「ひとつ聞かせてください。もし私がこのオファーを断ったら、シャルムさんにご迷惑がかかることになるんじゃないんですか? 私たちがジョブを見つけるまでお世話をかけ続けているわけですし、ラの国とのこともありますし?」
カリンが心配そうに尋ねる。
さっきシャルムが愚痴っていたことが気になっているのだろう。
異世界ハローワークの仕事は、アイソトープを保護し、訓練ののちにジョブを斡旋すること。
俺たちの訓練代や生活費は、ジョブに就いた後の後払いになっている。
シャルムとしてはさっさとジョブを斡旋したほうが、儲けになるのだ。
それに国からの補助も減るという噂が出ていたし、世話になっているアイソトープとしては同じ火の車に乗っている申し訳なさもあって……。
「あなたが心配することはないわよ。私はあなたたちが不幸になるようなジョブを無理やり斡旋するつもりはありません。そこまで金の亡者じゃないわよ。言ったでしょ、うちのモットーは誠実・公正・安全だって」
これはカリンの考えすぎだという風に、シャルムははっきりと否定した。
さっきは冗談だと思っていたが、金のためにやっているわけではないという宣言だった。
シャルムも俺には厳しいが、わりとアイソトープ思いのところもあるんだよな。
「誤解がないようにこれも言っておくと、相手がソの国の王子で、このオファーを受ければうちにも莫大な仲介金が入ってくるし、訓練代の返却もとりっぱぐれがないでしょうし、ハローワークとしてはいいことづくめなんだけど……」
シャルムは斜め上を見ながら、頭の中でそろばんを弾きまくっていた。
さっきのアイソトープ思いって言葉、撤回! 完全に金の亡者の目をしていやがる!
「ふふふ、ならよかったです。私、このオファーお受けします」
と、カリンは言い切った。
さっきまでの苦悩の表情はなんだったのかと思われるくらいに、あっさりと決断を下した。
「え、ちょっと待て、カリン! そんなに簡単に決めて……」
反射的に口出ししてしまったが、俺に止める権利などあるはずはなかった。
「いいの、カリン? って、私が聞くのも変だけど」
「もちろんです。だって、こんなにいいジョブはないじゃないですか? お姫様は子どものころからの夢だったんですから!」
目を細め、白い歯を見せて笑うカリンに、シャルムはこれ以上何も言わなかった。
「カリンさん、その、僕もなんて言えばいいのか……」
シリウスもこういう場合に使う適切な言葉が浮かばないらしい。
でもたぶん、このオファーを聞いたとき、俺もシリウスも同じことを考えていたのだ。
カリンは断るだろうと、何の根拠もなくそう思っていた。
ダジュームで暮らす人間にとっては、王子のところに嫁入りに行くのはジョブとしては大成功の類だろう。玉の輿に違いなく、なろうとしてなれるわけではないのだ。
でも俺たちはまだ元の世界の価値観が残っており、アイソトープとしての気持ちもある。
ましてや転生してきて間もないカリンが、この選択を受け入れるとは思ってもみなかったというのが正直な感想だった。
「え、シリウスくん、お祝いしてくれないのー? 家族のひとりが晴れてジョブが決まったんだよ? ね、ケンタくんも!」
「……ああ、そうだな」
「でしょ? そうだ、みんなで乾杯しましょ! 私たちはまだ未成年だからね、ぶどうジュースを取ってくるね!」
そう言いながら、カリンはキッチンへパタパタと走っていった。
見送るホイップの顔もどこか心配そうだった。
「シャルム、いいのかよ?」
カリンがいなくなった隙に、小声でささやく。
「何がよ? 本人がいいって言ってんだから、どうしようもないでしょうに」
「明らかにカラ元気じゃねーか? シャルムがここのハローワークの経営が危ないみたいな話をしたから、無理してオファーを受けようとしてるだけだぜ?」
「なによ、私が悪いっていうの? 私は私の仕事をしただけよ」
「仕事だからっていいことと悪いことがあるでしょ!」
ちらちらとキッチンのほうを窺いながら、俺とシャルムは鼻を突き合わせる。
「これ、どっかの国の女王があなたと結婚したいっていうオファーだったらどうしてた?」
「そりゃ二つ返事でオッケ……って、話をずらさないでください!」
「そういうコトよ! あなたが口を出す権利はないようね」
つい本音がこぼれてしまい、ぐうの音も出なくなってしまう。俺のバカ!
