしまったからには、それが俺の運命。
「わかりました。サインします」
俺はペンを持つ。
これが最善策かどうかはわからない。
俺が魔王の執事になるということは、伏魔殿へと足を踏み入れることになるのだ。勇者ですら、たどりついたことがない魔王城へ。一体それが自分の身を守るためなのか、想像もつかない。
むしろ利用されている可能性も捨てきれないのだ。すべては魔王と、このジェイドの手のひらの上で転がされていることもあり得る。
じゃあシャルムは?
なぜ魔王から直々にこのハローワークにオファーが届くんだ? シャルムと魔王は、どういう関係なのだ?
いや、考えていてもきりがない。俺ができることを探すために、俺はやるしかない。
オファーの書類に、サインをする。
「詳しい話や仕事内容は、魔王城に行ってからよ。今日はここでゆっくりしなさい」
書類に不備がないかを確認しながら、シャルムが珍しく優しいことを言う。
「なに? すぐに出発しないのか?」
だがジェイドがこれに食いついた。
俺もすぐに魔王城に連れていかれるかと思っていたので、予想外である。
「もう二度とこっちの世界には戻ってこれなくなるかもしれないのよ? 一日くらい、猶予をあげてもいいでしょ」
すっと立ち上がったシャルム。
その言葉で俺は目が覚める。そうか、俺はもうここへは戻ってこれないんだと。
これは自分勝手な家出ではないのだ。
シャルムが俺のことを見る目は、優しさか憐憫か、それとも――。
「あなたも寝る場所がないなら下の道場を使ってもいいわよ。今は誰も使ってないから」
そう言うとシャルムは自分の部屋へと、階段を上っていった。
「世話にはならん」
捨て台詞のように吐き捨てるジェイドと、取り残された俺の間にはなんだか気まずい空気が流れる。
ペリクルもホイップがいなかったショックで、テンションが低そうで言葉もない。
「ジェイドは、このこと知ってたのか?」
俺はリビングで立ったまま、ソファに身を沈めたままのジェイドに尋ねる。
もともとは魔王の執事をしていたジェイドはランゲラクの下に移動した。その後任のポストに俺がつくことになって、複雑な思いはあるだろう。俺みたいなアイソトープが、魔王城の執事なんて前代未聞だ。ダジューム史上、ありえないことなのは俺でも理解できる。
「まさかな。今、あの女から初めて聞いたことだ」
「でも、俺の身を勇者とランゲラクから隠すための形式的なことなんだろ? アイソトープの俺が魔王の執事なんて務まるわけがないからな」
「当たり前だ。お前に何ができるというのだ。うぬぼれるな」
もう目すら合わせてくれないジェイド。拗ねなくてもいいのに。
だが魔王もわざわざハローワークを通してオファーするとはどういう了見だろう。例えばジェイドに頼んで俺を拉致することもできたはずだ。そのほうが手っ取り早い。
こんな人間の間で決められためんどくさい手順を踏むということは、本当に魔王は争いを望んでいないのではないかと考えてしまう。
人間のルールに従おうとしているのだ。
「ジェイド。魔王が言うように、お前も本当にモンスターと人間の共存はできると思っているのか?」
正直、俺はまだ信じられない。
圧倒的な力を持つ魔王だからこそ言えることで、人間のほうが受け入れる度量があるとは思えないのだ。一度身についたモンスターへの恐怖は、そう簡単に拭い去れない。
「……私は少なくとも魔王様のもとで数百年、執事として働いてきた」
ジェイドはそう前置きをして、俺の質問に答える。
「その数百年において、魔王様は人間を襲うという指示を出されたことは一度もない。父上である先代の魔王様が倒されたあとも、実の兄を殺されたあともだ。なぜだかわかるか?」
ジェイドの問いに、俺は首を横に振る。
「復讐は何も生まない。憎しみの連鎖を絶とうとされているのだ、魔王様は」
「憎しみの連鎖……」
それは始まりの妖精シャクティの言っていたことと同じだ。
偶然なのか、それとも二人には何かつながりがあるのか。
「もちろん、魔王軍は人間と争ってきた歴史がある。ランゲラクのようなモンスターが当たり前の存在だった。魔王様が指示しなくても、過激派が行動することにより、小さな争いは起きてしまうことはあった。今もそうだ」
その過激派であるランゲラクは先代の魔王から仕える最古参であり、平和主義を唱える魔王のことを良く思っていないのだとしたら、なおさらである。
「私も、最初にお前を監視しろという命が下ったとき、何度も拉致すればいいと考えたものだ。そのほうが圧倒的に効率はいい。だが、魔王様はそれを望まなかった。結果、俺はお前を諦めて手ぶらで帰ったのだ」
最終的に拉致しようとしたが、結果的には諦めて帰っていったのがジェイドだった。
「だが今はそれでよかったと思っている。あの時お前を強引に拉致していたら、私も憎しみの連鎖に巻き込まれていたのだろうからな」
手のひらを合わせてうつむくジェイド。彼の中にもいまだモンスターとしての葛藤があるのは見て取れる。
「私は魔王様を信じている。これまでも、そしてこれからも。それだけだ」
おそらくジェイドはこれからもスパイという役割を果たすためにランゲラク軍へ戻ることになるのだろう。それもすべて、魔王への忠誠なのだ。
「ペリクル。お前はどうする?」
さっきまで泣きべそをかいていたペリクルに話を振る。ホイップに会いに来た彼女にとっては、何も収穫がなかったことになる。
「わからない……」
「そうか」
ホイップがいなくなったのは俺の責任でもある。俺が魔王城へ行ってしまったら、ホイップに会うこともできないのだ。
それはシャルムも、カリンも、シリウスも同じこと。
本当のお別れだ。
「ではまた早朝来る。今度は逃げるなよ」
そう言ってジェイドは立ち上がり、事務所を出ていった。ペリクルも一度俺のことをちらっと見たが、そのままジェイドについて行ってしまった。
リビングに一人取り残された俺は、懐かしくもあり、そして明日になればもう二度と来ることがない事務所に、思いがこみ上げる。
転生してきて、ここに保護されて、訓練と生活を繰り返したここは、ダジュームでの我が家であった。
つらいこともあり、楽しいこともあった。
家族もできたんだ。シリウスとカリン。俺たちは一緒に、このダジュームで生きていく術を探した。
そして俺だけが今もこうやって迷っている。挙句の果てに、魔王城で働くことになったんだ。
いつの間にかダジュームの命運なんて握らされてるんだよ、この手に。
俺だって信じられないよ。でも、俺がなんとかしなきゃ、みんなが笑って生きられない世界になってしまう。
憎しみの連鎖。それを止めなきゃ。
だから俺は、魔王を信じてみるさ。
この握ったこぶしの中に、ダジュームを救える力があるのなら。
俺はハローワークでの最後の日を惜しもうと、かつての自分の部屋に行こうとした。階段へ向かうと、ちょうど上からシャルムが現れた。
「ちょっといい、ケンタ?」
今は二人だけのハローワーク。
きっとシャルムと話すのもこれが最後になるかもしれない。そう考えると、俺の胸がキュッと締め付けられた。
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