「まあまあケンタさん。とりあえず落ち着きましょう」
「シャルム様も、ワインでも飲んで!」
シリウスとホイップが俺たちを引き離したところで、ジュースの瓶とグラスを持ったカリンが戻ってきた。
「おまたせー。って、何してんの?」
カリンが不思議そうに俺たちの顔を見渡す。
「なんでもないんです、カリンさん。あ、僕が注ぎますね!」
グラスにぶどうジュースを注ぐシリウス。ホイップ用の小さなグラスにも、こぼさないように丁寧に入れている。
「ほら、ケンタさんも!」
乾杯する気になんてなれなかったが、俺が反対する権利がないのは確かである。
カリンが本当に無理をしてオファーを受けたのかどうかも分からないし、ダジュームで生きていくためには申し分ないジョブなのだ。
俺はそんな複雑な気持ちを封印して、グラスを持つ。
「じゃ、かんぱーい!」
カリンの屈託のない合図で、俺たちはグラスを合わせた。
「カリン。とりあえず一晩、考えてみて。今すぐサインはしなくていいから」
ひとりだけワインを一気に飲み干したシャルムが、カリンに言い含める。
もしかしたらシャルムが一番、戸惑っているようでもあった。
「明日になっても私の気持ちは変わりませんよ! だってお姫様になれるんですもの!」
竹を割ったような笑顔を披露しながら、胸の前で手を合わせるカリン。
「……そ。じゃあ私は疲れたから先に寝るわ。あなたたちも明日は朝から訓練なんだから、早く寝なさいよ」
シャルムが階段を上って部屋に戻り、ホイップもキッチンの片づけに向かった。
リビングに残されたアイソトープ三人は、残ったジュースをちびりとやりながら、なぜか無言になる。
「もう、なんか喋ってよ! どうしたのよケンタくんもシリウスくんも!」
ソファに座りながら膝を抱えるカリンが、頬を膨らませて不満を表している。
「喋るもなにも、なあ?」
「はい」
なんとなく言葉が出ない俺に、シリウスも同意してくれる。
きっと俺たち三人とも、何が正解で何が間違いか、アイソトープとしての答えを見つけられないでいるんだ。
それはここダジュームでの経験の少なさでもあるし、元の世界での経験が足を引っ張ってもいる。
「……本当に、いいのか?」
そんな空気の中で、ダジューム歴が一番先輩の俺が、口火を切る。
どうしても無視はできない話題であり、明日の朝にカリンがオファーにサインすればすべてが決まってしまうのだ。
「オファーのこと? いいに決まってるでしょ!」
俺の質問に、逆に驚くように目を丸くするカリン。
ここまではっきり言われると、さっき感じたカラ元気が気のせいだったように思える。
「でも、結婚するんだぜ? ソの国の王子にも会ったことないのに、そんなに簡単に決めちゃっていいのかよ? こんなのジョブじゃなくって……」
「ジョブじゃなくって、何?」
言葉が詰まったところで、カリンが落ち着いた声で繰り返した。
「お前は本当に、その王子様と結婚したいのか?」
「そういう問題じゃないの。これはジョブなんだから」
「さっきはパン屋で働きたいって言ってたじゃないか。もう良い子を演じるのはやめて、やりたいように生きるって言ってただろ? それって自分を騙して……」
「いいって言ってんじゃん!」
カリンは俺の言葉を遮り、大きな声を出した。クッションを両手でグッと抱きしめ、顔を埋める。
やはり無理をしているように見えてしまう。
しばらく誰もしゃべらない沈黙の時間が続いたが、このままでいいのかという自問自答が俺の心の中で繰り返された。
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